地下鉄に乗って
当ブログでもお馴染みとなりつつある浅田次郎氏の小説。
ちなみにタイトルにある"地下鉄"は、"メトロ"と読みます。
浅田氏の代表的な作品であり、彼の作家としての魅力が余すこと無く詰め込まれています。
主人公が過去へタイムトラベルをして様々な経験をしてゆくといった、小説ではお馴染みの手法で物語が展開してゆきます。
そして、そのための手段が"地下鉄(メトロ)"という設定です。
私自身は田舎育ちのため、上京するまで地下鉄に乗った経験がありませんでしたが、東京に地下鉄網が広がってゆく時代を身近に見ながら育った浅田氏ならではの発想ではないでしょうか。
個人的には景色がまったく見えない暗闇を走り抜ける地下鉄は閉塞感を感じるせいか、あまり好きではありません。
一方で、たとえば新宿で地下鉄に乗って目的駅に到着して地上に出てみたら、周りの景色が下町だったという経験は何度もあり、それとタイムマシンを結びつける感覚は何となく分かります。
主人公は団塊世代に生まれた中年サラリーマン・小沼真次。
真次の父は、戦後の混乱に乗じて巨額の富を築いた実業家ですが、仕事と愛人に夢中で家庭をまったく顧みなかったため、何十年も前から絶縁状態でした。
そんな真次がタイムスリップで過去の父と出会い、憎悪によって固く閉ざされた父への想いが少しづつ変化してゆく過程が描かれています。
ファンであればすぐに気付くと思いますが、主人公の真次は著者の浅田氏自身を投影した姿でもあります。
そして著者の描く父親像は、ある意味では昔の日本人の典型的な父の姿なのかもしれません。
つまり理不尽なほどに厳しく、決して多くは語らず、子どもは父親の背中だけを見て育ってゆくといった感覚です。
また浅田氏がエッセーで現代は父と母の役割が一緒になってしまい、昔のような父親が消えてしまったという旨の発言をしていましたが、それを読んで妙に納得した記憶があります。
もちろん理想の父親像は人それぞれだと思いますが、私自身は"息子として育った私"、そして"子どもを持つ父親としての私"といった2つの視点で色々と考えさせられながらも、怒涛の結末まで一気に読まずにはいられない作品でした。