レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

水滸伝 10 濁流の章

水滸伝 10 濁流の章 (集英社文庫 き 3-53)

「水滸伝」、特にこの「北方水滸伝」は非常に男臭い物語です。

ある男は人生に絶望し、またある男は人の道を踏み外しそうになり、さらにある男は戦いに明け暮れて自分を見失ってしまいます。

そんな時、男は生まれ変わるための時間と場所が必要になります。

世間から隔離されたのどかな風景の広がる山の庵。


そこに禁軍の武術師範として無双の強さを誇りながらも、無実の罪によってその地位を追われた"王進"が老いた母と共に隠遁生活を送っています。

王進は自己の内面を見つめる生き方を選んだために、梁山泊に加わることはありません。

それでも王進の元には梁山泊の内外から心に傷を負った男たちが訪れ、王進はそれを静かに受け入れます。

王進親子と共に畠を耕し、陶芸を行う中で多くの男たちが何かを悟り、そして一回り大きくなって再び戦いの日々へ戻ってゆきます。

中国風にいえば王進は"仙人"であり、日本風にいえば剣を極めた伝説の剣豪(柳生石舟斎、上泉伊勢守あたりでしょうか)といったイメージになります。

ちなみに原作での王進は史進の棒術師匠として登場するだけですが、「北方水滸伝」の中では目に見えない傷を負った男たちの導き手として、シリーズ全般を通して欠かせない存在となります。

現代社会でも、プレッシャーに押しつぶされそうになったり、すべてを投げ出したくなることは誰にでもあると思います。

王進の庵のような場所があれば、誰しも1度は訪れてみたいと思うのではないでしょうか。