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水滸伝 5 玄武の章

水滸伝 5 玄武の章 (集英社文庫 き 3-48)

林冲史進といった武将は、軍勢を率いて正面から敵軍を撃破する役割を担いますが、水面下の戦いを指揮する公孫勝は水滸伝の中で異質な存在です。

原作の公孫勝は、道士として法術を自由自在に操り、敵として現れる妖術使いを倒してゆく好漢ですが、北方水滸伝ではもう少し現実的な役割を果たします。

それは致死軍と名付けた兵士たちを率いて、諜報活動、撹乱や暗殺を目的とした常に裏の任務に従事することです。

彼は致死軍の兵士たちに次のように語りかけます。

「死ぬる時も、名もなく死んでいく。それでよしと思った者だけが、ここに集まった。報われることは、なにもない。人々の心の中で生き続けることもない」

現代風にいえばスパイですが、舞台が中世であることを考えると戦国時代に活躍した忍者の方が近いイメージです。

公孫勝の立場は戦国時代でいえば、服部半蔵や百地三太夫といったところでしょうか。

もちろん敵となる青蓮寺にも致死軍と同じような影の軍団が存在します。

王和が率いる軍勢がそれにあたり、常に水面下で梁山泊としのぎを削り合う関係です。


北方水滸伝はフィクションでありながらもリアルさを追求したストーリー構成であるため、妖術という存在が介入しずらい世界観であるのは確かです。

ただし原作で大活躍した公孫勝の存在を消してしまうのは作品の魅力を削いでしまうものであり、日本人にとって馴染みのある忍者のような役割を与えることによって、違和感なく「北方水滸伝」の中に溶け込んでゆきます。

「致死軍」は北方氏のバランス感覚やセンスの良さを象徴するような存在なのかも知れません。