水滸伝 9 嵐翠の章
"宋"という中国を支配する国家と比べて、余りにも小さな存在である"梁山泊"。
彼らがどうして宋と互角に渡り合えるのか?
作品を読めば、それが資金源となる"闇の塩のルート"だったり、先見性のある戦略、勇敢な指揮官、そして効率的な内政システムだったりと幾らでも理由を挙げられます。
ただ決定的な要素を1つだけ挙げるとするならば、「梁山泊に集った優秀な人材」に尽きるのではないでしょうか?
「北方水滸伝」で優秀な人材をリクルートする役割は、原作でもおなじみの魯智深(ろちしん)、武松(ぶしょう)、李逵(りき)といった3人の好漢たちが担います。
いずれも原作では深く考えるよりも手が先に出る典型的な暴れん坊タイプの好漢たちですが、彼らが梁山泊の人材獲得のために奔走するという設定は興味深く、著者のセンスを感じます。
この3人は林冲や史進といった梁山泊きっての武将と比べても決して劣らないほどの武勇を持っているにも関わらず、軍勢を指揮することなく、常に人材を集めるために各地を旅しています。
武力や知力といった目に見える技能よりも、人物を見抜く目、人から共感と信頼を得られる人間性を持っていなければ、この役割は務まりません。
魯智深ははじめは僧形で、片腕を失った後は"魯達"という派手な格好をした流浪の旅人の姿で、懐の深い、そして掴みどころのない性格で3人の中では長兄的な存在として活躍します。個人的には、宮本武蔵に登場する沢庵和尚のようなイメージと重なります。
武松は過去に犯してしまった大きな過ちを十字架として背負って生きている、寡黙で朴訥な人物です。苦しい修行に耐える禅僧や武道家といったタイプです。
李逵は武松を兄として慕って常に行動を共にしています。
もっとも原作のイメージに近い猪突猛進してしまうタイプですが、純真で明るい性格であり、料理が得意という意外な一面も持っています。
長いシリーズの中で度々登場するこの3人の活躍する場面は、もっとも読者を惹きつける魅力的なシーンであることは間違いありません。