本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

日本共産党

日本共産党 (新潮新書)

日本共産党に39年間在籍して参議院議員を経験、そして2005年7月に離党した筆坂秀世氏が、その内情を描いた作品です。

はじめに本書を手に取るまでの私自身の「日本共産党」へのイメージを書いてみようと思います。

まずその政治的思想は、マルクス・レーニン主義を源流に持っていることは容易に想像がつきます。

ただしソ連の崩壊と共に本家の社会主義国家が事実上解体し、共産党が組織的に強い体制を維持しているのは中国のみといった状況です。

そもそもコミンテルン(共産主義政党の国際組織)はとっくの昔に解散しており、戦後の日本が資本主義寄りの路線をとってきたことは既知の事実であり、その中で共産党は地道に活動を続けているといった印象です。

現状を見てみても日本共産党が与党どころか、野党という立場で躍進する可能性は殆どないといってよいでしょう。

私より一世代前の人であれば「アカ」といったマイナスの印象を持っている人も多いのではないでしょうか。

前半では日本共産党の成り立ち、著者が経験した活動資金の調達方法、組織の運営体制までを案内人のように解説してゆきます。

後半では党指導部の失態、硬直化した組織運営体制といった現状を厳しく批判していますが、著者が日本共産党の元幹部だっただけに、その内容にも説得力があります。

本書を読んで分かったことは、日本共産党いう組織が疲弊しつつあり、そのため与党の支持率が落ちても彼らが躍進できない状態であることがよく理解できました。

厳しい表現で言えば、政権担当能力が無い政党だということです。

「永続的な革命による社会主義国家の実現」「階級闘争」といった純粋(原始的)な共産主義思想の実現に至っては、殆ど放棄しているといっても過言ではないでしょう。

自民党民主党といった大政党の内部を解説し批判する本は数多く出版されていますが、日本共産党といった小規模な政党を対象にした本書は貴重な存在です。

新書という手軽に読める分量ということもあり、是非お薦めしたい1冊です。

探訪 名ノンフィクション

探訪 名ノンフィクション

著者の後藤正治氏は、日本を代表するノンフィクション作家の1人です。

本書はノンフィクション作家が厳選した名ノンフィクション作品を紹介するという斬新な試みで書かれた本です。

具体的には作品のおおまかな内容、さらに著者が印象的だと感じた場面を幾つか紹介してゆく形で進められます。

さらに可能な限り著者にも直接会って取材を行っているところが、いかにもノンフィクション作家らしい切り口です。

本書で紹介されている18作品です。


  • 柳田国男『空白の天気図』
  • 本田靖春『不当逮捕』
  • 澤地久枝『妻たちの二・二六事件』
  • 鎌田慧『逃げる民』
  • ジョージ・オウエル『カタロニア讃歌』
  • 立石泰則『覇者の誤算』
  • 沢木耕太郎『一瞬の夏』
  • 野村進『日本領サイパン島の一万日』
  • 田崎史郎『梶山静六 死に顔に笑みをたたえて』
  • 小関智弘『春は鉄までが匂った』
  • 佐野眞一『カリスマ』
  • デイヴィッド・ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』
  • 柳原和子『百万回の永訣』
  • 保阪正康『昭和陸軍の研究』
  • 最相葉月『星 新一』
  • 大崎善生『聖の青春』
  • 河原理子『フランクル「夜と霧」への旅』
  • 立花隆『田中角栄研究 全記録』

ノンフィクションは純文学やミステリーといったジャンルと比べて、名作を紹介する本が圧倒的に少ないため、本書は貴重な存在ではないでしょうか。

本書を参考に自分に心に残る名フィクションを探してみてはどうでしょうか。

宇宙を語る〈2〉人類と宇宙の未来

宇宙を語る〈2〉人類と宇宙の未来 (中公文庫)

前回紹介した「宇宙を語る〈1〉」では、著者の立花隆氏と宇宙飛行士たちとの対談が収録されていましたが、第2巻は各分野の有識者たちと著者が"宇宙"をテーマに対談がまとめられています。

本書で登場する有識者たちは以下の面々になります(カッコ内は肩書)。

  • アーサー・C・クラーク(SF作家)
  • 松井孝典(理学博士)
  • 河合隼雄(心理学者)
  • 司馬遼太郎(小説家)

その中で印象に残ったのは、世界でもっとも有名なSF作家の1人であるアーサー・C・クラーク氏との対談です。

『2001年宇宙の旅』の作者として知られるアーサー氏は作家として優れていただけでなく、科学技術にも造詣が深く、世界ではじめて人工衛星の概念を提案した1人でもありました(アーサー氏はもともとイギリス空軍のエンジニアでした)。

その見識の高さから生まれた作品は単なる創作でなく、「宇宙開発の現実は、アーサー・C・クラークの小説を模倣する」とまで評されたほどです。

本書でも地上から36,000キロ上空の静止衛星までエレベータを建造する「宇宙エレベータ」が将来実現するという技術的な話題から、人類と宇宙の未来といった哲学的な話題まで幅広く奥深い話題に圧倒されてしまいます。

松井孝典氏とは宇宙開発の予算やコスト、そして政策といった現実的な問題を、司馬遼太郎氏とは"空海"を取り上げて、宗教的または精神的な宇宙の体験といった多岐に渡るテーマで興味深く読むことができました。

これは立花隆氏が幅広い知識と見識を持った作家だからこそ実現できた対談です。

人類が今後も順調に進化してゆくのならば宇宙への進出は必然であり、今読んでも新時代の幕開けを感じさせる1冊です。

そして平和的な形で宇宙を開拓していってほしいと願うばかりです。

宇宙を語る〈1〉宇宙飛行士との対話

宇宙を語る〈1〉宇宙飛行士との対話 (中公文庫)

1995年に発刊された同タイトルの本を、分冊・改訂して文庫化した立花隆氏による1冊です。

ガガーリンが人類初めての宇宙飛行を実現してから50年余り、人類がはじめて月面着陸を果たしたアポロ計画からは40年余りの月日が流れています。

21世紀に入り民間会社による宇宙旅行といったプランも現実化しつつありますが、まだまだ一般人にとって"宇宙"は身近な存在ではありません。

人類が宇宙に進出してからまだ100年に満たず、月や火星に植民地を建設するといった時代が来るのは、もう少し先になりそうな気配です。

それは本書の序論にある次の一文がよく示してくれています。

かつて、宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートは、人類の宇宙進出を評して、これは太古において水中にしかいなかった生物が初めて陸上に進出したときにも比すべき生物進化の一大ターニングポイントであると指摘した。

宇宙飛行士のみならず科学者やエンジニア、民間企業など数多くの人びとが"人類の宇宙進出"に関わっています。

それでも宇宙の話を聞くのに、もっとも刺激的で面白い話を聞けるのが、実際に体験をした宇宙飛行士たちではないでしょうか。

文庫版の1巻目では、毛利衛、向井千秋、菊地涼子、野口聡一といった有名な4人の日本人宇宙飛行士と立花氏の対談が収められています。

特殊な訓練、宇宙船の中での生活、実験内容まで内容は多岐に渡り、また宇宙酔いをはじめとした肉体的な体験を語れるのは、宇宙飛行士ならではないでしょうか。

さらに立花氏は、宇宙を経験したことによる心境的な変化にも鋭く迫っています。

その中で印象に残ったのは、毛利衛氏がはじめて宇宙で太陽を見たときの感想です。

太陽を見ることが宇宙での目標の一つにあったんです。
でも実際に太陽を見たところ、あまりにも強烈なエネルギーの塊で真っ白く見えた。
太陽というのはもっと生命を育むようなものと思っていたんですが、そんな感じはしないで、ただもうまったく無機質なエネルギーの塊で、生命はとてもその下では生きられないというような感じがしました。

かつて子供向け雑誌で読んだ科学の記事のような、ワクワクする感覚で一気に読めてしまいました。

世の中にまったく宇宙に関心の無い人は少ないのでないでしょうか。

つまり本書は誰もが楽しめる大人向けの"宇宙入門書"でもあるのです。

閉鎖病棟

閉鎖病棟 (新潮文庫)

帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏の小説です。

タイトルの「閉鎖病棟」とは精神科病院であり、登場人物の大半はその患者という設定です。

過去にも箒木氏の作品をブログで紹介していますが、まず結論から言うとその中で「傑作」と感じた作品です。

何といっても著者の帚木氏は小説家であると同時に精神科の開業医でもあり、自らのフィールドを遺憾なく発揮できたからこそ生まれた作品だと思います。

健常者から見てもっとも理解が難しいのが、"心の病"すなわち精神病の患者たちではないでしょうか。

世間から偏見の目で見られ、時には家族からも疎まれてしまう精神病患者たちを主要な登場人物にするばかりか、ストーリー自体も彼らの目線を中心に展開されます。

先天的に病を患っている患者もいれば、心に大きな傷を負ってしまったために病気になってしまった患者もいます。

健常者には何でもないことを、彼らが必死に取り組むことによって心温まるエピソードになります。

それは自分の意志をうまく他人へ伝えることのできない彼(彼女)らが、それでも必死に真っ直ぐ生きようとする姿勢に心打たれるからではないでしょうか。

またキレイ事ばかりでなく、時には痛ましい出来事が起こってしまうこともあります。

それでも傷ついた仲間を助け、励まそうとする姿は読者の心を打たずにはいられません。

世間から隔離された精神科病院の中を描いた人間ドラマという視点は、とても新鮮であり、同時にすんなりと感情移入できることに驚きを覚えます。

天国までの百マイル

天国までの百マイル

その時々のテーマで本を選んだり、本屋などで何気なく目に止まった本だったりと動機は様々ですが、基本的に1年中何かしらの本を読んでいます。

もちろん良い本もあれば、いまいち自分には合わない本もあったります。

ここ数年、単純に小説を楽しみたい時に無意識に本を手にとってしまう作家が浅田次郎氏です。

本書「天国までの百マイル」は(よい意味で)浅田氏の典型的な”泣かせる小説”であり、彼の作家として技量が最大限に発揮されています。

浅田氏のこうした作品では、"どこか冴えない中年男"が主人公というパターンが多いのですが、本書にもそれは当てはまります。

不動産会社の経営者として幅を利かすもバブルの崩壊と共に会社が潰れ、仕事の仲間どころか、妻子や兄弟からも見放された典型的な落ち潰れ中年"城所安男"が主人公です。

再起する気概がないどころか、同じく冴えない中年ホステス"マリ"のアパートに転がり込んで何とか生活しているといった有り様でしたが、主人公の"母"が心臓病で倒れるところから物語が動き出します。。。

世の中の中年男性に将来の目標を聞くと、おそらく"会社での出世""独立して経営者として成功する"といったものが代表的なものではないでしょうか。

中には、"息子の受験成功"、"老後の貯蓄"といった現実的で涙ぐましいものもあるでしょう。

私自身にもそうした考えがあることを否定しませんが、もしすべてを失った時に本当に大切なものは何でしょう?

おそらくそれは"富や名声"といったものではなく、身近なもの。
例えば家族と一緒に過ごした時間であったりするハズであり、日々の生活の中で"当たり前の"大切さを改めて気付かせてくれるところが、読者の共感と感動を呼ぶのではないでしょうか。

孟夏の太陽

孟夏の太陽 (文春文庫)

中国の春秋時代を舞台にした宮城谷昌光氏の歴史小説。

今でこそ宮城谷氏は幅広く歴史小説を書いていますが、なんといっても春秋戦国時代を舞台にした作品が彼を一躍有名にしたといってよいでしょう。

500年にも渡って群雄割拠の時代が続き、また孔子や老子といった中国を代表する思想もこの時代に生まるといった華やかな時代でした。

また春秋時代の最大の国といえばですが、この晋が韓・魏・趙に分裂したのを区切りに戦国時代に突入します。

その中の1つ、趙を建国した趙氏代々の物語を題材にした小説です。

5編からなる短篇集という形をとっていますが、それぞれ主人公は趙盾(ちょうとん)、趙朔(ちょうさく)、趙鞅(ちょうおう)、趙無恤(ちょうぶじゅつ)の歴代の当主4人であり、約200年に渡る時代を追いかけた壮大なスケールで繰り広げられます。

主人公の中には晋の宰相として名声を馳せた人物もあれば、政争に敗れて殺害された人物もいたりと、晋の貴族の家系でありながらも長く続いた戦乱の嵐に翻弄され、そして抗い続けた一族の歴史が綴られています。

本書に限らず、宮城谷氏は春秋戦国時代という殆どの人にとって馴染みのない世界を分りやすく、そしてドラマチックに描き上げてくれます。

私自身も10年ほど前より宮城谷氏の作品を読んでいますが、今ではすっかり春秋戦国時代と彼のファンになっています。

本書最初の主人公である趙盾の父・趙衰は、放浪の末に晋の名君となった重耳に仕えた人物です。

宮城谷氏が「重耳」という作品でその生涯を描いているため、本書と併せて読むことでより奥行きのある世界を楽しむことができます。

男の真剣勝負

男の真剣勝負 (角川文庫)

津本陽氏は数々の歴史小説を執筆していますが、専門である歴史を題材にした自己啓発本も幾つか手掛けています。

本書はその典型的な1冊であり、350ページ程度の文庫本の中に、16人もの歴史上の偉人の伝記を収めています。

1人あたりに約20ページ程度しか割いていないため、例えばビジネスマンが電車の中のちょっとした時間で読むのに最適な長さで区切られています。

本書に収められている偉人の顔ぶれを見ると、津本氏らしい顔ぶれが並んでします。

以下が本書の目次です。

  • 今最も求められるリーダー 徳川吉宗
  • 官僚が学ぶべき人 大岡越前守
  • 世界戦史に残る戦略家 織田信長
  • 下克上の野望 明智光秀
  • "忠臣"の負けじ魂 山中鹿之介
  • 晩年にも機あり 北条早雲
  • 大商人になる条件 紀伊国屋文左衛門
  • 天性の相場師 本間宗久
  • 経済立国への先見 渋沢栄一
  • 日本一の商社を築いた男 金子直吉
  • 相場師の醍醐味 是川銀蔵
  • 「男伊達」の魅力 清水次郎長
  • 戦闘部隊の気魄 近藤勇
  • 無業をもって有形に勝つ 山岡鉄舟
  • 魔法のごとき伝説の秘剣 松山主水大吉
  • 人生優勝劣敗の真諦 宮本武蔵

タイトルにある通り、天下分け目の戦いで、白刃を目の前にした斬り合いで、全財産を掛けた商いの世界で、それぞれ勝負を挑んだ偉人たちがズラリと並んでいます。

世を捨て精神世界に生きた人生も時には魅力的ですが、"男らしさ"を追求する津本氏にとって男とは、常に何かと戦い続ける宿命を持った存在なのかも知れません。

平穏無事な人生を否定するつもりはまったくありませんが、時にはこうした本を読んで刺激を受けるのも良いのではないでしょうか。

幕末巨龍伝

幕末巨龍伝 (双葉文庫)

幕末という時代の節目は、多くの偉人たちを世の中に排出しました。

西郷隆盛勝海舟といった当時から有名な偉人もいれば、坂本龍馬近藤勇といった後世になって大きくスポットを当てられた偉人たちもいます。

また全国各地にも、"郷土の偉人たち"が日本各地にも誕生しました。

明治維新が好きな人であっても本書の主人公・北畠道龍(きたばたけ・どうりゅう)の存在を知っている人は少ないのではないでしょうか。

しかも道龍は全国的な活躍をしており、当時は有名だったにも関わらず、いつの間にかマイナーになってしまった珍しいパターンの偉人なのかも知れません。

道龍には様々な顔がありますが、どの分野においても一流の実績を残しました。

簡単に挙げるだけでも、宗教家、武道家、軍人、教育者、政治家のブレーンとして活躍しています。

さらに5ヶ国語に通じていたといい、ちょっと信じ難いような才能を持った人物です。

また天才にありがちな頭でっかちなタイプではなく、常に思考と行動が一致している情熱的な性格でした。

道龍の出身地は和歌山市ですが、著者の津本陽氏の出身地も和歌山市です。

津本氏は郷土を舞台とした小説を多く手掛けており、北畠道龍を主人公とした本書を執筆するのは必然的だったといえます。

和歌山県の運営するHPにも地元の偉人として道龍を紹介したページがありますので、興味のある方は覗いてみては如何でしょうか。

鬼の冠

鬼の冠――武田惣角伝 (双葉文庫)

明治時代に活躍した武道家・武田惣角を主人公した歴史小説です。

著者の津本陽氏は、合気道の開祖・植芝盛平を主人公とした小説「黄金の天馬」を執筆していますが、その植芝の師匠としても知られています。

新羅三郎義光(源義光)を開祖とし、会津藩で代々受け継がれてきた大東流合気柔術の後継者として惣角は生まれます。

彼とまったく同世代に生きた講道館の創始者である嘉納治五郎は、スポーツとしての武道を広く世に広め「柔道の父」と呼ばれましたが、惣角は武術の近代化という考えを微塵たりとも持つことはありませんでした。

すなわち殺人を目的とした武術本来の目的を捨てずに実戦の中で腕を磨き、生涯に渡って定住さえせず、ひたすら己の強さを追い求めた戦国時代の剣術家のような空気を持った武道家です。

江戸時代が終わり急速に近代化が進む明治時代にあって、ひたすら"武"を追い求める惣角の生き方は、当時でも珍しかったに違いありません。

そして彼が生涯、武術家として生き続けた証となる最晩年のエピソードが本書に紹介されています。

惣角は武芸者の心得として、つねに匕首(あいくち)を腹巻に納めていた。それも鞘に入れない抜き身の刀身を布で巻き、剣尖をあわわしたものである。
夏の午後、惣角はうつぶせにうたた寝していた。昔の武芸者は、あおむけには寝ないものであった。

あまり静かに寝ているので、ひょっとすると、そのまま息をひきとったのではないかと懸念した(息子の)時宗が、肩に手を置き揺りおこそうとすると、惣角はとっさにふりかえり、手に持った匕首で時宗の腕を刺した。

昭和初期に「今卜伝」とまで評された武田惣角の人生は、神秘的な魅力に溢れています。

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち

ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち (文春文庫)

自衛隊を代表するアクロバットチーム、ブルーインパルスをテーマとしたノンフィクションです。

私も航空ショーなどでブルーインパルスのアクロバット飛行を何度か見ていますが、そのスピードと正確無比な操縦技術に驚かされると同時に、子どもの頃に見たヒーロー番組への憧れと似たような感情を抱かずにはいられません。

選ばれた精鋭パイロットたちのみに許された舞台であり、自衛隊の中でもっとも華やかな存在という印象を持っている人も多いのではないでしょうか。

本書はそんなブルーインパルス設立の歴史から、その光と影の両面を見つめて書かれています。

著者の武田輝政氏は、航空機雑誌の編集長を務めていた経歴があります。

それだけに豊富な経験と知識があり、旧知の自衛隊パイロットも多く、そして何よりも情熱を持って取材に取り組んでいる姿勢が本書から伝わってきます。

1964年10月10日東京オリンピックの開会式
雲1つない国立競技場の上空で5機のF-86が五輪をスモークで描いた瞬間は、発足して間もないブルーインパルスが日本のみならず世界に向けて知られるようになった晴れ舞台となりました。

その華やかさの裏には、その難易度の高さゆえにリハーサルでは1度も五輪を綺麗に描けたことがなく、ぶっつけ本番ではじめて成功したというエピソードがあったりします。

ブルーインパルス活躍の影で、その何倍もの辛く苦しい歴史が存在していることにも触れています。

その最たる例が墜落事故です。

ブルーインパルスは発足から現在に至るまで、5回の墜落事故と8名の殉職者を出しています。

その事故原因の究明、そして自責の念に駆られながら生き残ったパイロットへのインタビューが詳細に掲載されています。

戦闘機はそのスピードとパワーゆえに、ひとたび事故になった時の衝撃は凄まじく、犠牲になったパイロットの五体が砕け散るような悲惨な結果を招くこともあります。

殉職したパイロットのみならず、残された妻や子どもたちの心情を考えると気の毒ですが、一方で仲間の事故を目の当たりにしながらもパイロットを続けてゆく隊員がいるのも事実です。

そもそも戦闘機は、適機を撃墜することを目的としたマシンであり、戦闘機乗りにとっては戦いで敵に勝つことこそが何よりの任務であり名誉でもあるのです。

一方でブルーインパルスは、飛ぶこと自体が手段ではなく目的の部隊であり、戦闘機パイロットとしての誇りを捨てて、曲芸パイロットに格下げとなるといった彼らにしか分からない心の葛藤が存在することも本書ではじめて知ったことです。

分り易く言えば、日本を攻撃する敵戦闘機が迫ってきても、決してブルーインパルスにスクランブル(緊急発進)がかかることは無いのです。

ひょっとするとブルーインパルスの歴史を知らない方が、航空ショーなどで彼らの飛行を無邪気に楽しめるのかも知れません。

しかし彼らはショーマンではなく、自衛隊のパイロットの一員であり、その歴史を知ることは意義があると思える1冊です。