魔王と呼ばれた男・北一輝
本書のタイトルにある通り北一輝をはじめて"魔王"と呼んだのは、有名な国家主義的思想家であった大川周明です。
戦後に過去を振り返って北一輝を次のように評しています。
北君は実に善悪の分別など母親の胎内におき忘れてきた人で天衣無縫というのは彼の事でしょう。
あるとき北君がひどく義理に外れた行為をしたので私が之を詰ると、義理人情に拘泥して革命ができるかというから、僕は之に反駁して、僕の革命は義理人情を回復するためにやるのだと言ったのがねえ、どうも危なっかしくて見ていられないことを平気でやる人だったですよ。
世の中には神がかりはあるが北君は魔がかりだと僕がいってから、人が彼を魔王と呼ぶようになりました。
まさに明晰な頭脳と人を魅了する弁舌、圧倒的な威圧感とカリスマ性を持った北は、人を惹きつけてやまない魔力を持った人物でした。
彼の著書「日本改造法案大綱」は、二・二六事件を引き起こした青年将校たちを感化し、北自身もその精神的な支柱として隠然たる力を備えていました。
一方で体制側の視点から見ると彼は革命家であり、また国家社会主義者であり、手段を選ばずに国家転覆を企てたテロリストとして見なされてきました。
もっと分かり易く表現するなら北一輝は「暴力装置」そのものであり、恐喝やテロ、裏切りといったことを平然とやってのける狂信的な思想家ということになるでしょう。
しかし人間・北一輝の中身は複雑であり、独学によって思想体系を作り上げて革命家として奔走しますが、やがて熱心に日蓮宗を信仰し始め、彼の後半生は"現実と神仏の世界の狭間"に生き続けたといえます。
本書は今まで注目される機会の少なかった彼の著書「霊告日記」の記録を元に、北の持つもう1つの顔を考察した本です。
「霊告日記」は昭和4年4月27日から書き始められ、二・二六事件により北が逮捕される直前の昭和11年2月28日まで、ほぼ毎日記録された日記です。
その内容は異色なもので、北が法華経を唱え、妻すず子に降霊した神仏や神霊のお告げやヴィジョンが記載されています。
"お告げ"を行う存在も多彩で、観音やスサノオといった神仏から、西郷隆盛や大山巌、明治天皇、さらには宮本武蔵といった人物までもが登場するオカルトな内容です。
そう考えると確かに「霊告日記」を歴史的な検証を行う資料としては扱いにくいのですが、著者は「霊告日記」にこそ、北の判断材料や行動指針、そして潜在的な願望までもが含まれていると考え、詳細な考察を加えています。
さらに付け加えるなら本書は、北とその妻・すず子が持つ霊能力(予知能力)をある程度までは認めるといった解釈さえ許容しています。
これをどのように評価するかは読者に任せますが、本書を読む意義は充分あるように思えます。
とくに昭和初期の歴史は入り組んでおり、年表を並べて政治家と軍部が対立し、やがて軍の内部でも統制派が皇道派を抑えて権力を掌握し、太平洋戦争に突入するといった単純な図式では、歴史の半分しか理解できないのではないでしょうか。
血盟団事件における井上日召、五・一五事件における大川周明、そして二・二六事件における北一輝の役割や彼ら(民間右翼団愛)の横のつながりを知ることで、より立体的に時代の背景が見えてくるのではないでしょうか。
二・二六事件の結果、銃殺刑となった青年将校たちはその直前に「天皇陛下万歳」「大日本皇国万歳」と三唱したといわれますが、同じ運命を辿った北一輝は完全に神仏の世界に没頭し、ただただ静かに死を受け入れました。
一方で北が獄中で詠んだ句に「若殿に兜とられて負け戦」というものがあります。
"若殿"とは昭和天皇のことに他ならず、こうした句の中に北一輝という人間の凄みが垣間見れるような気がしてなりません。