妖怪と歩く―ドキュメント・水木しげる
本ブログでまだ紹介できていませんが、漫画家"水木しげる"の自伝は間違いなく日本で3本の指に入る傑作であり、中でも「のんのんばあとオレ」、「ねぼけ人生」、「ほんまにオレはアホやろか」の3冊はすべての人にお勧めできる作品です。
太平湯戦争へ出兵して戦地で片腕を失いながらも奇跡的に帰還した壮絶な体験、売れない貸本作家として長い赤貧の生活を過ごした体験、もちろん「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として漫画家として成功した経験はどれも起伏に富みながらも、微塵の悲壮感すら感じさせないその天真爛漫さに衝撃を受けます。
陽気にそして逞しく生きてゆく水木しげるの自伝は、その略歴からは決して伝わってこない圧倒的な迫力に満ちています。
水木氏が魅力あふれる人間であることは間違いありませんが、(失礼ながら)大変人であることも間違いありません。
しかし自伝であるが故に水木氏を客観的に見た時の"等身大の人間像"が分かりにくくなっていることも事実です。
本書はノンフィクション作家・足立倫行氏が1年間にわたる密着取材を行い執筆されたドキュメント作品であり、ある意味で水木ファンの待望だった1冊ではないでしょうか。
本作品の元になった密着取材は1993年に行われ、その時の水木氏は70歳を迎えていました。
足立氏は水木氏と故郷(境港市)一緒であることをきっかけに水木氏に興味を持ちますが、いわゆる熱狂的な水木ファンではありませんし、妖怪に特別興味がある訳でもありません。また足立氏は戦後生まれのため、水木氏とは一世代以上年齢が離れています。
さらに足立氏はノンフィクション作家という職業のため水木氏に密着取材をしながらも、冷静にそして微妙な距離感で眺めつつ本ドキュメンタリーを執筆している姿勢が伝わってきます。
当時の水木氏は、水木プロの経営者として多数のアシスタントを抱えながら精力的に執筆活動に行い、加えて年に3回も海外取材に赴き、さらに故郷(鳥取県境港市)にオープンした水木しげるロードの視察やイベントなどにも出席するといった、とにかく忙しい毎日を過ごしていました。
もちろんマンガ家は自営業ですから、引退時期は自分で決めて辞めることが出来ます。
にも関わらず水木氏は、パプアニューギニアの文明から離れた環境でのんびりと余生を過ごしたいという南洋幻想を常々抱いており、こうした二面性が水木氏の魅力でもあります。
本書の1つの山場は「アメリカの霊文化を訪ねる旅」と題されたアメリカンインディアンのホピ族を訪問する旅行です。
そこで伝統的に行われている神聖な儀式"ニーマン"を見学した水木氏の興奮した様子などに彼の思考がよく表れています。
「すごいです!あの祭りは予想以上に素晴らしいです!民族にとって祭りは一巻の書物と言われますけど、まさにその通りです!」
~中略~
水木は自説を強調するときの癖で、顔を少し傾け、唇を尖らせ、中空に振り上げた拳を何度も上下させた。
「いつ始まるともなく始まり、いつ終わるともなく続く、そこがいいんです。魂がこもってるんです。長い間聞いていても飽かない。オーケストラのような響きがありますよ、あの音楽は。精霊たちと本当に感応しあってるわけです!」
またホピ族の長老で精霊のメッセンジャーでもあるバンヤッカへ、精霊と妖怪との関係について熱心にインタビューを試みる水木氏の様子は、彼自身が妖怪マンガを書きながら人智を超えた妖怪(神)の存在を心底信じているのが分るエピソードです。
水木氏は戦時中にラバウルで分遣隊に所属している時に土民軍に襲撃され、たまたま歩哨として部隊から離れていたおかげで1人だけ生き残ったという経験を持っています。
その他にも多くの兵士たちの死を間近に見てきましたが、決して"死"や"人生"というのを達観することはありませんでした。
それどころか、むしろ死んでいった戦友の分まで貪欲に生きようとする旺盛な生命力に溢れています。
一見複雑そうに見えますが、実際の水木氏の人間像は単純であり、平和な時代に育ち小さな出来事に右往左往する私たちにとって水木氏の存在があまにも眩し過ぎるが故に、その正体が見えにくくなっているのかも知れません。