どくとるマンボウ青春記
本ブログではお馴染みの北杜夫氏の"どくとるマンボウシリーズ"です。
タイトルから分かる通り、本書は北氏の青春時代を余すことなく書き綴ったエッセイです。
具体的には、旧制松本高等学校から東北大学にかけての学生時代を振り返っています。
旧制高等学校といえば白線帽と高ゲタ、ボロボロの学生服の上からマントをまとい、酔っ払いながら哲学議論をやったり、ストームと呼ばれるバカ騒ぎなどに代表される自由な気風で知られています。
さらには普段の振る舞いも粗野で野蛮であることを誇り、"バンカラ"という気風で知られています。
北氏の学生時代は、そうした旧制高校の時代に青春時代を送った最後の世代です。
一方で世の中は、日太平洋戦争とその敗戦によって多くの人びとが犠牲になり、深刻な物資不足に悩まされた"暗黒の時代"でもあったのです。
それでも若者の有り余る時間とエネルギーは、そんな暗黒の時代さえも明るく照らすようなパワーに溢れていました。
北氏らしいユーモア溢れる逸話が沢山収められていますが、中には当時の日記や俳句なども引用して、当時の多感な時期の心情も紹介されていたりします。
本書から幾つかのエピソードを拾って紹介してみます。
紙にイロハを書き、一本の箸を何人かで持って、
「コックリさま、コックリさま、お出でになりましたでしょうか。学期末の試験では誰と誰が落第(ドッペ)るでしょうか、お教え願います」
などと真剣にやっている光景は、どうしても尋常なものをはいえなかった。
普段はろくに勉強しない学生たちも、やはり落第は怖かったようです。
ある教師は、終戦の翌日、生徒たちを整列させておいてこう述べた。
「負けるが勝ち、ということもある」
幼稚園ではあるまいし、この訓話もちょっとひどすぎる。今となって思えば、この文句もあんがい深い意味がありそうに見えるが、そのときその教授はたしか幼稚園の先生の水準において述べたのだ。
旧制高校には色んな教師がいたようです。
もちろん生徒が先生に酷い仕打ちをすることも珍しくありませんでした。
西寮の末期に、一人が言いだした。
「どだい女というものは不潔で低級なものだ。そんなものを愛するのは俗物のやることだ」
もっとも彼のそのばに本当に低級な女性であれ一人現れれば、彼はそんなことを言わなかったろう。
「われわれはすべからく少年を愛さねばならぬ。これこそ高邁なギリシャの少年愛(クナーベン・リーベ)である。」
私たちはこれに賛同の意を表した。
男だけで寮生活を続け、さらにまったく女性からモテないとなると、こうした方向に暴走するのもしょうがない気がします。
著者が青春を過ごした時代から70年が経過しますが、今もまったく色褪せることのない、現在の学生が読んでも共感できる名著ではないでしょうか。