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引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉



本巻では「至高の皇帝」といわれたトライアヌスの後を継いだハドリアヌスが登場します。

先代の業績が偉大であればあるほど、それを後継する者のプレッシャーは大きなものになりますが、トライアヌスはローマ皇帝に即位した直後から大きな問題に直面しなければなりませんでした。

まずはトライアヌスが志し半ばで倒れることになったパルティア遠征については、同時期に発生したローマ帝国内のブルタニア、北アフリカ、ユダヤ人の反乱を鎮圧させることを優先するため軍を引き上げることにします。

つまり先代トライアヌスの悲願であったパルティア王国の制圧を目立たない形で幕引きをすることに苦心することになります。

続いては近衛軍団長官であり、後見人の1人でもあったアティアヌスから先帝の重臣ら4人が反ハドリアヌスの陰謀を企てているという密書が届くのです。

彼ら4人はいずれも有能かつ有力な元老議員でしたが、アティアヌス率いる近衛軍によって陰謀が表面化する前に素早く粛清を実行します。

アティアヌスはハドリアヌスにとって後見人、すなわち養父とも言える存在であり、この粛清がハドリアヌス自身の指示によるものだったのか、それともアティヌス自身が独断でハドリアヌスの地位を盤石にするための独断だったのかは、ローマ史の謎の1つとされているようです。

ともかく内乱に発展しかねない大きな危機は回避できたものの、トライアヌス時代には良好だった皇帝と元老院の関係に緊張が生まれたことは事実であり、真相が解任か辞任かは別として、近衛軍団長官の地位にあったアティヌスが退くことで事態を収拾させます。

皇帝就任直後には慌ただしい出来事が続きましたが、その後はローマにおいて信用回復のために「寛容、融和、公正、平和」というモットーを打ち出し、またそれを忠実に実行することで平和なローマ帝国を維持し続けることになるのです。

またハドリアヌスは浴場(テルマエ)好きでも知られており、ローマ市民たちも利用する公衆浴場に足繁く通っては裸の付き合いをすることで、ローマ市民からの支持も得るこという一石二鳥の効果をもたらします。

ちなみに日本で大ヒットした映画「テルマエ・ロマエ」シリーズに登場するローマ皇帝はこのハドリアヌスです。

やがてローマに腰を据えて4年が経過し、ローマ帝国の平和とローマ皇帝としての地位が盤石であることを確信したハドリアヌスは、歴代の皇帝たちが誰1人として計画しなかったことを実行に移します。

それは皇帝みずからが広大なローマ帝国の領土をめぐる視察巡行です。
しかもこの視察巡行は、結果的に自らの治世の大半を使って行われるほど徹底したものでした。

国境を守る軍団基地へ赴き、兵士たちの前で激励演説を行い、軍団長たちの適正な人事(配置換え)、そして必要とあれば防衛戦の補修や建設を実行し、さらにコスト削減にまで目を光らせるといった目まぐるしいものでした。

ちなみに本巻ではハドリアヌスの国境視察に合わせる形で、ローマ帝国の防衛線がどのように構成されていたのかを解説しています。

当時は随一の軍事力を誇っていたローマ帝国でしたが、その領土面積は広大であり、人数の面からもコストの面からも長大な防壁に兵士を張り付かせておくほどの余裕などまったくありませんでした。

そのため防壁の内側、つまり領土内には網の目のように幹線道路を張り巡らし、平時にはローマ帝国の住民たちが経済活動などに利用し、有事の際にはたちまち軍事道路として活用される仕組みを導入していました。

たとえば蛮族が攻め込んで来た時には、少数の兵士たちが防壁や塹壕を利用して敵を防ぎ、その間に狼煙によって敵襲を知った近くの軍団基地から完全舗装された幹線道路を利用して大軍が素早く派遣され、最後には敵を撃退するといった効率的な仕組みを築き上げたのです。

しかも軍団基地には設備の整った軍病院や浴場(テルマエ)もしっかりと用意されていたのです。

これらローマ軍団の優れたシステムそのものが、ローマ皇帝の統治能力といった属人的な要素を最小限に抑え、長い期間に渡ってローマ帝国へ平和をもたらした最大の要素となったのです。

いわばハドリアヌスの視察巡行は、このシステムを現地で整備・点検する目的で行われたものであり、また軍団経験の長いハドリアヌスの現場視察における指示は適切だったのです。