ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉
副題から分かる通り本巻からは3冊にわたって「迷走する帝国」の時代、つまり73年間(紀元211-284年)で22人もの皇帝が入れ替わるというかつてない混乱の時代を扱っています。
後世からは「危機の3世紀」として伝えられています。
さすがに22人もの皇帝となるといちいち名前を覚えられませんが、この時代を先陣を切るのは現代でも有名なローマ遺跡"カラカラ浴場"で知られている皇帝カラカラです。
正確には先帝でもあり父親であるセヴェルスが着工した浴場ですが、完成するのはカラカラ治世の時代のためこう呼ばれています。
23歳で皇帝に就任したカラカラでしたが、先帝セヴェルスからは弟のゲタと共に力を合わせて共同皇帝として帝国を治めるように命じられていました。
「共同皇帝」、つまり2人の皇帝による統治体制はマルクス・アウレリウスの時代に先例があったため特別なことではありませんでした。
しかしカラカラが皇帝に就任して早々に実行したのは、共同皇帝であり実弟のゲタを殺害することでした。
気性が荒く自己顕示欲の強かったカラカラにとって、共同皇帝という制度そのものが始めから気に入らなかったに違いありません。
そして彼が続いて打ち出した政令「アントニヌス勅命」は驚くべき内容でした。
それはローマ帝国の属州民すべてにローマ市民権を与えるというものでしたが、このローマ市民権拡大の政策について著者は批判的な見解を示しています。
それをひと言で表現すれば、ローマ市民と非ローマ市民という区別は以前からあったものの、奴隷にさえローマ市民への道は開かれていました。
そしてこの差別の撤廃により、属州民たちの向上心と元からローマ市民だった人々の気概を失わせてしまったというものです。
続いてカラカラの実施した政策はズバリ「増税」です。
相次ぐ蛮族の侵入、兵士たちの賃金値上げ、そして内戦による浪費などによって増税は避けて通れない状態だったかも知れませんが、いつの時代でも増税政策が不評なのは共通です。
そしてカラカラは、国内の不満を軍事によって帳消しにするかのように積極的な外征を行います。
内政はともかく軍事の才能はなかなかのものだったカラカラですが、遠征先のパルティアで一部の兵士の逆恨みを買って殺害されるという、何ともあっけない最期を迎えてしまいます。
皇帝が不慮の死を迎える度に軍人たちが皇帝に立候補し、バトルロイヤル形式の内戦に突入するという負の連鎖が、この3世紀のローマ帝国の特色でもあるのです。
本巻で触れられているカラカラ以外の皇帝は次の通りです(カッコ内は皇帝在位期間)。
皇帝マクリアヌス(217-218)
カラカラを殺害した兵士たちに担がれて皇帝に就任。カラカラ帝が実行していたパルティア遠征を和平という形で終わらせるが、この弱腰外交が致命傷となり、反対派の兵士たちによって殺害される。
皇帝ヘラガバルス(218-222)
ローマ史上はじめての東方(オリエント)出身の皇帝。セヴェルスの甥として正統性を持った皇帝であったが失政を重ね、帝国内のライバル殺害に熱心になっている間に自らが寝首をかかれる。
皇帝アレクサンデル(222-235)
3世紀には珍しく13年間に渡ってローマを治めることになる皇帝。ヘラガバルスと同じくセヴェルスの甥であり、わずか14歳で皇帝に就任する。祖母のユリア・メサが優秀な法学者ウルピアヌスを補佐に指名したこともあり、順調な治世をスタートします。
ウルピアヌスの死後も東方でパルティア王国を倒した新興国ササン朝ペルシアとの激闘を繰り広げるなど、若いながらも中々の活躍を見せますが、帝国の安全保障を最優先するが余り、ライン河を挟んで対峙するゲルマン人との弱腰外交を不満視する兵士たちに殺害される。
こう並べると蛮族の侵入という侵入だけでなく、ローマ帝国内の政情そのものが不安定だったことがよく分かります。
後世から見るとハンニバル率いるカルタゴの侵攻の時のようにローマが一致団結して困難に立ち向かうことが出来ず、国内の混乱によって彼らが持てる力を発揮できない(=無駄に消費する)状態であったことがよく分かります。