ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉
本巻から始まる「賢帝の世紀」では3冊に渡ってローマ帝国の五賢帝時代に触れられています。
ちなみにローマの五賢帝は、世界史を選択した受験生にとっては暗記すべき必須のローマ皇帝であり、本書によってローマ史の魅力と出会う前の私にとってこの暗記は苦痛だった記憶があります。
- ネルウァ(ネルヴァ)
- トラヤヌス(トライアヌス)
- ハドリアヌス
- アントニヌス・ピウス
- マルクス・アウレリウス
※カッコ内は本書記載名。
ちなみに太字部分をつなげて「寝るトラは安心して背を丸くする」という暗記方法があるようです。
五賢帝の1人目であるネルヴァは70歳で皇帝となり、72歳で亡くなる皇帝ということ、またその最大の業績が(結果的に)トライアヌスを後継者に指名したことが評価されていることを考えれば、実質的には"4賢帝時代"としても良いかもしれません。
一方で本書を読んだ読者であれば、ネルヴァの前に登場した3人の皇帝(ヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌス)の時代からローマ帝国は平和と繁栄を享受していたことを知っているため、8賢帝としても差し支えが無いという考え方も出来るのです。
所詮こうした括りは後世の高名な史学者たちの分類であるに過ぎないことを「ローマ人の物語」で塩野七生氏は繰り返し述べています。
本巻ではトライアヌスの治世に触れらています。
「至高の皇帝」と讃えられたトライアヌスだけに元老院、ローマ軍団兵士、ローマ市民といったすべての層から支持を受けて皇帝の座に就きます。
そして軍事面ではダキアを征服しローマ帝国に最大版図をもたらし、緻密な計画の元に数多くの公共事業を進めつつも財政の健全性は維持するといった皇帝としては申し分のない責任を果たします。
しかし本書で紹介されているトライアヌスとプリニウスとの往復書簡の内容を見ると、細かい事象1つ1つまでに目を配り、大きな枠での政治的バランスも配慮するといった、まさしく心身が削られるような忙しい毎日を送っていたことが分かります。
少なくともローマ帝国に求められる皇帝像とは、すべてを部下に任せ自らは豪遊するといった生活とは無縁であり、誰よりも大きな責任と結果を出さなければいけない過酷な立場だったのです。
著者はローマ皇帝の治世が20年程度で終わってしまう例が多いのは、その激務ゆえ20年を限界に燃え尽きてしまうからではないかという推測さえしています。
そんなトライアヌスもローマから離れたパルティア遠征の最中で病に倒れることになります。
63歳で20年にも及ぶ治世に幕を閉じたトライアヌスでしたが、それでもカリグラやネロは別としても立派に皇帝としての責務を果たしていたにも関わらず、元老院やローマ市民からの評判が悪かった皇帝も少なくない中で、誰からも愛され「至高の皇帝」と評された彼の人生は幸せだったのかも知れません。