ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉
1年間もの間に3人の皇帝が次々と登場しては消えていった内乱を収め、ローマ帝国の平和を完全に取り戻したヴェスパシアヌス帝。
彼の死後、そのバトンを受け取ったのは長男のティトゥスです。
ティトゥスはヴェスパシアヌスの存命時より後継者として指名され、共同統治者としての経験があったこと、さらにユダヤ戦記の司令官をはじめとした軍団の経験も積んできました。
つまりティトゥスは正式にローマ皇帝として即位した時点で、皇帝見習い(?)としての経験は充分にあった人物です。
父親に似て誠実でローマ皇帝としての責任感を持った人物でしたが、残念なことに彼の治世は、ローマで流行った疫病の犠牲になり2年間で幕を閉じます。
しかもその2年の間には、ポンペイの遺跡で有名なヴェスヴィオ火山の大噴火、そして首都ローマでの大火という災害に見舞われて、その陣頭指揮に追われるという日々だったのです。
著者はヴェスヴィオ火山の大噴火という出来事を「悲しい事件であったのは確かであるが、一千年を越えるローマ史の中では、ローマ人が耐えねばならなかった数多い災害の1つに過ぎない」と前置きした上でその様子を紹介しています。
たしかにTVでも何度か特集されたこともあり、さらに世界遺産として登録されたことで有名なポンペイやエルコラーノの埋没ですが、壮大なローマ史の中では特別な出来事にはなり得なかったのかも知れません。
そしてティトゥスの後を継いだのは、その弟であるドミティアヌスです。
このドミティアヌスは約15年もの間に渡ってローマ皇帝として君臨することになりますが、その業績はカリグラやネロと同様に、その死後に元老院によって「記録抹殺刑」に処されるため、彫像は破壊され、また公式記録からもドミティアヌスの名前が抹消されることになるのです。
たしかに素朴で飾らない性格だった父や兄とは違い、皇帝としての体面を重んじ、多少尊大な性格だったドミティアヌスには誤解されやすい面があったのも確かです。
それでも自らの見栄のために浪費を続けたカリグラ、そして皇帝の立場を利用して私怨を晴らし、自分の趣味へ没頭していったネロとは違い、ドミティアヌスは皇帝としての責務を自覚し、なかなかの実績を上げます。
本巻に紹介されているドミティアヌスの主な実績だけでも以下の通りです。
- ローマ版万里の長城ともいえるゲルマニア防壁(リメス・ゲルマニクス)の着工
- 兵士の給料値上げ
- 首都ローマにおける大規模な公共事業
- 属州における大規模な道路敷設、灌漑工事といった公共事業
- ブルタニア制圧の続行
- 現ルーマニアを中心に行われたダキア戦役およびダキア人との平和協定
これだけ見てもローマ帝国の安全保障という義務を完全に果たし、さらなる繁栄のためのインフラ整備にも手を抜くことはありませんでした。
にも関わらずドミティアヌスは暗殺されてしまいます。
しかも反皇帝派の暗殺者によってではなく、女の嫉妬による復讐が引き金になるという不名誉な理由が直接の引き金になってしまうのです。
さらに元老院を支配下に置こうとしてきたドミティアヌスは、自らにとって目障りな元老議員を追放刑にするという恐怖政治をしてきたこともあり、「記録抹殺刑」はそのしっぺ返しに他になりません。
皇帝としての能力は充分にあったにも関わらず、彼は私人としても公人としても人の心の機敏を察するバランス感覚が欠如していたのかも知れません。
ドミティアヌスの死後、ローマ帝国は有名な五賢帝時代に入りますが、それでもヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌス親子が治めたローマ帝国は平和を享受し続け、結果だけ見れば彼らの実績はそれに勝るとも劣らないものだったことが分かります。