ローマ人の物語〈16〉パクス・ロマーナ(下)
本巻では、アウグストゥスの40年以上に及ぶ治世の後期(紀元前5年~紀元後14年)に触れられています。
年齢でいえば58歳~77歳の時期にあたるため、成熟した老皇帝の時期といえるでしょう。
著者は、アウグストゥスは若い頃から頑強な肉体とは無縁な病弱な体質にも関わらず、60代に入っても政治家に必要な次の要素をすべて兼ね備えていたと絶賛しています。
第一に、自らの能力の限界を知ることもふくめて、見たいと欲しない現実までも見すえる冷徹な認識力
第二に、一日一日の労苦のつみ重ねこそ成功の最大要因と信じて、その労をいとわない持続力
第三に、適度の楽観性
第四は、いかなることでも極端にとらえないバランス感覚
つまり肉体的には虚弱でも、その欠点を補って余りある知性と精神力を持っていたのです。
これまでスキピオやスッラ、カエサルやポンペイウスのような屈強な肉体とすぐれた軍事的才能をもった人物がローマの英雄であり、知識人のカトーやキケロが英雄になれなかったことを考えると、安定期にそして帝政に入ったローマに"新しい形の英雄"が出現したのです。
そんなアウグストゥスにも唯一思い通りにならない事がありました。
それは身内の問題です。
直径の孫アグリッパ・ポストゥムスの凶行、孫女ユリアの姦通罪といった家族の不祥事、そして養子ティベリウスとのすれ違いです。
ティベリウスは、ゲルマン討伐などで軍事的才能を発揮しますが、性格は内向的で学者肌という、名誉や富に強い執着心を持っていませんでした。
アウグストゥスとは本質的に似た性格であったと思いますが、アウグストゥス自身が自らと反対の活発で外交的な人物を好んだことから、この2人は性格の面でそりが合わないという理由も大きかったようです。
しかしアウグストゥスにとって幸いだったのは、最晩年になりティベリウスと和解し彼へローマ帝国を心置きなく託せたのです。
ローマ帝国へパクス(平和)をもたらした初代皇帝アウグストゥスは、性格通り律儀に遺言も自らの墓も万全に準備を整えた上で静かに息を引き取るです。