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ローマ人の物語〈13〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(下)

ローマ人の物語〈13〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(下) (新潮文庫)

ユリウス・カエサルは軍の総司令官として、また国家の元首としても非凡な才能を発揮しました。

この"非凡な才能"とは単に"優秀"というレベルをはるかに越えて、他の誰にも真似できないカエサル自身の独創性に支えられていたことが、「ローマが生んだ唯一の創造的天才」と呼ばれる所以になります。

そんなカエサルにとって唯一の弱点とも言えなくないのが、自身の生命に対しての危機意識が希薄だったのでははないでしょうか。

ただそれさえもカエサルの哲学と評してもよい"寛容(クレメンティア)"の裏返しの結果であり、単純な"欠点"とは決めつけられないものでした。

しかし結果としてカエサルは、紀元前44年3月15日カシウスを首謀者として彼に担がれたマルクス・ブルータスらによって元老院会議場で暗殺されてしまうのです。

この事件の真相は単純であり、帝政を目指すカエサルに対してブルータスを中心とした共和政を信奉する過激な保守派がテロ行為に走った結果です。

カエサルの死により「帝政」への移行は失敗に終わり、再び「共和政」によりローマが運営されるかと思わましたが、実際にそうはなりませんでした。

それはカシウスやブルータスたちが、カエサルを暗殺した後のビジョンを何も持っていなかったこともありますが、カエサル軍の幕僚として活躍したアントニウス、そしてカエサルが遺言状の中で後継者として指名していた18歳の少年の存在があったからです。

その少年こそ後に初代ローマ皇帝となるオクタヴィアヌスです。

裕福な名門の家に生まれた訳でもなく、ましてカエサルと血縁関係にあった訳でもありませんでした。

早くして父を亡くしたあとに母と一緒に少年期をカエサルの実家で過ごした程度の縁しかなく当時は無名の存在であり、この後継者指名に誰よりも驚いたのはオクタヴィアヌス自身であったに違いありません。

カエサルの死と共にその遺産を受け継ぎ養子になったオクタヴィアヌス少年でしたが、カエサルの後を狙うアントニウスは歴戦の武将であり、執政官も務めた経験も持っていました。

年齢に倍もの開きがある両者を比べると、その実力は歴然としていたように見えますが、オクタヴィアヌスを後継者にしたのはカエサルの慧眼だったのです。

もしオクタヴィアヌスがカエサルのように快活で開放的な性格だとしたらアントニウスに警戒されたかもしれませが、若い時から物静かに熟考するタイプだったオクタヴィアヌスの性格も幸いしたように思えます。

「オクタヴィアヌスの力だって?亡きカエサルの名を背にしているだけさ」

とアントニウスに侮られながらもオクタヴィアヌスは、静かにそして着実に力を蓄えていきます。

一方アントニウスは、エジプトの女王クレオパトラと恋に落ち、強大なローマの東を領有しつつも好機を逃すどころか失策まで犯す始末です。

アクティウムの海戦によりアントニウス、クレオパトラ連合軍はオクタヴアヌスの前に敗れ去りますが、すでに戦う前から勝負は着いていたようなものです。

アントニウスを倒し、ようやく事実上のカエサルの後継者となったオクタヴィアヌスがローマに凱旋したとき、少年は33歳になっていました。