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ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中)



本巻では、ローマ帝国の混乱を鎮め、皇帝の地位に就いたヴェスパシアヌスの治世に触れられています。

著者の塩野七生氏はヴェスパシアヌスを「健全な常識人」と評し、独創的でもなく抜群の能力の持主でもなかったと断じています。

内乱を収拾し、再び帝国に平和をもたらした輝かしい実績を持った皇帝としては素直に喜べない評価ですが、これには理由があります。

ヴェスパシアヌスには、部下というよりも同志として尽力したシリア総督ムキアヌスの存在がありました。

皇帝ヴィテリウスの過酷な処罰へ対し反旗を翻した「ライン軍団」と双璧をなす「ドナウ軍団」をヴェスパシアヌス派にまとめたのはムキアヌスだったのです。

さらにドナウ軍団の一部を率いてムキアヌスさえも出し抜いて進軍したアントニウス・プリムスによってヴィテリウス軍は粉砕され、味方を失ったヴィテリウスは皇帝から退位するものの、あっけなく殺害されてしまうのです。

その直後に軍勢を率いてローマへ到着したムキアヌスは、ヴィテリウスと正反対の敗者への寛容な処置で混乱を収拾してゆきます。

さらに内乱によって被害を被った人々への損害賠償、ローマ帝国軍の再編成までもこなし、帝国の混乱に乗じて属州から独立し、ガリア帝国を名乗ったキヴィリスを中心とした反乱へ対しても、優秀な司令官であるケリアリスを任命し、結果見事に鎮圧に成功します。

東ではユダヤ戦記が続行中でしたが、ヴェスパシアヌスはそれを長男のティトゥスに任せ、自身はエジプトのアレキサンドリアで情報収集に専念すればよい状態でした。

時間をおいて新皇帝としてヴェスパシアヌスがローマへ入った時には、反乱も内乱の混乱もすべてが治まった状態だったのです。

つまり実績だけを考えれば、ヴェスパシアヌスよりもムキアヌスの方が皇帝として相応しい活躍を示したことになります。

そして差し迫った危機が去ったあとの再建であれば、「健全な常識人」であったヴェスパシアヌスは最適な人選だったのです。

一説にはヴェスパシアヌスとムキアヌスはライバル関係ゆえに仲が悪かったというものがありますが、ムキアヌスの行動からはそんなことを微塵も感じさせない誠実な協力者であり続けました。

たとえば早々にヴェスパシアヌスが後継者に長男のティトゥスを指名した時も、ムキアヌスはその根回しに協力し、ティトゥスが成長してヴェスパシアヌスの右腕となりえる能力を備えてきたことを認めてからは静かに歴史上からフェードアウトしています。

権力や名声を求めずにヴェスパシアヌスの治世を支えたムキアヌスの名前は覚えておいてもよいかも知れません。

ヴェスパシアヌスは混乱の去ったローマ帝国の財政再建、そして公共事業で実績を積んでゆきます。

たとえばローマに現代でも残る遺跡で1,2を争う有名なコロッセウム(円形競技場)を完成させたのはヴェスパシアヌスであり、この5万人を収容できたと言われる建造物の設計思想は現代のサッカースタジアムや野球場にも受け継がれているのです。

ローマに再び平和(パックス)ももたらし、長男のティトゥスが後継者になることを早い段階で公表していたヴェスパシアヌスは、10年間の治世の後に、思い残すこともなく享年70歳で世を去ります。