ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉
前巻は次々と皇帝が現れては消えていった時代でしたが、この流れは3世紀後半に突入しても変わりません。
とくに皇帝ヴァレリアヌスが敵の捕虜になるという事態はローマ帝国にとって前代未聞の大失態であり、この事件をローマ帝国の衰退と受け取った近隣の国や蛮族たちが次々と侵入してくる危機を迎えます。
著者の塩野氏は国の統治者として何よりも優先すべき項目は、安全保障だと主張しています。
ローマ人は辺境であろうと町を建設し、インフラを整備した民族でしたが、蛮族や敵国の侵入により辺境に近い町から人が逃げ出し、その結果として農地が荒れ地へと変わり、経済の衰退や文化の後退を招いてゆきました。
つまり安全保障が確立しなければ、経済の繁栄どころか食糧の供給にさえ支障をきたすことになるのです。
現代においても難民の多くが戦争や内乱によって生み出されている現実を見ると、当然の帰結と言えます。
当時のローマ帝国はあらゆる面で統治能力を失いつつあり、それはすぐに目に見える形になって現れます。
まずはローマ帝国の西方、つまりイベリア半島やガリア地方含めた広範囲の地域がガリア帝国としてローマ帝国から分離独立し、続いて東方でもカッパドキアからエジプトに渡る地域が、パルミラ王国として離れることで、ローマ帝国が実質的に三分割されるという出来事が起きます。
こうした背景の中で本巻で登場する皇帝たちを追ってゆきます。
皇帝ガリエヌス(253-268)
ヴァレリアヌスの死と共に相次いだ外敵の侵入、帝国の3分割という危機的な状況下で皇帝に就任する。彼は起死回生のバクチには挑まず、状況の悪化を防ぐための現状維持を再優先事項とする。つまり分離したガリア帝国とパルミラ王国は放っておき、残った領土を蛮族の侵入から守ることに専念し、ローマ軍の伝統的な主力である重装歩兵を騎兵に置き換えるなどの改革を遂行する。
蛮族の侵攻を食い止めることには成功するも、その保守的な姿勢に腹を立てた兵士たちに殺害される。
皇帝クラウディウス・ゴティクス(268-270)
大挙して押し寄せてきたゴート族を騎兵団を率いて撃破するも、疫病によって倒れる。
短いとはいえ、戦死でも謀殺でもなく"病死"という形で治世を終えた久しぶりの皇帝となる。
皇帝アウレリアヌス(270-275)
危機の3世紀に登場した皇帝の中では抜群の実績を残す。
侵入してきたヴァンダル族を撃破し、続いてローマ帝国から独立した状態にあったパルミラ王国を武力によって再び併合し、ガリア帝国は政治的交渉によってローマ帝国へ"復帰"という形で再興させる。防衛上の理由からダキア地方からは撤退するも、ほぼ旧来通りのローマ帝国の版図を回復することに成功する。しかし凱旋から間もなく秘書のエロスによって殺害される。
皇帝タキトゥス(275-276)
「同時代史」で有名な歴史家タキトゥスの子孫。皇帝に就任した年齢が75歳ということもあり、わずか8ヶ月で病死する。
皇帝プロブス(276-282)
大波のように次々と押し寄せる蛮族たちを迎え撃つ日々を送る。またゲルマン人の住む土地へ積極的に攻めこむ方針をとり、捕虜となった蛮族たちをローマ帝国の住民とする同化政策を打ち出す。しかし一部の暴走した兵士たちによって殺害される。
皇帝カルス(282-283)
ローマ帝国の東方を脅かし続けたササン朝ペルシアへの遠征を敢行する。順調にペルシア軍を撃破して進軍するも宿営中に雷によって落命することになる。
皇帝ヌメリアヌス(282-283)
皇帝カリヌス(283-284)
先帝カルスの長男と次男であるが、いずれも兵士たちの信望を得ることは出来なかった。
この時代に軍団からの支持を失った皇帝は、兵士たちによって殺害される道しか残っていない。
やはりこの時代で特筆すべき皇帝は、アウレリアヌスになるでしょう。
戦闘に強い(=戦術に優れた)軍人皇帝ならば危機の時代にも度々登場してきましたが、外交含めた戦略の立案、そしてその実行に際して優先順位を誤らなかった皇帝は久しぶりに登場したのです。
カエサルやアウグストゥスの時代から名目上は元老院とローマ市民から承認されることではじめてローマ皇帝と認められるのが慣例でしたが、アウレリアヌスは皇帝としての強権をためらわずに発動し、実力に訴えるタイプの"絶対君主"に近い皇帝として君臨しました。
このスタイルは、すぐ後の時代に登場するディオクレティアヌス、コンスタンティヌスといった皇帝たちに受け継がれてゆくのです。