本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

神武天皇―日本の建国


現在(平成)の今上天皇は第125代を数えますが、その源流を遡ると初代天皇とされる神武天皇へ辿り着きます。

建国記念の日(2月11日)は神武天皇が即位したとされる日であり、明治時代から戦中までは紀元節と呼ばれていました。

どの国でも神話と歴史の境目は曖昧ですが、日本においてはこの神武天皇以前を神代とし、神武天皇以降から歴史が始まるという考え方があります。

しかし神武天皇の伝承は「古事記」、「日本書紀」(記紀)以外には残っておらず、現時点では歴史上実在したことを立証されていない伝説の人物でもあります。

その伝承もかいつまんで説明すると、東征(東方遷都?)を行い、奈良盆地付近で長髄彦(ナガスネヒコ)を滅ぼし天皇に即位したというものです。

一方ではじめて日本に誕生した古代国家が天皇を中心とした大和朝廷だったという点は、ほぼ疑いのない事実であり、史学者である植村清ニ氏がその成立過程に迫ったのが本書です。

まず神武天皇の伝承を伝える記紀へ詳細な検証を加え、たとえば神武天皇自身が詠んだとされる歌については、万葉集の時代とそう隔たらない比較的後の時代に制作されたものが付け加えられたと推測しています。

結論的に史学者として記紀に記述されている物語をそのまま受け入れるのは難しいという立場です。

加えて当時の史料が比較的残っている中国の歴史書へ対しても検証も行っています。
そこでは後漢書・東夷伝(いわゆる魏志倭人伝)などの内容を検証した結果として、邪馬台国畿内説(卑弥呼の邪馬台国と大和朝廷と同一とする説)の考えは受け入れられないという著者の考えを示しています。

つまり著者は邪馬台国九州説を唱えますが、古墳や青銅器といった考古学上の成果を併せて分析し、邪馬台国等の北九州を中心にした勢力が神武天皇の東征につながる前身であった可能性なら大いに有り得るとします。

いずれにせよ現存する史料や発掘された遺跡だけでは決定打に至らず、著者は本書を執筆した理由をあとがきで次のように述べています。

本文に書いたように、神武天皇の物語は、記紀の伝承であって、問題はあくまでもその批判にある。しかしその批判の上に立って、古代国家の成立の歴史を組み立てることになると、考古学や中国の史料の研究を総合して極東の大勢から観察することが必要になってくる。

ちなみに本書の初版が発表されたのは今から60年前であり、現時点でも神武天皇の実在は証明されていませんが、今後の研究や発掘によって新しい発見が生まれる可能性は残されています。

本書の内容はやや専門的で難解ですが、謎に満ちた古代ロマンはいつの時代も人びとの心を掴んで離さないものです。
是非ともチャレンジしてみてはどうでしょうか?

新訂 海舟座談


津本陽氏の長編小説をはじめ、本ブログでもたびたび取り上げてきた勝海舟

明治維新における彼の功績は改めて説明するまでもありません。

明治政府成立後も要職に就かなかったわけではありませんが、いずれも短期間で辞めてしまい、半ば隠居生活に入っていました。

ただ明治時代がはじまった時点で勝は40代半ばを過ぎており、当時の一般的な基準から見ても決して早すぎる隠居生活ではありませんでした。

本書は晩年の勝海舟に惚れ込み、教育者、実業家であった巌本善治(いわもとよしはる)が、週に一回、または二回の頻度で晩年の勝の元へ訪れ、昼間聞いた座談を、自宅に帰ってノートにそっくり書き留めるという作業を続けた記録が出版されたものです。

その原型は勝没後の明治32年に出版された「海舟余波」ですが、そこへ生前の勝と交流のあった人たちの回顧録を収録したものを付録として加えたものが、昭和5年に岩波書店から出版された本書「海舟座談」です。

タイトルから分かる通り、海舟の元へ足しげく通った巌本は、インタビューでもテーマを決めた対談ではなく、座談という何気ない会話を記録したものだけに、話題は幅広く多岐に渡っています。

座談は日付ごとに掲載されているため、小説のように一気に読んでしまうよりも5分、10分とちょっとした時間に少しずつ読み進んでゆく方法をお勧めします。
(私は他の本と併読しながら、この方法で本書を読み終えるまで2ヶ月くらいかかりました。)

当時の国際情勢、財政、また維新の頃の回顧録から人物評に至るまで、座談の内容は都度変わってきますが、勝家の資産運用の話、明治以降の徳川家や旧幕臣たちへの資金援助の話題が出てくることもあります。

ほかにも、のちに勝海舟の歴史小説に取り入れられたような逸話が座談の中から出てきたりする部分も本書を読む楽しみになります。

最後の座談は勝が亡くなる5日前に行われましたが、高齢ではあるものの勝自身はそれほど深刻な状況と受け止めていなかった様子までもが伝わってきます。

巌本「まだいけませんか?」
勝 「どうも痛くってネ、通じがとまったら、またいけなくなりましたよ。」
勝 「どうです。世間は騒々しいかネ。静かですか。戸川(残花、旧幕臣)はどうしてます?」

歴史上の偉人である勝海舟の晩年の声が生き生きと収録されている本書は、史料としても価値を持っている1冊なのです。

冬を待つ城


安部龍太郎氏による九戸政実(くのへまさざね)を主人公とした長編歴史小説です。

歴史人気のおかげで陸奥の戦国大名である南部氏、そしてその一族で随一の猛将である九戸政実の名前もだいぶ知られるようになりました。

本ブログでも紹介した高橋克彦氏の歴史長編小説「天を衝く」でも九戸政実は主人公でしたが、なぜ広い陸奥の片隅に生まれた武将に人気が出たのでしょうか?

その理由を簡単に説明すれば、北条氏を滅ぼし天下人となった秀吉に最後まで反抗し続けた気骨のある武将だからです。

五千の兵で立て篭もった政実の居城・九戸城(現在の岩手県二戸市)には、秀吉軍六万五千が迫ります。

その顔ぶれも蒲生氏郷井浅野長政井伊直政堀尾吉晴といった一流武将たちであり、そこへ秀吉側についた陸奥の大名たち(つまり政実以外の陸奥の大名全員)も加勢しました。

後詰には伊達、上杉、前田、石田といた大名たちが控えており、誰から見ても勝ち目のある戦いではありませんでした。

それでもなぜ九戸政実は立ち上がったのか?

一般的に南部家の後継者争いで本家筋と対立したことが要因とされていますが、今となっては本家筋の南部氏どころか天下を相手に反旗を翻すことを決意した政実の胸中は誰にも分かりません。

しかしその分からない部分を想像力で補うのが歴史小説の醍醐味であるといえます。

本書は九戸政実自身の視点ではなく、彼の実弟であり僧侶から還俗した久慈政則から兄を観察するという手法で書かれています。

政則は京都で禅僧としての修行を積んでいただけに、天下の帰趨が秀吉に帰することもよく知っていました。

そのため全力で兄の反乱を思いとどまるように奔走しますが、その言動に接し続けるに従い彼の考えも少しずつ変化してゆくのです。

小説の構成としてもよく練られており、エンターテイメントのように歴史を楽しめる1冊になっています。

これを機会に今までほとんど読んでこなかった安部龍太郎氏の作品を他にも読んでみようと思わせる作品です。

けもの道の歩き方


著者の千松信也氏は、京都で運送業をしながら猟を行うパートタイマー猟師の暮らしを営んでいます。

猟師といえば銃を担ぎ猟犬を引き連れているイメージがありますが、千松氏は銃を用いないわな猟、その中でも伝統的な"くくりわな猟"を専門にしているそうである。

ただし本書は猟の手法を解説した専門書ではなく、著者の猟師としての日常の紹介、野生動物の解説、そして自然へ対する接し方や考え方などを幅広く取り扱っており、限りなくエッセーに近い内容になっています。

最近では人里に出没するクマやイノシシ、シカ、サルなどが環境問題として取り上げられますが、この対策を単純に増えすぎた野生動物を駆除することで解決しようとするのは間違っていると指摘しています。

山林のすぐそばにまで開発された住宅地も要因になるでしょうが、最近では山間で耕作放棄された畑、管理されないまま放置された山林が動物にとって都合のよい活動エリアになってしまっているのが最大の要因であると著者は考えているようです。

昔の人は集落を囲むような大規模なシシ垣を築いて野生動物から田畑を守ってきた歴史があり、そもそも昔からこうした生き物は日本人にとって身近な存在であり、本来の生息数へ回復傾向にあるに過ぎないという見方もできるようです。

ただしシカなどの天敵であり、かつて日本の山林において食物連鎖の頂点に君臨していたオオカミが明治時代に全滅したため、古来から続く日本本来の生態系が壊れてしまっていることも事実なのです。

さらに近年では猟師の高齢化とともに人数が減少し続けていることも見逃せません。

かといって今やジビエ(野生鳥獣の食肉)を提供する店は当たり前のように見かけ一種のブームになっていますが、ゆき過ぎた商業目的での猟が横行すればあっという間に野生動物が減ってしまう危険性もはらんでいます。

そもそも野生動物を安定的に捕獲して供給すること自体に無理があり、伝統的を無視した無茶な猟が横行すればその結果は容易に想像できます。

もちろん自然に対する考え方は、猟師、学者(研究者)、自然保護活動家、林業従事者、野生動物の駆除を担当する自治体職員など立場によって異なるのが当然であり、それは日頃自然に接する機会の少ない都市部の住人、または豊かな自然の残る地域で暮らす住人の間ですらも同じことが言えます。

日常的に自然や野生動物と接している猟師(著者)の考察は奥深く、一方で厳格になり過ぎず、肩の力を抜いて自然と向き合う姿勢には共感を覚える読者も多いのではないでしょうか。

戦国大名の兵粮事情


私と同様「戦国大名の兵粮事情」というタイトルに惹かれて本書を手に取った読者はかなりの歴史小説好き、もしくはマニアであると想像できます。

こうしたマニアックなテーマで本を世に送り出し続ける出版社(吉川弘文館)、そして著者(久保健一郎氏)には敬意を表したいと思います。

戦国時代を語る上で武将そのものにスポットライトが当たるのは当然として、戦争に勝利するための戦術や戦争の舞台として欠かせないをテーマにした本は数多く存在しますが、"兵粮"をメインテーマに取り上げている本書は希少な存在です。

本書の目次からおおよその内容が推測できます。

  • 平安末~鎌倉時代の兵粮
  • 南北朝~室町時代の兵粮
  • 調達の方法
  • 戦場への搬送
  • 備蓄と流出
  • 困窮と活況
  • さまざまな紛争・訴訟
  • 徳政をめぐって
  • 戦争状況の拡大
  • 両国危機のなかで
  • 兵粮のゆくえ-エピローグ-

まず兵粮といえば軍隊の食料という印象を受けますが、実際の意味や用途は多岐に渡ります。

広義には戦国大名が年貢として徴収した米を兵粮と呼びますが、この場合の兵粮は家臣たちへの給料、そして通貨や物資との交換のためにも用いられました。

戦時には大名の強力な権限の元に兵粮を要所へ集約し、他国へ持ち出すことを固く禁じたことが当時の文書からも分かっています。

また時には兵粮を商人に預けて利殖活動(金融業)をすることもありました。

つまり兵粮とは戦国大名にとってすべての富の源泉でもあり、この兵粮をいかに運用するかが戦争以前の死活問題と直結していたのです。

やがて江戸幕府による平和な時代が訪れることによって兵粮の意味が変質してゆくことになりますが、戦が絶えなかった戦国時代の兵粮を考察してゆくことで当時の社会全体が見えてくるのです。

活動寫眞の女



舞台は昭和四十四年の京都。

学園闘争の最中、東京から京都大学へ通うため下宿へ引っ越してきた三谷薫

京都の閉鎖的で高踏な雰囲気に馴染めずにいた三谷は、映画館で同じ京大生の清家忠昭と出会う。

やがてこの2人と三谷と同じ下宿先の京大生である結城早苗を加えた3人は、太秦の撮影所でエキストラのアルバイトに参加するが、そこで不思議な美しい大部屋女優に出会う。

のちに彼女は戦前に悲劇的な運命を辿った女優・伏見夕霞であることが判明するのですが、同時に彼女はこの時代に生存しているはずのない、つまり幽霊であることに気付くのです。。。

ノスタルジックな"活動寫眞"というタイトル、そして学生が主人公ということもあり、浅田次郎氏にしてはめずらしく序盤はまるで純文学作品のような雰囲気で始まります。

そして女優の幽霊が登場するあたりから浅田氏らしい作品へと展開してゆくのですが、そもそも"幽霊"は彼の多くの作品に多く取り入れている欠かせない要素です。

ただしいずれも作品に登場する"幽霊"は、ホラー小説(怪奇小説)のように読者の恐怖を煽るだけの単純かつ典型的な使い方は決してせず、時間や生死すらも飛び越えることの出来る便利なツールとして利用するのです。

ストーリーそのものを楽しむがこの作品の醍醐味のため、ネタばれは避けますが、ミステリアスな雰囲気を漂わせながらも本格的な青春恋愛小説に仕上がっています。

本書の舞台となる昭和40年代半ばにはテレビが全盛期に向かって上り調子である一方、日本映画は下り坂を迎え、多くの映画会社や撮影所、そして映画館が街から消えてゆく時代でもあったのです。

私自身が子どもの頃に住んでいた街には常設の映画館もなく、古き良き映画を知らないテレビ世代として育ちましたが、私のように映画好きの読者でなくとも希代のストーリーテラーである浅田氏の作品だけに充分に楽しむことができます。

最近は複数スクリーンがあるシネコン型の映画館が増えたこともあり入場者数も増えつつあるようですが、昭和時代の映画館の雰囲気はほとんど失われてしまったように思えます。

作品の舞台となった時代を知らないにも関わらず不思議と懐かしい感覚を覚え、ストーリーの中に惹き込まれてゆくのは、それだけ優れた作品の証でもあるのです。

日本的霊性


「近代日本最大の仏教学者」と評された鈴木大拙氏の代表的な著作です。

"霊性"は聞き慣れない言葉ですが、それはこの本が発表された1944年当時も同じであり、著者は本書のはじめに"精神"という言葉と対比することで、"霊性"の意味を解説しています。

それによると霊性とは宗教意識であり、精神が倫理的なのに対し、霊性はそれを超越した無分別智であり精神の奥に滞在しているはたらきだとします。

そもそも精神を超越する霊性を言葉で表現すること自体が困難なのかも知れませんが、簡単に言えば日本人特有の普遍的な宗教意識ということになります。

この霊性は民族がある程度の文化階段に進まないと覚醒されない、つまり原始民族に霊性は見られないのです。

以上を踏まえた上で、日本において霊性が覚醒したのは鎌倉時代以降であり、その最も純粋な姿が"浄土系思想"と""であるとします。

仏教は6世紀・欽明天皇の時代に渡来していますが、その時代の仏教は宗教的儀式、建築技術、芸術といった文化的な要素が主流であり、その信仰も朝廷を中心とした知識人や貴族たちの間に留まり、宗教的生命である霊性が欠如していると断言しています。

また平安時代の「万葉集」に代表される和歌からも、そこに日本的情緒の発芽はあっても原始的感情を脱していません。

霊性のはらたきには、現世の事相に対しての深い反省、そして反省が進み因果の世界から離脱して永遠常住のものを掴みたいという願い、そしてその願いを叶えてくれる救済者(本書では大悲者とう仏語で表現)が必要となるのです。

言われてみれば、仏教と並ぶキリスト教、イスラム教にも救済者が存在しています。

こうした意味で仏教と並び日本を代表する「神道」にはこの要素が弱いと著者は指摘しています。

ただし著者には宗教の優劣を論じるつもりはなく、あくまでも日本においては浄土系思想、そして禅がその霊性を覚醒させたその要素を解説していきます。

すでに仏教が生まれたインド、そして渡来元となった中国では別の宗教が主流となり、その民族の霊性を覚醒するには至りませんでしたが、なぜ日本においては仏教が民族の霊性を覚醒させたのか?

著者はそれを"たまたま"、つまり"偶然"であったとします。

長い平安時代を経て鎌倉時代に日本的霊性が生まれえる下地が整ったところに仏教が媒介として存在したのです。

偉大な学者であり宗教家、哲学者でもあった鈴木氏が生涯の研究テーマとした扱った"霊性"だけに論じられるテーマは広範囲で壮大となり、本書だけではその一端を垣間見るに過ぎないのかも知れません。

実際に日本的霊性を覚醒させた要素の1つである浄土系思想、その中でも特に法然と親鸞を中心に取り上げていますが、紙面の都合で禅についてはほとんど言及していません。

鈴木氏にはその他にも多数の著書があるため、機会があれば他の著作も読んでみるつもりです。

くちぶえ番長


小学四年生ツヨシの通う学校に突如転向してきたマコト。

マコトは転校初日にいきなり「川村真琴です。わたしの夢は、この学校の番長になることです」とあいさつします。

そう、マコトは女の子だったのです。

ほとんど人は転校生を迎えた経験が1回くらいはあると思いますが、本書は著者の重松清氏が主人公と同じ年齢のときに経験した転校生、それも1年足らずで再び転校してしまい現在に至るまで二度と再会することのなかったクラスメートとの思い出を元に書き上げた物語だと告白しています。

はじめのぎこちない関係から、少しづつ距離が近づきやがて2人が親友になってゆくまでの過程が日々の出来事とともに友情物語として綴られています。

本書に登場するエピソードは、男女問わず多かれ少なかれ誰にでも小学生時代を思い出させてくれます。

こうした小さな物語の積み重ねで大きなテーマを書き上げる重松氏の腕前は一流であり、ストーリーそのものはシンプルでありながらも約200ページの作品ということもあり、1時間半もあれば夢中になって読み終えてしまうでしょう。

束の間かもしれませんが、この作品は読者を少年少女時代に戻してくれるのです。

この地名が危ない


著者は30年以上にわたり地名を研究し続けててきた楠原佑介氏です。

まず本書に書かれている要点は以下に尽きます。

私は三十年余り前から、「歴史的伝統的地名」の保存を訴え続けてきた。本書で繰り返し指摘していることは、古い地名を分析することによって、それぞれの土地に関して、それぞれの時代の人々が後世の我々に何を伝えようとしていたのか、把握できるということである。

私自身も地区町村の合併などによって、安易に地名がひらがなやカタカナ表記に変わってゆくことに抵抗を覚えている1人です。

ただその理由は何となく伝統や歴史が失われているしまうといった漠然としたものですが、著者の指摘する理由は次のように具体的なものです。

這うようにして大地を拓き耕してきた日本列島に住む庶民=農民にとって、災害は我が身に迫る直截的な危険であるとともに、その知恵と経験と情報は子孫に必ず伝え残さなければならないメッセージでもあった。
~ 中略 ~
地名こそは、それぞれの地域に定住する人々が未来に託した土地情報であり、子々孫々にまで語り継がなければならない祈りであったように思われる。

ほとんどの土地名は漢字で表記されるため、その字義に囚われがちですが、著者が読み解く地名は私にとって新鮮なものでした。

たとえば福島第二原発が建設された楢葉町波倉の""の由来は、昔の言葉で動詞「クル」(今の言葉で「えぐる」)が名詞化したものであり、「波がえぐった土地」という津波の痕跡を示す地名となることから、建設時にその点を指摘する人がいなかったことを批判しています。

鎌倉倉敷なども同じ由来で名付けられた地名であって、倉庫や蔵屋敷には全く関係ない危険な土地であること警告しています。

また中越地震で崖崩れの起きた長岡市妙見町については、""は動詞「メゲル」(壊れる、損なうの意)から来ており、崩壊地形であると解説しています。

よって日本各地にある「妙見、明見、妙顕」の地名は本質的に危険な土地であることを示しており、北極星を神格化した仏教用語から拝借した縁起の良い漢字が当てはめられているに過ぎないのです。

新書という制限もあり、ヨミや漢字ごとに体系的な解説をしていませんが、おおまかに東日本大震災新潟県中越地震阪神・淡路大震災といった過去の大災害ごとに地名を解説しています。

もちろん本書に書かれていることをそのまま鵜呑みにすることも危険ですが、これを機会に自分が住む地名の由来を調べてみるというのも悪くありません。