秋の街
本作品の著者である吉村昭氏に限って言えば、個人的に長編小説の方がより好みであり、そのため同氏の短編小説はあまり読んできませんでした。
本書には7作品が収められている短編集ですが、吉村昭ファンとしてなるべく多くの作品を読みたいという気持ちで手にとってみました。
- 秋の街
- 帰郷
- 雲母の柵
- 赤い眼
- さそり座
- 花曇り
- 船長泣く
「秋の街」では仮釈放が決まった受刑者が刑務官と一緒に街を見学するという、ある1日が描かれています。
長らく刑務所で過ごしてきた受刑者(主人公)にとっては信号機すら新鮮であり、電車の切符を買うという行為にも困惑します。
我々が何気なく過ごしている日常は、長らく刑務所で過ごした主人公にとって非日常であり、こうした目線を変えた物語構成に新鮮味を感じます。
たとえば現在において同じシチュエーションを想像すると、インターネットの普及がそれに該当するでしょう。
塀の中で過ごしている間にネットで商品を購入して銀行口座を管理することが日常となり、さらに音楽も映像も地図さえもオンラインが当たり前になっている状況に久しぶりに出所する受刑者が戸惑うのは容易に想像できます。
本短編と似ているシチュエーションを描いた作品に同氏の「仮釈放」という長編がありますが。本作品を気に入った方はそちらも読んでみることをお勧めします。
「帰郷」では患者搬送サービスの運転手を、「雲母の柵」では司法解剖jに従事する臨床検査技師を、「赤い目」では実験用マウスを飼育する研究員の日常を描いています。
どれも実際にそうした職業に従事している人から話を聞き、作品を書き上げているところに著者らしさを感じます。
「さそり座」、「花曇り」は父と子、母と子の関係を印象的な場面とともに切り取った、一見すると吉村氏らしからぬ文学作品のような作風ですが、淡々としていながらも綿密な描写からはやはり著者らしさを感じます。
最後の「船長泣く」は、著者がたびたに手掛ける難破、漂流もののノンフィクション性の高い作品であり、もっとも吉村氏らしい作品であるといえるでしょう。
本書の短編集には共通のした1つのテーマがあるというより、バラエティに富んだ吉村昭氏の作品を楽しむ1冊になっています。
ヒコベエ
数学者であり、数多くのエッセイで知られている藤原正彦氏が初めて手掛けた自伝的小説です。
舞台は昭和20年代前半、つまり終戦して間もない頃に過ごした幼少・少年時代を描いています。
タイトルにある「ヒコベエ」は、正彦の幼い頃のあだ名です。
母・藤原ていは「流れる星は生きている」で知られている通り、満州から命からがらヒコベエとその兄、妹を連れて引き揚げてきた壮絶な経験を持ち、父は東京気象台に勤め、のちに新田次郎のペンネームで作家として活躍します。
どちらも著者のエッセーではお馴染みのエピソードですが、物語は終戦後ソ連兵に捕まり、捕虜収容所で1年近くの抑留生活を経て父が帰国するところから始まります。
食料や生活必需品を確保することさえ難しい深刻な物資不足の時代でしたが、ヒコベエ少年は兄弟の中でも一番元気に育ちします。
5歳で近所の子どもたちのガキ大将として走り回る毎日を送る一方、藤原家は父の公務員としての月給だけでは生活が困窮する状態でした。
引き上げ後から体調が優れない母の負担を軽くするため、ヒコベエは母の実家である信州の笹原(長野県茅野市)に預けられたりしますが、自然に囲まれた伸び伸びとした環境でヒコベエはまずます腕白小僧っぷりを加速させてゆきます。
一方、父の公務員としての月給だけでは生活が困窮していまう藤原家では、母が満州からの引き挙げ時の記録を出版したり、それに触発された父が小説家を目指し始めたりと試行錯誤しますが、そうした苦労をまったく知らずに無邪気に遊ぶヒコベエの姿は対照的であり、いつの時代も子どもたちの純粋な姿が大人たちに未来の希望を与えてくれることが分かります。
家族や親戚だけでなく、ヒコベエが少年時代に出会った友だち、学校の先生や気になるあの子とのエピソードが満載であり、本作品はヒコベエが小学校を卒業するところで終わります。
少年の目に映る成長とともに少しずつ広がってゆく世界が繊細に書かれており、誰もが経験した自らの少年・少女時代と重ね合わせて読んでしまいます。
著者はあとがきで、この頃は日本中が貧しく最低限の衣食住でなんとか生き延びていた時代であったが、何故か人びとの顔は明るかったと振り返っています。
もちろん底抜けに純粋で明るい少年の目には、常に世界が輝いて見えていたはずですが、現代社会で希薄になった人びとの絆が色濃く残っていた時代であり、そうした古き良き時代の魅力が現代の読者にも伝わってくる爽やかな読了感があります。
巴御前
男勝りの武者振りを見せる女性を"巴御前(ともえごぜん)"と表現することがあります。
巴御前は木曽義仲に仕えた一騎当千の女武者として知られていますが、軍記物語にしか登場しないこともあり、実在そのものも定かではない半ば伝説上の存在です。
義仲が木曽谷で挙兵した時から付き従っていたこともあり、彼女の軌跡はほぼ義仲のそれと一致します。
個人的には1度は時代の寵児となりがらも、歴史の主人公になり切れなかった人物に興味を惹かれます。
そして木曽義仲はまさにその典型的な人物です。
他の代表的な例としては新田義貞が思い浮かび、中国史であれば劉邦と争った項羽、古代ローマ史であればポンペイウスなどが私の中で該当します。
義仲は源氏の武将としていち早く平氏の大軍を撃破して京を制圧します。
頼朝と同じく武家の棟梁としての資格である八幡太郎義家の血筋を受け継ぎ、その武勇も申し分ありませんでした。
さらに彼の従える四天王と呼ばれる武将、本書の主人公である巴御前たちの実力も頼朝麾下の武将たちとまったく遜色ありません。
しかし結果的に義仲は頼朝に敗れることになります。
その原因を義仲には頼朝と違い合戦には長けていても長期的な戦略を立てる軍師が不在だった、義仲自身に思慮や慎重さが足りなかったと指摘する歴史家がいますが、歴史の"If"含めてそうした要因を想像するのは歴史を楽しむ醍醐味の1つといえます。
話が逸れましたが、本作品の主人公は巴御前と木曽義仲の2人であるといえます。
2人は他人が同席していても、お互い心の中で会話することができ、さらに巴御前は他人の心を読むことができます。
いわゆる超能力の持ち主ということになりますが、伝説上の女武将を小説作品として描く設定としては悪くありません。
清和源氏の血すじを受け継いだ義仲は、信濃国木曽谷の豪族によって大将に担ぎ上げられた面もあり、つねに疑心暗鬼と中で過ごします。
一方でその心中を唯一理解できるのが巴御前であり、2人が単純な主従関係でも恋人関係でもないという絶妙な距離感が描かれています。
作品全体を通してのストーリーのテンポも良く、歴史エンターテイメントとして楽しく読むことができました。
おろしや国酔夢譚
天明2年(1782年)。
伊勢から江戸を目指して出港した廻船・神昌丸に乗り込んだ船頭光太夫はじめ15名は嵐によって7ヶ月も大海を漂流することになります。
神昌丸はアリューシャン列島の1つアムチトカ島に漂着しますが、アラスカ半島に連なる列島ということもあり、そこでは過酷な自然が待ち受けていました。
タイトルにある"おろしや"とはロシアのことであり、ベーリング海一帯に毛皮を求めて進出していた当時のロシア帝国の人びとと出会うことで彼らの運命は大きく変わってゆきます。
光太夫一行の異国での生活は10年間にも及びますが、故郷へ戻るという念願を果たせず寒さや病気で次々と倒れてゆく仲間たちが続出することになります。
それでも光太夫はユーラシア大陸を横断しモスクワやペテルブルグを訪れ、ロシア皇帝エカチェリーナ2世に拝謁することになります。
文化も言葉も気候もすべてが違う異国の地で過ごす日々。
さらに帰国の可能性も定かではない不安がつきまとうとあっては、お世辞にも明るい物語とはいえません。
それでも光太夫に協力してくれる少数のロシア人が現れたり、若い船員たちはいち早く日常生活の中でロシア語を覚えて彼らの生活に馴染んでゆく様子も描かれています。
はじめは漂流記くらいの気持ちで読んでいたのですが、次第に15名の日本人たちの人生を描いた壮大な作品であることに気付き、読む人によって印象に残る登場人物も異なってくるはずです。
例えばロシア文化に馴染もうとせず、ひたすら故郷へ帰ることだけを願い続けた九右衛門と、洗礼を受けロシアの地に残る人生を選んだ新蔵の存在は対称的です。
また本作品の持つ別の魅力は、数奇な運命でロシア帝国を訪れることになった当時の日本人たちの紀行文になっているという点です。
作者の井上靖は光太夫の残した記録だけでなく、ロシアに残っている文献も引用して当時のロシア人たちの生活や文化、滞在した町で起こった出来事などを作品の中で綴っています。
本作品の主人公ともいえる漂流時の船頭であり、ロシアの地では日本人たちの代表であった光太夫は不屈の精神で仲間たちを励まし続け、またロシア帝国の要人に働き続けることで帰国を実現させます。
単純な娯楽小説として楽しむには暗い作品ですが、歴史小説、紀行文、そして人間ドラマを描いた作品としての魅力を持っています。
つまり時代を超えて読み続けられるべき1冊ではないでしょうか。
鉄砲無頼伝
信長台頭以前の戦国時代を代表する鉄砲軍団といえば雑賀衆と根来衆が有名です。
雑賀衆を率いた鈴木孫市は有名で多くの歴史小説に登場しますが、根来衆を率いた津田監物(けんもつ)を知っている人は少ないかも知れません。
監物は種子島に鉄砲が伝来してから間もない時期に自ら島まで出向いて鉄砲を入手します。
帰郷した監物は根来の鍛冶職人を組織し鉄砲の大量生産に成功すると同時に、根来寺の僧兵たちに鉄砲の訓練を施して傭兵軍団を作り上げます。
白い袈裟頭巾をかぶった山法師の格好をした僧兵軍団が鉄砲を担いで戦場に現れ、次々と敵兵を撃ち倒す光景を想像すると謎めいた魅力を感じます。
つまり監物は日本ではじめて鉄砲の量産を成功させると共に、その有用性を戦場で証明したという輝かしい功績があるのです。
ただし津田監物の活躍は、信長が台頭する時期より前ということもあり、それほど知られていないのです。
本作品では監物が根来衆を率いて足利義輝や三好長慶、松永久秀といった近畿地方の勢力の中で活躍する姿が描かれています。
根来衆は傭兵軍団であり、恩賞の金額次第で雇い主を裏切ることもあれば、旗色が悪い味方を見捨てることもあります。
要するに監物率いる根来衆は、忠義心という美学を微塵も持ち合わせていないのです。
そろそろ合戦に飽きてきたし、金もたんまり稼いだから紀州に帰ってのんびり過ごしたいという心情は、領土を巡って争い続ける普通の武士たちには無い感覚です。
剣豪小説が多い津本陽氏の作品の中では珍しいストーリーですが、殺伐とした戦国時代を悠々と生きてゆく男たちの魅力が詰まっている1冊です。
石橋湛山―リベラリストの真髄
石橋湛山(いしばし たんざん)は明治~大正、そして昭和を生きたジャーナリスト、そして政治家です。
戦後の政治家という点では、吉田茂、鳩山一郎、池田勇人と比べると知名度は低いのではないでしょうか。
それは病気によりわずか2ヶ月間で総理大臣の地位を去った「悲劇の宰相」であることも一因でしょうが、彼を別の視点から見るとまったく違った像が浮かび上がってきます。
彼の真骨頂は近代日本における稀有なリベラルなジャーナリストとしてであり、前出の3人が生粋の政治家であったのと違い、彼が政界を志したのは戦後になってからでした。
当時の日本においてリベラルなジャーナリストは、政府から危険視されていた共産主義者よりも珍しい存在であり、帝国主義、そして次々と植民地政策を推し進める日本政府へ対して一貫して反対し続けました。
まずは有権者の資格として直接国税を一定以上納めるという条件を撤廃し、完全なる普通選挙と民主主義の実現を訴え続けました。
湛山は明治期の政府を藩閥政治、専制政治であると批判し続けたのです。
次に朝鮮半島や満州含めた日本の実質的な植民地をすべて放棄することも主張し続けました。
外国はそこに住む各民族が主権者なのであって、無理に支配したところで反感や不安は決して消えず、結果的に長い目で見れば政情不安の原因になり、国家にとって損失になるというものでした。
湛山は単純な平和主義者であったわけではなく、その理由を政治、外交的論点、経済的論点、人口・移民的論点、軍事的論点、国際関係的論点いずれから見ても無益であることを理論的に指摘したのです。
それは帝国主義そのものを否定することであり、その延長線上にある日中戦争、日独伊三国同盟、アメリカとの開戦すべてを批判し続けました。
湛山は東洋経済新報社の記者、あるいは主幹としてこうしたジャーナリスト活動を続けましたが、戦時下の言論統制にあっても発言や考えを翻すことはありませんでした。
当時の政府は言論弾圧の方法として、反戦的な記事の出版社へ対してインクや用紙の割当を減らすといった実力行使に出ますが、それを心配した友人が同情しても
「いざとなれば雑誌を廃める覚悟さえしていれば、まだ相当のことがいえますよ」
と語ったといいます。
湛山は社屋や私邸を売却してでも雑誌を発行し続けることにこだわり、言論の自由を何よりも重んじていたのです。
湛山はクラーク博士、そのクラークの薫陶を直接受けた大島正健(湛山が通った尋常中学校の校長)から強い影響を受けており、そこで学んだアメリカン・デモクラシーの精神がその考え方の根底にあり続けたのです。
そのため戦後の実質的なアメリカ占領下の日本ではGHQと意見が一致したかといえば、まったくの逆でした。
政界へ進出した湛山は、戦勝国による一方的な占領政策を批判し、日本の真の独立を模索し続けたのです。
そのためGHQから帝国主義者・全体主義者というまったくの濡れ衣で公職追放(レッドパージ)される屈辱を味わうことになります。
1950年代の段階で湛山は日米安保体制、つまりアメリカ追従外交が日本およびアジアの安全を将来にわたり保障することは困難であることを予測し、日中米ソ平和同盟という構想を持ち、かつその実現に向けて精力的に活動していたのです。
そしてまさに現在、米中関係が冷え込む中で湛山が危惧していた安全保障上の不安が実現化しつつあります。
当時と違い中国が大きな成長を遂げた今、あくまでも日米同盟に固辞し続けるのか?
今まさに石橋湛山という人物を再評価する時期が来ているといえます。
朱鞘安兵衛
タイトルの朱鞘安兵衛でははなく、堀部安兵衛といえばピンと来る人も多いのではないでしょうか。
本書は赤穂浪士四十七士の1人して知られている堀部安兵衛(武庸)を主人公にした歴史小説です。
著者の津本陽氏といえば剣豪小説で知られていますが、赤穂浪士随一の剣の使い手といえばこの安兵衛ではないでしょうか。
安兵衛は越後新発田藩の物頭役・中山弥次右衛門の嫡男として生まれます。
しかし父・弥次右衛門は失火の責任を問われて、家禄召し上げ、領地追放という不幸に見舞われます。やがて父は失意の中で病死しますが、幼い頃より父から新陰流の手ほどきを受けてきた安兵衛は、剣術修行の旅に出ることになります。
上州・馬庭念流道場で剣術を学び、やがて江戸に上がり直心影流の堀内道場に入門することになります。
そこで講談で有名な高田馬場の決闘などを経て、播磨国赤穂藩の堀部弥兵衛金丸の養子となりますが、ここまでの経歴を見ても安兵衛の半生が波乱万丈だったことが分かります。
剣術に励み、その武勇が評判になり浪人から立身出世を遂げたのですから、武士としての大いに面目を施したといえるでしょう。
しかし忠臣蔵で知られている通り、その幸せは長くは続きませんでした。
数年後に赤穂事件が起こるからです。
藩主・浅野内匠頭は切腹、領地も幕府に没収されるにあたり、安兵衛には旧縁のある新発田藩から仕官の誘いがあったようですが、それを断り主君の仇討ちを決心するのです。
本作品の中心はあくまでも安兵衛であり、忠臣蔵の物語はあくまでも作品の背景に過ぎません。
安兵衛は仇討ちを計画する浅野家旧臣の中でも、急進派の中心人物ととして知られます。
腕は確かで勇気と義侠心も充分に持ち合わせてい一方で、仇討ちの成否よりも一刻も早く主君の恨みを晴らすための決行を急ぐところはいかにも安兵衛らしさといえます。
忠臣蔵に登場する浪士の中でも大石内蔵助とはまた一味違った、堀部安兵衛の爽やかさ際立つ作品です。
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