本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

熱砂の大陸〈巻5〉異教徒(カフイル)の魔法

熱砂の大陸〈巻5〉異教徒(カフイル)の魔法 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

物語がいよいよ佳境に差し掛かります。

クアル神
の企みを阻止すべくアクラン神が孤軍奮闘を続けますが、やがて他の神々もクアル神の野望に気付き始めます。

しかしクアル神を信仰する人間たちの築いた帝国の力は強大となり、アクラン神を信仰する砂漠の民たちを粉々に打ち砕きます。他の神々も強大な力を身につけたクアル神へ対し対抗する術がありません。

果たして世界はスル(真実)が定めたように、二十神が均等を保った世界を維持できるのか?それともクアル神が唯一絶対の神となるのか?

クアル神へ立ち向かうために善の神の1人であるプロメンサス神、そして悪の神であるザークリン神の信徒が、主人公たち一行に加わることになります。

一見するとまるでRPGでいうところのパーティーの結成ですが、本作ではそんな呑気な設定ではなく、残酷な経緯によって旅を共にすることになります。

ザークリン神の聖戦士であるアウダは、プロメンサス神を信仰する信徒たちを(異教徒という理由だけで)皆殺しにし、唯一生き残った魔法士のマシュウは奴隷として売り飛ばさられるところをかろうじてカールダンに救われた経緯があります。


また主人公たち(カールダンとゾーラ)はクアル神信徒たちの軍勢に壊滅的な打撃を受けた直後にアウダによって捕らえられ、カールダンは人間改造(いわるゆる拷問)により改宗を強要され、ゾーラに至っては(クアル神によって弱体化した)ザークリン神復活のための生贄にされるといった有様です。

アウダの行動はザークリン神の信徒としては当然であり、力を合わせてクアル神を打倒するという目的は微塵もありません。

名作といわれるファンタジー小説は空想上の世界といえども、どこか現実世界を反映した風刺的、更にいえば教訓めいた要素があるものです。

それはあたかも実際に宗教や価値観の異なる人たちが協力し合うのが如何に難しいかを示唆しているようであり、読者としても暗澹たる気持ちになってしまいます。


果たして主人公たち一行に"絆"が生まれる時が来るのか?

ついに物語は最終巻に突入してゆきます。

熱砂の大陸〈巻4〉神々の帰還

熱砂の大陸〈巻4〉神々の帰還 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

最初に触れましたが、本作品には神々が信徒の人間を間接的に助けるために"精霊"といわれる存在を創り出します。

今回は本作品における”精霊”の役割に触れてみたいと思います。

精霊たちは不老不死の存在であり、人間を遥かに凌駕する強力な力を持っています。
しかし、たとえば敵対する神の信徒であろうとも精霊が直接的に人間を殺傷することは禁じられており、絶妙なパワーバランスを保っています。

そんな精霊たちは極めて人間的な性格を持ち、人間と長く暮らす精霊の中には(不老不死にも関わらず)飢えや痛みを感じるものさえいます。

精霊は神々から力の一部を直接分け与えられた存在であり、その力は精霊たち創造した神の実力如何によって個体差があります。

また神自身は力の源を信徒である人間たちの信仰から得ていることから、この3者は食物連鎖のような関係にあることに気付きます。

本作人の主人公はあくまで人間ですが、精霊たちが活躍するサイドストーリーも極めて細かく作られており、作品全体のバランスを壊さないように繊細な配慮がされています。

熱砂の大陸〈巻3〉闇の聖戦士

熱砂の大陸〈巻3〉闇の聖戦士 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)
熱砂の大陸〈巻3〉闇の聖戦士 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

世界設定では二十神(善の5神、悪の5神、中立の10神)から世界が構成されていますが、長編作品にも関わらず、本書に登場するのは半分の10神くらいです。

しかも中心的な活躍を見せるのは、アクラン神クアル神の2人だけであり、半数近くの神が名前さえ紹介されずに物語が完結してしまいます。

もちろん著者は本作品を描く前の綿密な構成を怠っていないでしょうから、二十神すべての特徴や役割を与えていると思われます(ちなみに著者の1人トレイシー・ヒックマンはゲームデザイナーとしても活躍しています)。

日本人作家であれば(傾向的に)余すことなく全ての神を登場させるところですが、あくまでも物語の本筋をダイナミックに展開するために、本作品の世界観に奥行きを持たせる役割に留まっています。

これは本作品に登場する"魔法"についても同じことが言え、ある神の信徒は女性しか魔法を操れないという制約があり、またある神の信徒は男女関係なく魔法を操れるものの前もって"文字(呪文書)"として用意しておく必要がある、更には、その辺りの制約が曖昧(=具体的に触れられずに)で魔法を操る神の信徒がいたりと、几帳面な性格の読者にとってはスッキリしないと感じる部分があるかも知れません。

つまり細部まで世界を表現したい日本人作家と、細かいところを大胆に省くアメリカ人作家の違いを感じずにはいられません。


もちろん一方が正解ということはありませんが、長編小説の手法として興味深い部分です。

熱砂の大陸〈巻2〉謀略の古代都市

熱砂の大陸〈巻2〉謀略の古代都市 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

前回は、本書(熱砂の大陸)の世界観を中心に紹介しましたが、今回は物語の冒頭部分に触れてゆきます。

世界を支配する二十神の1人である"クアル神"が、他の神々を征服し、唯一神となる野望を抱くところから物語ははじまります。

その計画は綿密なものであり、宿敵同士にある善と悪の神を巧みに操り、お互いが破滅するように仕向けてゆきます。

一方では右腕ともいうべき"大精霊カウグ"を通じて人間界へ積極的に関与し、自らを信仰する人間たちが武力により大帝国を築く手助けを行なっていきます。

これにも理由があり、神々にとって人間たちの"信仰"が力の源であり、信仰する人間が少なくなるにつれ力が弱まり、誰からも信仰されなくなると最後には消滅してしまいます。

つまりクアル神信者が築いた帝国が他の神を信仰する民族を征服し、その民を改宗させることでクアル神の力が益々強大になることが可能になります。

他の神々たちは水面下で進められるクアル神の計画に気付きませんが、その野望を唯一見抜いていた神がいます。

それが主人公たち砂漠の遊牧民が信仰する"放浪の神アクラン"です。

通常アクラン神は、自らの精霊(魔人(ジン)と呼ばれる)に全てを任せ、人間界に関与することは殆どありません。

更には、同じアクラン神を信仰する砂漠の民たちは幾つかの部族に別れ、お互いに犬猿の仲という有様です。

さきほど"主人公たち"と表現したのは、アカール族の王子"カールダン"と、フラナ族の王女"ゾーラ"という男女それぞれの主人公が登場するからです。

2人は宿敵同士の部族であるにも関わらず、アクラン神の命令により結婚することを義務付けられます。

果たしてアクラン神の真の意図はどこにあるのか?

一見すると、壮大な神々の戦いに翻弄される(巻き込まれる)人間たちの運命を描いているように思えますが、あくまでも主体は人間であり、神さえも結果を予測できない数々の困難に立ち向かう主人公たちの姿こそが本作品の醍醐味です。

絶体絶命のピンチのなかで、時に主人公たちはアクラン神への信仰を見失しかねないほどの葛藤を体験してゆきます。

この"絶体絶命のピンチ"というキーワードは本作に限った話ではなく、2人の代表作である「ドラゴンランス戦記」でも多い場面ですが、とにかく読者にとっては目を離すことが出来ない場面の連続です。

熱砂の大陸〈巻1〉放浪神の御心

熱砂の大陸〈巻1〉放浪神の御心 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)
熱砂の大陸〈巻1〉放浪神の御心 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

本書はマーガレット・ワイストレイシー・ヒックマン共著による正統派ファンタジー小説です。

何を"正統派ファンタジー小説"と定義するかは難しいところですが、個人的には中世をモチーフとした「剣」と「魔法」、そして「モンスター」、「神々」といったキーワードで構成された世界観で繰り広げられる物語が当てはまります。

この2人の描くファンタジー小説は、例えるならジブリの宮崎駿鈴木敏夫のタッグのような高いクオリティの作品を生み出します。

主人公は、熱く乾いた過酷な環境(砂漠)で生活を営む遊牧民であり、ヨーロッパ風の世界が中心となることが多い正統派ファンタジーの中で一風変わったエスニックな雰囲気が漂っています。

本作品の世界設定を簡単に説明すると、世界は正二十面体を成しており、その各三角形の面には、それぞれの哲理を司った神が支配する世界が存在します。二十面体の最上部の五神は善の軸に属しており(=善の神々)、最下部の五神は悪の軸に属しています(=闇の神々)。そして中間の十面には中立の神々がいます。

つまり「正義」、「博愛」、「秩序」を司る神もいれば、「邪悪」、「残酷」、「破壊」を司る神もあり、本作品の世界を奥深いものにしています。

更にその中心には、神々さえも従わなければならない真実(スル)と呼ばれるものが存在し、様々な魔法の力も真実(スル)の力の一部を引き出して行われます。

世界の人々は所属する部族や自らの信念により、いずれかの神を信仰しています。

ここまでは奥深いながらも比較的ベタな世界設定ですが、面白いのはここからです。

さらに神々とそれを信仰する人々の間の仲介役として、”精霊”と呼ばれる存在します。


精霊は従う神によって"天使"や"魔人(ジン)"、"悪魔"など様々な名称で呼ばれますが、神によって人の前に姿を表すことを禁じられている天使がいるかと思えば、何世紀も人々と共に生活している魔人(ジン)のような存在までバラエティに富んでいます。

彼らは不老不死でありながらも、極めて人間的な感情を持っており、本作品には多くの個性的な精霊が登場します。

RPGを通じて"ファンタジー"は日本人にとっても馴染みのある世界観になりつつありますが、興味のある方は、"ファンタジーの本場アメリカ"の中でも最高峰の作品の1つである本作品を読んでみて損はないでしょう。

そのスケールと奥深さにハマること間違いなしです。