レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

熱砂の大陸〈巻2〉謀略の古代都市

熱砂の大陸〈巻2〉謀略の古代都市 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

前回は、本書(熱砂の大陸)の世界観を中心に紹介しましたが、今回は物語の冒頭部分に触れてゆきます。

世界を支配する二十神の1人である"クアル神"が、他の神々を征服し、唯一神となる野望を抱くところから物語ははじまります。

その計画は綿密なものであり、宿敵同士にある善と悪の神を巧みに操り、お互いが破滅するように仕向けてゆきます。

一方では右腕ともいうべき"大精霊カウグ"を通じて人間界へ積極的に関与し、自らを信仰する人間たちが武力により大帝国を築く手助けを行なっていきます。

これにも理由があり、神々にとって人間たちの"信仰"が力の源であり、信仰する人間が少なくなるにつれ力が弱まり、誰からも信仰されなくなると最後には消滅してしまいます。

つまりクアル神信者が築いた帝国が他の神を信仰する民族を征服し、その民を改宗させることでクアル神の力が益々強大になることが可能になります。

他の神々たちは水面下で進められるクアル神の計画に気付きませんが、その野望を唯一見抜いていた神がいます。

それが主人公たち砂漠の遊牧民が信仰する"放浪の神アクラン"です。

通常アクラン神は、自らの精霊(魔人(ジン)と呼ばれる)に全てを任せ、人間界に関与することは殆どありません。

更には、同じアクラン神を信仰する砂漠の民たちは幾つかの部族に別れ、お互いに犬猿の仲という有様です。

さきほど"主人公たち"と表現したのは、アカール族の王子"カールダン"と、フラナ族の王女"ゾーラ"という男女それぞれの主人公が登場するからです。

2人は宿敵同士の部族であるにも関わらず、アクラン神の命令により結婚することを義務付けられます。

果たしてアクラン神の真の意図はどこにあるのか?

一見すると、壮大な神々の戦いに翻弄される(巻き込まれる)人間たちの運命を描いているように思えますが、あくまでも主体は人間であり、神さえも結果を予測できない数々の困難に立ち向かう主人公たちの姿こそが本作品の醍醐味です。

絶体絶命のピンチのなかで、時に主人公たちはアクラン神への信仰を見失しかねないほどの葛藤を体験してゆきます。

この"絶体絶命のピンチ"というキーワードは本作に限った話ではなく、2人の代表作である「ドラゴンランス戦記」でも多い場面ですが、とにかく読者にとっては目を離すことが出来ない場面の連続です。