深夜特急2―マレー半島・シンガポール―
香港とマカオでの滞在を存分に味わった著者(沢木耕太郎氏)は、次なる中継地であるバンコクに降り立ちます。
元々の旅の目的はデリーからロンドンまでバスで移動するというものでしたが、厳密な旅行日程があるわけでもなく、気に入った街があれば気が済むまで滞在するというバックパッカーらしい旅行を続けていたのです。
ただ1つの難点といえば旅行資金が潤沢ではないため、その国でもっとも安い部類の宿に宿泊し、食事も訪れた国の安くて大衆的な料理を選択するという、倹約を通り越して完全な貧乏旅行であったという点です。
それは物価の安い東南アジアでも変わらず、一泊450円の宿に滞在し、75円の定食を食べるという徹底ぶりでした。
バンコクもタイの首都というだけあって賑わっている町でしたが、著者は香港やマカオで味わった興奮と比べて物足りなさを感じていました。
もちろん旅行で訪れた国が自分にとって肌が合う合わないは個人差であり、さらに言えばたまたま出会った人に騙されたか、逆に親切にしてもらったかという偶然性によっても印象は大きく変わります。
著者はとにかく次なる目的地をシンガポールに定め、バンコクから列車でマレー半島を南下することにします。
それでも一気に電車で走破するようなことはせず、気になった土地があれば途中下車して何日か滞在するといった気ままな旅が続きます。
安さを求めて滞在した宿が娼婦宿だったこともあり、そこで娼婦ばかりか彼女たちのヒモとも仲良くなるという貴重(?)な経験をしながら少しずつ南下してゆき、とうとうシンガポールに辿り着きます。
そこでは日本の特派員と偶然知り合い色々と面倒を見てくれますが、そこでも香港で出会ったような刺激には経験できない自分に漠然とした不満を抱くことなります。
そして著者はそこであることに気付きます。
それはシンガポールはシンガポールであって香港ではなく、本来まったく異なる性格を持っているはずの街で香港の幻影を追い求めてしまったことです。
新しく訪れた街で別の楽しみ方を発見できていれば、もっと刺激的な日々を過ごすことが出来たのではないかと気付くのです。
とはいえ、言うまでもなく香港は中国の文化そももの街であり、東南アジアの各都市も少なからず中国、つまり華僑の文化的影響を受けていることは間違いありません。
そう総結論を出した著者は、中国の文化圏に属さない、明らかに異なるもう1つの文化を持つ国"インド"へ向かって旅立つことを決意するのです。
ところで文庫版の深夜特急には各巻末に本編とは別にゲストとの対談が収録されています。
今回紹介した第2巻では、1984年に「平凡パンチ」に掲載された著者と高倉健氏との対談が掲載されており、2人の波長が合うせいか、彼の寡黙なイメージとは違い、多弁で本音を語る高倉健が垣間見れるもの興味深いです。
深夜特急1―香港・マカオ―
ノンフィクション作家沢木耕太郎の代表作の1つが今回紹介する「深夜特急」です。
彼は1947年生まれの団塊世代ですが、大学を出て就職するものの、たった1日で会社を辞めてしまい、26歳のときにインドのデリーからイギリスのロンドンまでバスを使って旅をすることを思い立ちます。
いわゆるリュック1つで旅行をするバックパッカーですが、当時はまだそうした言葉もなく、彼らは単なる旅好きのヒッピーと見なされていました。
直通でデリーへ向かうことも出来ましたが、たまたま入手した格安チケットが2箇所の中継点を経由(ストップオーバー)できるチケットだったため、著者は香港とバンコクを経由することにします。
バックパッカーといえば少しでも長く多くの外国を旅するため、快適さよりも値段を重視して倹約に努めながら旅を続けます。
いわゆる貧乏旅行ということになりますが、香港に降り立った著者は、ゴールデン・パレス・ゲストハウス(通称:黄金宮殿)という宿に腰を落ち着けることになります。
大げさな名前が付いていますが、そこは一泊1000円の汚く狭い部屋が用意されているだけであり、怪しい人物が出入りしている宿だったのです。
いきなり最初に訪れた香港の空気が著者に合っているのか、著者は毎日のように積極的に香港中を観察します。
そして香港の住人、怪しげな人、学生、香港で働く日本人、同じ境遇にある旅人など、出会う人びとも雑多であり、まさしくバックパッカーとしての醍醐味を味わうことになります。
香港からフェリーに乗ってマカオにも訪れ、その代名詞でもあるカジノを体験することになります。
はじめは初体験のカジノで少し遊ぶだけのつもりでしたが、結果的に飲食も睡眠も忘れて熱中するほどのめり込むことになり、いきなり所持金をすべて失う危機にも遭遇します。
そこでカジノには運の要素だけでなく、ディーラーとの駆け引きや確実に存在するインチキといった多くの要素が複雑に入り混じって成立していることを知ります。
カジノは駆け引きや心理状態を描写するだけで1冊の長編小説が書けるほど奥深いものであり、著者もその魅力にすっかりハマってしまうのです。
まだまだ目的地からほど遠い、香港界隈で時間が過ぎてゆく様子から、読者としては本当にこの旅は目的を達成できるのかと疑問を持ってしまいますが、よく考えると使用できるお金には限度があるものの、日本での仕事を整理して旅立った著者には時間的な制限はなく、好きな場所に好きなだけ滞在するという旅の仕方はバックパッカーの特権であるといえます。
若者らしい強い好奇心と旺盛な行動力、そして方向性の定まらない情熱といったものが混沌となって異様にテンションの高い内容になっており、のちに多くのバックパッカーたちへ影響を与えた作品であることが納得できる1冊です。
襲来 下
早くから外敵の襲来を予言していた日蓮からの依頼によって、小湊片海の元漁師であった見助はたった1人で対馬へ赴ことになります。
見助は外敵が一番最初にたどり着くであろう対馬において様子を探るという任務を帯びているわけですが、その滞在期間はなんと10年を超えることになります。
日蓮は外敵の襲来を予言はしても、その具体的な時期までは言及しなかったからです。
いかに尊敬してやまない日蓮の頼みとはいえ、生国から遠く離れた地で何年もの間を過ごすというのは尋常ではありません。
しかし見助はそこで無為に日々を過ごすのではなく、土地の言葉や習慣を身に付けて、自然と島人の1人として暮らすようになり、密かに思いを寄せる女性にも出会うことになります。
言わば10年という月日は、見助が対馬の住人の1人としてモンゴル襲来を体験するための準備期間であったということになります。
見助と遠く離れた日蓮は、松葉ヶ谷の法難に引き続いて伊豆や佐渡ヶ島へ流罪となるなど、幾度となく困難を経験することになります。
そして見助の身にもついにモンゴル襲来という形で危機が訪れることになるのです。。
本作品はタイトルにある通り、モンゴル襲来という大きな歴史的来事を軸としながらも、本質的には見助と日蓮という2人の生涯、そしてその絆を丁寧に描いている作品です。
上下巻合わせるとかなりの分量になりますが、生まれ故郷を出ることなく田舎の漁師として一生を終えるはずだった見助が、日蓮をはじめ多くの人びとと出会い成長してゆくという物語です。
日蓮や北条時宗を主人公とせず、あえて彼らと同時代を生きた名も残らない民衆の1人を主人公とすることで、新鮮な視点を与えてくれます。
そして見助が出会い一緒に過ごす人びとの大部分も同じく歴史書に登場しない民衆たちであり、歴史小説というより歴史文学といった印象を受けた作品でした。
襲来 上
タイトルにある「襲来」とは元寇、つまりモンゴル襲来を意味しており、鎌倉幕府の御家人たちとモンゴル軍との戦を描いたスケールの大きな歴史小説だと思い読み始めた1冊です。
しかし私の勝手な予想は外れ、本作品の主人公は安房の小湊片海で育った漁師・見助です。
見助は生まれて間もなく両親を海の事故で亡くして孤児となり、地元の漁師・貫爺さんに育てられます。
小湊片海といえば鎌倉仏教を代表する僧の1人である日蓮の生まれた地であり、この作品のもう1人の主人公として登場します。
姓を持たず、文字の読み書きも出来ない見助が日蓮と出会うことで運命が大きく動いてゆくことになります。
日蓮は地元の天台宗寺院・清澄寺で修行を積みますが、遊学や思索を重ねる中で当時の主流だった念仏や禅宗といった考えと決別し、法華経こそが日本を救う経典であることを確信します。
日蓮は学問だけではなく、実践を重んじた僧でもあったことから、幕府の中心地であった鎌倉へ旅たち、そこで布教を始めることになります。
この時に見助は日蓮の弟子というより、彼の身の回りの世話をする従者として一緒に鎌倉に出ることになります。
見助は田舎の漁師出身らしく素朴で実直な性格であり、日蓮の教えというより彼の人格そのものに心酔して付き添うことになるのです。
今までにない新しい教えを広めようとする日蓮は、当然のように既存勢力の宗派から迫害されることになります。
見助はその一部始終を体験することになりますが、それでも信念を微動だに曲げようとしない日蓮をますます尊敬するようになり、陰日向となって日蓮の行くところに付き添います。
しかし松葉ヶ谷の法難(念仏勢力によって鎌倉の草庵が襲撃された事件)の後に、日蓮は見助へ対して対馬へ赴くようお願いされます。
日蓮は間違った仏教の教えが日本へ災難を招くと考えており、もっとも大きな災難の1つとして外敵の襲来を挙げていました。
つまり日蓮はモンゴル襲来を予め予言していたことになり、その真相を日蓮の目となり、手足となり確かめることを任せられたのです。
生まれ育った小湊片海を離れ、そして尊敬してやまない日蓮とも別れ、1人西国へ旅立つことになった見助の人生は大きく動き出すことになります。
平和でゆっくりと時間が流れてゆく田舎で育った若者が、都会に出てさまざまな人と出会い、自身も変わってゆくというストーリーは、時代設定を変えればそのまま現代小説にもなる構図です。
作品は見助の視点から描かれて進行してゆき、日蓮の生涯はもちろん、鎌倉幕府の混乱やモンゴル襲来といった時代の大きな動きもそこから垣間見ることができ、歴史小説であると同時に一介の漁師であった見助の心の中を描いた作品であるとも言えます。
日本の伝説
日本の民俗学を確立し、「遠野物語」で有名な柳田国男による1冊です。
遠野物語が特定地域(岩手県遠野地方)に伝わる民話を収集したのとは対照的に、本書はその範囲を全国にまで広げて、似た内容の伝説が日本各地に点在することを紹介、考察した内容になっています。
本書で紹介されている伝説を簡単に紹介してみます。
・咳のおば様
咳に苦しむ人びとがお婆さんの形をした石像、または石へお参りすると治るという民間信仰を紹介しています。 御利益は場所によって微妙に異なり、参拝対象がお地蔵様や焔魔堂だったりする地域もあるようです。・驚き清水
大声で特定の言葉を発したり、悪口を言うと井戸や清水が泡立ったり、さざ波が立ったりするという伝説です。 場所によっては念仏を唱えたり、手を打ったり、対象が温泉や池の場合もあります。・大師講の由来
日本各地に存在する弘法大師が霊力により清水を沸かせた、または井戸の場所を教えたという伝説を紹介しています。 私の住んでいる町にも弘法大師由来の井戸があります。 共通するのは、大師様が旅の途中で水に困っている住人を救うために清水を授けたという点です。・片目の魚
特定の池、または清水に生息する魚がすべて片目であるという伝説です。 神域に存在することが多いためか、片目の魚には毒がある(=食べてはいけない)という言い伝えとセットになっている場所も多いようです。片目伝説が魚ではなく、蛇である場合もあり、かつて一つ目という特徴がある意味では貴い存在であり、怖れられていたようです。
・機織り御前
人里離れた山奥で山姥(やまんば)が機を織るという伝説です。 「山姥=山の神」として信仰している地域は多く、また綾織神社として祀っている地域もあります。・御箸成長
貴人が地面に差した箸が成長し、二本の大木となった伝説です。 場所によって箸の持ち主は日本武尊であったり、親鸞上人、源頼朝や義経、新田義貞などレパートリー豊かです。・行逢阪
自分の土地を治めていた二人の神が、同時に出発してお互いが出会ったところを境界線としたという伝説です。 大和(春日様)と伊勢(伊勢の大神宮様)、信州(諏訪大明神様)と越後(弥彦権現様)という大きな単位から、村の境という規模まで様々であったようです。・袂石
旅先で拾った石や海底から見つけた石がだんだんと大きくなったため、祀るようになったという伝説です。 小石が大岩に成長し、何度も社殿を造り替えたという地域もあるようです。 石には神様が宿ると考えられており、こうした話は自然のように信じられていました。・山の背くらべ
日本各地にある山同士が背くらべをしたという伝説を紹介しています。山はなぜか負けず嫌いだったようです。背くらべに負けた山で、競争相手だった山の名前を出すと神罰が下るという場所もあるようです。
・神いくさ
山の背くらべの続きです。有名どころでも富士と筑波山、同じく富士と浅間山など、富士山に背くらべを挑んできた山は多かったようです。
もっとも有名なのは日光山(男体山)と赤城山の争いで、背くらべではなく本格的な戦争にまで発展しました。 その場所は戦場ヶ原として今でも有名です。
・伝説と児童
子どもと一緒に遊んだり、農作業を手伝ってくれたりと、お地蔵さんが人間の姿に化ける伝説を紹介しています。 場所によっては夜遊びをするお地蔵がいたりしますが、それだけ民衆にとってもっとも身近な神様だったことを裏付けています。地蔵信仰は同じく身近だった道祖神(塞の神)信仰と習合し、色彩豊かな伝説を残しているようです。
本書が発表されたのが昭和15年ですから、80年余りが経過したことになります。
かつてどの地域にもあった伝承や民話は失われつつあり、もはや都会ではまったくというほど耳にしないことに少し寂しい気持ちになるのは私だけではないはずです。
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