歴史の活力
前回紹介した「中国歴史の言行録」に続いて、宮城谷昌光氏による自己啓発的エッセイです。
前回が中国古典にある名言から人生、あるいはビジネスにおけるヒントを示唆していたのに比べ、本書では中国古典はもちろん本田宗一郎や小林一三といった近代史における名物経営者のエピソードも紹介されています。
後世に名を残した人たちの中には、栄達した者もあれば破滅の道を辿った者もいますが、本書にはそうしたエピソードで彩られている1冊といってもいいでしょう。
つまり現代に生きる私たちが、よりよい人生を送るためのヒントになる考え方を膨大な量の史料の中から効率良く紹介してくれている1冊なのです。
本書では以下のように章が構成されています。
- 人相篇 -強烈な個性をはなつ異相の人物
- 言葉篇 -ことばは、過信することなく重んじる
- 真偽篇 -真偽を正しく知るは大いなる力
- 才能篇 -"努力し得る"才能こそ天才の本質"
- 命名篇 -時間と、人に対する命名
- 創造篇 -創造力を支える実見・実用
- 教育篇 -教育により人は立つことを得る
- 死生篇 -平安な時にそなえあって天命に耐える
- 父子篇 -先達である父の教えは道理にかなう
- 人材篇 -人材の登用が明暗を分ける
- 先覚者篇 -非凡を転じて先覚者となる
- 哲理篇 -正しい生き方の知恵
- 貧富篇 -謙虚にして富のなんたるかを知る
- 信用篇 -窮地から救ってくれるものは信用
- 観察篇 -観察眼なしに人は動かせない
著者の専門は中国史ですが、人相篇、命名篇、哲理篇といったあたりは普通の啓発本ではまず取り上げられないテーマであり、著者らしさが出ています。
孔子や老子といった有名な大思想家、理想的な政治を行ったとされる三皇五帝の言動が見本になるのはもちろんですが、劉邦、劉備といった抜きん出た才能も持たなかった人物が一躍有名になった要因に言及している部分などは、より身近に感じられるのではないでしょうか。
論語にある次の言葉のように、中国史にはその根底に独特の考え方が存在しています。
死生、命あり。冨貴、天にあり。
これは生き死にや財産を成すことや出世はすべて天命が決めることだから、人間の力ではどうにもならないという意味です。
一見すると残酷な言葉のようですが、才能や努力が必ずしも実を結ばないのは今の昔も変わらない事実です。
ただし失敗や挫折で自分を責めても仕方がないという意味も含んでおり、救いの言葉にもなっているのです。
一方で天命を引き寄せるのは正しい生き方と信念であるという考え方も根付いており、必ずしも怠惰で運任せのような人生を送ることを肯定しているわけではありません。
本書で取り上げられている人物は、いずれも激動の時代を生き残ってきた人たちです。
彼らの生き方を真似することは出来ませんが、今の時代を行きてゆく我々にとっても、そこから何かしらのヒントが得られるはずです。
中国古典の言行録
中国歴史小説の第一人者である宮城谷昌光氏が、ビジネスマン向けに中国古典の名言を紹介している1冊です。
いわゆるビジネス書、自己啓発本と呼ばれるジャンルですが、歴史小説作家がこうした類の本を執筆する例はよくあります。
人の一生、つまり人生を学びたいと思った場合、本質的に同時代を生きている人から学ぶことは難しく、また非効率です。
歴史は過去に生きた人間たちの記録といってもよく、そこには偉人や聖人もいれば、非業の死を遂げた人も星の数ほどいます。
つまり歴史は、東西古今問わず彼らの完結した人生を知ることのできる最も効率的な教科書であり、歴史小説作家はその専門家であるという見方ができます。
本書では論語、老子、孫氏、荀子、韓非子、史記、三国志といったメジャーな中国古典、また晉書、三事忠告、貞観政要といった少しマイナーな古典から実に50以上もの名言が紹介されており、以下のようにジャンルごとに章立てされています。
- 自己啓発
- 日常の心得
- 人間関係
- 指導者への帝王学
- 経営戦略
中国古典の名言の魅力を一言で表せば、無駄を究極的に削ぎ落とした文体でありながら、その意味するところが実に奥深いという点です。
例えば本書で紹介されている名言に次のようなものがあります。
不知無如(知る無きに如かず)
これは異例の抜擢により宋の宰相となった呂蒙正の言葉ですが、経営者向けの名言として紹介されています。
トップになれば影で悪口を言われるのは当然であり、それが抜擢人事であればなおさらです。
しかしなまじ言った本人を突き止めてしまえば、その人を能力ではなく感情で判断してしまう要因になってしまい、有能な人材を用いることができなくなることを諌めた言葉です。
何でも知りたがるのが人の性ですが、中には知る必要のないネガティブな性質の情報が存在することをはるか昔に生きた人は知恵として身に付けていたのです。
こうした金言をたった4文字で表現しているのが中国古典の魅力といえるでしょう。
ビジネス書としてはもちろん歴史エッセイとしても楽しめる1冊になっています。
戦争で死ぬ、ということ
「人類の歴史は戦争の歴史である」という言葉がある通り、歴史の教科書を開いても武力によって国家や王朝の興亡が繰り返されてきたことが分かります。
こうして戦争は有史以来繰り返されてきたわけですが、近代戦争、具体的には第一次世界大戦以降、戦争の質が大きく変化したと言われています。
その背景には、製品の技術革新や大量生産を可能にした産業革命があり、より簡単により大量に人を殺戮できる兵器が登場したことが挙げられます。
また近代戦争は、総力戦の形態を取ることが多く、軍事力のみならず内政や外交、技術や思想といった国家の持つあらゆる資源を戦争へ投入するようになりました。
簡単に言えば、より大量の資源を消費し、より大量の死傷者を生み出す戦争が行われるようになりました。
もちろん戦争を行う指導者たちは正義は自分たちにあると信じており、祖国のために喜んで犠牲になる兵士がいることも事実です。
本書は戦争の正義がいずれにあるのかを論じているわけではなく、ただひたすら戦争の実態を描き、それを読者へ問いかけるというスタイルをとっています。
戦後生まれの著者は戦争体験者に取材を重ねることで、その生々しい実態を描き出すといった手法を取っています。そしてその内容は、少し想像力を働かせれば直視に耐えられない光景であることが分かります。
- 空襲で頭が半分吹き飛んだまま、数メートル走り続け倒れて死んだ少年
- 座って赤ちゃんを抱きしめたまま首が無くなって死んでいる女性
- 淀川に浮かぶ何十個もの生首
- 病気と空腹で動けず密林の中で次々と手榴弾で自決する兵士たち
- 息絶えた子供を固く抱きしめ狂気の如く叫びながら走る母親
また本書では愛国という旗印の元で、女性たちが経験した戦争時代も描かれています。
当時の人気歌手・美ち奴が歌った「軍国の母」の歌詞を見れば世相を知ることができます。
こころおきなく祖国のため
名誉の戦死頼むぞと
涙も見せず励まして
我が子を送る朝の駅
一方で現在においても戦争賛美とまでは行かなくても、関係が悪化しつつある隣国へ対しての武力行使もいとわないといった意見も見受けられます。
血気盛んな若者の声というなら分かりますが、個人的に親が戦争を経験している団塊世代の人からこうした意見を直接聞いたときには驚いた記憶がありましたが、おそらく発言した本人に戦争の実態への想像力があるとは思えませんでした。
いずれにせよ戦争の想像と現実の間にあるギャップを確認してみるだけでも本書の価値はあると言えます。
太陽は地球と人類にどう影響を与えているか
私たちの大部分は月の満ち欠けと違い、太陽は毎日決まって姿を現すものであり、見た目の変化は発生しないものと思い込みながら生活しているのではないでしょうか。
私もその1人ですが、本書では国立天文台で太陽観測を中心に行っている花岡庸一郎が、最新の研究データと成果を用いて太陽を解説してくれます。
太古より太陽は地球にとって最大のエネルギー源であり、その比率は人類が電力や化石燃料を使い始めてからも圧倒的であり、実に99.97%を占めると言われています。
そもそも太陽が無ければ地球上の動物はおろか植物さえ全滅してしまうほどの極寒の世界になることを考えると、妥当な数値ではないでしょうか。
科学の歴史でいうと、人類は17世紀初頭にはじめて太陽の黒点を観測するようになりますが、それが地球へどのような影響をもたらすのかは長らく謎のままでした。
その影響が初めて認識されたのが19世紀後半であり、その原因が解明されたのは20世紀半ばになってからです。
それは太陽の黒点周辺で発生する太陽フレアにより大量のX線が放出され、地球の電離層を擾乱するこよって無線通信の障害が発生するというものです。
いわゆる磁気嵐と呼ばれているものです。
何やら難しそうですが、無線通信が携帯電話の電波、GPS、航空無線などに使われていることを考えると、私たちの生活インフラの一部になっていることが分かるはずです。
それでも私自身が磁気嵐によって困ったという経験がありませんが、最新の研究で8世紀や10世紀に大規模な太陽フレア、つまり"スーパーフレア"が発生していた可能性が示唆されており、これが現代社会で発生した場合、通信障害だけでなく、世界規模の大停電にまで至る可能性が高いと言われています。
最悪の場合、核兵器含めた近代兵器が暴走する危険性さえあるかも知れません。
つまり皮肉なことに文明社会が高度化、複雑化した結果として、人類が太陽から深刻な影響を受けるようになったのです。
本書では太陽の仕組みから、最新の研究成果、そして人類への影響といった点を専門家の立場から豊富なデータを使って解説しています。
その殆どが今まで知らなかったことであり、知的好奇心を充分に満たしてくれる1冊になっています。
有史以前より人類にとって太陽は絶対的な存在であり、各地の民族がそれを信仰の対象とし、神格化してきた歴史がありました。
そして科学の発展よって太陽の仕組みが明らかになってきた現代においても、やはり太陽は地球にとって絶対的な存在であり続けるのです。
逆転世界
久しぶりにSF作品をレビューします。
今回紹介する「逆転世界」は、SF小説の中でもかなり純度の高い作品です。
舞台となるのは「地球市」と呼ばれる、可動式の都市です。
例えるならジブリ作品の"ハウルの動く城"ならぬ"動く都市"なのです。
それも魔法の力で浮遊するわけではなく、レールを敷設して10日で1マイル(約1.6km)ずつ移動させるといった地味なものです。
彼らの先祖は地球を遠く離れた惑星に降り立ち、そこでは都市を"最適線(都市が位置すべき理想の場所)"を目的として移動させ続ける宿命にありました。
しかも最適線自体がつねに移動し続けるため、それを目指す都市も永遠に移動を止めることができないのです。
都市に住む大部分の人たちは都市の外に出ることも、外界を覗くことも禁じられた世界の中で暮らしていたのです。
都市を移動させるために尽力する人びとはいずれもギルドに所属しており、彼らのみが都市の外へ出ることが許されています。
主人公の"ヘルワード"もその1人ですが、そもそも彼を含めて何のために都市を移動し続ければいけないのかという真の理由は誰も知らないのです。
優れたSF作品は、荒唐無稽な空想世界を描いたものではなく、必ずどこかに現代社会を投影した要素が存在します。
移動する"地球市"は閉鎖的な空間ではあり、そこで暮らす人びとは厳格または暗黙のルールに従って生きてきました。
例えばそれを現代社会の中で考えてみると、それは私たちの所属する会社や学校のルールであったり、地域の慣習であったりすることに気づきます。
そうした規律は組織の中で安全・円満に過ごす上では有用なものですが、一方でそれが当たり前になり過ぎると考えることをやめてしまい、現状からの変化を恐れるようになります。
SF小説は時間の経過ともに作品設定そのものが陳腐になりやすいジャンルですが、本作品は1974年という今から45年前に発表された作品にも関わらず、今でも色褪せずに楽しめる貴重な作品です。
そもそも最適線とは何なのか?
地球市はいつまで移動し続ければいけないのか?
そしてその真の理由は?
それは作品を読んでからのお楽しみですが、これからも定期的にSF小説もレビューしてゆきたいと思います。
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