先天性極楽伝
本書の紹介に「長編ユーモア・ピカレスロマン」という文句があります。
ピカレスロマンという言葉を聞き慣れない人も多いと思いますが、16世紀頃のスペインで生まれた悪漢を主人公とした小説作品のことで、アウトローに近い分野でありながらも風刺やユーモアを交えて描かれているのが特徴のようです。
本書はまさしくこうした表現にふさわしい内容になっています。
作品中にはハルとカン子という男女の主人公が登場しますが、2人はかつて小学生同士で"結婚"をしていた仲であり、学校卒業後に再会することになります。
この2人に共通するのは、根っからの"ワル"という点と、どこまでも陽気で楽天家という点です。
ほかの登場人物も個性的で、たとえば詐欺を育成する塾を開催するガービー先生、暴力団組長のスットン親分、資産家のブクブク爺さん、チン夫人などが入り乱れて、3億円という現金を争奪するストーリーになっています。
著者は「麻雀放浪記」で知られる阿佐田哲也氏ですが、作品の雰囲気はかなり異なります。
「麻雀放浪記」ではバイニン(麻雀玄人)の生きる勝負の世界の厳しさがリアルに描かれていましたが、本作品では暴力的なシーンや複雑な駆け引きのシーンはあまり登場せず、とにかくユーモアのあるドタバタ劇のような感じで物語が進行してゆきます。
前者をヤクザ映画やマフィア映画に例えるなら、後者は落語の滑稽噺、もしくは喜劇のような雰囲気に近いかも知れません。
そして作品中で風刺しているのは、世間のさまざまな社会のルール、慣習、そして道徳という概念をひとまず脇に置いて、自分の欲望へ対してどこまでも忠実で自由に生きてゆく逞しい人間の姿を描きたかったのだと思います。
場面描写よりも登場人物のセリフの掛け合いでテンポよくストーリーが進んでゆくため、落語を聴くように肩肘張らずに気楽に読んで欲しい1冊です。
勝つ極意生きる極意
タイトルにある通り"勝つ"、"生きる"をテーマにした津本陽氏による歴史エッセイです。
分かりやすい例でいえばプロスポーツ選手や政治家が現役(現職)を続けるためには勝ち続ける必要がありますが、視点を変えるとそれは多くの人にとっても当てはまります。
勉学(受験)、部活動、さらには社会人になってからの出世争いなど、意識する・しないは別としても、私たちはつねに競争にさらされているといえます。
著者は長年にわたり剣道を学び続け、かなりの使い手でしたが、その勝負の厳しさを次のように表現しています。
それにしても、剣道というものは大変難しい。
試合ではふだんの稽古の半分しか力が出せない。
真剣なら十分の一である。
平常心でいられなくなる。名誉とか、勝たねばならないとか、負けたらカッコわるいとか思うと、それだけで体が動かない。
もちろん著者自身が真剣での勝負を経験したわけではありませんが、肥前大村藩士で維新後に大阪府知事をつとめた渡辺昇の言葉を引用しています。
彼は神道無念流の達人で多くの真剣勝負をくぐり抜けてきた経験を持っていました。
「相手に斬りかかられ、なにをっと刀を抜いたとたん、脳中からすべての記憶は消え失せる。気がつくと前に敵が転がっており、手にした刀には血脂の虹が張っていて、はじめて敵を斬ったのだと気づいたものだ。相手をどのように攻め、いかなる技で斬り伏せたかは、まったく覚えず、五里霧中のことである。真剣勝負というのは、幾度場数を踏んでもそんなものだ。」
これは渡辺に限った話ではなく、新選組有数の剣客として知られた斎藤一も明治になって同じような述懐をしています。
しかし過去には想像を絶する修行を経て、また幾度の真剣勝負をくぐり抜け、勝負の真髄に辿り着いた"剣豪"と呼ばれる人物がいました。
本書ではその具体例として、二天一流の開祖・宮本武蔵と薩摩示現流の開祖・東郷重位を挙げおり、彼らは真剣勝負における恐怖を完全に乗り越え、勝負の真髄を会得した例として紹介されています。
幸いにも現代において両者のうちいずれかが斃れるかの真剣勝負を行う機会はありませんが、著者はこの考え方をビジネスなどの場でも応用できると主張しています。
さらに本書では剣豪だけでなく、色々な視点から勝者となった歴史上の人物をエッセイ中で紹介しています。
一例を挙げると、徳川吉宗、曹操、大石内蔵助、平清盛などです。
彼らの個性はそれぞれ違いますが、いずれも個人の武力ではなく、優れた人心掌握術、統率力を持っていたことは共通しており、本質的にはノウハウやテクニックだけでなく、剣豪たちにとも共通する人間としての本質的な力を持っていたことが分かってきます。
つまり本書は歴史エッセイであると同時に、啓蒙書としても読むことができる1冊なのです。
青雲士魂録
約250ページの文庫本に津本陽氏の短編が12篇収められています。
津本陽といえば剣豪小説というイメージがありますが、本書では剣豪以外にも鉄砲や弓矢の名手、さらには主人公が剛力の持主や大名だったりする作品などもあり、バラエティに富んでいます。
以下が収録されている作品のタイトルと主人公です。
・淀の川舟
示現流の使い手である無名の薩摩藩武士
・睡り猫
伊藤典膳忠也(一刀流三世当主)
・御付家老
安藤帯刀直次(紀州藩初代家老)
・一矢参らすべし
別所山城守吉親の妻(大太刀の使い手)
・三年坂の決闘
宮本孫兵衛(雑賀衆の鉄砲名人)
・広隆昔語り
九鬼広隆(紀州藩御旗奉行)
・黒熊武兵衛
猪瀬庄兵衛(下妻の庄屋)
・佐武伊賀守 功名書き
佐武義昌(雑賀衆、のちに浅野幸長に仕える)
・炎の軍法
島津義弘
・剛力伝
吉田金平資清(紀州藩の侍)
・家康伊賀越え
徳川家康
・公事宿新左
大橋新左衛門(新陰流の使い手で深谷宿の公事方)
著者の出身が和歌山市ということもあり、うち5作品が紀州にゆかりのある物語ですが、全作品に共通するのは一世一代の危機に陥った主人公がどのようにして窮地を脱したのかをテーマにしています。
緊迫感のある作品が次々と読める贅沢な1冊であり、津本陽氏のファンであれば是非とも抑えておきたい1冊です。
修羅場の極意
本書は2013~2014年の間に月刊誌「中央公論」で連載されていた佐藤優氏の「修羅場の作法」を新書化したものです。
ちなみにタイトルにある"修羅場"とは、継続的に闘争が起きている場所を指すそうです。
著者にとっての修羅場は何といっても、鈴木宗男事件に連座する形で背任容疑で逮捕され、東京拘置所で512日もの期間にわたり勾留された経験が該当しますが、著者は序文で次のように述べています。
外交と政治の修羅場で、自分はどこで間違ったかについて、真剣に考えた。 そのときの気持ちにもう一度帰りながら、修羅場の作法に関し、考察したい。
もちろん"修羅場"の定義は人それぞれであり、著者のような修羅場を経験している人は少ないと思いますが、ひょっとしたら著者以上の修羅場を経験した人もいるかも知れません。
ちなみに本書で語られている修羅場における作法は、学生やサラリーマンとして、あるいは家族や友人とのトラブルが"修羅場"に該当する人にとっては少しそぐわないかも知れません。
なぜなら例に挙げられている人物たちがいずれも歴史の教科書に載る人物ばかりだからです。
一例として言及されているのはキリスト、マキャベリ、ドストエフスキー、ヒトラーとった感じあり、ほとんどの読者にとって実感を伴わない例が挙げられているからです。
つまり実生活におけるトラブル対処の実用書としてはほとんど役に立たないのですが、読み始める前から著者が佐藤優氏という時点である程度は予想できていました。
結論を言えば本書は"修羅場の作法"というテーマに沿って書かれたエッセイであり、歴史上の出来事、著者が専門とする(プロテスタント)神学からの視点、あるいは著者がかつて外務省職員として従事したインテリジェンスの視点からの考え方を読者へ伝えている1冊なのです。
著者の作家としての魅力を各所で味わうことのできる1冊であり、大きな視点でいえば先行きの不安な世界情勢、身近なものであれば自分自身の人生やキャリアを思考する上でのヒントが本書から"見つかるかも"といった程度の期待感で読む、もしくは単純な知的好奇心で読むことをおすすめします。
レッド・マーズ〈下〉
レッド・マーズ」上巻では、"最初の100人"と呼ばれる科学者たちが火星へ移住してテラフォーミング(火星を人類が住める環境に改造する)に従事するといった壮大なストーリーが展開されました。
下巻では初期のテラフォーミングの時代は終わり、地球から続々と移住者たちがやってくる本格的な開発が行われる段階へと移行してゆきます。
著者のキム・スタンリー・ロビンソンはアメリカのSF作家ですが、かつて自国の歴史にあったようなフロンティアの開拓が火星を舞台に行われてゆくストーリーになっています。
一方で火星の開発には大規模な資本投入が必要となり、そこでは国連火星事業局(UNOMA)や各国の思惑、そして巨大な多国籍企業(作品中では超国籍企業)との間に複雑な利害関係が生じ始めます。
"最初の100人"たちは人類最初の火星移住者ということもあり一定の影響力を持ち続けていましたが、彼らの間でもその考えは一枚岩ではありませんでした。
たとえば火星の緑化を積極的に進めるべきというグループと火星本来の環境をなるべく温存しようというグループが対立していたり、地球の影響力を排除するために独立すべきだというグループさえ存在していました。
さらには火星の未来を導くリーダーの地位を巡っても表面下でライバル争いが行われ、作品中ではそうした人間関係の描写に一定量が割かれています。
結果的には急進的に火星の開発を進めるグループが主導権を握り、やがて宇宙エレヴェーター(地上と宇宙をケーブルでつなぎ輸送するシステム)が完成することで、さらに加速度的に人と物資が火星へ送り込まれることになります。
それに伴う居住環境の悪化、資源や富の搾取といった事態が進行するに伴い、火星各地の植民街が一斉に蜂起するといった事態へ発展しゆきます。
最初の百人たちも両陣営に分かれて敵対することになり、この争いを収拾しようと火星各地を奔走するグループも存在します。
ストーリーの規模は壮大でありながらも、あくまで個々の登場人物の視点に沿った形で描かれているため、読者が感情移入しやすいのではないでしょうか。
またさまざまな角度から楽しむことの出来る作品でもあり、たとえば登場人物たちも個性的な多様であり、その中には自分と似たようなタイプの人物を見出すことができるかもしれません。
現実的に今世紀中に火星へ人類が降り立つことはほぼ確実であり、そこへ人類が定住するための計画も実施されてゆくはずです。
つまり本作品の内容はSF小説でありながらもリアルな近未来を示唆する内容であり、人類がまったく新しい世界へ適応してゆき、そこで新しい進化を遂げてゆく可能性を模索している作品であるともいえます。
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