本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

ダーク・ソード〈6〉暗黒の剣の勝利

ダーク・ソード〈6〉暗黒の剣の勝利 (富士見文庫―富士見ドラゴン・ノベルズ)

熱砂の大陸」に引き続き、ワイス&ヒックマンの「ダークソード」をレビューしてきましたが、今回で最終巻となります。

彼らの作品は少年時代にも読んでいますが、大人になって読み返してみると、やはり"重いテーマ"であることに気が付きます。

さらに当時は"本作品の良さ"をイマイチ理解できなかったことも否めません。

本作品はファンタジー小説とはいっても、現実の煩わしさを忘れさせてくれる遠い異世界で繰り広げられる"おとぎ話"ではなく、その世界の中で悩み、苦しみ、そして困難に立ち向かっていく人たちの成長を描いているものであり、内面的葛藤においては現実世界と大差の無いことに気付かされます。

我々は(物語に登場する主人公も)この世界に生まれたからには、""によってしか逃れる術はありません。

更にいえば生きることの苦悩、そして喜びはどの世界にもあり、そして我々の現実社会とは違うパラレルワールドの物語を目にすることで、人の生きる営みを俯瞰しやすくなるという点にファンタジー小説の意義があると思います。

それでも陳腐な世界(=辻褄の合わない世界設定)で展開する物語であれば、興ざめしてしまいますが、2人の描く作品は細部に渡って設計されており、ひとつの世界として完結しているレベルの高さが魅力であるともいえます。

2人の代表作は何といっても「ドラゴンランス・シリーズ」ですが、外伝などを含めると相当長いシリーズですので、いつか読み返す機会がありましたら本ブログでレビューを書いてみたいと思います。

最後に本ブログで紹介した2人の作品のレビューをまとめてみました。

・熱砂の大陸
熱砂の大陸〈巻1〉放浪神の御心
熱砂の大陸〈巻2〉謀略の古代都市
熱砂の大陸〈巻3〉闇の聖戦士
熱砂の大陸〈巻4〉神々の帰還
熱砂の大陸〈巻5〉異教徒(カフイル)の魔法
熱砂の大陸〈巻6〉使徒の薔薇

・ダークソード
ダーク・ソード〈1〉暗き予言の始まり
ダーク・ソード〈2〉暗黒の剣の誕生
ダーク・ソード〈3〉暗黒の王子
ダーク・ソード〈4〉光と闇の都市
ダーク・ソード〈5〉死者たちの挑戦
ダーク・ソード〈6〉暗黒の剣の勝利

ダーク・ソード〈5〉死者たちの挑戦

ダーク・ソード〈5〉死者たちの挑戦 (富士見文庫―富士見ドラゴン・ノベルズ)

魔法がすべてを支配する世界の中で、唯一人何の魔力も持たずに生まれた主人公"ジョーラム"。

彼はやがて禁断のテクノロジーによって「ダークソード」と呼ばれる、すべての魔力を吸収してしまう最強の武器を手に、仲間たちと共に自らの存在を世間に認めさせるべく旅に出ます。

ここまではあらすじとして前回説明した通りですが、後半に入り今までの世界観をひっくり返すかのような急展開を見せます。

例えばSF小説などでは、今まで物語が展開されてきた世界観を一気に変える手法は一般的ですが、世界観を大事にするファンタジー小説は稀であるといえます。

これは本作品が発表されたアメリカにおいても賛否両論ありましたが、確かに読者が戸惑いかねない、大胆な展開であるといえます。

ある意味では、物語の前半で繰り広げられた正統派ファンタジーを逸脱するような展開ですが、様々なジャンルの本を読んでいる読者であれば、それほど抵抗なく受け入れられるかも知れません。

長編小説ですが、後半になって物語のスピードが一気に加速するという意味ではスリリング感があります。

ダーク・ソード〈4〉光と闇の都市

ダーク・ソード〈4〉光と闇の都市 (富士見文庫―富士見ドラゴン・ノベルズ)

引き続き、なるべくネタばらしを避けつつレビューを続けてゆきたいと思います。

主人公のジョーラムは魔力を全く持たない<死者>として生まれ、育ての母が世間の目を隠すように育ててきましたが、やがて母の死と同時に彼の正体が知られることになります。


本来であれば死を免れないジョーラムでしたが、世間から密かに隠れて暮らしている<死の神秘>を伝える<車輪の一族>の村に命からがら逃げ込みます。


<死の神秘>とは魔法が生命そのものであり、魔力を持たないものを<死>と定義する世界において一切魔力を使わず、テクノロジーによって物体を加工する神秘であり、"科学"と定義することができます。この神秘は過去に大きな災いをもたらしたことから禁忌とされています。

ジョーラムはそこでダークストーンに出会い、自らの手でダークソードを鍛えて創り出します。

このダークソードはあらゆる魔力を吸収する力を持っており、どんな強力な魔力もあっという間に無力化してしまうものです。

もっとも優れた魔法戦士(カーン・ドゥーク)ですら例外ではなく、むしろ強力な魔力を持つ者ほどダークソードは脅威になります。

いわば魔法がすべての作用を司る世界において、ダークソードは最も強力な反作用であり、この剣を手にしたジョーラムは"世界共通の敵"となり得る存在です。

しかし、やがてジョーラムの悲しい生い立ちのすべてを知ることになる触媒師の"サリオン"、ジョーラムの幼馴染の"モシア"、そして正体不明のトリックスターの"シムキン"が彼らと行動を共にすることになります。

果たして禁断のダークソードを手にしたジョーラムがこの世界で何を成し遂げるのか?

ジョーラムの正体を知り、ダークソードを追いかける世界の権力者たちの追跡がジョーラムたち一行を追跡します。

以上が物語の大筋ですが、決して一方が""で一方が""という単純な構図ではありません。

いわば世界の秩序を保とうとする体制側と、(本人に自覚があるかないかは別として)その秩序を破壊しかねない力を手に入れたジョーラムが、この世界における生存権を賭けた戦いの物語であるともいえます。

ダーク・ソード〈3〉暗黒の王子

ダーク・ソード〈3〉暗黒の王子 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

魔法が全てを支配する世界(シムハラハン)では、数百年に渡って魔法を基にした秩序が確立しており、その精密さは我々が暮らす現代社会と遜色ありません。

しかし一方では制度が形骸化し、貧しい暮らしを余儀なくされている階級の人間たちほど不満を募らせつつあります。

そんな息苦しい世の中で何者にも束縛されず、気ままに好き勝手に暮らす人物が登場します。

それは"シムキン"という名の若者であり、多くの人々と交流があるにも関わらず、その真の正体は誰も知りません。

シムキンは本作における"トリックスター"であり、様々な場面で遭遇する行き詰まり・停滞、(時には)ピンチを打開するジョーカー(道化師)として登場します。

"シムキン"は魔法の世界においてさえ特別な能力を持っていますが、その掴みどころの無さから時には敵か味方さえも分からない行動を取ります。

神話にも登場するトリックスターはファンタジー小説においても相性が良く、頻繁に用いられる手法ですが、それだけに物語全体のバランスや整合性を保つのが難しく、作者の力量が試されるところでもあります。

本作に登場するトリックスター"シムキン"は相当に癖のあるキャラクターであり、彼が秩序で固められた世界にどのような影響を及ぼすのか?

彼が登場する場面から目が離せません。

ダーク・ソード〈2〉暗黒の剣の誕生

ダーク・ソード〈2〉暗黒の剣の誕生 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

前回紹介した通り、本作品の舞台(シムハラハン)は、魔法がすべてを支配する世界設定がされています。

「魔法使い」=「黒い帽子とローブを着た人」のような想像をしていますが、この世界に生まれる人間は、誰しも何らかの魔法的な特性を持っています。例えば田舎に住んでいる農夫すらも何らかの魔法の力を兼ね備えています(ただ1人主人公のジョーラムを除けば。。。)。

著者は魔法に特性を付与することで、画一的になりかねない世界設定をバラエティに富んだものにしています。本作シムハラハンの世界には9種の神秘が存在し、すなわちこの9つが特性として存在します。

簡単に本書に登場する9種の神秘を紹介したいと思いますが、9つのうち実際には過去に起こった忌まわしい<鉄の戦争>によって2つの神秘が失われており、1つの神秘は禁制となっています。


  1. 時間の神秘
  2. 未来を予言する能力。過去に失われた。

  3. 霊の神秘
  4. 死者と会話する能力。過去に失われた。

  5. 空気の神秘
  6. シムハラハン各地に存在する魔法的な<通廊>(瞬間移動できる通路)を保守するカン・ハナールと、都市の空気や(農業のために)天候を管理するシフ・ハナールのいずれかになる。

  7. 火の神秘
  8. 戦いに特化した魔法を身に付け戦士となる宿命を持つ。最も優れたエリートたちはカーン・ドゥークと呼ばれ特殊な任務に付くことになる。

  9. 大地の神秘
  10. 最も一般的な神秘であり農耕民が大部分である。そのうえに職人階級がおり様々な分野に分かれる。もっとも優れた者はアルバナーラとして人民を統治する立場になる。

  11. 水の神秘
  12. 精霊術師(ドルイド)となり、動植物の成長と繁殖に携わる。もっとも尊敬を受ける精霊術師は治療師(ヒーラー)として、人間を癒す術を身につける。

  13. 影の神秘
  14. 幻術師(イリュージョニスト)として芸術家として活躍する。

  15. 生命の神秘
  16. 最も生まれる数が少ない神秘。自身の行使できる魔力は少ないが、触媒師として魔力の仲介役を務める。 体内に魔力を蓄え増幅させ、その魔力<生命>を魔法使いたちに転送することで行使することができる。 つまり強力な魔法使いも触媒師なしでは行使することが出来ず、最も重宝される存在ともいえる。 多くがシムハラハンにおける唯一神(アルミン神)に仕える聖職者となる。

  17. 死の神秘
  18. 完全に失われてはいないが、シムハラハンにおいては禁制となっている神秘。この神秘が過去に<鉄の戦争>を引き起こした元凶だと考えられており、妖術師(ソーサラー)として処刑(黄泉の国へ送られる)され途絶えてしまった神秘であり、唯一<生命>とは無縁である。 またの名をテクノロジーという。


これだけの種類があると読者が混乱しそうですが、本作は長編小説であるためストーリーの中で自然に覚えることができます。

ワイス&ヒックマンの綿密な世界設定が存分に発揮された作品であり、読者を夢中にさせてくれること間違いありません。

ダーク・ソード〈1〉暗き予言の始まり

ダーク・ソード〈1〉暗き予言の始まり (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)
マーガレット ワイス トレイシー ヒックマン 鎌田 三平

『熱砂の大陸』に引き続き、ワイス&ヒックマンによる長編ファンタジー小説です。
(ちなみに本作『ダークソード』は、『熱砂の大陸』より以前に発表された作品です。)

物語は魔法がすべてを支配するシムハラハンという世界で繰り広げられます。

舞台は中世ヨーロッパをモチーフとしており、ファンタジー小説でもっとも馴染みの深いものですが、多くのファンタジー小説にとって魔法はある程度"特別な存在"であるのに対し、本作品における魔法は、"生命"そのものであり、空中飛行や空間瞬間移動、物質の生成といった魔法さえも一般的なものとして登場します。

つまりシムハラハンにとって"魔法こそが唯一の力"であり、この世界に生を受けた人間であれば、魔法に精通した生命体として存在します。逆に魔力を持たない人間は即ち"死者"と同義であり、存在するこすら許されていません。

その世界において魔力を持たない主人公"ジョーラム"が誕生するところから物語が始まり、彼は<死者>として闇に葬られる運命にありました。。。

"魔法"というファンタジーに欠かかせない要素を全面に押し出し、大胆な世界設定で挑む意欲的な作品です。

熱砂の大陸〈巻6〉使徒の薔薇

熱砂の大陸〈巻6〉使徒の薔薇 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

長編「熱砂の大陸」もいよいよ最終巻です。

ビジネス書や歴史小説等とは違い、ファンタジー小説はストーリーそのものを純粋に楽しむことが王道であり、極力ネタバレを避けるため、なるべく世界設定などを中心に紹介するに留めたいと思います。

ファンタジー小説は一般的に少年層へ向けたものが一般的ですが、著者のマーガレット・ワイス、そしてトレイシー・ヒックマンの描く作品は大人向けに書かれています。

主人公たちが背負う多くの責任、そして身近に死を連想させる危機、そして時には男女の関係含めた苦難を抱えながら成長する姿は、幻想と現実の世界の境目を超えた"生きることの困難、そして喜び"の縮図であるといえます。

そしてその実感は、人生経験を積みつつある"大人"になってこそより強くなってゆき、作品に共感できる部分が多くなってゆく気がします。

私自身は2人の作品を思春期時代に読んでいますが、当時は何となく暗い物語だという印象がありました。しかし時が経ち成人して社会人となってから読み返してみると、まったく違った感想を抱くことに気付きます。

残念なのは本シリーズが絶版だということですが、間違いなくファンタジー小説の名作として位置づけられるものであり、今でも中古本として入手するのはそれほど困難ではないこと、そして今後ますます電子書籍が普及する中で是非もう一度スポットが当たって欲しいと思わずにはいられないシリーズです。

熱砂の大陸〈巻5〉異教徒(カフイル)の魔法

熱砂の大陸〈巻5〉異教徒(カフイル)の魔法 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

物語がいよいよ佳境に差し掛かります。

クアル神
の企みを阻止すべくアクラン神が孤軍奮闘を続けますが、やがて他の神々もクアル神の野望に気付き始めます。

しかしクアル神を信仰する人間たちの築いた帝国の力は強大となり、アクラン神を信仰する砂漠の民たちを粉々に打ち砕きます。他の神々も強大な力を身につけたクアル神へ対し対抗する術がありません。

果たして世界はスル(真実)が定めたように、二十神が均等を保った世界を維持できるのか?それともクアル神が唯一絶対の神となるのか?

クアル神へ立ち向かうために善の神の1人であるプロメンサス神、そして悪の神であるザークリン神の信徒が、主人公たち一行に加わることになります。

一見するとまるでRPGでいうところのパーティーの結成ですが、本作ではそんな呑気な設定ではなく、残酷な経緯によって旅を共にすることになります。

ザークリン神の聖戦士であるアウダは、プロメンサス神を信仰する信徒たちを(異教徒という理由だけで)皆殺しにし、唯一生き残った魔法士のマシュウは奴隷として売り飛ばさられるところをかろうじてカールダンに救われた経緯があります。


また主人公たち(カールダンとゾーラ)はクアル神信徒たちの軍勢に壊滅的な打撃を受けた直後にアウダによって捕らえられ、カールダンは人間改造(いわるゆる拷問)により改宗を強要され、ゾーラに至っては(クアル神によって弱体化した)ザークリン神復活のための生贄にされるといった有様です。

アウダの行動はザークリン神の信徒としては当然であり、力を合わせてクアル神を打倒するという目的は微塵もありません。

名作といわれるファンタジー小説は空想上の世界といえども、どこか現実世界を反映した風刺的、更にいえば教訓めいた要素があるものです。

それはあたかも実際に宗教や価値観の異なる人たちが協力し合うのが如何に難しいかを示唆しているようであり、読者としても暗澹たる気持ちになってしまいます。


果たして主人公たち一行に"絆"が生まれる時が来るのか?

ついに物語は最終巻に突入してゆきます。

熱砂の大陸〈巻4〉神々の帰還

熱砂の大陸〈巻4〉神々の帰還 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

最初に触れましたが、本作品には神々が信徒の人間を間接的に助けるために"精霊"といわれる存在を創り出します。

今回は本作品における”精霊”の役割に触れてみたいと思います。

精霊たちは不老不死の存在であり、人間を遥かに凌駕する強力な力を持っています。
しかし、たとえば敵対する神の信徒であろうとも精霊が直接的に人間を殺傷することは禁じられており、絶妙なパワーバランスを保っています。

そんな精霊たちは極めて人間的な性格を持ち、人間と長く暮らす精霊の中には(不老不死にも関わらず)飢えや痛みを感じるものさえいます。

精霊は神々から力の一部を直接分け与えられた存在であり、その力は精霊たち創造した神の実力如何によって個体差があります。

また神自身は力の源を信徒である人間たちの信仰から得ていることから、この3者は食物連鎖のような関係にあることに気付きます。

本作人の主人公はあくまで人間ですが、精霊たちが活躍するサイドストーリーも極めて細かく作られており、作品全体のバランスを壊さないように繊細な配慮がされています。

熱砂の大陸〈巻3〉闇の聖戦士

熱砂の大陸〈巻3〉闇の聖戦士 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)
熱砂の大陸〈巻3〉闇の聖戦士 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

世界設定では二十神(善の5神、悪の5神、中立の10神)から世界が構成されていますが、長編作品にも関わらず、本書に登場するのは半分の10神くらいです。

しかも中心的な活躍を見せるのは、アクラン神クアル神の2人だけであり、半数近くの神が名前さえ紹介されずに物語が完結してしまいます。

もちろん著者は本作品を描く前の綿密な構成を怠っていないでしょうから、二十神すべての特徴や役割を与えていると思われます(ちなみに著者の1人トレイシー・ヒックマンはゲームデザイナーとしても活躍しています)。

日本人作家であれば(傾向的に)余すことなく全ての神を登場させるところですが、あくまでも物語の本筋をダイナミックに展開するために、本作品の世界観に奥行きを持たせる役割に留まっています。

これは本作品に登場する"魔法"についても同じことが言え、ある神の信徒は女性しか魔法を操れないという制約があり、またある神の信徒は男女関係なく魔法を操れるものの前もって"文字(呪文書)"として用意しておく必要がある、更には、その辺りの制約が曖昧(=具体的に触れられずに)で魔法を操る神の信徒がいたりと、几帳面な性格の読者にとってはスッキリしないと感じる部分があるかも知れません。

つまり細部まで世界を表現したい日本人作家と、細かいところを大胆に省くアメリカ人作家の違いを感じずにはいられません。


もちろん一方が正解ということはありませんが、長編小説の手法として興味深い部分です。

熱砂の大陸〈巻2〉謀略の古代都市

熱砂の大陸〈巻2〉謀略の古代都市 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

前回は、本書(熱砂の大陸)の世界観を中心に紹介しましたが、今回は物語の冒頭部分に触れてゆきます。

世界を支配する二十神の1人である"クアル神"が、他の神々を征服し、唯一神となる野望を抱くところから物語ははじまります。

その計画は綿密なものであり、宿敵同士にある善と悪の神を巧みに操り、お互いが破滅するように仕向けてゆきます。

一方では右腕ともいうべき"大精霊カウグ"を通じて人間界へ積極的に関与し、自らを信仰する人間たちが武力により大帝国を築く手助けを行なっていきます。

これにも理由があり、神々にとって人間たちの"信仰"が力の源であり、信仰する人間が少なくなるにつれ力が弱まり、誰からも信仰されなくなると最後には消滅してしまいます。

つまりクアル神信者が築いた帝国が他の神を信仰する民族を征服し、その民を改宗させることでクアル神の力が益々強大になることが可能になります。

他の神々たちは水面下で進められるクアル神の計画に気付きませんが、その野望を唯一見抜いていた神がいます。

それが主人公たち砂漠の遊牧民が信仰する"放浪の神アクラン"です。

通常アクラン神は、自らの精霊(魔人(ジン)と呼ばれる)に全てを任せ、人間界に関与することは殆どありません。

更には、同じアクラン神を信仰する砂漠の民たちは幾つかの部族に別れ、お互いに犬猿の仲という有様です。

さきほど"主人公たち"と表現したのは、アカール族の王子"カールダン"と、フラナ族の王女"ゾーラ"という男女それぞれの主人公が登場するからです。

2人は宿敵同士の部族であるにも関わらず、アクラン神の命令により結婚することを義務付けられます。

果たしてアクラン神の真の意図はどこにあるのか?

一見すると、壮大な神々の戦いに翻弄される(巻き込まれる)人間たちの運命を描いているように思えますが、あくまでも主体は人間であり、神さえも結果を予測できない数々の困難に立ち向かう主人公たちの姿こそが本作品の醍醐味です。

絶体絶命のピンチのなかで、時に主人公たちはアクラン神への信仰を見失しかねないほどの葛藤を体験してゆきます。

この"絶体絶命のピンチ"というキーワードは本作に限った話ではなく、2人の代表作である「ドラゴンランス戦記」でも多い場面ですが、とにかく読者にとっては目を離すことが出来ない場面の連続です。

熱砂の大陸〈巻1〉放浪神の御心

熱砂の大陸〈巻1〉放浪神の御心 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)
熱砂の大陸〈巻1〉放浪神の御心 (富士見文庫―富士見ドラゴンノベルズ)

本書はマーガレット・ワイストレイシー・ヒックマン共著による正統派ファンタジー小説です。

何を"正統派ファンタジー小説"と定義するかは難しいところですが、個人的には中世をモチーフとした「剣」と「魔法」、そして「モンスター」、「神々」といったキーワードで構成された世界観で繰り広げられる物語が当てはまります。

この2人の描くファンタジー小説は、例えるならジブリの宮崎駿鈴木敏夫のタッグのような高いクオリティの作品を生み出します。

主人公は、熱く乾いた過酷な環境(砂漠)で生活を営む遊牧民であり、ヨーロッパ風の世界が中心となることが多い正統派ファンタジーの中で一風変わったエスニックな雰囲気が漂っています。

本作品の世界設定を簡単に説明すると、世界は正二十面体を成しており、その各三角形の面には、それぞれの哲理を司った神が支配する世界が存在します。二十面体の最上部の五神は善の軸に属しており(=善の神々)、最下部の五神は悪の軸に属しています(=闇の神々)。そして中間の十面には中立の神々がいます。

つまり「正義」、「博愛」、「秩序」を司る神もいれば、「邪悪」、「残酷」、「破壊」を司る神もあり、本作品の世界を奥深いものにしています。

更にその中心には、神々さえも従わなければならない真実(スル)と呼ばれるものが存在し、様々な魔法の力も真実(スル)の力の一部を引き出して行われます。

世界の人々は所属する部族や自らの信念により、いずれかの神を信仰しています。

ここまでは奥深いながらも比較的ベタな世界設定ですが、面白いのはここからです。

さらに神々とそれを信仰する人々の間の仲介役として、”精霊”と呼ばれる存在します。


精霊は従う神によって"天使"や"魔人(ジン)"、"悪魔"など様々な名称で呼ばれますが、神によって人の前に姿を表すことを禁じられている天使がいるかと思えば、何世紀も人々と共に生活している魔人(ジン)のような存在までバラエティに富んでいます。

彼らは不老不死でありながらも、極めて人間的な感情を持っており、本作品には多くの個性的な精霊が登場します。

RPGを通じて"ファンタジー"は日本人にとっても馴染みのある世界観になりつつありますが、興味のある方は、"ファンタジーの本場アメリカ"の中でも最高峰の作品の1つである本作品を読んでみて損はないでしょう。

そのスケールと奥深さにハマること間違いなしです。