歴史の世界から
本書は司馬遼太郎氏のエッセイと紹介されていますが、実際には少し異なります。
本書は昭和35年~55年にかけて新聞や雑誌、そして書籍の解説として司馬氏が執筆した文章が1冊にまとめられたものです。
決められたテーマに沿って書かれた文章が殆どですが、そのテーマが多岐にわたるため結果的にエッセイ集という形で出版されています。
本書には「国民的作家」と評された、司馬氏の飄々とした、そして独特な表現で筆を進めてゆく文章をたっぷりと堪能できる1冊です。
言うまでもなく司馬氏は歴史小説を専門分野にしてきましたが、その独自の視点が多くの日本人に影響を与えベストセラーを次々と生み出しました。
個人的には、自身の考えを率直かつ大胆に表現する物言いが好きです。
本書でいえば大阪城を
この城が栄えた時代というのは、貧乏くさい日本史のなかで、唯一といっていいほど豪華けんらんたる時代だった。
と表現し、まったく別の話題でオーストラリア首都の印象を
私の予備知識ではキャンベラは万博会場のように人工的な町で、行ったところで人間のにおいは希薄だろうということがあった。
といった具合で表現し、しかもこの表現を結論としてではなく、いきなり冒頭や文中に登場させるのが、いかにも司馬遼太郎らしさを感じます。
同時に自分の考えを誤解されたくない場合(主に自分自身の身の回りの出来事)には、必要以上に遠回しな表現をしてしまうのも司馬遼太郎らしさといえます。
本書でいえば、自身の先輩で恩師ともいえる海音寺潮五郎氏への回想にその特徴がよく表れています。
最初に作品を評価してくれた海音寺氏へ感謝を伝えたい気持ちがある一方、当時作家として未熟だったことを自分自身が一番認めているという葛藤が、次のように文章を結ばせています。
以上のようなことは私事のなかでも門外に出す必要のない私事に類している。
ことごとしく書いてひとに読んでもらったところでなんの意味もなさないとおもっているが、氏の全集の読者のためには多少の意味をなすかもしれないとおもって、あえてこの話題をえらんだ。
司馬遼太郎氏の文書は総じて散文的でありながらも、その独特のリズムに引き込まれてしまうと、まるで近所を散歩しているかのように歴史の舞台を身近に感じる不思議な錯覚を与えてくれます。