迷いと決断
1995年~2005年の10年間にわたりソニー社長を務めた出井伸之氏による1冊です。
1995年というと、Windows95が発売された年でもあり、本格的なインターネット時代の幕開けの時代でもありました。
「インターネットはビジネス界に堕ちた隕石だ」
とインターネットの普及前から出井氏は言い続け、ソニーはいち早くAVメーカからの脱却を進めてゆきます。
その路線を本書では、大きく2つの戦略として紹介しています。
・AV/IT路線
アナログを中心とした路線から、パソコン事業へ乗り出して"VAIO"シリーズを発表します。それと同時にソニーの代表格といえる"ウォークマン"のデジタル化、そしてゲーム機(プレイステーション)の分野にも積極的に進出してゆきます。
・コンバージェンス戦略
情報機器や映画・音楽の枝が四方八方に伸びていたそれまでの体系を、ハードウェアとコンテンツを両端に持つシンプルな形に改めて、それらを"IT"でしっかり結びつけることでインターネットの時代へ柔軟に対応可能な体制を築き上げます。
インターネットは、ライフスタイルの劇的変化をもたらした技術革新であり、各メーカが大きな舵転換を迫られた時期にソニーは創業者(ファウンダー)世代から生え抜き社長へのバトンタッチを行いました。
偶然にしてもベストなタイミングであったと思いますし、その中でも出井氏は適任でした。
実際に出井氏が社長に就任している間に、売上は4兆円から7.5兆円までに伸びており、日本メーカーの中でソニーは、新しい時代の適応に成功したといえます。
本書では触れられていませんが、実際には新しく到来した時代の流れはソニーの予想を超えるほど早いものあり、iPodによるウォークマンの淘汰、家庭用ゲーム機の競争激化と成長鈍化、海外メーカーの成長による液晶テレビやパソコン事業の苦戦といった状況にあります。
本書を数年前にも読んでいるのですが、その時は前社長としてソニー10年間の軌跡を振り返った本というイメージが強かったのですが、今回読んでみると、彼自身が誤った過去の決断についても正直に書かれていたのが印象的でした。
もちろん書けない内容も多いでしょうが、社員16万人を率いるソニー社長の胸中をネガティブな面含めて概ね正直に書いている印象を受けます。
著者は自らの経験を生かし、今でも中小企業を中心とした経営コンサルタントの仕事を続けています。
今なお衰えない出井氏の情熱は尊敬に値しますし、老練な経営者と若い勢いのある経営者の組み合わせが新しい価値観を生み出してゆくことを期待しています。
ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男
花札・トランプのメーカだった任天堂を世界的な企業へと躍進させた最大の功労者”横井軍平”の伝記です。
横井氏といえば名言「枯れた技術の水平思考」で有名であり、最先端技術を追いかけるのではなく、安価で普及した技術を利用して世界で初めてのものを作る哲学を貫き通した開発者として有名です。
この遺伝子は、1997年の彼の死後においても「Wii」や「ニンテンドー3DS」に受け継がれ今でも任天堂の中に生きています。
残念ながら横井氏は1997年に事故により急逝してしまいますが、アップル社の「iPod」、「iPhone」もこの考えを継承した例として挙げられることが多く、"横井軍平"の名は海外でも高い評価を得ています。
簡単に実績だけを挙げても、ウルトラハンド(伸縮して遠くのものを掴む玩具)にはじまり、ウルトラマシン(部屋でできるピチングマシン)、光線銃、そしてゲームウォッチからゲームボーイという数々の大ヒット商品を生み出しています。
そしてファミコン生みの親である宮本茂が、"師匠"と仰ぐ人物としても知られています。
本書を読んで驚いたのは、横井氏がインターネットが普及しはじめた初期の頃に、既にゲーム機の将来を的確に予測していたことです。
それはゲーム機の進化はCPUなどの「性能の進化」に過ぎず、その本質は画面上の演出の向上であると予測し、膨らむメーカの開発費用とユーザのマニア化(=ゲーム人口の減少)によって限界(衰退)を迎えるといったもので、今の家庭用ゲーム機の現状そのものです。
私自身含めて、初期のドラゴンクエストやFFシリーズをプレイしていた同世代は多いですが、今でも最新作をプレイし続けている人は随分減ってしまった(=殆どいない)というのが実感です。
横井氏の出発点は、本人が「落ちこぼれ」と自称するように、入社当時は花札の製造に使う糊の攪拌機の改良を行っている程度のエンジニアであり、後に"天才"と評される人物の片鱗をどこにも感じさせない人物でした。
しかし当時の任天堂の山内社長の大抜擢に伴い、頭角を現してゆきます。
横井氏は、ゲーム機やデジタル技術でさえも遊びの1つの手段に過ぎないと割り切っており、本質的な遊びの”楽しさ"を追求し続けます。
そう考えると事業的な責任とマネジメント業務に嫌気が差して、後に任天堂を退社した彼の心境は良く分かる気がしますし、子供の頃に体験した"楽しさ"を大人になっても忘れられず、生涯"遊び"を求道し続けるための出家であった感さえあります。
「枯れた技術の水平思考」を通じてのイノベーション部分を大きくクローズアップして評価する機会が多い気がしますが、真に評価すべき点は、"遊び"の本質を追及し続けてた信念であり、そこから生まれた着眼点だと思います。
特に今のゲーム業界は成熟を通り越し、行き詰まった感さえあります。
この本には、もう1度ゲームの本質を見つめ直すべきだと示唆しているように思えます。
棋神・阪田三吉
阪田三吉。
半ば伝説と化して、映画や村田英雄の演歌「王将」のモデルにもなった大正から昭和初期にかけて活躍した棋士です。
本書は今から30年前に阪田三吉と交流のあった著者によって書かれたものです。
彼の死後時代が経過するにつれ、「豪快」、「無法者」、「勝負の鬼」、「家族を顧みずに将棋の駒に命をかけた人物」といたイメージが一人歩きしてゆきます。
著者は、それを世間の作り上げた"虚像"とし、自らの体験に基づいたエピソードと共に阪田三吉の人生を振り返り、その"実像"に迫ろうとしています。
彼の生まれ育った家庭は貧しく、成人になった後も草履作りで何とか生計を立てている状態でした。
また充分な教育を受けれなかったこともあり、文字の読み書き出来なかったというのも事実のようです。
そんな境遇の中で阪田青年は、見よう見まねで将棋を覚え、やがてアマチュアの中で頭角を表してゆきます。
しかし日露戦争以降の不景気もあり、当時はプロ棋士といえども生活は決して楽ではありませんでした。
まして結婚して子供も生まれた阪田家では、食事にも事欠くありさまでした。
三吉の妻のコユウも困窮のあまり子供を連れて電車で無理心中を試みたエピソードは有名です。
阪田は将棋に打ち込みながらも、誰よりも妻を大事にし、また子煩悩な一面もありました。
彼の奇行ともいえるエピソードは、文字の読み書きが出来ないことによる僅かばかりの教養不足であり、阪田三吉の天衣無縫、そして礼儀正しい性格は、そうした欠点を補っても余りある魅力がありました。
また生涯の最大のライバルとなった関根金次郎との対決は、本を通じても鬼気迫る緊張感が伝わってきます。
ここ一番の勝負には信じられないくらいの集中力と、「銀が泣いている」に代表される天に身を委ねるかのような指し手は、理論を超えた測り知れないものがあります。
これは羽生善治氏の本を読んだときに感じたことですが、将棋は頭脳、そして人格を賭けた1対1の人間同士が争う究極の勝負の場だと思います。
そこに貴賎の差はなく、過酷ながらも美しい勝負の世界を生きた"阪田三吉"の生涯は、爽やかな印象さえ与えてくれます。
カムチャッカ物語―第二龍宝丸虜囚之顛末
戦時から戦後にかけてカムチャッカ半島へ鮭漁へ出かけた漁船「第二龍宝丸」が、ソ連に拘束され、そのままカムチャッカで強制労働に従事した人たちを題材として描かれた1冊です。
まず圧巻なのが、当時のカムチャッカ半島における船員や漁師たちの生き生きとした描写です。
船内での生活風景、人間関係をはじめとして、そこで働く人たちの心理描写は目を見張るものがあります。
しかしそれもそのはず、著者は捕虜となった当時の数少ない「第二龍宝丸」の一員であり、本書は自らの体験を元に再現した回想録でもあるからです。
カムチャッカ半島は日本の中で最も近い北海道からでさえ1000キロ離れた距離にあり、その面積は日本に匹敵するほど巨大なものです。
そこでの過酷な強制労働や食糧事情による苦しさもさることながら、祖国や家族と引き離されて期限の見えない日々を過ごす状況は、絶望との闘いの日々でもあったと思います。
戦争は当事者だけでなく、様々な人たち(本書では漁業従事者)を不幸に巻き込んでしまう恐ろしいものであることを再認識させられます。
少し残念なのは、著者の都合か紙面の都合かは分かりませんが、抑留生活の半ばにして本書が突然終了してしまっていることです。
それでも規模の大きなシベリア抑留に比べて知名度の低いカムチャッカ半島の抑留経験者によって書かれた本書の存在は、大変貴重なものです。
ほんとうは怖い沖縄
沖縄に在住する著者が、自らの心霊体験、そして心霊スポットをエッセー風に紹介した1冊です。
著者は沖縄の民俗伝承に詳しい人物ですが、彼自身オカルト研究家ではなく、まして霊能力者でもありません。
そのため大部分の人(=霊感が無い人)にとって、親しみやすい目線で書かれています。
逆に怪奇談を中心に読みたい人にとっては、少し期待外れになってしまうかも知れません。
沖縄の霊媒師(シャーマン)である"ユタ"の役割、昔から崇められてきた神々、信仰上欠かすことのできない聖域"御嶽(うたき)"といった独自の宗教・死生観を著者の体験を通じて知ることができます。
一方で沖縄は、太平洋戦争において多数の民間人を巻き込んだ地上戦が行われ、悲惨な戦場となった場所が心霊スポットとして全国的に有名となった側面があります。
ただし前半の沖縄民俗・宗教観的な話題から後半は一転して心霊スポットを中心とした話題に切り替わる部分は少し戸惑いを感じるかもしれません。
個人的には前半の流れを最後まで通し、後半部分を別に1冊として出版した方が、どちらも質の高い内容に仕上がったと思います。
今でも沖縄の人にとって”霊”や"死"は身近なものであり、祖先とも強固な絆でつながっています。
こうした沖縄の文化は、"独特・異質なもの"というより、昔の日本人が本来持っていた宗教観や死生観と共通する部分があり、"なつかしさ"を感じるのは私だけではないはずです。
よい意味で"ユタ"をはじめとした沖縄の豊かな民間信仰が今後も保存され続け、若い世代にも伝えられてゆくことを願います。
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