読書力
以前、「読む筋トレ」を読書を指南する本(実際には筋トレを指南する本だった)と勘違いして手にとったことを書きましたが、今回の「読書力」は正真正銘の読書指南本です。
もちろん私自身は人に読書を勧めたいと思っていますが、教育学者である著者の齋藤孝氏のトーンはさらに強い口調です。
読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひとも習慣化すべき「技」だと考えている。
~ 中略 ~
読書力がありさえすればなんとかなる。数多くの学生たちを見てきて、しばしば切実にそう思う。
このように今の若者の間で廃れてしまった読書の習慣を復活させるための啓蒙書というのが本書の立ち位置になっています。
なぜならば著者自身、そして教育者としての経験から読書は「自分をつくる最良の方法だから」を理由として挙げています。
そして資源を持たない日本にとって読書力の低下は、国そのものの地盤沈下に直結するとも断言しています。
スマホなどを使ってのSNSやゲームの利用時間で日本は世界のトップレベルだと思いますが、それが国の経済や文化の発展、さらには国民の幸せに直結するとは思えず、むしろ悪い方へ向いつつあるのではないかという疑問があります。
もちろんインターネットによる恩恵も多く、良い面・悪い面の双方を持っていることは確かです。
私自身も本から多大な影響を受けていることは間違いなく、著者の主張するように学校教育の場に読書を習慣化するプログラムを組み込むという点はまったく賛成です。
現状はせいぜい夏休みや冬休みの宿題として読書感想文がある程度であり、著者は読書力を培うためには「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」を4~5年以内で達成することをラインとして挙げていることからも分かる通り、まったく不十分な状態です。
一方でいきなり読書を習慣化するのも経験の少ない人にとっては敷居が高く、著者はスポーツの上達方法に例えて具体例をステップごとに分けて解説してくれています。
さらに読書の内容をより自身へ定着させるための方法として、本へのラインの引き方、読書会の進め方などを紹介しており、すでに読書が習慣化している人にとっても有意義なアドバイスになるはずです。
最後に名著百選ではないと断わった上で、著者の経験を踏まえながらおすすめの文庫本100タイトルを簡単な解説とともに掲載しており、読書習慣のあるなしに関わらず参考になるのではないでしょうか。
本書は岩波新書ということもあり、読書習慣のない人がいきなり手に取る確率は低いように思えます。
少なくとも大学生、または教育に携わる人たち、あるいは私のように読書を定期的に続けている人向けに執筆されており、そうした人を通じて読書習慣を周りの若者たちへ広げてほしいという願望が込められているのではないでしょうか。
即物的な効果を期待して本を読むのは好きではありませんが、読書が人生を豊かにしてくれるのもまた事実です。
このブログは自分の読んだ本の備忘録としての意味合いが強いですが、それに加えてわずかながらも世の中へ読書の啓蒙ができればそれに越したことはありません。
縄文時代: その枠組・文化・社会をどう捉えるか?
本書は、国立歴史民俗博物館が編集した第99回歴博フォーラム(2015年開催)「縄文時代: その枠組・文化・社会をどう捉えるか?」の記録集です。
つまり縄文時代を解説した書籍ではなく、パネリストたちが最新の研究成果について講演を行った内容が収録されています。
私の持つ縄文時代とは、竪穴式住居に住み縄文土器や土偶を制作し、狩猟や漁猟、採集によって食料を自給していた素朴ながらも平等な社会というかなり単純なイメージを持っていました。
一口に縄文時代といっても1万年以上も続いた時代であり、本書の中でも指摘されている通り、そうしたイメージは21世紀の平成時代と8世紀の平安時代を同じに見てしまう危険性があります。
そして実際の縄文時代は、その日暮らしをしていた貧しい人々ではなく、優れた技術と文化を持ち、少なくとも複雑な社会的を構成する過程にあった多様な時代であったことが判明しています。
第99回歴博フォーラムで登壇した10人の講演内容は以下の通りです(カッコ内は登壇者)。
- 縄文時代はどのように語られてきたのか(山田 康弘)
- 縄文文化における北の範囲(福田 正宏)
- 縄文文化における南の範囲(伊藤慎二)
- 東日本の縄文文化(菅野 智則)
- 中部日本の縄文文化(長田 友也)
- 西日本の縄文社会の特色とその背景(瀬口 眞司)
- 環状集落にみる社会複雑化(谷口 康浩)
- 縄文社会の複雑化と民族誌(高橋 龍三郎)
- 縄文社会をどう考えるべきか(阿部 芳郎)
- 総括-弥生文化から縄文文化を考える(設楽 博己)
一括りに縄文式と言われますが、実際にはお互いの地域が影響しあって多様な土器が生まれたこと、東日本と西日本では地域間の交流がありながらもその生活様式が異なること、また中央に墓(または儀式の場)を配置した大規模な環状集落が営まれていたことなどが紹介されています。
本書には発表で実際に使用された写真や図なども掲載されており、一般読者にも充分に伝わる内容になっています。
また各自の講演テーマも相互に関係し合っているため、一貫性を持って読むことができます。
つまり第一線で活躍する研究者による最先端の研究成果を誰でも読める形にした本書は、贅沢な1冊なのです。
出雲国誕生
7世紀はじめに推古天皇のもと聖徳太子らが中心となり、中国の文化や制度が積極的に取り入れられました。
これは国を治めるために隋や唐で実施されている律令制を日本に導入しようとする試みでした。
政争によりその試みは道半ばで挫折しますが、それは一時的なものに過ぎず、聖徳太子の死後も律令制国家への体制構築は着々と進みんでゆきました。
そして701年、天武天皇を中心として大宝律令が発布されます。
これは日本ではじめて全国区の法と制度が確立したことを意味し、中央には平城京が建設され、地方へ国司が派遣されました。
ちなみに今なお続く元号制度も大宝律令により定められたものです。
一方で歴史学、考古学上においては、制度が施行された詳しい実態は解明途中という段階です。
713年、元明天皇によって60余りの諸国に、地名の由来や特産物、古老が語る伝承などを報告する風土記を中央政府へ提出するよう命じますが、今ではその殆どが失われ、出雲国、常陸国、播磨国、豊後国、肥前国が残るに過ぎません。
中でも写本ではあるものの、ほぼ完全な形で伝わるのは「出雲国風土記」だけであり、この記録の研究と現地で行われた発掘調査を元に、古代の地方都市成立の実態を解明しようと試みたのが本書です。
地方の中心都市には政治の中心となる国府が置かれ、その周辺には国分寺・国分尼寺、軍団、工房や市などが設置され、真っすぐで幅の広い街道が整備されました。
こうした施設の発掘調査は出雲(島根県松江市)だけでなく、風土記が失われた日本各地でも同様に行われており、本書ではこうした研究成果も併せて紹介しています。
著者の大橋泰夫氏は島根大学の教授として現地の発掘調査にも関わっており、本書ではこれら施設の構造から配置関係、また利用の実態などを丁寧に解説しています。
それだけに専門的な内容が多いと思われますが、これを読者が丁寧に読み込んでゆくことで教科書だけでは分からない古代国家の姿がリアルに浮かび上がってくるのです。
人生、負け勝ち
2003年から2008年までの6年間、女子バレー日本代表を率いた柳本晶一氏の自叙伝です。
テレビでもお馴染みとなった顔で、覚えている人も多いのではないしょうか。
現役時代に実績を残した選手が監督になることが多いですが、柳本氏自身も男子バレー日本代表の経験があり、事業団バレーでも何度も優秀経験があります。
引退後も順風満帆に見えた柳本氏でしたが、10年間にわたり監督を勤めた日新製鋼の男子バレー部はあえなく廃部、その後、東洋紡の女子バレーを監督して立て直すもまたしても活動休止。
1人で全国行脚を行って選手の引取先を探し終えた頃には「燃え尽き症候群」に陥っていたと告白しています。
そんな失意の日々を過ごす中、低迷する女子バレー日本代表を立て直すべく柳本氏に白羽の矢が立つのです。
当然ながら監督はコートでプレーすることはできません。
ただしコートで戦う選手たちは監督が選び、その戦術に従って戦います。
つまり監督とは企業の経営者(管理職)に通じるものがあるのです。
とくに男性でありながら女性だけの集団を指導する難しさ、そして何よりもスポーツという勝負の厳しい世界で実績を残し続けなければなりません。
期待の若手選手を抜擢してチームを活性化させてゆく一方、実績のあるベテラン選手を起用することで得られる安定感も必要です。
さらにメンバーの個性を理解し、チームを引っ張るキャプテンの人選も誤ってはなりません。
柳本氏の自叙伝を読んでいると目標や戦術を定める一方で、チームを1つにまとめ上げるマネジメントにもっとも気を使っていたことが分かります。
選手間に生まれる嫉妬、自信を失った選手、中には強烈な個性でチーム内で浮いてしまう選手もいます。
柳本氏は感情を一切入れず、実力だけで選手を評価し、必要な選手には土下座をしてでも来てもらうと言い切っています。
またメンバーを固定せず選手間の競争意識を煽り、ギリギリまでレギュラーチームを作らないのも柳本流です。
もちろん企業組織とトップアスリートの集団ではマネジメント方法が違ってくると思いますが、のちに「再建屋」と呼ばれることになる柳本氏の手法は、低迷する組織を立て直すためのヒントが詰まっていると言えます。
スポーツジャーナリストの松瀬学氏は柳本監督を次のように評しています。
名将とそうでない者とは「負けて学べるか」が隔てる。柳本監督は、負けの中から勝利の芽を見つけてきた。
「負けて勝つ」、愉快な口癖である。
柳本氏自信が経験してきた何度もの挫折が血肉となって生かされているのです。
管見妄語 始末に困る人
本書は藤原正彦氏が週刊新潮に連載したエッセー「管見妄語」を文庫本化したものです。
"管見"とは視野の狭いこと、"妄語"とは嘘つきという意味ですが、数学者、教授として豊富な海外留学の経験もある著者の謙遜であることは言うまでもありません。
個人的には読んでいない藤原正彦氏のエッセーを見かけると、何も考えずに手に入れるほどファンなのです。
エッセーとは自身の経験や心情を吐露しなければ成り立たない分野ですが、本書も例外ではありません。
一世代以上は年齢が離れているにも関わらず、藤原氏の言葉は私に新しい視点を与え、納得のできる主張をしっかり伝え、また楽しませてくれます。
ともかく私にとって藤原氏に比肩できるエッセイストは中々いません。
週刊誌へ掲載されていたこともあり、エッセーの話題は新鮮な時事を扱ったものが多くあります。
何より収録されているエッセーは東日本大震災を挟んで連載されていたこともあり、未曾有の災害が発生した当時の著者の考えをよく知ることができます。
ニュースから流れる被災地の状況を気の毒に思い、著者自身何をやっても気の晴れない日々が続いたこと告白しています。
一連の著作の中で"惻隠の情"、つまり弱者や敗者を憐れむ心を日本人の美徳と主張してきた著者ですが、多くのイベントや番組などが自粛モードに入る中、あえて涙を振り払い庶民は全力で消費活動を活発にしようと呼びかけています。
「浮かれている場合か」、「不謹慎だ」という言葉がある中、本書はイギリス留学中に学んだユーモアの大切さを読者たちに伝えてくれます。
イギリスではユーモアは何よりも大切にされ、それは世の中の不条理を吹き飛ばす批判精神であり、前を向いて楽しく生きてゆくための欠かせない要素と考えられています。
著者のユーモアに読者は勇気づけられ、明日を元気に生きてゆくための心のビタミンを得ることができるのです。
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