本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

カンタ



二人の主人公・耀司汗多(カンタ)は4歳のときに同じ団地で出会います。

彼らはいずれもシングルマザーの家庭で育ち、境遇など共通点が多いことからすぐに打ち解けて友だちになります。

耀司はスポーツも勉強もできる秀才として成長しますが、カンタは生まれつき他人の気持ちを読むことができない、つまり人とのコミュニケーションを苦手をする発達障害を持った少年でした。

カンタは唯一心を許せる耀司を頼りにし、耀司は自分にはない純粋さを持つカンタの人間性に惹かれ、幼馴染として小中高校時代を過ごします。

あまり裕福でない家庭で育った二人は、やがて大金持ちになるために耀司がカンタを誘う形で携帯ゲーム会社「ロケットパーク」を起業することになります。

創業期の苦労を乗り越えて一躍時代の寵児となった「ロケットパーク」ですが、2人の前には人生最大のピンチが訪れるのです。。

結末が分かってしまうと面白くないため、あらすじの紹介はここまでにしますが、本作品は2つの要素で楽しむことができます。

1つ目は主人公となる二人の友情の物語としてです。

人間関係や受験、ビジネス上の障壁など誰にでも苦難のときは訪れますが、不器用な二人はそんなハードルを支え合いながら乗り越えてゆくのです。

一見すると障害を持つカンタが一方的に耀司を頼っているように見えますが、尖すぎる感性を持つがゆえに孤立しがちの耀司の側にいつもカンタが居ることで彼自身も救われていたのです。

楽しい時だけでなく、苦しいとき時にこそ側にいるのが友だちだと言われますが、現実的にこうした関係を維持し続けるのは難しいものです。

ともすれば損得勘定や合理的な判断にだけに長けた大人になっていないかと自分自身を振り返るきっかけにもなるのではないでしょうか。

2つ目は会社の創業そして上場、M&Aなどのエキサイティングなベンチャー企業のストーリーを楽しめる点です。

企業戦略は別として、ベンチャー企業はスピード上場を果たし社長が時代の寵児のようにもてはやされると、さまざまな利害関係を持った人間たちが彼らの前に登場します。

無論、彼らに共通する目的は金儲けであり、そこには友情といった感情的なものは不確かなものとして排除される傾向があります。

ジェットコースターのように過ぎてゆくベンチャー企業としての時間と、幼い頃からゆっくりと時間をかけて培ってきた友情という2つの時間軸が物語の中で交差する場面は本作品の見どころであるといえます。

著者の石田衣良氏は過去にも同じようなテーマを扱った「アキハバラ@DEEP」を発表していますが、2つの作品を比べると本作品はエンターテインメント性よりもリアリティ感を重視しているように感じました。

コンカツ?



タイトル通り、石田衣良氏による結婚活動、つまり婚活をテーマに執筆した1冊です。

過去に就職活動をテーマにした「シューカツ!」を本ブログで紹介していますが、その兄弟作品といえるでしょう。

主人公は都内の大手自動車メーカーに勤める29歳の岡部智香であり、彼女がシェアハウスで一緒に暮らす同じ年の綾野、3歳年上の沙都子、3歳年下の有結らと一緒に婚活に奮闘する物語が描かれています。

著者は男性で私より一回り以上年齢も上ですが、私だったら都会に住む年頃の若い女性4人たちの視点から小説を書くことは絶対できません。

しかし本書では婚活中の女性たちの微妙な心理描写、彼女たちが感心のあるファッションやいかにも実在しそうなお洒落なレストランなど、おそらく同じ境遇にある女性が読んでも共感できる完成度になっています。

一方の私は、婚活中の女性の心理、男性を値踏みするポイント、また婚活ビジネスの仕組みなどをなるほどと頷きながら読むことができました。

もちろん小説として成立させるために、さまざまなエンタメ要素も織り交ぜられており、単純にストーリーを楽しむことができ、そのまま映画かドラマの原作にしても人気が出そうです。

日本では少子化が問題になっていますが、とにかく結婚する若いカップルを増やすことが大事になります。

一方で生涯未婚率は未だに上昇し続け、男性の3人に1人、女性の5人に1人が生涯未婚という時代になっています。

やはり結婚となると生涯寄り添い続けること念頭に入るため、年齢、経済的、外見、性格、相性など諸々の要素の一致が必要になります。

一方ですべての条件を満たす異性が目の前に現れる可能性は限りなくゼロに近く、仮に自分の理想に近い異性が現れたとしてもおそらくライバルも多く、簡単には相思相愛とはならないでしょう。

本書ではさまざまなタイプの女性、または男性が登場しますが、今後の人生を賭けた椅子取りゲームといった殺伐とした雰囲気となるシーンもあります。

それでも励まし合い、自らを鼓舞しながら婚活をする女性たちの姿は笑いあり、涙ありの起伏に富んだもので、全体としては婚活を頑張る人たちへのエールが込められている作品となっています。

死について考える



生と死』は、文学にとって永遠のテーマであるといえます。

このテーマに挑戦した作家は多いが、カトリック教徒である遠藤周作氏にはとりわけその傾向が強かった印象があります。

それは彼がカトリック教徒として自身の宗教観から作品を描いたこともありますが、何より自身が若い頃から何度か大病を患い生死の境をさまよった経験が大きいのではないでしょうか。

こうした経験を元に遠藤氏は「心あたたかな医療」キャンペーンを立ち上げ、実際に重病患者の立場に立った医療を広める活動を行っています。

また今から40年前には、当時国内では少なかった治療よりも緩和ケアを重視するホスピスの普及をエッセーや取材などで事あるごとに訴えかけていました。

本書はこうしたバックボーンを持つ著者が「死について考える」という直球テーマで執筆した随筆です。

本書に書かれていることは哲学的な話ではなく、極めて具体的です。

まず私自身に当てはめてみると、今は健康に不安はなく日常の中で死を考えることはほぼありません。

どちらかというと仕事や家族、その他生活のことで日々が過ぎてしまい、考える時間がないというのが正直なところです。

しかし自分が老いてゆき両親や自分の周りの同世代の人が亡くなり始めると、否が応でも死について意識せざるを得ないタイミングが来るでしょう。

著者は自分の知る作家たちの死に方についても紹介しています。

「死にたくない」とあがき苦しみながら死んだ人もいれば、周りに集まった人たちに別れの挨拶を済ませて眠るように亡くなった人もあり、人それぞれです。

著者は日本人は死に様が美しく、言い方を換えれば潔くなければらないという意識に縛られていると指摘し、別にジタバタあがいて心の奥にある死の恐怖や人間の弱さを見せてもよいと言い、さらに自身もそうなる可能性が大いにあると述べています。

著者は出版社からの依頼で「死について」を書く、つまり本書を執筆することを最初はためらったようであり、なるべくキリスト教談義になることを避けて本書を書き上げたといいます

そして実際に本書が出版されると入院生活を送っている人や、たとえ健康であっても高齢であまり先の長くない人たちに多く読まれ、心の安定を得るための一助となったようです。

自らの死に対して心の準備をすることをデス・エデュケーションと言い、長年連れ添ったパートナーなどとの死別の悲しみに備えた準備教育をグリーフ・エデュケーションと言うそうです。

心の準備は一朝一夕に出来るものではないないので、自分自身が健康なうちにこうした準備をしておくことが大切なのは言うまでもありません。

その手始めとしてせひ若い世代の人たちにも手に取っていただきたい1冊です。

王国への道



久しぶりに遠藤周作氏の作品を手にとってみました。

本作品は山田長政を主人公にした歴史小説です。

戦国時代から江戸時代にかけて現在のタイ王国はシャムと呼ばれ、戦国時代後期にはその首都であるアユタヤに日本人町が形成されていました。

当時は主に交易を目的として中国、東南アジアの各都市に日本人が住み着いており、鎖国が行われる江戸時代以前は日本人がかなり海外進出していたことが伺われます。

この山田長政は単身シャムへと渡り、そこで日本人町の頭領として、また王国の日本人傭兵の隊長して爵位を授けられるまでに出世します。

その頃の日本では大坂の陣も終わり、長く続いた戦乱の世から徳川家による太平の世へと時代が変わりつつありました。

長政は日本ではもはや果たすこのできない立身出世を遠く離れたシャムで目指した人物であり、最後の戦国武将が異国の地で活躍したかのようなロマンを感じます。

作者の遠藤周作氏は宿敵といった歴史小説を手掛けていますが、いずれも普通の歴史小説ではありません。

カトリック教徒でもある著者は日本のキリスト教文学の代表者としても知られ、こうした歴史小説の中にも著者が持つ死生観というものを取り入れ、作品のバックボーンには必ず大きなテーマが横たわっているのです。

そのため本書には長政のほかにもう1人の主人公が登場します。

それがペトロ岐部です。

彼は幕府のキリシタン追放令により海外へ渡航し、さらに本格的にキリスト教を学ぶためインドのゴアから陸路でローマまで辿り着くという当時の日本人では考えられない大冒険を成し遂げます。

結果として日本人としてはじめてエルサレムを訪れた人物としても知られています。

彼はローマで勉学へ励み司祭となりますが、驚いたことに幕府によって迫害されているキリシタンを励ますために日本へ再び舞い戻るのです。

これは完全な自殺行為であり、周囲の人間は岐部を必死に止めるよう説得しますが、彼の決意は固く翻すことはありませんでした。

実際にこの2人が知り合い同士だったという記録はありませんが、作品中で2人は出会い、そしてお互いを認めながらも別々の道を歩くことになるのです。

長政は異国の地で立身出世を目指すため戦いと権謀術数が渦巻く世界へ身を投じ、一方の岐部は世俗と離れた信仰の世界に生きることを選びます。

もちろん作品中で2人のうち、いずれかの生き方が正しいという答えが明示されることはありません。

この2人に共通しているのは平穏が訪れつつある狭い日本を飛び出して、広い世界で自分の生き方を貫いたことであり、その対比が余りにも鮮やかであり、読者に強烈な印象を残すのです。

プロ野球・二軍の謎



アマチュアならともかくプロスポーツで選手やチームが目指すものはただ1つ、それは勝利のみです。

勝利こそが選手やチームの知名度を上げ、それによって観客やスポンサーが集まり、選手の現役活動やチームの運営を続けることができます。

しかし物事には例外があります。
その1つが本書で紹介されているプロ野球二軍です。

もちろん二軍チームにとっても勝敗は重要ですが、大前提として二軍は一軍のために存在します。

将来一軍で活躍できる若手選手に経験を積ませたり、ケガ明けやスランプに陥った一軍選手の調整の場として使われたりするのです。

本書ではメディアで取り上げられる機会の少ないプロ野球の二軍について書かれたものであり、実際にオリックス二軍監督を努めた田口壮氏によって執筆されています。

本書は著者がはじめて二軍監督に就任した2016年シーズンより日経電子版で連載された「2軍監督 田口壮!」を加筆・修正して新書にまとめたものです。

著者にとってはじめての指導者デビューのタイミングでもあったため、経験を積んだ指導者が執筆する場合と違い、著者のこれからの意気込みや手探り感などが読者に伝わってきます。

さらに1年を振り返って失敗した部分や、来季に向けて改善してゆきたい部分も素直に書かれており、読者が新米監督を応援したくなる気持ちになります。

しかし田口壮といえば約20年に渡りオリックやMLBで活躍した名選手であり、現役選手としての実績は充分です。

しかも日米両方の1軍や2軍の経験も豊富なため、本書ではNLBとMLBの二軍(MLBであれば3A以下のマイナーリーグ)を比較して、その制度や指導方法の違いについて言及しています。

1軍だけを見るとMLBではNLBのスター選手と比較して、年俸の額が1桁多い破格な待遇となりますが、こと二軍に関しては日本の方がはるかに恵まれていることが分かります。

日本では監督含めたコーチ陣が一丸となって将来有望な選手を育て上げるという風潮がありますが、マイナーリーグではまず所属する選手の人数からして桁違いということもあり、細やかな指導は行われません。

また日米の1軍枠の選手数にそう大差ないことを考えると、その競争倍率は日本よりも厳しいものになり、自らの力だけで一軍に這い上がる必要があります。

本書では日米比較に限らず、日本のプロ野球に二軍観戦ガイドのようなものも紹介されています。

私自身もファンである西武ライオンズの二軍の試合を何度か観戦したことがありますが、一軍の試合とは違って応援歌や鳴り物が響き渡ることもなく応控えめです。

ファンの視点も二軍の勝利というよりは、将来一軍で活躍しそうな選手を見守るような雰囲気があります。

また本書でも触れらていますが、フェンスを挟んでわずか数メートル先で選手を見れる点も醍醐味だと思います。

著者自身もプロ野球二軍に少しでも興味を持ってもらうために本書を執筆したと語っていますが、これを機会に気軽に出かけて応援できる二軍の試合会場へ足を運んでみてはいかがでしょうか?