本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

さらば! サラリーマン 脱サラ40人の成功例



本書の著者である溝口敦氏といえばヤクザをはじめとした反社会組織を題材としたノンフィクションの第一人者というイメージです。

実際、本ブログでも今までに5冊のタイトルを紹介していますが、いずれも社会の裏側をテーマとした作品です。

本書はこうした作品とテーマが似ても似つかない脱サラリーマンを題材にしています。

もともと月刊誌「ウェッジ」での連載を新書化したもので、ひたすら脱サラリーマンに成功した40人の体験談が掲載されています。

少なくとも私が社会人として働き出した20年ほど前には山一證券に代表される大企業が倒産する例もあり、有名大企業に就職しても生涯安泰という保障はないと言われ始めた時期でした。

私自身が積極的に脱サラリーマンを考えている訳ではなく、前述のように毛色の違った作品を溝口氏が出していると知って好奇心で手にとった1冊です。

本書で取材を受けている脱サラリーマンを選んだ人たちの40人の進路は多種多様であり、男女問わず年齢にも色々なパターンが存在します。

そのためこれから真剣に脱サラリーマンを考えている人にとっては、似たような境遇、または分野で挑戦している人たちの例が1つや2つは見つかるはずです。

例えば新卒社会人として入社するも1年で辞表を出して独立する例もあれば、60歳近くまで会社に勤め、早期退職募集制度に応募して会社を辞めた人も登場します。

もう1つ脱サリーマンの動機を5つのカテゴリーに分けて、章立てされているのも特徴的です。

  • 第一章 起業の夢を実現する
  • 第二章 故郷で第二の人生を
  • 第三章 職人として生きる
  • 第四章 趣味を活かす
  • 第五章 人の役に立ちたい

最後に野暮かも知れませんが、本書に登場する人たちはいずれも脱サラリーマンで成功した例です。

安易に計画的に進めるべきとか、リスクヘッジをしましょうと言うつもりはありませんが、少なくとも失敗を恐れずに挑戦する人たちを妬むよりも、応援する気持ちで読み進めた方が読了感は良いはずです。

ロミオとジュリエット(松岡和子 訳)



現代のエンターテインメント、テレビや映画においても恋愛ロマンスは欠かせない要素ですが、それは演劇の時代から続いてきた伝統です。

そして世界中でもっとも有名な恋愛劇といえばシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」であることは間違いなく、言い方を変えれば恋愛ロマンスのあらゆるエッセンスがこの作品の中に詰まっています。

日本では豊臣秀吉が存命の頃にイギリスで発表された作品ですが、今も世界中で定番の恋愛劇として上演され続けていることがそれを裏付けています。

作品や舞台を見た経験がない人でも大まかなあらすじを知っている人は多いと思いますし、私もその中の1人でした。

舞台はイタリアのヴェローナで、その町の有力者であり宿敵同士でもあるモンタギュー家キュピュレット家の息子(ロミオ)と娘(ジュリエット)が禁断の恋に落ちるというストーリーです。

実際に劇の中で繰り広げられる2人の間のやり取りは、歯の浮くようなセリフが並んでおり、現実的ではないものの、シェイクスピアが演劇を盛り上げるための演出として読めばそれなりに楽しめます。

また作品が制作された時代背景からギリシャやローマ神話の中から比喩を持ってくる頻度が多く、原作に忠実な演劇の場合、楽しむためにはそうした素養も必要になってきそうです。

ただし本書には丁寧な注釈が付いているため、読者が戸惑うことはありません。
また巻末にまとめて注釈の解釈を掲載するのではなく、ページ下部に専用のスペースが設けられているレイアウトにも好感が持てます。

一方で劇の見せ場になるであろう決闘シーンは、台本ではセリフがほとんど無い部分ということもあり、一瞬で終わってしまうことから物足りなさを感じるかも知れません。

これまで紹介してきた「アントニーとクレオパトラ」、「ハムレット」と比べると、ストーリーは単純明快なものの密度は濃く、名作落語のように何度見聞きしても飽きない内容になっているのではないでしょうか。

ハムレット(松岡和子 訳)



夜な夜な現れる先王の亡霊。

ハムレット王子は亡霊(父親)から自分の死は毒蛇に噛まれたことによる事故死ではなく、ハムレットにとって叔父にあたる人物によって毒殺されたことを告げ、復讐を果たすようにと言い残して消えます。

ちなみに叔父はデンマーク王となり、先王の妻(つまりハムレットの母親)はその叔父と再婚し、現在も王妃という地位にいます。

有り体に言えば、どの王宮にもありがちなお家騒動というのがハムレットの舞台になります。

先王が毒殺されたという事実は、ハムレットを除けば実行犯である叔父しか知らない真実であり、証拠もないことから、宰相のポローニアスをはじめ多くの家臣は王と王妃の味方をします。

いわば孤立無援といった形のハムレットですが、彼は赤穂義士のような一途なタイプではなく、王子という恵まれた環境に育った人物にありがちな皮肉屋で気分屋といった性格を持っており、たとえば厳粛な場面でも軽快な冗談を飛ばしてしまうタイプです。

しかしシェイクスピアは、ハムレットをこうした自由奔放なキャラクターに仕立てることで、舞台映えする名台詞を生み出します。

訳者によって多少の違いがありますが、簡単に抜き出しただけでもハムレットには次のような後世に残る名セリフが登場しています。
血のつながりは濃くなったが、心のつながりは薄まった。
この世の関節がはずれてしまった。ああ、何の因果だ。それを正すために生まれてきたのか。
生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ。
習慣という怪物は、悪い行いに対する感覚を喰らい尽くします。

先述のようにハムレットは気分屋ではあっても頭は切れ、実行力も兼ね備えた若者です。
そこで彼は相手を油断させるために、狂人のフリをするという作戦を思いつきます。

もちろん単純な復讐劇の物語で終わるはずもなく、王の右腕ともいうべき宰相ボローニアスの娘オフィーリアがハムレットの恋人という、復讐の障壁になりそうな設定も用意されています。

他にもハムレットや王へ二枚舌を使う政治的な動きするを友人が現れたりと、さぞ賑やかな演劇になるだろうという感じでストーリーが進んでゆきます。

やはりハムレットで圧巻なのは、終盤で怒涛のように押し寄せる急展開であり、観客は舞台から目を離せない釘付けの場面となるはずです。

ストーリーのテンポや流れはもちろん、登場人物たちの個性が豊かに表現されており、観客を魅了する演劇としてシェイクスピアの真髄が見られる作品ではないかと思います。

アントニーとクレオパトラ(松岡和子 訳)



16世紀後半から17世紀後半にかけてイギリスの劇作家として活躍したシェイクスピアは、後世へ大きな影響を与えました。

そのジャンルは演劇に留まらず、小説や音楽、映画など、多くの芸能に及びます。

中には大まかなあらすじを知っている作品もありますが、演劇として鑑賞したことも作品として読んだこともありませんでした。

理由としては単純に、シェイクスピアの作品は小説ではなく、舞台の上で役者が演じることを前提とした脚本であるため、どこか抵抗を感じていたためです。

1冊目として本書「アントニーとクレオパトラ」を手にとった理由は、私自身が知っているローマ帝国建国にあたっての内乱を舞台にしており、タイトルだけで作品の内容が推測できるからです。

アントニウス(アントニー)はカエサル亡き後、その実績からローマ帝国の統治者にもっとも近い位置にいた人物ですが、エジプト(プトレマイオス朝)の女王である女王クレオパトラと出会ってからは、絶世の美女といわれた彼女と酒に溺れ、手にしていた権力と幸運を手放してしまった人物です。

一方のクレオパトラもアントニウスの心を自分へ引き寄せることに熱心であり、アントニウスを政治的にもうまく利用しようとしましたが、大きな時代の流れを読むことはできませんでした。

歴史上の評価としてはいまいち一流になれなかった人物ですが、権力の魔力に取り憑かれ、愛と酒に溺れて身を滅ぼしてしまう2人の人生は、演劇にはうってつけの人物だという見方もできます。

作品はエジプトで夢中になるアントニウスとクレオパトラの場面から始まり、セクストゥス・ポンペイウスとの戦い、アクティウムの海戦、そしてアントニウスとクレオパトラの最期(プトレマイオス朝の滅亡)までの約10年にも及ぶ期間が対象になっています。

一見すると悲劇のように思えますが、主人公の2人だけではなく、彼らを取り巻く部下たち、敵対関係にあるオクタウィアヌス(シーザー)陣営の思惑が交差する場面も多く、セリフには強い皮肉や揶揄が込められていることから、喜劇的な要素も入り混じっており、捉えどころのない作品です。

演劇の舞台を思い浮かべながら読んでいましたが、テンポ良く観客を飽きさせない良く出来た構成になっていることから、思いの他スムーズに読み進めることができました。

ちなみにアントニウスのライバルとなるオクタウィアヌスは、作品中でもアントニウスの凋落ぶりを冷静に把握し、クレオパトラには目もくれずに勝利をもぎ取ってゆく人物であり、やはり初代皇帝にふさわしい人格と能力を持っているものの、その完璧さゆえに演劇の主人公としては大衆の心を揺り動かす魅力には欠けているのかも知れません。

いきなり全集を読破する形ではなく、今後もシェイクスピアの作品を少しずつ紹介できればと考えています。

語彙力こそが教養である



主張したいことがシンプルに伝わってくるタイトルです。

著者の齋藤孝氏は、大学で教鞭をとる教育学者ですが、普段あまりテレビを見ない私でも何度か出演している姿を見かけたことがあります。

学生へ何よりも読書の重要性を一貫して訴えていますが、読書好きの私からすればまったく反対する理由はありません。

多くの学生を見てきた著者は、1分間でも学生のプレゼンを聞けば、その人が持っている語彙や言葉の密度が手に取るように分かると言います。

本書では語彙の豊富さは知性に直結するという確信を持っている著者が、語彙が貧困な学生や社会人が増えている現状を危惧し、語彙力を鍛えるためのインプットとアウトプットの方法を紹介した1冊です。

まず初めはインプットが重要になりますが、やはりその一番の近道は読書であるというのが著者の考えです。
その他にもテレビや映画、インターネットでも語彙のインプットが出来ると紹介している点は、読書離れしている人たちの敷居を少しでも下げようという作者なりの工夫が伺えます。

それでも総じて言えば、古典に属する名著を読むというのがもっとも効率的なようです。

本書に挙げられている一例として夏目漱石、幸田露伴、三遊亭圓朝、孔子、ドストエフスキー、シェイクスピアなどです。

たしかにここに挙げられている文章は格調が高かったり、表現が多様であったり、ことわざや有名な言葉の宝庫です。

私自身の経験からは、年配の人の方が語彙力が豊かな傾向がある気がしますが、確かにそこには人生経験のほかに読んできた本の数の差もあるような気がします。

そして著者のように1分間のプレゼンではとても無理ですが、私でも初対面の人とある程度会話することが出来れば、おおよそ相手の育ちが分かってしまうものです。

悪い意味に受け取って欲しくありませんが、ここで言う「育ち」とは、生まれた家庭環境や貧富の度合いを指すわけでなく、単純に教養のレベルのことです。

私も著者のように語彙力のもっとも効率的な鍛え方は読書であるという考えには賛成であり、図書館や古本屋で気軽に本を読むことのできる現代において、読書量と貧富の差は関係ありません。

ただ個人的に言わせてもらえれば、本書で紹介されている語彙力のアウトプット例については、多少フォーマルな場面でもない限り、さりげなくであっても会話の中に四文字熟語や故事を入れるのは少々難しい(=場違い)と感じた点です。

ちなみにビジネスの場面において横文字を多用する人がいますが、これは語彙力とは違う気がします。
なるべく多様な表現や例えなどを用いて相手に分りやすく伝えることが語彙力だと思うからです。

血の味



冒頭はいきなり次の1行から始まります。
中学三年の冬、私は人を殺した。ナイフで胸を一突きしたのだ。

沢木耕太郎氏の作品は何冊か読んできましたが、どれもノンフィクションであり、彼の小説作品は今回が始めてです。

少年犯罪を取り上げた作品、または犯罪者心理に鋭く切り込んだ作品、もしくはミステリー小説なのかと予想しながら読み進めていきましたが、結果から言えばそのいずれでもありませんでした。

冒頭で主人公は、20年前の自分が少年時代に起こしてしまった殺人事件をふり返っています。

そして主人公は殺人を犯すまでの2ヶ月の日々は克明に覚えていても、ナイフが相手の胸に吸い込まれてゆく手のひらの感覚を最後に、記憶がぷつりと途切れています。

つまり主人公は、過去の自分が「なぜ人を殺してしまったのか?」の動機を未だに見つけられずにいたのです。

作品では殺人を起こすまでの2ヶ月間の出来事や主人公の心理状況が克明に描かれており、テンポよく進んでゆきます。

それでも著者は作品の後記に次のように書いています。
この『血の味』という作品は、十五年前に書きはじめられ、十年前にはほぼ九割方書き終えていたものである。
しかし、自分で書いていながら、そこに書かれていることの意味が充分に理解できないため、最後の一割を残して放置されていた。

本書はノンフィクション風の小説ではなく、一人称視点でいかにも小説作品を意識して執筆されています。

それだけに主人公は単に刹那的、発作的に殺人を犯したというオチでは作品が締まりません。

そのためには、誰よりも作者自身が納得いく理由と結末が必要であり、それが見つかるまでは放置されていたのです。

決して衝撃の結末といった安易なものではなく、作者が導き出した必然性を読者が納得できるかどうかは読んでみての楽しみです。

読了後もは余韻を引きずるような作品であることは間違いありません。

深夜特急6―南ヨーロッパ・ロンドン―



いよいよ1年にも及ぶ長い旅を描いた紀行もいよいよ最終巻となります。

ギリシャからイタリアへ入った旅人(沢木耕太郎氏)は、サン・ピエトロ大聖堂でミケランジェロの「ビエタ」像に感動し、モナコからニースへ向かう途中のバスの中から見た地中海の美しさにに心を奪われます。

そこにはアジア各国をバックパッカーとして放浪していた著者の姿はなく、普通の観光客といった様子に見えます。

やがてマルセーユに着き、1日後にはパリへ着くという直行バスの時刻表を見ながら著者は、「ここが旅の終わりではない」という確信めいた思いを抱きます。

そこで行き先をパリではなく、スペインのマドリードへ変更することになるのです。

さらにそこからポルトガルのリスボンに到着しますが、そこでもここが最後の地になることに納得できない自分がいます。

そこでイベリア半島が大西洋と接する先端、つまりユーラシア大陸の最南西端であるサグレスを目指すことになります。

夜に到着し、また季節は冬ということもあり、観光シーズンを終えて閑散としたさい果ての街という雰囲気が漂っていました。

露頭に迷いそうになった著者は、運良くシーズンオフで閉まっていたペンションで宿泊することができます。

そしてそこで朝を迎えた著者は驚くことになります。
窓の真下に青い海があり、水平線上にはまさに昇ろうとする太陽が輝いていたのだ。
このペンションは、いやホテルは、海辺の斜面に建てられており、しかもここは、海を望む最上の部屋だったのだ。
眼の前には大西洋が迫り、ということは、その遥か彼方にはアフリカ大陸があるはずだった。

そしてとうとう、いくつもの偶然で訪れることになったサグレスの街で岩の上に寝そべり、崖に打ち寄せる大西洋の波音を聞きながら、旅の終わりを確信するのです。

普通の旅であれば目的地があり、そこで観光ないしは決まった日数を滞在すれば、その旅は終了となります。

しかし期限を定めず、バックパッカーとして旅を続けてきた著者には普通の旅とは違う、自身の内面的な旅の区切りが必要だったのです。

沢木耕太郎氏はこの旅を26歳のとき、1973年頃に経験します。
一方で深夜特急が世の中にはじめて発表されたのは1986年であり、この最終巻が発行されたのは1992年です。

つまり旅を終えてから20年近くが経過して完成した作品ということになります。
作家としてもっとも脂の乗った時期に若かりし頃の旅を振り返ったこともあり、作品前半の無軌道で刺激的な旅から、後半の感傷的で落ち着いた雰囲気の旅という、旅を人の一生になぞらえたようなシリーズ構成は素晴らしく、読者が作者と一緒に旅を疑似経験しているかのような臨場感があります。

これを見て刺激を受けた多くの若者が、著者と同じようにバックパッカーとして旅立って行ったに違いありません。

やはり若くて感受性の強い時期にこうした旅を経験することは素晴らしいことであり、逆に言えばある程度の社会経験を積み、家族や仕事を持った大人が決行する旅としては無謀過ぎるのかもしれません。

私自分身にバックパッカー旅行の経験はなく、今さら経験したいという願望もありませんが、それでも本書を読むと羨望のようなものは感じてしまうのです。

深夜特急5―トルコ・ギリシャ・地中海―



第5巻では、東アジア、南アジア、中東と旅してきた著者(沢木耕太郎氏)が、いよいよヨーロッパの玄関ともいうべきトルコへ入国することになります。

よくトルコは親日国と言われますが、著者が訪れた1970年代には「ロシアをやっつけた東郷元帥」を尊敬する老人がいたり、著者の観光ガイドを無償で買って出る若者がいるなど、今日以上の親日ぶりが伺えます。

さらに気さくに話かけてきてチャイやビールを奢ってくれるトルコ人も多く、長い旅に疲れ始めた著者には彼らの小さな親切が身にしみるようになってきます。

一方で理不尽に金銭を要求してくる輩も現れるため、やはり親日国といえども油断は禁物なことは今も昔も変わりません。

続いて入国したギリシャでは、いよいよ本格的なヨーロッパに入ったことを実感します。

著者はクロアチアなどを経由してオーストリア方面へ向かうルートはとらず、ヨーロッパの田舎と呼ばれるギリシャの中でさらに田舎と言われている南のペロポネソス半島を目指します。

田舎とはいえペロポネソス半島といえば、かつてヨーロッパで一番最初に文明が栄えた地域であり、遺跡の宝庫という点、寒いヨーロッパの冬を過ごす上で温暖な地中海沿いの方が快適に旅することができるといった点では悪い考えではありません。

ギリシャの旅ではアジアの国々で経験したような想定外のハプニングが起こることもなく、旅慣れてきた著者にとってそれは"安心"ではなく、"物足りなさ"となって感じてしまう点は興味深い心理です。

たしかに旅の性質が、バックパッカーの放浪という内容から目的地を目指す旅へと変わっったこともあり、旅の様子が落ち着いてきた印象を受けます。

多くの国でさまざまなことを経験するということは、自分自身へのインプットとなるはずですが、ギリシャから船でイタリアへ向かう著者の心にあったのは、自身が空っぽになってしまったかのような深い喪失感であったといいます。
旅がもし本当に人生に似ているなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。
人の一生に幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。
私の旅はたぶん青年期を終えつつあるのだ。何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた時期はすでに終わっていたのだ。
そのかわりに、辿ってきた土地の記憶だけが鮮明になってくる。
つまり長い旅の終わりを考えるべき時期を迎えていたのです。

深夜特急4―シルクロード―



デリーからロンドへバスで走破するという目的で日本を旅立った著者(沢木耕太郎氏)は、途中香港や東南アジア、インドに立ち寄り、シリーズ後半となる第4巻でようやくデリーから出発します。

本巻では、インド~パキスタン~アフガニスタン~イランというルートをバスで走破することなりますが、そこでパキスタンのバスは世界で最も恐ろしい乗り物であることを知ります。

運転手は眼の前にあるすべての車を追い抜かなければ気がすまないらしく、対向車線に大きくはみ出して前方のバスを追い抜こうとします。

しかし後続車に並ばれたバスもスピードを緩めず、猛スピードで2台のバスが並走することになりますが、そこにもう1台のバスが対向車として現れます。

それでもこの3台のバスはいずれもがスピードを落とすことなく、避けようともしません。

著者がもうだめだと眼をつぶり、再び眼を開けると不思議と3台とも何事もなかったように走っていると言います。

まさに神業ですが、もちろんそれがいつでも通用するわけではなく、事故も頻発しているようであり、当たり前のように乗客としての乗り心地は過酷なものとなります。

どうもパキスタンのバス運転手にとって後続車に追い抜かれたり、自分から対向車を避けたりすることは彼らのプライドが許さないらしく、それが乗客の安全よりも優先される感覚はなかなか日本人には理解できないものではないでしょうか。


本シリーズを通じて言えることですが、乏しい所持金で旅を続けるバックパッカーにとって重要な資質の1つは、「値切り」の交渉能力ではないかと思えてきます。

これもスーパーやコンビニ、チェーン店が溢れている日本人にとって慣れない習慣ですが、そもそも相手から提示される金額は交渉開始の値でしかなく、それをどこまで下げれるかは交渉次第ということになります。

著者の旅したこの時代にはインターネットがあるわけもなく、バックパッカーたちの間でその国の物価の相場感を把握しておくことも重要なことでした。

イランにあるイスファハンのバザールを訪れた著者は、バザールで気に入った懐中時計を見つけ3日がかりで値下げ交渉を続け、最初の提示額から半額以下で入手することに成功します。

この時に著者も少し値切り過ぎたと後悔しますが、世界に名高いペルシャ商人が損をするような価格で物を売ることはあり得ないと考え直し、尊敬の念すら抱くようになります。

本巻からはロンドンへのバス走破という具体的な目的へ向かって動き出し、今までのようにアテもなく1ヶ所に長期滞在することは少なくなります。

旅にテンポが生まれ始め、いよいよゴールに向かって動き出したという緊張感のようなものが、バスに揺られる著者の様子から読者にも感じられるのです。

深夜特急3―インド・ネパール―



デリーからロンドンまでのバス旅行を計画した著者(沢木耕太郎氏)は、途中で香港やバンコクを経由してかなりの時間を滞在することになりました。

そしていよいよバンコクからデリーへ出発しようという段階になって、行く先をカルカッタへ変更することになります。

インドといえば著者のようなバックパッカーたちにとって聖地と言われる場所です。

まずは物価が安いこともありますが、混沌として雑多なものを受け入れる懐の深さにハマってしまう旅行者が多いようです。

例に漏れず著者もカルカッタで香港以来の興奮を体験することになります。
それは街を歩いているだけで、日本では目にすることが出来ないさまざまな景色を見ることができるからです。
たとえば路上には、カラスと一緒に残飯をあさる老婆がいれば、犬に石を何個もぶつけて吠え出すかを賭けている子供たちもいる。牛に売り物の青草を盗まれる女もいるし、ネズミを商売のタネにしている男もいる。

お世辞にも衛生的とはいえない街中でこのような光景を見て、著者は次のような感想を抱きます。
カルカッタにはすべてがあった。悲惨なものもあれば、滑稽なものもあり、崇高なものもあれば、卑小なものもあった。
だが、それらのすべてが私にはなつかしく、あえて言えば心地よいものだった。

昭和22年(1947年)に生まれ、昭和30年代に少年時代を過ごした著者は、カルカッタの子供たちが粗末な服を着て路上を走り回っている姿を見て、貧しくも毎日が楽しかった少年時代を思い出していたのです。

その後もインドの各地やネパールのカトマンズへも訪れたりと精力的にインドやその周辺を動き回ります。

ヒンドゥー教の聖地・ベナレス(バラナシ)を訪れた際には、一日中死体焼場で焼かれたり、川へ流されたりする死体を眺め続けるといった過ごし方をしたりしています。

本来人が集まる街には、そこに住む人の数だけ死があるはずですが、たとえば路上の行き倒れといった光景を現代の日本のような街中で見かけることはなく、ある意味で"死"はなるべく人目につかないように隠蔽されていると考えることができ、本来インドのような光景の方が自然なのかもしれません。

著者は人気のある観光名所にほとんど興味や感慨を抱くことはなく、異国の地に住む人びとやその生活の営みの中に異文化の刺激を受けることを求めていたのです。

そうした意味ではインドは著者にとって期待を裏切らない土地であったことは間違いなく、同時にこの旅の中でハイライトといえる場面であったかもしれません。

深夜特急2―マレー半島・シンガポール―



香港とマカオでの滞在を存分に味わった著者(沢木耕太郎氏)は、次なる中継地であるバンコクに降り立ちます。

元々の旅の目的はデリーからロンドンまでバスで移動するというものでしたが、厳密な旅行日程があるわけでもなく、気に入った街があれば気が済むまで滞在するというバックパッカーらしい旅行を続けていたのです。

ただ1つの難点といえば旅行資金が潤沢ではないため、その国でもっとも安い部類の宿に宿泊し、食事も訪れた国の安くて大衆的な料理を選択するという、倹約を通り越して完全な貧乏旅行であったという点です。

それは物価の安い東南アジアでも変わらず、一泊450円の宿に滞在し、75円の定食を食べるという徹底ぶりでした。

バンコクもタイの首都というだけあって賑わっている町でしたが、著者は香港やマカオで味わった興奮と比べて物足りなさを感じていました。

もちろん旅行で訪れた国が自分にとって肌が合う合わないは個人差であり、さらに言えばたまたま出会った人に騙されたか、逆に親切にしてもらったかという偶然性によっても印象は大きく変わります。

著者はとにかく次なる目的地をシンガポールに定め、バンコクから列車でマレー半島を南下することにします。

それでも一気に電車で走破するようなことはせず、気になった土地があれば途中下車して何日か滞在するといった気ままな旅が続きます。

安さを求めて滞在した宿が娼婦宿だったこともあり、そこで娼婦ばかりか彼女たちのヒモとも仲良くなるという貴重(?)な経験をしながら少しずつ南下してゆき、とうとうシンガポールに辿り着きます。

そこでは日本の特派員と偶然知り合い色々と面倒を見てくれますが、そこでも香港で出会ったような刺激には経験できない自分に漠然とした不満を抱くことなります。

そして著者はそこであることに気付きます。
それはシンガポールはシンガポールであって香港ではなく、本来まったく異なる性格を持っているはずの街で香港の幻影を追い求めてしまったことです。

新しく訪れた街で別の楽しみ方を発見できていれば、もっと刺激的な日々を過ごすことが出来たのではないかと気付くのです。

とはいえ、言うまでもなく香港は中国の文化そももの街であり、東南アジアの各都市も少なからず中国、つまり華僑の文化的影響を受けていることは間違いありません。

そう総結論を出した著者は、中国の文化圏に属さない、明らかに異なるもう1つの文化を持つ国"インド"へ向かって旅立つことを決意するのです。

ところで文庫版の深夜特急には各巻末に本編とは別にゲストとの対談が収録されています。
今回紹介した第2巻では、1984年に「平凡パンチ」に掲載された著者と高倉健氏との対談が掲載されており、2人の波長が合うせいか、彼の寡黙なイメージとは違い、多弁で本音を語る高倉健が垣間見れるもの興味深いです。

深夜特急1―香港・マカオ―



ノンフィクション作家沢木耕太郎の代表作の1つが今回紹介する「深夜特急」です。

彼は1947年生まれの団塊世代ですが、大学を出て就職するものの、たった1日で会社を辞めてしまい、26歳のときにインドのデリーからイギリスのロンドンまでバスを使って旅をすることを思い立ちます。

いわゆるリュック1つで旅行をするバックパッカーですが、当時はまだそうした言葉もなく、彼らは単なる旅好きのヒッピーと見なされていました。

直通でデリーへ向かうことも出来ましたが、たまたま入手した格安チケットが2箇所の中継点を経由(ストップオーバー)できるチケットだったため、著者は香港とバンコクを経由することにします。

バックパッカーといえば少しでも長く多くの外国を旅するため、快適さよりも値段を重視して倹約に努めながら旅を続けます。
いわゆる貧乏旅行ということになりますが、香港に降り立った著者は、ゴールデン・パレス・ゲストハウス(通称:黄金宮殿)という宿に腰を落ち着けることになります。

大げさな名前が付いていますが、そこは一泊1000円の汚く狭い部屋が用意されているだけであり、怪しい人物が出入りしている宿だったのです。

いきなり最初に訪れた香港の空気が著者に合っているのか、著者は毎日のように積極的に香港中を観察します。

そして香港の住人、怪しげな人、学生、香港で働く日本人、同じ境遇にある旅人など、出会う人びとも雑多であり、まさしくバックパッカーとしての醍醐味を味わうことになります。

香港からフェリーに乗ってマカオにも訪れ、その代名詞でもあるカジノを体験することになります。

はじめは初体験のカジノで少し遊ぶだけのつもりでしたが、結果的に飲食も睡眠も忘れて熱中するほどのめり込むことになり、いきなり所持金をすべて失う危機にも遭遇します。

そこでカジノには運の要素だけでなく、ディーラーとの駆け引きや確実に存在するインチキといった多くの要素が複雑に入り混じって成立していることを知ります。

カジノは駆け引きや心理状態を描写するだけで1冊の長編小説が書けるほど奥深いものであり、著者もその魅力にすっかりハマってしまうのです。

まだまだ目的地からほど遠い、香港界隈で時間が過ぎてゆく様子から、読者としては本当にこの旅は目的を達成できるのかと疑問を持ってしまいますが、よく考えると使用できるお金には限度があるものの、日本での仕事を整理して旅立った著者には時間的な制限はなく、好きな場所に好きなだけ滞在するという旅の仕方はバックパッカーの特権であるといえます。

若者らしい強い好奇心と旺盛な行動力、そして方向性の定まらない情熱といったものが混沌となって異様にテンションの高い内容になっており、のちに多くのバックパッカーたちへ影響を与えた作品であることが納得できる1冊です。

襲来 下



早くから外敵の襲来を予言していた日蓮からの依頼によって、小湊片海の元漁師であった見助はたった1人で対馬へ赴ことになります。

見助は外敵が一番最初にたどり着くであろう対馬において様子を探るという任務を帯びているわけですが、その滞在期間はなんと10年を超えることになります。

日蓮は外敵の襲来を予言はしても、その具体的な時期までは言及しなかったからです。

いかに尊敬してやまない日蓮の頼みとはいえ、生国から遠く離れた地で何年もの間を過ごすというのは尋常ではありません。

しかし見助はそこで無為に日々を過ごすのではなく、土地の言葉や習慣を身に付けて、自然と島人の1人として暮らすようになり、密かに思いを寄せる女性にも出会うことになります。

言わば10年という月日は、見助が対馬の住人の1人としてモンゴル襲来を体験するための準備期間であったということになります。

見助と遠く離れた日蓮は、松葉ヶ谷の法難に引き続いて伊豆や佐渡ヶ島へ流罪となるなど、幾度となく困難を経験することになります。

そして見助の身にもついにモンゴル襲来という形で危機が訪れることになるのです。。


本作品はタイトルにある通り、モンゴル襲来という大きな歴史的来事を軸としながらも、本質的には見助と日蓮という2人の生涯、そしてその絆を丁寧に描いている作品です。

上下巻合わせるとかなりの分量になりますが、生まれ故郷を出ることなく田舎の漁師として一生を終えるはずだった見助が、日蓮をはじめ多くの人びとと出会い成長してゆくという物語です。

日蓮や北条時宗を主人公とせず、あえて彼らと同時代を生きた名も残らない民衆の1人を主人公とすることで、新鮮な視点を与えてくれます。

そして見助が出会い一緒に過ごす人びとの大部分も同じく歴史書に登場しない民衆たちであり、歴史小説というより歴史文学といった印象を受けた作品でした。

襲来 上



タイトルにある「襲来」とは元寇、つまりモンゴル襲来を意味しており、鎌倉幕府の御家人たちとモンゴル軍との戦を描いたスケールの大きな歴史小説だと思い読み始めた1冊です。

しかし私の勝手な予想は外れ、本作品の主人公は安房の小湊片海で育った漁師・見助です。

見助は生まれて間もなく両親を海の事故で亡くして孤児となり、地元の漁師・貫爺さんに育てられます。

小湊片海といえば鎌倉仏教を代表する僧の1人である日蓮の生まれた地であり、この作品のもう1人の主人公として登場します。

姓を持たず、文字の読み書きも出来ない見助が日蓮と出会うことで運命が大きく動いてゆくことになります。

日蓮は地元の天台宗寺院・清澄寺で修行を積みますが、遊学や思索を重ねる中で当時の主流だった念仏や禅宗といった考えと決別し、法華経こそが日本を救う経典であることを確信します。

日蓮は学問だけではなく、実践を重んじた僧でもあったことから、幕府の中心地であった鎌倉へ旅たち、そこで布教を始めることになります。

この時に見助は日蓮の弟子というより、彼の身の回りの世話をする従者として一緒に鎌倉に出ることになります。

見助は田舎の漁師出身らしく素朴で実直な性格であり、日蓮の教えというより彼の人格そのものに心酔して付き添うことになるのです。

今までにない新しい教えを広めようとする日蓮は、当然のように既存勢力の宗派から迫害されることになります。

見助はその一部始終を体験することになりますが、それでも信念を微動だに曲げようとしない日蓮をますます尊敬するようになり、陰日向となって日蓮の行くところに付き添います。

しかし松葉ヶ谷の法難(念仏勢力によって鎌倉の草庵が襲撃された事件)の後に、日蓮は見助へ対して対馬へ赴くようお願いされます。

日蓮は間違った仏教の教えが日本へ災難を招くと考えており、もっとも大きな災難の1つとして外敵の襲来を挙げていました。
つまり日蓮はモンゴル襲来を予め予言していたことになり、その真相を日蓮の目となり、手足となり確かめることを任せられたのです。

生まれ育った小湊片海を離れ、そして尊敬してやまない日蓮とも別れ、1人西国へ旅立つことになった見助の人生は大きく動き出すことになります。

平和でゆっくりと時間が流れてゆく田舎で育った若者が、都会に出てさまざまな人と出会い、自身も変わってゆくというストーリーは、時代設定を変えればそのまま現代小説にもなる構図です。

作品は見助の視点から描かれて進行してゆき、日蓮の生涯はもちろん、鎌倉幕府の混乱やモンゴル襲来といった時代の大きな動きもそこから垣間見ることができ、歴史小説であると同時に一介の漁師であった見助の心の中を描いた作品であるとも言えます。

日本の伝説



日本の民俗学を確立し、「遠野物語」で有名な柳田国男による1冊です。

遠野物語が特定地域(岩手県遠野地方)に伝わる民話を収集したのとは対照的に、本書はその範囲を全国にまで広げて、似た内容の伝説が日本各地に点在することを紹介、考察した内容になっています。

本書で紹介されている伝説を簡単に紹介してみます。

・咳のおば様

咳に苦しむ人びとがお婆さんの形をした石像、または石へお参りすると治るという民間信仰を紹介しています。 御利益は場所によって微妙に異なり、参拝対象がお地蔵様や焔魔堂だったりする地域もあるようです。

・驚き清水

大声で特定の言葉を発したり、悪口を言うと井戸や清水が泡立ったり、さざ波が立ったりするという伝説です。 場所によっては念仏を唱えたり、手を打ったり、対象が温泉や池の場合もあります。

・大師講の由来

日本各地に存在する弘法大師が霊力により清水を沸かせた、または井戸の場所を教えたという伝説を紹介しています。 私の住んでいる町にも弘法大師由来の井戸があります。 共通するのは、大師様が旅の途中で水に困っている住人を救うために清水を授けたという点です。

・片目の魚

特定の池、または清水に生息する魚がすべて片目であるという伝説です。 神域に存在することが多いためか、片目の魚には毒がある(=食べてはいけない)という言い伝えとセットになっている場所も多いようです。
片目伝説が魚ではなく、蛇である場合もあり、かつて一つ目という特徴がある意味では貴い存在であり、怖れられていたようです。

・機織り御前

人里離れた山奥で山姥(やまんば)が機を織るという伝説です。 「山姥=山の神」として信仰している地域は多く、また綾織神社として祀っている地域もあります。

・御箸成長

貴人が地面に差した箸が成長し、二本の大木となった伝説です。 場所によって箸の持ち主は日本武尊であったり、親鸞上人、源頼朝や義経、新田義貞などレパートリー豊かです。

・行逢阪

自分の土地を治めていた二人の神が、同時に出発してお互いが出会ったところを境界線としたという伝説です。 大和(春日様)と伊勢(伊勢の大神宮様)、信州(諏訪大明神様)と越後(弥彦権現様)という大きな単位から、村の境という規模まで様々であったようです。

・袂石

旅先で拾った石や海底から見つけた石がだんだんと大きくなったため、祀るようになったという伝説です。 小石が大岩に成長し、何度も社殿を造り替えたという地域もあるようです。 石には神様が宿ると考えられており、こうした話は自然のように信じられていました。

・山の背くらべ

日本各地にある山同士が背くらべをしたという伝説を紹介しています。山はなぜか負けず嫌いだったようです。
背くらべに負けた山で、競争相手だった山の名前を出すと神罰が下るという場所もあるようです。

・神いくさ

山の背くらべの続きです。
有名どころでも富士と筑波山、同じく富士と浅間山など、富士山に背くらべを挑んできた山は多かったようです。
もっとも有名なのは日光山(男体山)と赤城山の争いで、背くらべではなく本格的な戦争にまで発展しました。 その場所は戦場ヶ原として今でも有名です。

・伝説と児童

子どもと一緒に遊んだり、農作業を手伝ってくれたりと、お地蔵さんが人間の姿に化ける伝説を紹介しています。 場所によっては夜遊びをするお地蔵がいたりしますが、それだけ民衆にとってもっとも身近な神様だったことを裏付けています。
地蔵信仰は同じく身近だった道祖神(塞の神)信仰と習合し、色彩豊かな伝説を残しているようです。

本書が発表されたのが昭和15年ですから、80年余りが経過したことになります。

かつてどの地域にもあった伝承や民話は失われつつあり、もはや都会ではまったくというほど耳にしないことに少し寂しい気持ちになるのは私だけではないはずです。

病と妖怪



弘化三年(1846年)、肥後国の海中より現れた妖怪は次のような言葉を残して再び海に姿を消したといいます。
私は海中に住む"アマビエ"という者です。
当年より六ヶ年の間、諸国豊作となるでしょう。
しかし、同時に病も流行します。
早々に私の姿を描き写して人々に見せない。


この絵は当時配られた瓦版に描かれたアマビエの姿ですが、愛嬌のあるイラストということもあり、コロナ流行に伴いあっという間に有名になり、厚労省のポスターにも採用されるようになりました。

本書はアマビエに代表されるように、疫病と妖怪との関係を考察した本です。

実際にこの当時の日本では、コレラ(赤痢という説もある)が流行り、多くの人びとが亡くなりました。

しかしアマビエ同様に、未来の疫病を予言して自らの姿を描き写して人びとに見せることで厄災から逃れることができると言った妖怪は日本各地で伝わっており、姫魚(般若の顔をした人面魚)、アマビコ(三本足の猿)などが有名だそうです。

ただし彼らの姿を写した絵図は、祈祷絵を売る商売人たちにとって貴重な収入源であり、自分の姿を描き写すという忠告の部分は商業的な意図で創作された可能性もあります。

アマビエのような存在は、広い意味では予言をする妖怪と定義することもでき、件(くだん)と呼ばれる老人の顔をした牛も紹介されています。

しかも件については、アマビエよりも数段有名だったようであり、明治以降もさまざまな場所に現れては予言を残しており、昭和に入ってからも太平洋戦争の敗戦を予言した件も現れたという記録があるようです。

またこの件は非常に短命であり、予言を残して3日程度で絶命してしまうそうです。

さらにそこから平安時代や鎌倉時代に遡り、同様の妖怪を紹介してゆき、昔から日本には予言を行う怪鳥など不思議な生き物が記録として残っていることが分かります。

さらに予言と厄災よけの妖怪から一歩踏み込んで、幸福を呼び込む幻獣が紹介されています。

ここでは麒麟(キリン)、龍、鳳凰といった現代人にも馴染みのある幻獣が紹介されおり、その多くが中国から輸入されて日本独自に解釈されてきた歴史的な流れが分かってきます。

電子顕微鏡によってウィルスの存在を目で認識できるようなってから100年も経過していませんが、それ以前の疫病は原因のよく分からない厄災であり、本書に登場する妖怪たちが活躍した時代でもあったのです。

一方で科学医療が発達した現代においても、世界中で疫病(ウィルス)の蔓延を防ぐことは出来ておらず、その存在が分かっているだけで、人知を超えた恐ろしい存在であることは今も変わらないのかも知れません。

妖怪を通じて昔の人びとが疫病や災害とどうやって向き合って来たのか、どういう民間信仰を持っていたのかを知ることは決して無駄なことではなく、例えば精神的にコロナ禍を乗り越えてゆくためのヒントが隠されているような気がするのです。

マスクをするサル



過激なタイトルというのが第一印象です。
つまり最初は「コロナ禍においてマスクをしている間抜けをサル呼ばわりする」挑発的な評論家なのかと思いました。

しかし本書を読み始めると、すぐに著者の正高信男氏は霊長類学者、つまりサルの研究者であるため、侮蔑的な意味で"サル"という言葉を使う立場の人ではないことが分かります。

そして著者は医学の専門家ではないため、コロナウィルスそのものには言及していません。
あくまでもタイトルにある"マスク"を中心として、コロナ禍が人類へもたらす影響をユニークな視点から考察しています。

霊長類学に留まらず、人類学、社会学や心理学、文学など多様な視点からポスト・コロナを論じていますが、それをわかり易く要約すると次のようになります。
マスクを着けることに不自然さを感じなくなった時、それは下半身にはいた下着と同じものになるかもしれない。
その時、マスクなしに人目に晒されることに、今度は恥じらいを感じ始めるのではないかと推測される。

人類史全体から見れば下着を付け始めたのはごく最近の出来事ということになります。
そして時代とともに自らの身体の一部を人目から隠すための衣類・装飾品が増えているのは事実であり、著者が論じるように、そこにマスクが加わる可能性はゼロとは言い切れません。

また最近流行りの芸能人の不倫報道を意識した、性の解放といった話題にも言及しています。

倫理的、道徳的な観点から不倫は世間から非難されるべき行為とされていますが、その大前提にあるのが一夫一妻制です。

一方で数百万年前に人類の祖先が地球上に出現して以来、つい最近(紀元前5000~3000年頃)までは乱婚、つまり気の向くままに性交渉と営んできたといいます。

これは人類の生活スタイルが、狩猟採集生活から農耕・牧畜生活への様式へと変わっていたことに密接に関係しているといいます。

元々芸能人の不倫報道には関心がありませんが、人類学、歴史学という壮大なスケールから考察してゆくと、不倫が何だかちっぽけな問題に見えてくるから不思議です。

こうした内容を大雑把に総括するならば、歴史が進んでゆくに従い人間が構成する社会の仕組みは変容してゆき、制度やそこで生活する人間の心理も一緒に変化してゆくということです。

ただし本書はあくまでも一個人が、コロナが人類へ及ぼす影響は独自の視点から思案したものに過ぎなく、その主張を他者へ押し付けるといった性質の本ではありません。

コロナ禍で日常を窮屈だと感じている人が、手軽に知的好奇心を満たすための1冊として読んでみては如何でしょうか。

深海の使者




第二次世界大戦において枢軸国(三国同盟)が連合国に敗れた要因の1つとして、同盟国間の連携が取れていなかった点が挙げられます。

特に主力となったヒトラー率いるドイツはヨーロッパ、北アフリカ、日本は太平洋全域、中国、東南アジアが主な戦場となり、作戦エリアが重なることはありませんした。

たとえばノルマンディー上陸作戦で連合国側が同じ戦場で大規模な連携をした例と比べると、対照的であるといえるでしょう。

しかし本作品からは大戦中において日本とドイツがまったく連携をしなかった訳ではなく、むしろ積極的に試みようとしたことが分かります。

まず陸路はドイツの交戦中であるソ連が横たわり、物資や兵器のやり取りをするのは不可能です。

そこで空路か海路の選択肢となりますが、空路は日本側が領空侵犯によって中立条約を結んでいるソ連を刺激することを恐れ、かつ当時の航空技術の限界もありイタリアとの間で1度成功しただけでした。

残るは海路となりますが、まず戦艦や巡洋艦ではアメリカやイギリスが優勢である大西洋を無事に航行するのは不可能であり、消去法として海中を航行できる潜水艦が唯一の手段となりました。

本書では戦時中に日本~ドイツ間で幾度となく行われた潜水艦による両国の軌跡がまとめられています。

インド洋を横切りアフリカ大陸を迂回して大西洋を北上するというルートですが、その距離は3万キロにも及び、片道で約3ヶ月間もの時間を要しました。

当時の潜水艦は艦内の空気を定期的に入れ替える必要があったため、連続して潜水できるのは1日が限界であり、かつ水中速度が遅いという技術的な課題がありました。

しかも第二次世界大戦からは電波探知機(レーダー)が本格的に導入され、広い海域であってもつねに敵に探知される可能性があり、かつ日本のこの分野の技術力は遅れをとっていました。

つまり唯一残された潜水艦によるドイツへの航行でさえも決死行となり、実際に無事に航行できた潜水艦よりも海底へ沈んでいった潜水艦の方が多いという悲劇的な結果となります。

斬新な視点で描かれた戦争小説であり、わずかに残った行動日誌や断片的な記録、生存者への取材を元に作品を完成させた吉村昭ならではの作品といえるでしょう。

航行中の出来事、艦内の様子が詳細に描かれているのはもちろん、その背景にある両国上層部の思惑についても丁寧に解説されており、壮大で完成度の高い長編小説になっています。

一方で本作品で触れられている詳細な航海の様子は、前述のように運良く任務を果たすことのできた一部の潜水艦の記録であり、大部分は多くの乗組員の命と一緒に暗黒の海底へ没してしまったことを考えると、何とも言えない気持ちになります。

本作品が発表されたのが昭和48年(1973年)であり、戦争から経過した月日を考えると、今後本作品のような戦争記録小説が生まれる可能性が無いのが残念です。

それだけに大切に後世へ読み継いでゆきたい作品です。

たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣



本ブログではビジネス書を滅多に紹介していませんが、これは単純に私が普段読まないためです。

もともとビジネス書を読まなかったわけではなく、社会人になって数年間はそこそこの数を読んできましたが、どれも似たような内容に食傷気味になり、いつしか遠ざかってしまったのが原因です。

最近流行っている妙にタイトルの長い本ですが、文庫本として手軽に読めるビジネス書ならば久しぶりに読んでみようと、新刊コーナーに置かれていた本書を何気なく買い求めてみました。

著者の杉本宏之氏は、20代で独立した不動産業で業界史上最短&最年少で上場を果たしますが、リーマンショックにより業績が急転直下し、会社は民事再生となり自らも破産するという憂き目を見ます。

しかしそこから再起を図り、現在は株式会社シーラホールディングスの社長として順調に業績を伸ばしているやり手の経営者です。

1977年生まれで私とほぼ同年代にも関わらず、波乱万丈の経験を送ってきたと言えます。

著者は若くして上場企業の社長になった頃はとにかく勢いで業績を伸ばし、自分の欲求に任せ何も考えずに片っ端から買い物をしていたといいます。

しかし一度挫折した後には真剣に経営や財務、投資の勉強を続け、失敗の経験を次に生かしたために再起に成功したのです。

著者は本書を高尚な経営指南の本ではなく、こうした経験から学んだ備忘録であると述べています。

本書の目次を一部抜粋してみると、誰にとっても基本的で目新しい内容ではないいように見えます。

  • 日頃から倹約を心がければ経費削減など必要ない。
  • 分からない事を分かるふりをすることは最も愚行である。
  • 人こそが最重要資産である。
  • 成功者にとって謙虚さと感謝が最も大事な想いである。
  • 常に自問自答せよ
  • 悔しいなら、圧倒的な努力をせよ。

普通に基本的な内容を書き連ねても、読者にとっては退屈なだけです。
一方で、どんな分野でも基本こそがもっとも大事なことも変わりありませんし、「基本=愚直なことを継続すること」というタイトルに繋がっています。

本書の優れている点は、基本的な内容と共に著者の成功や失敗といった浮き沈みの激しい経験談が一緒に語られることで、読者を飽きさせないビジネス書になっている点です。

さらに付け加えるならば、過去に手痛い失敗を犯してしまった人間でも学び続けることで再起を図ることができるという勇気を読者へ与えています。

本書ではじめて知った会社と著者ですが、今後の動向を追い続けてみようと思わせる1冊でした。

兵士は起つ



ノンフィクション作家である杉山隆男氏は「兵士シリーズ」として長年に渡り自衛隊を題材とした作品を発表し続けています。

本書は3.11 東日本大震災で活動した自衛隊員たちの姿をノンフィクションとして発表した作品です。

当時は自衛隊の活躍が連日メディアで報道され続け、日本中がその存在に注目するきっかけとなりました。
その後も洪水などの自然災害でたびたび自衛隊が派遣され、迷彩服姿の自衛隊員が被災地で活動する姿に違和感を感じる人は少なくなったのではないでしょうか。

本書では自衛隊員1人1人の体験、そしてその心の声にフォーカスを当てたノンフィクション作品ならではの魅力が詰まっています。

震災が家族に及ぶ可能性があるにも関わらず、職場を離れることの出来ない人はそう多くはないと思います。

いざとなれば仕事よりも家族の安否確認を優先する人がほとんどでしょうし、それはまったく非難されることではありませんが、自衛隊においては震度6以上の地震が発生した場合に以下の行動基準が存在します。
別命なくば駐屯地に急行せよ

つまり職場はもちろん休日に自宅にいようが外出していようが、駐屯地へ向かうことが優先されるのです。
そしてこれは自衛官の服務宣誓に基づくものであることは明らかです。
「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える」

実際に自衛隊は真っ先に震災地へ入り、人命救助、同時に犠牲者となった遺体の回収任務に当たることになるのです。

本書には自らが津波に押し流されながらも、助けを求める人を救助する隊員、湖面のようになった町の中へゴムボートで漕ぎ出し人命救助を続ける隊員たちの体験が生々しく描写されています。

そして多くの隊員たちにとってはじめて体験することになるのが、瓦礫の中から遺体を見つけ出し、運び出すという任務です。

隊員たちは不眠不休に近い極限状態の中で、辛い気持ちを押し殺してひたむきに何体もの遺体を運び出し続けます。

そんな屈強な隊員たちでも子どもや親子の遺体には「こたえる」と言います。
まして自分に同じ年頃の子どもがいればなおさらです。

福島第一原発事故の現場へいち早く駆けつけた中央特殊武器防護隊、そして彼らとともに原子炉への海水投下や地上からの放水を行った第一ヘリコプター団も本書では紹介されています。

"特殊武器防護隊"とは、核・生物・化学兵器などを利用した無差別テロが起こった際に、いち早く現場に急行して除染などの作業を行う部隊のことです。

放射能という目に見えない脅威に国民が不安になっている中、正しい専門知識を身に付けたスペシャリストを現場へ派遣できるのは自衛隊だからこそといえます。

それでも何が起こるか分からない現場へ派遣される隊員を家から送り出す家族の気持ちは不安であり、そうしたエピソードも本書では触れられています。

自衛隊の活躍が大きく報道され、私も人命救助に従事する彼らをヒーローと称えることを否定しませんが、逆に自衛隊が目立つ状況だということは、それ相応の危機が起こっていることを意味し、彼らの存在が目立たない日常の方が私たちにとっても自衛隊員にとっても本望なのは言うまでありません。

本書ただひたすらに東日本大震災に際しての自衛隊の現実を描き出した作品であり、日本の防衛問題を論じたものではありません。

それでもその延長線上には、日本の有事、つまり国民に命の危機が訪れた時の自衛隊のあり方という問題が確実に存在するのです。

残夢



副題には「大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯」とあります。

坂本清馬は、1910年(明治43年)に起きた社会主義者や無政府主義者への政治弾圧である幸徳事件における24人にも及ぶ逮捕者の1人であり、メンバーの中で最後まで生き残り、戦後に再審請求を起こした人物です。

結果だけを書くと再審請求は棄却され、坂本の念願は叶うことなく1975年(昭和50年)に89歳の生涯を閉じることになります。

著者の鎌田慧氏は、国家権力が不当に無実の人間の自由と命を奪いかねない危険性、例えば冤罪事件などを積極的に取り上げるノンフィクション作家として知られています。

そもそも現代において"大逆"はあまり聞き慣れない言葉ですが、君主へ対する反逆を意味する言葉で戦後までは普通に使われていました。

かつて日本では、大日本帝国憲法の刑法第73条に該当する人物を大逆罪として定義していました。
天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫に対し危害を加へ又は加へんとしたる者は死刑に処す

名目上、戦後までの日本は天皇を頂点とした国体であったため、大逆の対象は天皇だったと考えればわかり易いはずです。

場合によっては「天皇へ危害を加えようと考えた時点で死刑」という意味にもとれるかなり厳しい内容ですが、実際にこのような解釈で利用されることになります。

24人が逮捕された幸徳事件では12人が死刑、12人が無期懲役となりますが、まず首魁とされた幸徳秋水自身が事件に関与した確固たる証拠がなく、明らかなのは逮捕者のうち3人の若者が実現性のない放談レベルで天皇暗殺を話題にしたという程度だったといいます。

問題はそれを話し合ったのが明治政府を批判する社会主義者であったという点であり、政府の立場から見れば国家転覆を狙う社会主義者を一網打尽にする好機として利用した出来事だったといえます。

今から振り返れば幸徳秋水らに国家を転覆させるような影響力、経済力、軍事力が無かったことは明らかであり、実際には日々の暮らしにも困窮していたほどです。

そこからは明治の元勲と言われる首脳陣らがロシアに代表される社会主義革命を必要以上に恐れていた時代背景が見えてきます。

例えば当時「社会学」、「社会教育」、「昆虫社会」など、内容に関係なく"社会"の二文字が付く本は片っ端から発行禁止にされていたらしく、まるでアレルギー反応のような思想弾圧が行われていました。

本書で取り上げられている坂本清馬は、25歳のときに逮捕されて49歳に仮出獄するまで実に23年以上も監獄で過ごしました。

彼の性格は典型的な直情径行型であり、融通が効かない分、一途な行動力は有り余るほどありました。

獄中でも自分が正しいと思ったことは曲げず何度も懲罰を受けたといい、そのせいもあって釈放された人の中ではもっとも長い刑期を過ごすことになります。

人生における貴重な時間を監獄で過ごし、また彼の性格もあって出所後も決して器用に生きることは出来ませんでしたが、それでも彼の行動力は健在であり、支援者らとともに再審請求を起こすことになります。

著者も決して坂本を偉人として取り上げたわけではなく、彼の人生を通じて過去だけでなく、現在でも起こりかねない国家権力暴走の危険性を訴えかけているのです。

本来、法律は自分を守る武器となるはずですが、それを国家が濫用した場合には個人を抹殺する兵器にもなり得るのです。

史実を追う旅



吉村昭氏の作品には、誰もが知っている歴史的大事件を題材にしたものもあれば、殆ど世の中から忘れ去られてしまった事件を掘り起こしたものもあります。

本書にはこれらの作品を手掛けようとした動機、また作品が生まれるまでの舞台裏などがエッセイ風に紹介されている1冊です。

吉村昭氏の作品をあまり読んだことのない人であれば、エッセイ風に作品の目録が掲載されている本として、既にファンであれば作品の創作秘話を垣間見れる1冊として楽しむことができます。

著者は綿密な取材や調査を通じて、事実をなるべく正確に書くことを心がけてきました。
そのスタイルから"記録小説"と呼ばれることもありますが、単純に歴史的事実を並べただけではまったく小説は成立しません。

江戸時代の事件であれば、記録と記録の行間を埋めるための描写が必要となりますし、近代の事件を題材とする場合には、関係者や遺族が存命の場合もあることからプライバシーに考慮することが求められます。

さらに重要なのは、小説において題材とした事件を歴史的にどのように位置付け、どのような視点で描くかは完全に作者自身の主観によって決めるものであり、それを誤ったため桜田門外の変を扱った作品は2度も作品を書き直したといいます。

零式戦闘機を題材とした作品を描いたときには、その設計者である堀越二郎氏は吉村氏の文章が80パーセントの正確さしかないと指摘し、自分の技術論文をそのまま作品に転載するように求めたといいます。

しかし吉村氏は80パーセントのままで十分だと返答し、その理由を次のように説明しました。
老練な編集者は、多少誇張があるかも知れませんが小説家の書く文章の一行を読んだだけでも、だれのものかわかるのです。
私は、学生時代から小説を書いてきていますが、それは文章との闘いということにつきます。
堀越さんの論文をそのまま引き写せば、私が今まで小説を書いてきた意味はなくなります。正確度80パーセントでもいい、と言ったのは、このような理由からです。

これは読者の立場から考えても、専門書や学術書のように小説としての娯楽性が失われた作品を読むのは苦痛となるはずです。

本書は気楽な話題に終始するエッセイではなく、プロの作家としてのプライド、そして仕事へ対する厳しい姿勢も垣間見れる1冊になっています。

旅行鞄のなか



著者の吉村昭氏は、いわゆる書斎に籠もって小説を構想して執筆するタイプの作家ではありません。

彼の執筆スタイルは記録小説と言われる通り、史実に基づいた作品を書くことで知られています。

そのため小説の舞台となった場所を訪れ、丹念に記録を調べ、関係者への取材を行うために、必然的に取材旅行の機会が多くなるフィールドワークを重視するタイプの作家といえます。

本書はそうした旅先で出会った人びと、グルメや酒のことなどをエッセーとしてまとめた1冊です。

作家として長年に渡り活躍してきた著者の取材旅行スタイルは確立しており、本書によるとおおよそ次のようなものです。

<昼間>
図書館、古書店などをまわったり、人に会って小説の背景になる地へ案内してもらったりする。

<夕方以降>
ホテルに戻って入浴し、街へでかける。
地元の小料理店風のカウンターで地酒を飲み、その後に中流程度のバーに入り、最後にホテルにもどってバーでウィスキーの水割りを三、四杯飲んで就寝する。

長年の旅行取材によって培われた経験と勘で、期待はずれの店を物色してしまうことはないといいます。

また本書ではまったく触れられていませんが、かなりお酒が強かったと思わせるエピソードが幾つかあり、著者の意外な側面を見ることができます。

加えて本書には旅以外のエピソードも収めされています。

読者から作品の誤りを修正されたときにはお礼の返事を書く、原稿の締切には一度も遅れたことがないというエピソードからは著者の几帳面な性格が伺えますし、少年時代からの読書遍歴や交友関係といったエピソードからも人間としての輪郭が見えてきます。

客観的に見れば、まるでブログのようなたわいのない話題ばかりですが、それでも好きな作家のエピソードは読んでいて味わい深くて楽しいものなのです。

流星ワゴン



不景気で会社をリストラされ、妻は浮気に走り、受験に失敗した息子は家庭内暴力を振るうようになる。。。

そんな一家の父親である主人公・永田一雄(38歳)は壊れつつある家庭を目に前にして、
「もう死んだっていいや」
と投げやりな気持ちになります。

そんな一雄は、故郷で入院する父親を見舞った帰り道で1台のワインカラーのオデッセイに出会い乗車することになります。

そこにはかつて新聞記事で目にした、5年前に事故で亡くなったはずの橋本父子が乗っていたのです。

少しホラーっぽいですが、これが作品プロローグです。

かなり不幸な状況にある主人公ですが、1つ1つの結果には過去に岐路となる出来事があり、橋本さんたちの不思議な力によって主人公の一雄はそうした場面へタイムスリップすることになります。

多くの映画や小説作品で使われるいわゆるタイムトラベラーという設定ですが、主人公は過去のある時点に戻って自分の意志で行動することは出来ても、未来(結果)は変えられないというルールがあります。

死にたいほど不幸な現状を変えることが出来ないと知りつつ、タイムスリップを繰り返すことに苦しむ主人公ですが、そこにはもう1人のタイムトラベラーが登場します。

それは病院で意識不明の危篤に陥っている父親であり、彼は自分と同じ38歳の姿として登場するのです。

SF小説にありがちな時間を何度も往復することで展開が複雑になるということはなく、ストーリーそのものは至ってシンプルです。

つまりタイムスリップという仕掛けはあくまで作品を構成する装置の1つに過ぎず、親子で繋がれてゆく人生そのものが作品のテーマであり、結局は著者の重松清氏らしい作品であるといえます。

決してバック・トゥ・ザ・フューチャーのような派手な展開にはなりませんが、人間ドラマとして楽しめる構成になっています。

主人公と同じアラフォー男性にもっとも突き刺さるストーリーでもあり、忙しく働いているサラリーマンを応援してくれるような作品であると感じました。

鉄のライオン



最近はノンフィクションや歴史ものを読む機会が多かったこともあり、気分転換に普通の小説作品を手にとってみました。

本書は著者自身の大学生時代のエピソードを元に書き上げた青春小説です。

著者である重松清氏の年齢は私よりひと回り年上ですが、田舎から大学進学のために上京してきたという点は作品中の主人公と共通しています。

さらに言えば、あまり勉学に熱心でなかった点、お金に余裕がなかった点、それでもお酒を飲む機会だけはやたらと多かった点なども作品に登場する主人公と共通していることもあり、どこか懐かしさと親近感を覚えるエピソードばかりです。

初めて経験する東京での一人暮らし、同学年の友人、やけに大人びて見えた先輩、アルバイト先での出来事など、どれも多くの読者の学生時代に当てはまる経験だと思いますが、そうした日常が少しだけドラマチックに描かれています。

そもそも学生は好奇心と行動力だけは旺盛なものであり、傍から見れば生産性の無い、つまり社会の役に立つ存在ではありません。

一方でのちに振り返ると、無為に過ごしたような学生時代の日々が人生において貴重な時間だったと気付くものです。

2時間くらいで一気に読める分量ですが、雑誌へ連載された5~10分程度で読める短編小説を文庫本としてまとめた1冊であるため、少しずつ楽しむことをお勧めします。

アメリカ黒人史



タイトルはシンプルに「アメリカ黒人史」となっていますが、15世紀にはじまるヨーロッパとアフリカ人の出会いを奴隷制度の起源とし、本書が発売された2020年現在までの歴史を扱うという、まさしくタイトル通りの壮大な内容になっています。

本書は以下の目次で構成されています。

  • 第1章 アフリカの自由民からアフリカの奴隷へ
  • 第2章 奴隷としての生活
  • 第3章 南北戦争と再建(1861~1877)
  • 第4章 「ジム・クロウ」とその時代(1877~1940)
  • 第5章 第二の「大移動」から公民権運動まで(1940~1968)
  • 第6章 公民権運動後からオバマ政権まで(1968~2017)
  • 第7章 アメリカ黒人の現在と未来

著者のジェームス・M・バーダマンはアメリカ文化史を専門とする学者ですが、本書の目的を次のように述べています。
本書は、日本人がアメリカ黒人の歴史についていかに知らないことが多いかを、また黒人の歴史がアメリカの歴史の根幹に関わるものであり、人種差別の根深さそのものを体現していることを明らかにするものである。

根深い問題だけに新書1冊ですべてを語ることは不可能ですが、それでも本書からはアメリカ黒人の歩んできた苦難の歴史を俯瞰して追うことができます。

世界史では奴隷貿易(三角貿易)、奴隷を解放した南北戦争、そして1950年代半ばから1960年代に盛んになった公民権運動といった程度にその歴史をなぞるが現状であり、学校では本書で触れられている多くのことを学ぶことはできません。

さらに言えば、2014年に武装していない黒人の若者を白人警官が射殺した事件(マイケル・ブラウン射殺事件)、それによって起こった抗議運動と暴動(ファーガソン暴動)も、まさしくアメリカ黒人史そのものの延長線上にあることが分かります。

そして残念なことに制度としての奴隷制度は消滅しても、今も多くの分野において間違いなくアメリカ黒人をはじめとした人種差別が存在し続けていることを意味しています。

タイトル通り、本書はアメリカ黒人の視点から描かれた内容だけに気が重く深刻な内容が多いですが、それでも一筋の光明が差し込む場面があります。

しかし歴史はそんな単純なものではなく、問題解消に向けて1歩進んだかと思うと、また半歩戻るといったことを100年以上も繰り返していることが分かります。

今も続く人種差別の現実に対して、著者は読者へ対してもなかり厳しい言葉を投げかけています。
「レイシズム(人種差別主義)」という言葉に中立性はない。
「レイシスト(人種差別主義者)」の反対語は「非レイシスト」ではない。
その反対語は、「反レイシスト」であり、それは、権力や政策や個々人の態度のなかに問題の根幹を見出し、解体しようと行動する者のことである。
「反レイシズム」は異なる「人種」の人びとを理解しようとする絶え間ない試みであり、レイシズムに向き合わない、ただの「人種にたいする受動的な態度」である「カラー・ブラインド」になることではない。

これをわかり易く言えば、著者は次のような態度の日本人をも批判していることになります。
「私は日本人だから白人のように黒人を差別的には見ていない」

ちなみにアメリカでは以下の有名な言葉があります。
If you are not part of the solution, you are part of the problem.
(もしあなたが解決の一部でなければ、あなたは問題の一部である。)

これは問題解決へ積極的に働きかけない人は、問題そのものの一部に含まれるという、日和見主義者を批判した言葉です。

つまり断固としてレイシストを許さないという態度と行動のみが、人種差別を根絶する解決策となりえるのです。

皇帝フリードリッヒ二世の生涯(下)



中世ヨーロッパ諸国の共通した想いとして、聖地イェルサレムをイスラム教徒から奪還し、キリスト教徒たちの手に取り戻すことが悲願とされてきました。

そしてそのための手段として十字軍を諸国へ促していたのが、キリスト教徒の頂点に君臨していた教皇です。

神聖ローマ帝国皇帝、そしてシチリア王国の国王としてヨーロッパ随一の実力を誇っていたフリードリッヒ二世の元には、当然のように十字軍遠征の要請が来ることになります。

しかし若くして受け継いだ自国の基盤固めを最優先事項としていたフリードリッヒ二世は、なかなか腰を上げようとはしませんでした。

そもそもフリードリッヒ二世は自国のイスラム教徒に寛容な政策をとっており、彼らとの交易、西方からの技術や学問を取り入れることによる利益の方を重視しており、本来ならば十字軍を率いる最高責任者であるべき本人が、その熱狂から醒めていたのです。

それが原因でフリードリッヒ二世は教皇ホノリウス3世から破門されることになりますが、なんと破門された状態で第6次十字軍へ重い腰を上げることになります。

フリードリッヒ二世はなんの勝算もなく、泥沼化しがちで国力を疲弊する十字軍を実行する人間ではありませんでした。

十字軍出発前から当時のアイユーブ朝のスルタンであるアル=カーミルとの間に友好的な関係を築いており、なんと外交交渉だけでイェルサレムを無血開城してしまうのです。

犠牲者も国力の疲弊も最小限に食い止めて大きな成果を上げたフリードリッヒ二世ですが、これをイスラム教徒との妥協の産物だとした教皇側はその業績をまったく認めず、破門を解くこともありませんでした。

ちなみにフリードリッヒのあとに溢れんばかりの宗教的情熱を持って十字軍を率いたフランス国王ルイ9世は、イスラム軍との戦闘で自分自身含めた兵士全員が捕虜となる大敗北を喫し、イェルサレム含めたすべての占領地を放棄し、莫大な身代金を支払う羽目になります。

彼は何一つ成果を挙げれなかったにも関わらず、軍事力によって勇敢にイスラム教徒へ立ち向かったという事実だけでのちに聖人に列せられることになります。

合理性、そして人道的立場から見てもフリードリッヒの上げた成果の方が称賛されるべきですが、前に述べたように中世ヨーロッパを支配していた価値観から見れば当然の結果でもあったのです。

それゆえフリードリッヒはのちの時代に「玉座に座った最初の近代人」と評されることになりますが、まさに結果を出し続けることによって、たとえ破門されようとも、多くの人びとが彼に従い続けたこともまた事実です。

フリードリッヒはキリスト教的世界観に縛らずに科学や文学を探求できる大学の創設、古代ローマ帝国以来の法治国家を目指す「メルフィ憲章」の制定など、多くの実績を残していますが、これはアイデアやビジョンだけでは実現できないことです。

フリードリッヒは人使いが荒いことでも知られていたようですが、自身も玉座を温める暇が無いほど各地を奔走し続け、大企業の社長並の激務をこなしていた実行の人でもあったのです。

皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)



中世ヨーロッパには各地に封建領主が存在しており、彼らを束ねるようにして国王という存在がありました。
国王も実質的には封建領主の1人であることには変わらず、武家が日本各地を支配し、彼らの棟梁として将軍が存在していた当時の日本と状況は似ていると言えます。

ただし大きく異なるのは、キリスト教の最高指導者としてのローマの教皇がヨーロッパ全域に絶大な影響力を誇っていたという点です。

ルネッサンス、そして宗教改革が行われる前のヨーロッパの人びとは、ローマ教皇を頂点とするキリスト教的世界観の中で暮らしていたといえます。

それは国王とて例外ではなく、教皇には破門という伝家の宝刀がありました。

破門されるということは神の庇護を失い、死後の天国への道を閉ざされることを意味しましたが、現世においても破門された者が領するすべての地に住む領民は、服従の義務から解放され税を支払う必要がなくなるとされていました。

実際に神聖ローマ帝国の皇帝であるハインリヒ四世は破門された際、ローマで雪の降る中、粗末な修道服を着て裸足のまま断食と祈りを続けて許しを請うという羽目に陥り、カノッサの屈辱として世界史の中でも有名な出来事として知られています。

一方、本作品の主人公である神聖ローマ帝国皇帝・フリードリッヒ二世は、教皇の権力が強力だった時代に生涯3度も破門され、謝罪どころか法王と対立を続け、破門を解かれることなく亡くなった人物です。

単に破門を受けただけでは反骨心あふれる国王ということになりますが、特筆すべきは全ヨーロッパに君臨していた教皇を敵に回しつつ、神聖ローマ帝国をヨーロッパ随一の強国としてまとめ上げ、さらに南イタリアとシチリア島を支配するシチリア王国の国王をも兼ね続けていたという点です。

この中世ヨーロッパの価値観に真っ向から立ち向かった人物を取り上げた理由を著者である塩野七生氏は次のように紹介しています。

この中世的ではまったくなかったこの人が、誰と衝突し、何が原因で衝突をくり返したのかを追っていくことで、かえって「中世」という時代がわかってくるのではないでしょうか。

ちなみにフリードリッヒ二世は叩き上げで立身出世を果たした人間とは正反対で、その正統な血筋によって、わずか17歳にして帝国の皇帝、そして国王を兼任する地位に就きます。

フリードリッヒ二世はのちに類まれな外交と内政能力を発揮しますが、はじめからその能力が備わっていたわけではありません。

彼の両脇をチュートン騎士団長のヘルマンとパレルモの大司教ベラルドという一回り以上も年上の有能な協力者が固めていたのです。

ちなみにチュートン騎士団はキリスト教の宗教騎士団であり、大司教は法王により任命される地位です。

つまり本来であればフリードリッヒ二世ではなく、教皇へ忠誠をつくすべき2人が生涯にわたり味方であり続けた点が大きかったといえます。

しかし2人の協力が盲目的だったわけではなく、彼の指導者としての優れた素質を見抜き、またその人間性に魅せられたからこその協力であったはずです。

中世ヨーロッパにおいて反逆者と言われながらも、当時の常識に囚われない自由な発想で時代を駆け抜けたフリードリッヒ二世の生涯を存分に楽しめる1冊です。

闇を裂く道



本書は大正7年に着工し、実に16年もの歳月をかけて完成した8キロもの長さを誇る丹那トンネル開通までの過程を小説にした作品です。

吉村昭氏によるトンネル工事の記録小説といえば「高熱隧道」が有名ですが、トンネルの知名度ということであれば東海道本線が通る丹那トンネルの方がはるかに有名です。

かつて東海道線は、神奈川県の国府津から静岡県の沼津間を走る現在の御殿場線を通っており、箱根の山を避けるように大きく北へ迂回していました。

東海道は江戸時代から日本にとって最大の幹線であり、この路線の効率化は国家規模の命題であったことは明らかでした。

そんな背景があり熱海口、三島口の両方からトンネル工事が開始されますが、当初は順調に工事が進んでゆきます。
しかし完成までに16年もの歳月を要したことから分かる通り、間もなく困難にぶつかることになります。

先人谷ダム建設のためのトンネル工事(高熱隧道)では、高熱の岩盤と熱水、そして雪崩に苦しめられましたが、丹那トンネル工事では大量の湧き水と軟弱な地盤が工事の行く手を阻みます。

トンネル工事で大量の湧き水処理に悪戦苦闘する一方で、その真上に位置する丹那盆地の湧き水が涸れ、住民たちは深刻な渇水問題に苦しむことになります。

そしてトンネル工事にとって軟弱な地盤は、硬い岩盤以上に厄介な存在であり、工事従事者たちが「山が抜ける」と表現する軟弱な地盤が地中の土石を支えきれずに発生する崩壊事故の危険性がありました。

そして大正9年に何よりも恐れられてた大規模な崩壊事故が発生することになります。

この事故では16名が命を失い、さらに17名の作業員が退路を絶たれて地中に閉じ込めるという事態が発生します。

真っ暗闇の中で徐々に酸素が尽きてゆくという絶望感、一方で不眠不休で必死に彼らを救出しようとする模様が作品から重苦しく伝わってきます。

崩壊事故はその後も発生し、最終的に丹那トンネルが開通するまでに67名もの犠牲者を出す難工事となります。

今までで東海道新幹線を利用して神奈川~静岡の県境間に長いトンネルがあることは何となく意識していましたが、こうした難工事の上に成り立っている便利さであるということまでに思いを馳せることはありませんでした。

慰霊碑だけでは伝わらない先人たちと自然との闘いの記録が本作品には収録されており、後世に読み継がれる本であってほしいと思います。

敵討



敵討ち(または仇討ち)といえば忠臣蔵がその代表例ですが、そこまで大掛かりでなくとも、子が親の敵討ちのために旅に出て苦難の末に「ここで会ったが百年目」というシーンは時代劇でもよく見かけます。

しかし敵討ちの現実はそう甘いものではなく、相手に巡り会えないまま時間だけが過ぎてゆき相手や自分の寿命が尽きてしまったり、巡り会えたとしても返り討ちになったりと、その成功率はけっして高いものではなかったようです。

そもそもとして、相手を探し続ける過酷な日々に精根が尽き果ててしまい、諦めてしまうというパターンがもっとも多かったのではないでしょうか。

本書には、吉村昭氏が実際に行われた2つの"敵討ち"を題材にした歴史小説が収録されています。

本書に収録されているのは、いずれも忠臣蔵のように主君の敵討ちではなく、息子が父親(母親)の敵討ちをするというパターンであり、個人的な怨恨を晴らす"敵討ち"ともいえます。

そのため仇の姿を探し当てるために、必然的に個人の力で江戸中、ときには日本中を捜索する必要があり、途方もない労力が必要となります。

また目的を果たすためには10年、20年単位の労力が必要になることも珍しくなく、同時にその過程で経済的に困窮することも必然であるといえます。

本書に登場する2人の主人公は幸運にも敵討ちを果たしますが、著者はそれが数少ない成功例であることを作品中で述べています。

江戸時代当時の道徳概念として"敵討ち"は美徳とされ、幕府へ届け出さえ行っておけば敵討ちを果たしても罪は問われなかったと言い、その行為は浮世絵になるほど世間からも称賛されたようです。

つまり作品の主人公たちは親を殺された悲しみや怒り、つまり復讐心だけでなく、敵討ちを行わなければ武士としての面目を保てず、かつ世間から冷笑されてしまうという当時の固定概念に縛られていた側面も大きかったのではないでしょうか。

"敵討ち"を美徳とする考えは理解できますが、いずれの主人公も自らの人生を"敵討ち"のために捧げたようなものであり、気の毒にも思えてきます。

本書にはいずれも著者らしく敵討ちを美しい筋書きのドラマとしてではなく、辛酸を嘗める日々を生々しく描写している重苦しい雰囲気の作品です。

一方で個人的には吉村昭にはリアリティのある物語を求めている面もあり、そういう意味では満足度の高い作品でもありました。

三国志名臣列伝 後漢篇



三国志は壮大な歴史ロマンです。
私自身も中学生時代に吉川英治の作品を読み、そしてゲームを通じてすっかりファンになった1人です。

本書の著者である宮城谷昌光氏も長編歴史小説として「三国志」を発表していますが、私はいわゆる"吉川三国志"のほかには柴田錬三郎の作品を読んだくらいで、まだ目を通したことはありません。

本書は宮城谷氏の三国志を読んだ上で手に取るのが相応しい気もしますが、著者は三国志の流れとは別に"名臣列伝シリーズ"を出しており、春秋時代楚漢(いわゆる項羽と劉邦)、日本の戦国時代を対象にした名臣列伝を執筆しています。

本書で紹介されている名臣は以下の7人です。

  • 何進(かしん)
  • 朱儁(しゅしゅん)
  • 王允(おういん)
  • 廬植(ろしょく)
  • 孔融(こうゆう)
  • 皇甫嵩(こうほすう)
  • 荀彧(じゅんいく)

しばらく三国志を読んでいないため、どれも懐かしい名前ですが、最後に登場する荀彧以外は三国志の初期に活躍した人物です。

何進については肉屋を営んでいた平民でしたが、絶世の美女であった妹が皇帝(霊帝)の皇后となった縁で大将軍になった人物です。

袁紹と組んで宮廷を牛耳る宦官を一掃したところまでは良かったのですが、詰めが甘く恨みを持つ宦官・張譲に暗殺されてしまうこともあり、個人的には何進が名臣だと思ったことはありませんでした。

しかしよく考えてみると、学問や武芸に専念したことが無かった肉屋のおやじが大将軍となり、海千山千の武将をまとめあげて黄巾の乱にも対処したという実績は凡庸な人間にはできない芸当です。

つまり人を率いる立場の人間は、自分より優れた才能の人間を活用する能力があればよく、何進は適切な判断力を持った人物であったということになります。

ほかに登場する名臣たちも、三国志という大きな物語の中では気付かなった著者ならではの視点が取り込まれており、充分に楽しめる作品でした。

ちなみに三国志には魅力的な武将たちがキラ星の如く登場するため、いくら名臣列伝と銘打ったところで1冊でそのすべてを紹介するのは到底不可能です。

しかし本書のタイトルには"後漢篇"とある通り、これから三国時代、すなわち"魏・呉・蜀"で1冊ずつ名臣列伝が刊行されることを当然のように期待してしまうのです。

さまよえる湖〈下〉



上巻で述べたようにタイトルにある"さまよえる湖"とは、中央アジアに4世紀頃までかつて存在していた巨大な湖「ロプノール」のことであり、それが約1600年ぶりに姿を現したとの情報を得て、カヌーで下ってその正体を突き止める探検が描かれています。

しかしその探検は上巻の最後で達成されており、下巻ではまた違った目的での探検が行われています。

それは自動車によって安西敦煌からロプノール、そしてその近くで交易の町として栄えた楼蘭へと通じる道を探し当てて走破するといったものです。

しかしその道の過程には不毛のゴビ砂漠が横たわっており、容易なものではありません。
ゴビ砂漠、そしてそれと隣り合うタクラマカン砂漠ですが、はるかに離れた日本へ風に乗って運ばれてくる黄砂の規模を考えても、その発生源である地域がいかに過酷な環境であるかは何となく想像できるはずです。

加えて当時の中国や新疆地域の政情不安もあり、探検そのものの続行も危ぶまれる状況下にありました。

果たしてヘディン率いる探検隊が無事に目的を達成するかは本書を読んでのお楽しみです。

下巻の後半にはロプノール発見に至るまでの学術的な論争やヘディン自身を含めた過去の探検の成果などが紹介されており、本書に描かれている一連の探検への学術的な意義が分かりやすく紹介されています。

本書を通じて分かることは、ヘディンは稀に見る幸運な探検家であったといえます。
それは探検で無事に生還できたことも含まれますが、ヘディンは一貫してロプノールは周期的に移動するという学説を主張しており、彼に賛同する意見は決して多くはありませんでした。
しかし彼が中央アジア探検を続けている真っ最中の1921年、なんと1600年ぶりに大自然がその学説を証明するという奇跡的な幸運に巡り合うのです。

以降、彼の学説へ異論を挟む者はいなくなり、その業績は各国で翻訳され世界中で名声を得ることになったのです。

さまよえる湖〈上〉



著者のスヴェン・ヘディンはスウェーデンの地理学者であり、探検家としても知られています。

おもに中央アジアを探検したことで知られていますが、かつてシルクロードによってアジアとヨーロッパを結んだ歴史ロマン溢れるこの地域に精通している日本人は少ないのではないでしょうか。

私自身はタリム盆地タクラマカン砂漠、そして天山山脈がある荒涼とした地域で、そこにオアシスが点在していたんだろうという程度の印象しか持っていませんでした。

本書の上巻ではヘディンが1934年に行った中央アジア探検が紹介されています。
その目的はタイトルにある通り、"さまよえる湖"の異名を持つ「ロプノール」へ続く川をひたすらカヌーで下ってゆく日々が記録されています。

ロプノールはタリム盆地に、かつて4世紀頃までに存在していた巨大な湖であり、交易によって周辺には町が栄えていました。

しかし4世紀頃に突如ロプノールは干上がって姿を消し、水源を失った周辺の都市は衰退してゆき廃墟へと変わっていったのです。

そんなロプノールが1921年、つまり1600年ぶりに姿を現したというから自然の力は驚異的です。

ヘディンは1890年代から中央アジアの探検を開始しており、本書の探検開始時点ですでに40年のキャリアを持つ大ベテランということになります。

料理人や船頭、召使い、そして各分野の専門家によって構成された探検隊一行はかなり大規模なものであり、実績があるだけに潤沢な資金で運営されていたことが分かります。

よって荒野で生死の境を彷徨うような場面は登場せず、ヘディンの性格もあってどこか牧歌的な雰囲気で探検が進んでゆきます。

また本書には豊富な写真やヘディン自身のスケッチも多く掲載れており、読者へ紀行文のような楽しみ方も提供してくれます。

ロプノールへ向かってカヌーで下るだけでなく、周辺にある遺跡や墓を発掘する調査も行っており、ミイラや埋葬品の調査も発見されます。

当時の政治的な混乱もあり、一時的に軍に拘束されたり、物資の運搬が滞る場面もありますが、探検自体は大成功といってよいでしょう。

今から100年近く前のドキュメンタリーを見る感じで歴史ロマンを感じながら楽しめた1冊でした。

ちなみWEBで調べたことろダムの建設や気候変動などの要因で現在にロプノールは再び干上がってしまい、現在はヘディンの見た風景を見ることができないのが残念です。

阿片王―満州の夜と霧



満州という国の存在を抜きにして日本の戦争を語ることは出来ません。

五族協和王道楽土という満州建国の理念は、少し角度を変えて解釈すれば「西欧列強国からのアジア解放」という日本が世界大戦に突入していった大義名分そのものであるからです。

しかしそうした理念が実現されることはなく、満州が関東軍の傀儡国家に終わったことは歴史が教えてくれます。

満州国を表向きから見ると、板垣征四郎石原莞爾、そして溥儀といった歴史上の人物が教科書に登場しますが、裏の部分に目を向けると違った人物たちが浮かび上がってきます。

本書ではノンフィクション作家の佐野眞一氏が、その中の代表的な人物として阿片王と呼ばれた里見甫(さとみ はじめ)の生涯を追った1冊です。

先ほど挙げた建国の理念を満州のもっとも輝かしい部分だとすれば、里見はその最深部を担っていた人物です。
それはタイトルから推測できる通り、アヘン密売の総元締めとして絶大な力を誇った人物だからです。

私自身は"里見機関"という組織が麻薬を取り扱っていたことは知っていましたが、決して教科書には登場しない里見甫という人物を詳しく知るのは本書がはじめてでした。

満州国を豊かな穀倉地帯へと変貌させ、豊富な地下資源を開発して重工業を発達させるという青写真がありましたが、その音頭を取っていた関東軍の財政状況は芳しくなく、里見が阿片の密売によって作り出した資金に頼らざるを得ませんでした。

里見は関東軍のみならず、中国で共産党と対立を続ける国民党へも資金を提供し、内閣を率いる東条英機にも資金を提供したと言われています。

里見は中国の文化と内情を誰よりも理解し、青幇(チンパン)と呼ばれる裏社会に君臨する秘密結社とも太いパイプを築いており、彼の存在がなければ大陸で阿片を流通させること自体が不可能でした。

また莫大な資金を得るため、結果として数百万人の中国人を阿片中毒者に陥れた大悪人と見なすことも出来ます。

里見は現代で言う麻薬王というスケールをはるかに超えた存在であり、昭和40年に彼が亡くなったときに作成された遺児奨学金寄付の名簿には、歴代の総理大臣や大物政治家、財界人など176名が名を連ねました。

しかし肝心の里見の生涯は、著者がその下半身が闇の中に溶けていると評する通り、謎に満ちたものです。

実際に本書を読み終えてみても里見甫という人物を一言で評すのは難しく、善悪や功罪は別としても、複雑でスケールの大きな人物であったことは間違いありません。

本書は著者が、里見甫の最晩年の秘書である伊達弘視という人物を東京小平市にある6畳一間の古い木造アパートに尋ねるところから始まります。

伊達は自らを大物スパイと自称しており、実際にスパイ事件で逮捕された経歴があるという、いかがわしい人物です。

同時にそれは10年間にも及ぶ里見甫の正体を探る取材の始まりであり、それは最終的に100名を超える膨大な取材へと繋がっていきます。

ノンフィクション作家にとって取材が大切とはいえ、読者が感嘆するほどの圧倒的な量と密度の取材によって書き上げられた本書は、まさしく佐野氏にとっての代表作といえます。

言い方を変えれば、いかに優れた作家といえども本書のような作品は生涯に何冊も書けるものではなく、間違いなく日本を代表するノンフィクション作品であるといえます。

戦争史大観



旧帝国陸軍において随一の戦略家と言われるも、東条英機との戦略面での確執から左遷された石原莞爾
つまり第二次世界大戦では不遇だった石原でしたが、それ故に敗戦後の戦犯リストからは除外されました。

そんな石原を再評価する書籍を目にしたことがありますが、私自身は関東軍作戦参謀として柳条湖事件満州事変の首謀者であったという程度の知識しかありませんでした。

本書は石原が講演した内容を自身で書籍にまとめたものであり、西欧を中心した戦争史の研究、そしてそこから日本の取るべき戦略を提言している内容になっています。

西欧戦争史といってもすべてを網羅している訳ではなく、主に言及しているのはプロイセン国王フリードリヒ2世、そしてフランス皇帝ナポレオンの2人に絞って考察を行い、そこにルーデンドルフヒトラーを付け足したような内容です。

また石原の提唱した中で有名なのが、世界最終戦論です。
これは西洋文明と(日本を中心とした)東洋文明の間に近い将来、大規模な最終戦争が行われ、その結果として日本側が勝利し、世界が統一され絶対平和が訪れるというものです。

石原は熱心な日蓮宗徒としても知られており、この考えの背後には日蓮聖人の遺した予言の内容が大きく関わっており、理論的な帰結といより多分に宗教色の強い考えから成り立っています。

前述した通り、石原は当時の首相であった東条から左遷されましたが、もし石原が首相の立場であり、旧日本帝国軍の戦争指揮を下せる立場であったらどのように歴史が変わったのだろうという視点で本書を読んでみました。

まず石原は世界最終戦争に備えて東亜連盟を成立させようとしました。
少なくとも日本、朝鮮、中国、そして満州を中心とした連合軍をもってアメリカ、ソ連を中心とした西欧諸国と対決する構想がありましたが、ほぼ大東亜共栄圏と同じ考えと見て間違いなさそうです。

そのため日中戦争には断固反対し、東亜同盟を構成する国々には独立した国家民族の意思を尊重し、従来の植民地的政策には反対していました。

ただし東亜同盟の中心には天皇を置き、求心力とすることが大前提であることから、同盟国民族の意思を尊重する点とは矛盾しているように思えます。

次に空軍戦力の重要性を訴え、勝敗を左右する決定的要素として挙げたのは戦略家として先見の明があります。
旧日本帝国軍はこうした考えに消極的であり、石原や山本五十六といった空軍増強の必要性を訴える軍人は少数派でした。

ただし空軍技術の飛躍的な革新を行うために日本に世界一の科学と工業力を備える必要性を訴えますが、当時日本の資源や経済力を考えると実効性の乏しい理論にしか思えませんでした。

また石原はヒトラーが実現させた全体主義体制を理想として称賛していました。
本書はナチスドイツが電撃作戦によりヨーロッパを席巻していた時期に執筆されていただけに当然といえますが、簡単に言えば東条らの主導した国家総動員体制と何ら変わりないといえるでしょう。

結果として石原の画策した構想は旧日本帝国の打ち立てた方針の亜流に過ぎず、やがて訪れる悲劇的な結末に大差があるように思えませんでした。

それでも石原莞爾のように、自分の構想を書籍の形として発表した軍人は少なく、貴重な資料として後世に残すことには意義があると思えます。

大往生の島



ノンフィクション作家である佐野眞一氏が1997年に発表した作品です。

瀬戸内海に浮かぶ周防大島、その中でも東和町(2004年に合併)にある沖家室(おきかむろ)という地域が作品の中心舞台になっています。

1997年当時で東和町は高齢化率が日本一の50%に迫る割合であり、その中でも沖家室は10人に7人以上が65歳以上、つまり高齢化率が71.1%という飛び抜けて高い地域です。

ただし著者が取材するきっかけとなったのは、単に超高齢化地域という理由ではなく、生きがい調査で90%近くのお年寄りが今の生活に満足していると回答しているという点であり、その時の心境を次のように語っています。
私が沖家室に興味をもったのは、過疎化と高齢化を示すこうした異常な数値以上に、この島が、理想的な"大往生"の要件をほぼ完璧に備えているように感じたからである。この島は私の目には、老人同士お互い助けあいながら老後を生き生きとすこし、從容として死におもむいているようにみえた。

沖家室は周防大島の属島ということもあり、橋は架かっているもののかなりの僻地であり、スーパーやコンビニが近くにないのはもちろん、医療施設なども充分には整っていません。

勝手に言わせてもらえば、そこからは若者が少なく活気のない暗い雰囲気の漁村というイメージが湧いてきます。

普通であれば不便な地域に住んでいるお年寄りが満足して暮らしているのは矛盾しているように思えますが、それを解き明かすことが本書の目的であるといえるでしょう。

著者は足しげく沖家室で取材を続け、多くの住人たちの話を聞いています。
もちろん人それぞれ事情は違いますが、共通しているのは暇をもて余している人がいない、また独居老人の割当が多いにも関わらず孤独を感じている人が極端に少ないという点です。

誰でも体の動くうちは畑をやり漁に出て、またはボランティアの形で地域に貢献することを生きがいとし、この地域では高齢者が高齢者を介護する老老介護が自然に機能しています。

また瀬戸内海の豊かな自然がもたらす山海の幸、親子が離れて暮らしていても家族的な機能が働いているという特有の地域文化など、さまざまな要素が合わさっています。

"超高齢化社会"という言葉は後ろ向きな文脈の中で使われることが多いですが、本書からは前向きに高齢化社会と共存していくためのヒントが詰まっている気がします。

旅人の表現術



冒険家といえば未踏峰の山頂を目指す、登攀で新ルートを開拓する、またはヨットで世界一周など、一般人にも理解しやすいゴールを設定することが一般的なように思えます。

しかし本書の著者である角幡唯介氏は、ヒマラヤ山中に謎の雪男を探しに出かけたり、地図の空白部分を埋めるためチベット奥地の峡谷へ出かけたり、100日以上も北極の氷の上でソリを引きながら歩き続けるなど、普通の人には少し理解しにくい独自の目的を持って冒険に挑みます。

私自身は先鋭的な登山家やクライマーの物語も好きですが、こちらは前人未到の記録を目指す挑戦であり、角幡氏のそれは記録よりも物語性を重視した挑戦であると言え、どちらのスタイルもありだと思います。

もちろんいずれの冒険も命の危険性を伴うものであることは変わりありません。

本書はそんな角幡氏が雑誌に掲載した記事、対談、本の解説などを1冊にまとめたものです。

よく冒険家たちの無謀とも思える挑戦を耳にすると、なぜあえて命の危険を冒すのかというシンプルな疑問が出てきますが、角幡氏は次のように答えています。
生活から死が排除された結果、現代では死を見つめて生を噛みしめるためには冒険にでも出るしかなくなった。冒険に出ると死のない生活が虚構であることを、経験をもって知ることができる。

逆に言えば、戦争によって、もしくは食糧や医療サービス、生活インフラが不十分であるため死がつねに隣り合わせにあるような日常であれば、人は冒険する必要が無いということになります。

もちろん大多数の人は平和で便利な生活を送れることを望みますが、それゆえ動物が本来持っている直感や本能的な能力が失われて、生の実感が希薄になるという点は理解できる気がします。

一方で角幡氏も結婚して子どもが生まれることで心境が変化してゆき、時間とともに冒険との関わり方も変化が出てきていることが分かります。

著者は冒険家であると同時にノンフィクション作家でもあり、今後も読者を楽しませてくれる作品を生み出してくれることに期待しています。

ラヴクラフト全集 7



H・P・ラヴクラフトの全集もいよいよ最終の7巻です。
本書には13作品と若き日の作品、そしてラヴクラフトが友人宛に自分の見た夢を伝えている書簡が収録されています。

  • サルナスの滅亡
  • イラノンの探求
  • 北極星
  • 月の湿原
  • 緑の草原
  • 眠りの神
  • あの男
  • 忌み嫌われる家
  • 霊廟
  • ファラオとともに幽閉されて
  • 恐ろしい老人
  • 霧の高みの不思議な家
  • 初期作品
  • 夢書簡

    • 私小説を手掛ける作家の全集を読めば、必然的にその作家自身の生い立ち、そして思考してきことが大体分かるのですが、怪奇小説というジャンルで活動を続けてきたラヴクラフトの場合にもそれは当てはまりそうです。

      ラヴクラフトは46歳という若さで亡くなり、彼の作家としての活動は正味15年程度と決して長い期間ではありません。

      それでも多くの作品を残しており、のちにコズミックホラーと呼ばれるジャンルの先駆者としての作品が世の中に知られていますが、クラシックなホラー小説、ダンセイニ風と言われる壮大な幻想小説、さらにこれらの要素が少しずつミックスされた作品もあり、この全集によってラヴクラフトが幅広い作風を持っていることが分かります。

      現実世界のラヴクラフトは世間に評価されることもなく、その結果として経済的にも余裕がある生活とは縁遠かったようですが、うまくいかない現実へ対する不満や怒りを作品へ投影するタイプの作家ではありませんでした。

      物質的な豊かさをそれほど重要視せず、想像や空想の世界に思いを馳せ、それを作品として描き続けてきた人生のように思えます。

      本書の後半にラヴクラフトの初期作品が5つほど収録されていますが、どれもストーリーやシチュエーションがわかり易く描写されており、かなり読みやすい作品です。
      しかし作家としての成熟期に入れば入るほど、婉曲的で難解な表現へと変化してゆき、作品に奥行きと独特の雰囲気が出てくるのが翻訳版の作品を通してでも分かります。

      これははじめは単純に作家としての技量が充分でなかっただけでなく、万人受けするストーリーを作り上げようとした野心もあったような気もします。

      子どもには大人より圧倒的に空想にふける時間が多いですが、ラヴクラフトの場合は成熟すればするほど想像力が増してゆき、同時に作家としての研ぎ澄まされた創造力となって現れたような気がします。

      つまり表面的に彼を悲運の作家として評価するのは短絡的なのかもしれません。

      さらに彼は本書に掲載されている夢書簡から分かるように、自分の見た夢からも作品を生み出してることも分かります。

      私が小説を書くとすれば、感覚ではなく理論的にストーリーを組み立ててゆくと思います。
      しかしラヴクラフトは夢や空想といった出発点から物語性よりも、世界観や雰囲気を重視して作品を創り上げられる稀代の作家だったように思えてなりません。

ラヴクラフト全集 6



H・P・ラヴクラフトの全集第6巻です。
本書には以下の9作品が収められています。

  • 白い帆船
  • ウルタールの猫
  • 蕃神
  • セレファイス
  • ランドルフ・カーターの陳述
  • 名状しがたいもの
  • 銀の鍵
  • 銀の鍵の門を越えて
  • 未知なるカダスを求めて

    • 全集では作品を単純に発表順にまとめる場合もありますが、作品を何らかのテーマ別にまとめる形式の方が一般的なようです。
      本書では以下のように解説されています。

      本巻には、作者の分身たるランドルフ・カーターを主人公とする一連の作品、および、それと密接に関わる初期のダンセイニ風掌編を収録し、この稀有な作家の軌跡を明らかにする。


      私の場合、この表紙扉にある解説を飛ばして本編を読み始めたため、掲載されている作品がことごとくラヴクラフトらしくないため、最初は戸惑いを覚えました。

      ラヴクラフトといえば宇宙的恐怖(コズミックホラー)に代表される独自の世界観と作風が有名ですが、時には古典的なホラー小説も手掛けるということは、今まで読んできた全集から分かっていました。

      しかし本書に掲載されているのは幻想小説であり、ダンセイニとはラヴクラフトが影響を受けたアイルランドのファンタジー小説作家です。

      前述のとおりランドルフ・カーターとはラヴクラフト自身がモデルになっていますが、この男は覚醒した世界(いわゆる現世)では冴えない中年男性ですが、神秘的な世界を自由に旅することができる能力を持っているのです。

      しかもそこは単なる異世界ではなく、主人公はそこで人間の知覚では捉えられないほどの時間と距離を旅し、想像を絶するような光景や生き物と出会い、そこに住まう神々を探し求めるというものです。

      生前のラヴクラフトは作家としては恵まれない環境、つまり世間から評価されていないことを自覚しつつ、自身が夢想家的な気質を持っていることを客観的に観察して生まれた作品ともいえます。

      作品としてはストーリーよりも、その過程で繰り広げられる描写そのものに想像力が求められる作品であり、現代版ギリシア神話といった印象を受ける作品です。

      ラヴクラフトは世界中の古代文明や神話に対しても造形が深く、それらを幅広く料理して色々な雰囲気を持つ作品を生み出していった懐の深い作家といえそうです。

ラヴクラフト全集 5



H・P・ラヴクラフトの全集第5巻です。
本書には8作品が収められています。

  • 神殿
  • ナイアルラトホテップ
  • 魔犬
  • 魔宴
  • 死者蘇生者ハーバート・ウェスト
  • レッド・フックの恐怖
  • 魔女の家の夢
  • ダニッチの怪

    • 全集を読むまでラヴクラフトの作品はストーリーこそ違えど、どれも似たような雰囲気であると思っていましたが、実際には世界観こそ共有ながらも、作風にはかなりの多様性があることが分かってきました。

      1作品目の「神殿」はドイツ潜水艦を舞台にしたSFホラー的な雰囲気がある作品であり、迫りくる恐怖と緊迫感の中で乗組員たちの集団心理がよく描かれている作品です。

      続く「ナイアルラトホテップ」ではまったく作風が変わり、短編ながらも詩的な雰囲気をもつ散文調で執筆されています。

      また「魔犬」には"墓場"、"生ける死者"、"マッドサイエンティスト"といったキーワードが登場する古典的なホラー小説ということができます。

      魔宴」は一人称視点から未知の恐怖を描いてゆくという、典型的なラヴクラフトらしい作品といえます。

      後半に登場する4作品は読み応えのある中編~長編小説であり、やはりそれぞれ違った作風と魅力で読者を楽しませてくれます。

      ラヴクラフトの作品はのちにコズミックホラー(宇宙的恐怖)という分野を確立したと言われる通り、人間の生きる(理解できる)世界を超越した外宇宙的存在が恐怖の対象であり、それゆえ安易に幽霊やモンスターが登場することは殆どありません。

      そういう意味で本書の最後に掲載されている「ダニッチの怪」では、異界より召喚(?)された得体の知れないモンスターが人間や家畜を襲うというラヴクラフト作品の中では珍しい展開のストーリーです。
      それでもやはりラヴクラフトらしさを随所に見ることができます。

      それは幾つもの難解というよりも不可解な伏線の上に成り立っているストーリーであり、その全貌は作品を読み終えてさえ明らかにされないのです。

ラヴクラフト全集 4



H・P・ラヴクラフトの全集第4巻です。
本書には7作品が収められています。

  • 宇宙からの色
  • 眠りの壁の彼方
  • 故アーサー・ジャーミンとのその家系に関する事実
  • 冷気
  • 彼方より
  • ビックマンのモデル
  • 狂気の山脈にて

    • 前半の6作品は比較的短編の作品が収められていますが、その中でも個人的にお勧めは「宇宙からの色」です。

      舞台はラヴクラフト作品でお馴染みの架空の町・アーカムの西にある丘陵地帯です。

      そこには誰も近寄ろうとしない不気味な焼け野原になっている一帯がありますが、そこを訪れた測量技師がその理由を近所の老人たちに訪ねても誰も口を開こうとしません。

      ただ1人、孤立して1人で暮らす老人アミ・ピアースが重い口を開き、その真実を語り始めるのです。。

      すべての出来事は宇宙からの飛来した謎の隕石から始まっており、この作品はラヴクラフトらしい怪奇小説というよりSF小説のような雰囲気がありますが、解説を見るとまさにSF雑誌に掲載された作品ということです。

      正体不明の恐怖的存在によって日々が少しずつ侵食されてゆくようなストーリー展開が素晴らしく、完成度の高い作品です。

      狂気の山脈にて」はラヴクラフト作品の中で屈指の長編であると同時に、代表作の1つとして知られています。

      この作品を執筆した1931年当時の南極大陸を舞台とした作品で、アムンセンが1911年に南極点に到達してからちょうど20年後に執筆されています。

      ミスカトニック大学(これもラヴクラフト作品でお馴染みの架空の大学)の調査隊が南極大陸を訪れるところからストーリーがはじまりますが、当時南極について知られていた科学的知識を十分に取り入れることでリアリティあふれる作品になっています。

      そこでかつて5000万年も昔から地球を支配していた"古のもの"たちの都市を狂気山脈と名付けられた山中で発見するというスケールの大きな物語です。

      はじめて人類が足を踏み入れた場所で人知を超えた技術と生命体を発見するというアドベンチャー的な要素がありますが、何よりもラヴクラフトの持つ独自の世界観がストーリー中において明示されているという点で注目の作品です。

      ただラヴクラフトを代表するこの作品でさえ、1度は雑誌への掲載を断られた経歴を持っており、彼が生前いかに不遇であったかを示すエピソードでもあります。

      確かに彼が造り上げた世界観はユニークで精密である一方、難解で理解されにくい面があるのは確かです。

      それでも宮沢賢治スタンダールのように生前の評価は低くとも、後世で評価される作家は珍しくなく、ラヴクラフトは時代を先行し過ぎた天才の1人だったように思えます。

ラヴクラフト全集 3



20世紀前半の怪奇小説作家H・P・ラヴクラフトの全集第3巻です。
本書には8作品が収められています。

  • ダゴン
  • 家のなかの絵
  • 無名都市
  • 潜み棲む恐怖
  • アウトサイダー
  • 戸口にあらわれたもの
  • 闇をさまようもの
  • 時間からの影

訳者によれば本巻にはラヴクラフトが盛んに作品を創作していた各時期の代表作品が収められているといいます。

とくに「無名都市」「時間からの影」の2作品には、後にクトゥルフ神話が構成されてゆく上で欠かせない世界観が描かれている作品といってよいでしょう。

具体的には人類が誕生するはるか昔に地球上で繁栄した種族たちの存在をそれぞれ違った角度から描いています。

まるでスタートレックのようなSFのような世界ですが、ラヴクラフトの特徴はそれを外見を含めて人間たちの理性や知性を超えた存在として、有史以前の古代文明と結びつけて描いている点です。

正気の人間が彼らの知識を理解するのは不可能という前提があり、広大な宇宙における人間の存在はまったくの無力であるという点はどの作品にも共通しており、ラヴクラフトの作品がコズミックホラー(宇宙的恐怖)というジャンルを確立させたといわれる所以です。

「家のなかの絵」「闇をさまようもの」の2作品は伝統的なホラー小説であり、ストーリーそのものを楽しめる作品に仕上がっています。

「潜み棲む恐怖」「戸口にあらわれたもの」は典型的なラヴクラフト作品であり、未知の恐怖に魅せられ、やがて破滅してゆく人間の過程が前者では一人称で、後者は三人称の視点で描かれており、ファンが安定して楽しめる作品になっています。

「ダゴン」「アウトサイダー」はいずれも10ページくらいの作品ですが、短編ならではのインパクトのある作品になっています。
手軽にラヴクラフト作品に触れてみたいという人にとってお勧めの作品ではないでしょうか。

そして最後にはラヴクラフトが自らの経歴を紹介した文章を履歴書として掲載しています。
生前は殆ど評価されなかったホラー小説作家ということもあり、少し偏屈で変わり者という性格が垣間見れるものの、そこがまた彼らしくもありファン必見のうれしい付録です。

ラヴクラフト全集 2



20世紀前半の怪奇小説作家H・P・ラヴクラフトの全集第2巻です。
本書には以下の3作品が収められています。

  • クトゥルフの呼び声
  • エーリッヒ・ツァンの音楽
  • チャールズ・ウォードの奇怪な事件

まず「クトゥルフの呼び声」はラヴクラフトの世界を体系化した「クトゥルフ神話」を冠した作品となり、その世界観を知る上で欠かせない作品です。

クトゥルフは人類が出現するはるか昔より地球を支配していた"古き神"であり、何らかの事情により海底奥深くで眠りについています。

ただクトゥルフには寿命どころか時間さえも超越した存在であり、眠りについてさえ感受性の強い人間の夢に姿を現して語りかけることが出来ます。

そしてクトゥルフを信仰する「クトゥルフ教団」なるものが世界各地に存在し、怪しげでおぞましい儀式を今でも続けています。

もちろん普通はそうした秘密を一般人が知ることはありませんが、たまたま好奇心の強い人間がその秘密を知ることになり、その彼が残した手記が作品という形をとっています。

手記の中で人間の想像をはるかに超越した超自然、超宇宙的な秘密が徐々に明らかになってゆくのです。


エーリッヒ・ツァンの音楽」は本書の中ではもっとも短い作品であり、ラヴクラフトの特徴であるコズミックホラーというより、古典的な怪奇小説の雰囲気が漂う作品です。


チャールズ・ウォードの奇怪な事件」はラヴクラフトの残した作品の中でも指折りの長編であり、過去と現在を往復しながら壮大な秘密が明らかになってゆきます。

物語はある青年の好古趣味がきっかけに始まりますが、それが記録から抹殺された先祖の経歴、そして古代の神秘へと繋がってゆき、青年は怪奇と恐怖に満ちた世界の深淵へ魅せされてゆくのです。

「真実を探求する」といば聞こえは良いですが、ラヴクラフトの世界において人類にとって"真実"とは知っていはいけない禁忌であり、その深淵を覗き込んだ人間は狂気の世界へ足を踏み込むことになるのです。

ラヴクラフト全集 1



リストを作成しているわけではありませんが、"いつか読んでみたい本"というのは何となく自分の中にあります。

ラヴクラフト全集はまさしくその中の1つであり、ようやく入手した今回の機会にレビューしてゆきたいと思います。

ラヴクラフトは20世紀前半に活動したアメリカの怪奇小説作家であり、生前はほとんど世に知られることなく不遇のまま一生を終えます。

しかし彼の遺作選集が発表されたのをきっかけに注目されるようになり、今では日本を含めた世界中で数多くの熱心なファンがいることで知られている作家です。

その魅力をひと言で語るのはとても困難ですが、モンスターやゴーストといった古典的なホラー作品とは一線を画する、超自然的、宇宙の起源的なホラー小説であり、そこから「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」という言葉が生まれています。

またその独自の世界はラヴクラフトの死後に「クトゥルフ神話」として体系化され、その世界観を舞台に多くの作家が作品を発表しています。

私自身はラヴクラフトの作品はアンソロジーとして、または他の作家がクトゥルフ神話を背景とした作品を通じて知っていましたが、全集としてまとめて読むのは今回がはじめてです。

全集1巻には4作品が収録されています。

  • インスマウスの影
  • 壁のなかの鼠
  • 死体安置所にて
  • 闇に囁くもの


中でも「インスマウスの影」は全集を通じてもラヴクラフトの生前に出版された唯一の単行本であり、その他の作品はパルプ・マガジン(大衆向け雑誌)に掲載された程度です。

ラヴクラフトの作品には基本的に怪物を倒すヒーローやヒロインは登場しません。
なぜなら人間の存在をおびやかす神々(もしくは悪魔たち)は、人類が二足歩行をはじめるはるか昔の太古より存在しており、時間や距離を超越した絶対的な力を持っているからです。

つまり彼らにとって人間は取るに足らない存在でしかなく、その深淵の端っこを覗いてしまった人間は絶望的な恐怖に襲われることになるのです。

そもそも深淵の全貌を知ったところで正気を保つことはまったく不可能でしょう。

宇宙、あるいは超自然の前に人間はまったくの無力であり、それゆえの圧倒的な恐怖と絶望感こそがコズミック・ホラーの世界観であるといえます。

全集をレビューしてゆく中で、ラヴクラフトの魅力を少しずつ紹介してゆきたいと思います。

テンプル騎士団



テンプル騎士団を大雑把に説明すれば中世ヨーロッパの僧兵ということになります。
つまり宗教団体と軍隊が密接に結びついた組織という点で一致していますが、両者にはかなりの相違点もあります。

まずはブリテン島からアラビア半島、エジプトに至るまで広範囲に渡り、国境を超えて活動していたという点です。
比叡山に立て篭もる僧兵とはかなり活動範囲が異なります。

また農業や酪農、金融や運送といった分野にまで進出し、ヨーロッパ随一と言われるほどの経済力を誇っていたという点です。
今でいえばグローバル大企業ということになります。

次に聖地エルサレムを巡るキリスト勢力と力イスラム勢力との戦いにおいて、十字軍と呼ばれたキリスト側勢力の中心戦力として活躍し続けたという点です。

テンプル騎士団の団長はフランス国王やイギリス国王、ドイツ皇帝と肩を並べられる程の存在であり、多くの国でヒーローのように讃えられたという点でも僧兵のイメージとはだいぶ異なります。

本書は多くの西洋を舞台とした歴史小説を手掛けている作家の佐藤賢一氏が、テンプル騎士団を解説した1冊です。

小説のように物語調でテンプル騎士団を紐解いてゆく本だと思ったのですが、実際には西洋史の専門家のように文献や時代背景を元にした細かい解説が中心となっている点は意外でした。

テンプル騎士団の成り立ちからその終焉までを追ってゆくのはもちろんですが、彼らの組織管理手法や経済活動まで多角的に分析しています。

とにかくヨーロッパおいて最強の武力と経済力を持つ組織として頂点に上り詰めたテンプル騎士団ですが、聖地を巡礼するキリスト教徒が安全に旅ができるよう、たった2人でパトロールのボランティアを始めたのがきっかけでした。

テンプル騎士団の印章は1匹の馬に2人の騎士がまたがっている姿が図案となっていますが、それもボランティアを始めた2人が住む場所もないほど貧乏で、馬も2人で1頭しか用意できなかったことに由来しています。

テンプル騎士団の成長過程を見ていくと、ガレージで起業して世界的大企業へと成長したグーグルやアップルとテンプル騎士団が重なって見えてしまします。

ただし国家をも凌ぐ経済力を持ったテンプル騎士団もやがて崩壊せざる得なかった事実を考えると、世界を席巻するビッグ・テックを呼ばれる企業もやがて衰退する時が来ることを示しているのかも知れません。

もちろん本書ではここまで言及していませんが、中世ヨーロッパの歴史を彩ったテンプル騎士団を知る上で手助けとなる1冊なのは間違いありません。

ちなみにテンプル騎士団と同時代に活躍したもう1つの聖ヨハネ騎士団については、塩野七生氏の「ロードス島攻防記」が歴史小説としてお勧めです。

暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇



尾崎一雄氏のエッセイに続いて、岩波文庫から出版されている作品集となります。
本書には15篇の作品がほぼ発表年代順に掲載されています(カッコ内は発表時期)。

  • 暢気眼鏡(昭和8年2月)
  • 芳兵衛(昭和9年5月)
  • 燈火管制(昭和9年8月)
  • 玄関風呂(昭和12年6月)
  • 父祖の地(昭和10年6月)
  • 洛梅(昭和22年9月)
  • 虫のいろいろ(昭和23年1月)
  • 美しい墓地からの眺め(昭和23年6月)
  • 痩せた雄鶏(昭和24年4月)
  • 山口剛先生(昭和23年11月)
  • (昭和32年7月)
  • 松風(昭和46年1月)
  • 蜜蜂が降る(昭和50年1月)
  • 蜂と老人(昭和54年1月)
  • 日の沈む場所(昭和57年1月)

    • 尾崎氏は明治32年生まれで、日本の私小説というジャンルを切り開いた先達の1人に位置付けられる作家です。

      若い頃に大病を患ったこともあり、コンスタントに作品を発表し始めたのは30歳を過ぎてからという遅咲きでしたが、昭和58年に83歳で没するまで息の長い活動を続けました。

      生涯に200篇あまりの小説を書いたと言われますが、大部分が短編ということもあり、決して多作な小説家ではなかったようです。

      志賀直哉
      に師事したことでも知られていますが、尾崎氏自身が途中で師のような作品は書けないと悟ったこともあり、実体験に基づいた装飾を排除した私小説という特徴があります。

      本書のタイトルにもなっている暢気眼鏡は、のちに妻となる女性との出会いと同棲の様子を描いた作品ですが、同時に作家として殆ど活動せずに借金まみれの生活の日々を描いた作品でもあります。

      書き手によっては自分の鬱屈した気分を前面に押し出した陰気な雰囲気の漂う私小説にもなり得ますが、この作品はユーモア貧乏小説と評されるようになります。

      これは尾崎氏自身の性格にもよりますが、当時の私小説作品の中では珍しいスタイルだったといえます。

      ここにさらに1つ付け加えるとすると、ユーモアのある私小説というスタイルは変わらないものの、前半(戦前)の作品はいかにも文学的な私小説という構成や文体を意識した作品ですが、中盤(戦後)以降はほとんどエッセイと見分けのつかないほど自然な文体で書かれており、心情を率直に作品へ反映しているという印象を強く受けます。

      これは読んでいて誰にでも書けるように感じますが、プロの作家でもなかなか真似の出来ない小説ではないでしょうか。

      おそらくこれは若い頃から何度か命にかかわる大病を患い、絶望や悲観を味わいながらも生還を果たした経験から得た、運命にすべてを委ねた自然体から漂う天衣無縫さが作品に反映されたもののように思われてなりません。

単線の駅



年末からある作家の全集を読んでいますが、同じ作家の作品を読み続けるのは多少の飽きが出てきます。
そこで気分転換に手に取ったのが、明治時代生まれで昭和期に活躍した作家・尾崎一雄氏のエッセイです。

昭和40年代から50年代始めに各氏に掲載されたエッセイを集めた形で出版されていますが、おおよそ尾崎氏が70代の頃と一致します。

エッセイはその手軽さから多くの芸能人も出版していますが、やはり本職の小説家が執筆したエッセイは味わいがあり、個人的には遠藤周作北杜夫といった昭和期に活躍した作家のエッセイがもっとも好きです。

老作家の書くエッセイからは、日々の出来事や心境だけでなく、これまで蓄えてきた経験、知識に裏付けされる"確固たる人生観"を知ることができます。

今でこそ70代になっても元気に活動し、いつまでも健康に過ごそうという意欲のある人が増えた印象がありますが、昭和の作家たちに共通するのは60代後半から70代にもなると、自らの人生が晩年にあることをはっきりと意識し、遠からず自らに訪れる""を静かに正面から受け止めている点であり、その心境が文字を通じて感じられるのです。

こうした条件を完全に満たしているのが本書「単線の駅」です。

尾崎氏は志賀直哉に師事して小説を書き始めますが、何度か大病を経験したこともあり決して多作な方ではありませんでした。

また療養のため自然の豊かな小田原市・下曽我にある実家で長らく作家活動をしたことでも知られています。

草木や昆虫を題材したものから、近隣の人びとや作家仲間との交流などを回想と共に穏やかに綴っています。

たわいの無い話題が殆どですが、過度な装飾や肩肘張らない文章から漂ってくる雰囲気に引き寄せられてしまうのです。

また本エッセイの書かれた時期は高度経済成長時代と一致しますが、尾崎氏は世の中が便利になり暮らしやすくなったことは認めつつも、経済発展を優先するあまりに引き起こされた自然破壊や環境汚染に対して警鐘を鳴らしておりり、世の中に蔓延する科学万能主義の風潮へ対してはっきりと反対の姿勢を示しています。

著者が亡くなってからバブルが崩壊し、高齢化社会の到来とともに人口が減少する時代が訪れましたが、経済成長真っ只中に尾崎氏が唱える「人間にとって自然は征服すべきものではなく、共存すべきもの」という主張はリクスを要するものであり、晩年を迎えた作家が最後の義務であると意識していたに違いありません。

イギリスの不思議と謎



外国を理解するためには、色々な側面からその国を知る必要があります。

かなり前に「イギリス観察学入門」という本を紹介しましたが、そこではイギリスの日常的な風景、食生活やライフスタイルなどが解説されており、例えば観光でイギリスを訪れる際に役に立ちそう1冊でした。

もちろんイギリスといっても多様な人種や文化が存在する国であり、それをひと括りにすることは不可能ですが、本書ではイギリスに住む人々の根底にある概念、認識、あるいは思考といったものを解説しています。

それを日本人に置き換えてみると、かつて存在した"武士"へ対して抱く概念、神社仏閣への信仰心、伝統文化への理解、隣国へのイメージなど、それは形として目には見えにくいものです。

本書で解説されているのはイギリス人にとってのそのような内容であり、当たり前ですがそれは歴史上の中で少しずつ培われてきたものです。

日本ではようやく最近見なくなった風景ですが、イギリスのパブリックスクールでは、19世紀はじめ(約200年前)に先生の生徒へ対する暴力、それに反抗する生徒といった構図で学校の秩序が崩壊した時期がありました。

そうした子どもたちのエネルギーを違う方向に導き、利己的な行動を抑制して団体行動の重要さを教育するためにスポーツという教育手段が取り入れられました。

イギリスはサッカーやラグビー、クリケットなど多くのスポーツの発祥の地と言われますが、その背景には歴史的な学校の制度改革があったからです。

ほかにもなぜイギリスは茶木が自生しない国にも関わらず、紅茶の国、つまりアフタヌーンティー文化発症の地となったのかについても、本書で解説されている歴史的背景は興味深いものでした。

本書のはじめにイギリスは一般的に礼儀としきたりを重んじる保守的な国というイメージがある一方、新しいものを積極的に受け入れる国であると書かれていますが、イギリスという国の成立過程からして多様で複雑な文化を内包していることを考えると当然であるという見方もできます。

それは良い面もあり、一方で未だに続く地域感の不協和音や対立といった負の側面も持っているいるのです。

つまり一筋縄には行かないイギリスの懐の深さは、タイトルにある通り「不思議と謎」でもあるのです。

トラックドライバーにも言わせて



本書を執筆したフリーライターの橋本愛喜氏は、元工場経営者にしてトラックドライバーという変わった経歴を持っている女性です。

そしてタイトルから分かる通り、本書は彼女がトラックドライバーとして活躍していたときの経験と取材を踏まえて執筆したエッセイ&ルポタージュです。

場所と時間帯によっては乗用車よりもトラックの方が多いくらいに身近な存在ですが、それもそのはずで、物流においてトラックが担っている役割は大きく、衣食住のほぼすべてが依存しているといってもよいでしょう。

一方で、日本経済を支えるトラックドライバーの実態は知っているようで知らないことばかりということが本書を読んでいくと分かってきます。
例えば次のようなことです。

  • トラックドライバー同士の暗黙のマナー
  • トラックがノロノロ運転する理由
  • トラックが左車線を走りたがらない理由
  • 路駐で休憩せざるを得ない理由
  • なぜハンドルに足を上げて休憩するのか
  • トラックドライバーの眠気対策


    • 中には事情を知らないと運転マナーが悪いと誤解してしまうものまであり、それだけでも本書を手に取った価値があります。

      ところで私がトラックドライバーに抱くイメージは、ずばり運転のプロです。

      普段乗用車しか運転しない私にとって、4tトラックですら手に余るのは容易に想像がつきますが、それがトレーラーや大型トラックであったらまったく運転できないに違いありません。

      そして彼らの仕事はただ運転しているだけではないことも理解できます。
      家族サービスでたまにドライブで遠出することがありますが、やはり乗用車であってもかなり疲労することを考えると、日常的にトラックを運転することの大変さは想像がつきます。

      著者は自らの経験からトラック業界の抱える問題点についても分かりやすく解説してくれています。

      例えば手荷役(通称:バラ積み、バラ降ろし)といった契約外の重労働、 延着早着を避けるための長時間拘束、未払い残業代、さらに荷主第一主義がもたらす法令違反(例えば過積載)などの業界の闇も解説しています。

      私の働く業界も当然のように闇が存在しますが、トラックの場合はときに他人の命を奪う危険性を持っています。

      そしてこれは業界内だけの問題ではなく、日常的に時間指定配達再配送送料無料といったサービスの恩恵に預かっている私を含めた業界外の人にも無縁ではいられないことなのです。

      よく日本は暮らしやすい国と言われますが、果たしてそれは本当なのかと疑問に思う時があります。 それは、日本人は安くて品質の良いサービスが当たり前になり過ぎている側面があると感じるからです。

      本書の最後に書かれている言葉が印象的です。
      誰かの「犠牲」が伴うサービスは、もはや「サービス」ではないと筆者は思うのだ。