2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?
2007年に出版された"2ちゃんねる"の管理人ひろゆき(西村博之)氏の著書です。
インターネット業界は他業種より技術やサービスの変革が激しく、かつてドッグイヤーと評されることがありましたが、その変化の早さは今も変わりません。
だからインターネットに関する約10年前の本を読むことに意味が無いのではないかと問われれば、明らかに答えは"ノー"です。
本書のタイトルにもなっている"2ちゃんねる"は10年前も今も、国内最大の掲示板サイトであり続け、未だにその影響力も大きいのが現実です。
本書に限らずひろゆき氏の発言を拝見する限り、簡単に世論や昔からの慣習といったものに迎合せず、つねにロジカルに考えて物事の本質を突くことがあり、その点ではホリエモンこと堀江貴文氏と共通するものがあります。
"2ちゃんねる"の特徴はSNSと違って匿名という点であり、それだけに過激な発言が書き込まれることがあります。
それだけに誹謗中傷、名誉毀損、差別発言の撤回を求めて裁判が行われることもしばしばです。
また発信元が特定されていないという点で情報の真偽も玉石混交ですが、何と言っても他に類を見ないユーザと書き込み数を誇る"2ちゃんねる"は10年前も今も変わらず需要があり続け、イコール欠かせないサービスであり続けるのです。
仮に法的な強制力などで"2ちゃんねる"が潰れることがあってもその需要が無くなることはなく、似たような他のサービスが生まれるだろうという著者の指摘はまったくその通りだと思います。
またCGM(ユーザがコンテンツを生成する仕組み)や、セカンドライフ(仮想空間を提供するサービス)といった既に姿を消してしまったワードが登場する点は、10年という時代の流れを感じる点です。
また著者は元々が技術者(エンジニア)であるため、CPUをはじめとしたハードウェアの進化にも言及していますが、現在はハードウェア本体を用意することなくサーバを利用できるクラウド型サービスが普及し、10年前の予想とは違った方向へ進化しています。
また10年前には動画サービスがビジネス的な収益を上げることが難しいと考えられていましたが、ここ2年くらいで一気に伸び始めた有望な分野になっています。
本書の中で10年後の現在を適切に言い当てられているのは正直半分くらいだと思いますが、これはあくまでも表面的な出来事にしか過ぎません。
インターネットを扱う人間自体が10年程度で大きく変わることはなく、本書に収められている小飼弾氏との対談にあるように、彼らにとって一般的な日本人は思考停止しているように見えてしまい、「思考停止のやり方が分からない」というひろゆき氏の考える新しいインターネットの未来像は、今なお日々変わり続けているに違いありません。
一路(下)
突然に父親を失い、家伝の「行軍録」のみを頼りに、参勤交代の大役を果たそうとする主人公・小野寺一路。
彼は頭脳明晰、剣の腕も一流という評判ですが、いかんせん19歳という若さということもあり、実務経験のまったくない世間知らずの若者です。
しかし江戸時代では能力や経験よりも世襲、つまり筋目がもっとも重要視される社会であり、それでも一路は役目を果たさなければなりません。
これを現在に例えるなら、大学を卒業したばかりの新卒社員がいきなり部長に抜擢されるようなものです。
それでも懸命に役目を果たそうとする一路に、少し変わった仲間たちが彼を手助けをしてくれます。
それは和尚、易者、髪結、馬喰など市井の人々、さらに年下の気弱な侍、戦国時代から出てきたような猪突猛進型の侍といった、権威や貫禄は足りなくとも、いずれもひと癖あるキャラクターばかりです。
そして本書ではもう1人の主人公といえるのが、彼らの頂点に立つ殿様・蒔坂左京大夫です。
美濃田名部七千五百石の領地において権力の頂点に立つ人物であり、殆どの大名がそうであったように好き嫌いの感情を表に出すことや、身分の低い者と軽々しく口をきくことは望ましくないとされてきました。
実際、左京大夫自身が命令せずとも領地は家臣たちが滞りなく運営してくれるため、命令する必要さえ無いというのが現実でした。
中山道を上京する中で数々の困難を乗り越えるうちに、一路だけではなく、この左京大夫もともに成長してゆくという点が本書の醍醐味です。
さらにストーリーが後半に入るに従い、事故無く普通に参勤交代を果たすだけでなく、一部の家臣たちが密かに企てている陰謀を食い止めるために、意識せずこの2人がタッグを組み、また彼らの仲間たちも獅子奮迅の働きをします。
小さいとはいえ一国を揺るがしかねない危機であり、普通に考えればシリアスな雰囲気にならざるをえないのですが、浅田次郎氏はこれをエンターテイメント型の時代小説として書き上げています。
もちろん登場人物それぞれの立場から描かれる浅田氏ならでは人情物語も健在です。
一路(上)
江戸時代という250年に及ぶ天下泰平の時代が続きますが、その平和を支えてきた重要な要素が完成度の高い封建制度です。
その封建制度の中核が将軍を頂点とした上下関係であり、とくに武士の階級においては絶対的な力を持ちました。
中でも参勤交代は、全国の大名が江戸の将軍へ対して忠誠を示すための重大な義務でした。
本書はその参勤交代を題材にした浅田次郎氏による軽快な時代小説です。
封建制度の要である身分制度は、単に上下関係を決めて法律化するだけでは足りず、上に立つもの(将軍や殿様)を権威付ける細やかな儀式や慣例が欠かせないのは、世界の東西に関わらず共通のものです。
たとえば殿様が身軽な服装で1人で上京したのでは何の権威も生まれず、参勤交代の効力は発揮できません。
つまり"大名行列"という大勢のお供を引き連れた盛大な演出が欠かせないのです。
本書の主人公は、美濃国田名部藩7千5百石の旗本である蒔坂左京大夫の元で参勤交代の責任者(御供頭)を代々勤める小野寺一路です。
この一路は一度も領地を訪れた事のない江戸住みの若干19歳の身であり、父の弥九郎が屋敷の失火で亡くなったために突如、その重責を担うことになります。
身分制度を円滑に維持する上で能力ではなく、世襲によって役職を継ぐという点も封建制度の特徴であるといえます。
ただし一路は若いこともあり、父親から肝心の御供頭としての心得や引き継ぎをまったく受けておらず、奇跡的に焼け跡から発見された2百年以上も前に先祖が書き遺した家伝の「行軍録」のみが唯一の手がかりという状態です。
参勤交代の旅程において不手際があれば、小野寺家の家名断絶を免れません。
果たして一路は、この窮地を乗り越えられるのか?
封建制度という細かい制度が幅を利かす江戸時代は、歴史に精通した著者にとって格好の舞台装置であり、痛快な物語が幕を開けます。
あんぽん 孫正義伝
少なくともここ半世紀において、孫正義ほど日本で成功した起業家はいません。
10兆円に迫る売上高を誇るソフトバンクグループを率いる孫正義の軌跡や経営哲学をテーマにした本は数多く出版されていますが、今まで彼に関する本を手に取った機会がありませんでした。
本書は作家である佐野眞一氏が、孫正義のルーツに迫ったノンフィクション本です。
この400ページにもなる分厚い本を開く前には、孫正義のルーツに迫りつつも、起業に至るまでの過程、米ヤフーと合弁でヤフー株式会社を設立し日本の黎明期のインターネットを牽引し、J-PHONEや球団の買収などなど、数々のエピソードが満載されている本といった勝手な想像をしていました。
しかし実際に読み進んでゆくと、佐野氏は"経営者としての孫正義"ではなく、どこまでも"個人としての孫正義"に迫ってゆく方針であることが分かってきます。
そもそもプロローグで著者は次のように言い切っています。
私が孫正義という男について書こうと思ったのは、彼のデジタル革命論に興味を持ったからでもなければ、彼のコンピュータ文化論に共鳴したからでもない。そんなことは、新しいもの好きのIT評論家にまかせておけばいい。
孫正義のルーツに迫ってゆこうとすれば必然的に彼が在日三世であることに言及する必要があり、そこにこそソフトバンクグループを築き上げた源泉、そして今もトップとして君臨する彼の経営方針や発言のバックボーンが見えてくるといったアプローチをとっている点がポイントです。
孫は佐賀県鳥栖市の無番地、すなわち朝鮮部落のバラックで生まれました。
当時、密集したバラックに住む朝鮮人たちは、おもに養豚と密造酒で生計を立てていました。
住居と豚小屋が続いてる構造のため部落全体からは異臭が立ち込め、その脇を流れるドブ川は大雨が降ると溢れ出し、バラックを水没させてしまうような劣悪な環境でした。
そこから孫の父・三憲は、密造酒で稼いだ資金を元にサラ金を始め、やがて九州で最大のパチンコチェーン店を展開するまでに至ります。
バラック住まいから一躍大金持ちになった三憲は、それを才能に恵まれた正義に惜しみなく投資し、彼のアメリカ留学、そして企業資金を支えるまでになります。
ただし在日韓国人の父親がにわか成金になったおかげで孫正義が誕生したのか?と問われれば、それが明確に"ノー"であることは本書を読めば分かります。
そこに至るまでには、かつて朝鮮では名族として知られ、やがて没落して困窮のため日本に渡ってきた一族の3代に渡る壮大な物語がバックボーンとして横たわっています。
祖国を捨て新天地の日本でも差別と貧困に苦しみ、時には骨肉の争いも辞さない強烈な喜怒哀楽の歴史が、孫正義という人格の中に濃縮されているといえます。
正義の父(孫家)、そして母方(李家)の親族やその故郷を丹念に取材し、血のルーツを探ることによって、稀有な世界的起業家となった孫正義の生まれた理由に迫っており、こうしたアプローチで伝記を執筆するのは極めて珍しく、それだけに新鮮なインパクトを受ける1冊です。
カカシの夏休み
やや抽象的ですが、努力が"報われる"か"報われない"かが議論になることがあります。
私自身はそれほどこの結論に興味はありませんが、いずれにしても人が生きてゆく上で重圧に苦しむような場面に出会うことだけは確実です。
それは家庭や職場、学校でぶつかる難題や人間関係であったり、自身の健康問題、ひょっとして親しい人の死であるかもしれません。
本書はそんな人生の壁にぶつかった人たちの物語をテーマにした3編の作品が収められています。
- カカシの夏休み
- ライオン先生
- 未来
この3作品に共通しているのは学校が舞台として関わっている点であり、はじめの2作品は教師、3作品目は学校を中退した少女が主人公です。
また主人公たちに共通しているのは、特別に優れた能力や恵まれた立場を持っていない、ごく一般的な人たちである点です。
タイトル作の「カカシの夏休み」では、クラスの問題児の扱いに手を焼いている時期に、故郷の旧友が交通事故で亡くなるという訃報が主人公である男性教師(小谷先生)の元へ届きます。
30代後半にさしかかり中堅という立場にありながらも、1人の生徒と向かい合う中で改めて教師としての資質や方向性に悩む主人公でしたが、葬式をきっかけに久しぶりに出会うかつての同級生たちは、いずれも自分と違う形でそれぞれの重圧の中で戦っていることに気付きます。
そして主人公たちのかつての故郷はダムの底に沈んでしまい、帰るべき思い出の場所は既にありません。
バイタリティのある人はひたすら未来に向かって進み続けますが、多くの人たちは困難にぶつかった時に、ふと楽しかった頃の過去を振り返らずにはいられません。
そして二度と戻れない過去であることは分かっていても、振り返ることで再び前進するきっかけを掴むことも出来ることもあるのです。
本書は普通の人たちが日々の中でぶつかる困難へ対して、無器用に1つずつ乗り越えてゆく過程を描いている物語であり、だからこそ多くの読者の共感を得ることが出来るのではないでしょうか。
各ストーリーの主人公たちを見ていると、たとえ読者が抱えている問題解決のヒントにはならくとも、気分を和らげてくれるハズです。
高熱隧道
北アルプスの北部に位置する黒部渓谷。
そこは深い谷と急峻な崖に囲まれ、人はおろか猿やカモシカでさえも辿ることの出来ない地域でした。
本書はそんな人類未踏の地域に足を踏み入れ、戦前(昭和11年~昭和15年)に仙人谷ダムを建設した人々を描いた小説です。
工事現場までは崖の中腹に桟道を通す必要がありましたが、それは丸太をボルトで固定したものに過ぎませんでした。
そのため資材を運ぶだけでも多くのボッカたちが荷物もろとも崖下に消えていったのです。
そして何より困難を極めたのが、高熱の岩盤と湧き出る熱水に苦闘しながらのトンネル貫通工事であり、その通称がタイトルにある"高熱隧道"です。
当時は岩盤を無人で掘削してゆく巨大なマシンは存在せず、ダイナマイトによって岩盤を爆破し人力によって破片を運び出すというものでした。
資源の乏しい日本において当時は新たな水力発電所の建設が重要視されており、それは単なる公共事業に留まらず、大戦の足音が刻一刻と近づいてくる世相の中で工業力を強化する国策としても是非必要なものでした。
150度以上に熱せられた岩盤によって多くの人夫が倒れ、また高熱のため暴発するダイナマイトによって犠牲者が出たこともあり、工事は遅々として進まない状況でした。
そのため大掛かりな宿舎を現場近くに建設して冬季も工事を続行させますが、これがさらなる悲劇を生み出しました。
それが豪雪の冬に起こる泡雪崩(ほうなだれ)でした。
この凄まじい衝撃波を伴う雪崩が宿舎を人夫もろとも580m先にある奥鐘山の岩壁に叩きつけ、84名の命が一瞬にして失われました。
残念ながら工事着工から仙人谷ダムが完成するまでに300名を超える犠牲者を生み出すことになるのですが、この過程が作品には克明に描かれています。
この作品には3つの側面があります。
まずは地球の息吹を感じるかのような灼熱の岩盤、そして急峻な山と豪雪という組み合わせが生み出す恐ろしい雪崩など、雄大で厳しい大自然の姿を描いているという側面です。
次にその大自然へ果敢に挑戦し、いかなる犠牲を払ってでも目的を達成しようとする人間たちの執念や情熱という観点からの物語です。
そして最後に、帝国主義を掲げる国家権力を背景にした建設会社が工事を強行し、結果的に現場の最前線で働く多くの労働者(人夫)の命を失わせたという悲劇の物語としての側面です。
のちの太平洋戦争において多くの兵士たちの命が軽視されてしまった兆候が、すでにこのダム建設の現場に現れていたのです。
いつかこの仙人谷ダムへ訪れてみたいと思っていますが、実際にダムを目の前にした時、色々な感情の入り混じった複雑な気持ちになるのかも知れません。
大本営が震えた日
玉音放送によって国民に降伏を知らされた8月15日は終戦の日として有名ですが、真珠湾攻撃・マレー作戦によって開始された12月8日の太平洋戦争開戦の日はそれほど知られていません。
泥沼化しつつある日中戦争、また満州を巡ってソ連とも予断を許さない状況にありながら、アメリカ、イギリス、オランダをも敵に回すという無謀な戦略だったことは歴史が証明していますが、開戦前から最高司令部(大本営)の人間たちもその困難さは理解していました。
そこで考えついたのが、渾身一滴の奇襲作戦です。
敵国に奇襲作戦を知られることを防ぐために、開戦日やその標的については国民はおろか、大部分の軍人にも知らせなかったのです。
しかしこれだけの作戦を遂行するためには、長い準備期間と緻密なスケジュールに沿って大規模な極秘行動を展開する必要がありました。
本書は、こうした開戦の影に潜んだ巨大な舞台裏をテーマにした吉村昭氏の小説です。
まずは広東東方の山岳地帯に墜落した中華航空の民間機「上海号」が取り上げられています。
墜落した飛行機には、開戦司令書を携えた杉坂少佐が乗っており、しかも墜落現場は中国軍の支配地域だったのです。
軍上層部の苦悩、そして敵地に墜落しつつも辛うじて生き残った軍人たちの運命が緊迫した状況とともに描かれています。
続いて開戦直後にアメリカ海軍によって拿捕される可能性の高かった日本人引揚船「竜田丸」の乗組員たちの物語、さらにはマレー半島攻略作戦へ向けて南下を続ける日本軍輸送船団の隠密行動、東南アジア攻略のために欠かせないタイへの平和進駐の交渉裏など、多方面で繰り広げられながらも歴史の表に出てこなかった事実が浮かび上がってきます。
そして最後は択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)に大演習のため終結した艦隊が、その本当の目的であるハワイ・真珠湾攻撃のために出港してゆく過程を扱っています。
連合艦隊司令長官・山本五十六によって立案された太平洋戦争最大の奇襲作戦の舞台裏は、厳しい電波管制を続けながらも、ハワイ(敵地)の情報収集を続けながらの沈黙行動であり、有名な「新高山登レ一ニ○八」の開戦決定に至るまでの緊迫した状況が伝わってきます。
本書は北海道から九州に及ぶ丹念な取材、そして何より敗戦後20年後に書かれたため、当時の関係者が比較的健在だったという要因が重なって完成された作品です。
作品の最後は次のように締めくくられています。
庶民の驚きは、大きかった。かれらは、だれ一人として戦争発生を知らなかった。知っていたのは、極くかぎられたわずかな作戦関係担当の高級軍人だけであった。
陸海軍人二三○万人、一般人八○万のおびだたしい死者をのきこんだ恐るべき太平洋戦争は、こんな風にしてはじまった。しかも、それは庶民の知らぬうちにひそかに企画され、そして発生したのだ。
人間の集団について―ベトナムから考える
ある国のことを知ろうとするとき、てっとり早くガイドブックから知るのが簡単だが、じっくりと腰を据えて歴史や伝統から知ろうとするのも悪くないかもしれない。
しかし本書の著者である司馬遼太郎氏は、必ず現地を訪れて取材をするという流儀を持った人でした。
それも現地の政治筋の人や新聞記者とは会おうとせず、地下の人、つまり普通に暮らしている民衆たちに接することで、肌身を通じてその国の空気に触れようとするスタイルなのです。
著者はベトナム戦争において米軍の最後の部隊が撤退した翌日(1973年4月1日)にサイゴンを訪れますが、南北ベトナムの内戦はまた続いており、連日のように多くの犠牲者が出ている状況でした。
それでも著者が出会ったベトナム人は誰もが微笑みを絶やさず親切であり、かつての日本がゆるやかな社会環境だった頃の人間に出会ったような懐かしさを感じると記しています。
もし会社の業績を伸ばすために必死に働く経営者やサラリーマンが多い日本で内戦が勃発したとしたら、殺伐とした神経の張りつめたような雰囲気に支配されるに違いありませんし、"例え"を持ち出すまでもなく、大戦中の国家総動員法や大政翼賛会といった民衆への重圧を強いるような社会状況にあったことをつい最近の歴史から引き出す事もできるのです。
数百万人もの犠牲者を出すような苛烈な状況下にあるにも関わらず、彼らの柔和さは奇跡のようなものと著者は感嘆すると同時に、ベトナムの自前の生産社会の歴史的段階は、日本の戦国時代か江戸時代初期の段階にすぎないとも指摘しています。
つまりメコン川を中心とした豊穣な土地で稲作をすれば充分に食ってゆけた村落を中心とした集団がベトナム人の基盤であり、近代国家の持つ重い理念に無縁であったという要因が大きいという鋭い分析を行っています。
そこへいきなり最新式のアメリカ資本主義が乗り込んできたことにベトナムの悲劇があるのです。
ベトナムと同じインドシナ半島にあるラオス、カンボジア、タイといった国々はいずれもインド文化圏として性格を強く持っていますが、ベトナムは歴史的に中国文化圏の影響を強く受けている国です。
こうしたアジアの多様な文化を知る上でも、また国や民族を外から観察する視点を養うという点からも、本書から得ることは多いのです。
たかが信長 されど信長
定期的に訪れる感のある"信長ブーム"。
本書にはおもに、何度めかの信長ブームが訪れた1991~1992年(平成3~4年)に行われた遠藤周作氏を中心とした対談が収められています。
私自身、当時の信長ブームにはおぼろげな記憶しかありませんが、緒形直人演じる信長の大河ドラマ(信長 KING OF ZIPANGU)が話題になったことは印象に残っています。
ともかく多くの歴史小説を手掛け、日本文壇の重鎮として活躍していた遠藤氏を中心とした当時の対談本を今回はじめて手にとってみました。
本書に収録されている対談は以下の通りです。
- 今さら、なぜ信長か - ブームを斬る(VS.津本陽・江坂彰)
- 信長は天皇に勝ったか - 権威と権力の暗躍(VS.今谷明・山室恭子)
- 『武功夜話』に見るマザコン男の孤独 - 前の一族と信長・秀吉(VS.吉田蒼生雄・高橋千劔破・藤田昌司)
- あなたは信長の部下になりたいか - 「水の人間」の魅力と欠陥(VS.尾崎秀樹)
- こんな英雄はいらない - 大ポカをするゴリゴリの合理主義者(VS.会田雄次)
- でもやっぱり、信長は偉い?(遠藤周作ひとり語り)
- 作家はなぜ歴史小説を書こうとするのか? - 書く側の論理(VS.辻邦生)
たとえば対談相手の1人である津本陽氏は、信長を主人公にした大ベストセラー「下天は夢か」を発表した作家であり、その他にも歴史学者、評論家などいずれも信長や戦国時代の専門知識を持っている人たちが対談相手です。
そこからは先行しがちな作家やメディアが作り出した信長像のみならず、アカデミズムの世界で明らかになった新しい信長像が浮かび上がってきます。
たとえば明智光秀が起こした「本能寺の変」において光秀の長年に渡る信長への恨みや、秀吉や家康の陰謀説が取り上げられることがありますが、学術的には信長がことさら光秀を虐待したということを裏付ける史料はないそうです。
また「桶狭間の戦い」で奇襲を仕掛けて今川義元を討ち取った信長には大胆なイメージがありますが、彼の人生においてそうした博打的な戦いは桶狭間の1回きりで、尾張国内の平定に7年、隣国の美濃攻略に7年、石山本願寺の攻略にも5年という月日を費やしており、信長の方が「鳴くまで待とうホトトギス」の家康よりも堅実な戦い方が目立っていました。
またブームの真っ只中にも関わらず、遠藤氏らしい率直な信長評も見られます。
もし信長の会社に我々が勤めていたら、首になるか、間違いなく過労死している(笑)。しかも彼は、すべての人物を機能としかとらえず、役に立たなければ捨ててしまう。いわば冷たい合理主義者で、私には、そんな英雄はいらぬわという気が心のどこかにあるんです。
それにしても、なぜ、信長という男は日本人に人気があるのでしょうか。その最大の理由は、早死にをしたということでしょう。沖田総司と同じで、本能寺の後も生きていたとしたら、信長の今日の人気はなかったと思います。
多くの歴史上の人物に言えることですが、やはりさまざまな角度から光を当てなければ本当の姿が見えてこないのかも知れません。
ニコライ遭難
タイトルにある"ニコライ"とは、のちのロシア皇帝ニコライ二世のことであり、その遭難を示す出来事とは、1891年(明治24年)に発生した大津事件を指しています。
本書は吉村昭氏が、大津事件の詳細や背景をこと細やかに描いた歴史小説です。
当時、皇太子だったニコライは両国の友好を深めるため軍艦とともに日本を訪れ、長崎→鹿児島→神戸→京都→東京という旅程を予定しており、京都から立ち寄った大津で巡査だった津田三蔵の凶行によって頭を負傷するという暗殺未遂が大津事件であり、日本史の教科書にも取り上げられています。
個人的には歴史小説というよりも特定の事件にクローズアップした歴史書といった方が相応しいほど、その描写は克明を極めており、ニコライの来日やそれを歓迎する日本の重鎮や民衆の様子が詳細に書かれています。
例えば以下はニコライが神戸に上陸した時の様子です。
ニコライは、出迎えの者に帽子を脱いで丁寧に握手をかわし、御用邸に入った。午後二時であった。
ニコライは、邸内に陳列された美術品をみた後、茶菓のもてなしをうけて十五分間休憩した。この間に、淡路洲本の新岡与文から鳴門蜜柑、小物屋町万年堂からカステーラ、神戸町一丁目明治屋からキリンビール、兵庫県湊町州田藤吉から瓦煎餅の献上をうけた。
やがて、ニコライは御用邸を出た。玄関前から門の外にむかって人力車がならび、宮内省から送られてきた人力車にニコライ、ジョージ親王、有栖川宮の順に乗り、・・・(略)
駐ロシア公使や政府内部でやり取りされた暗号電文や書簡も充分に紹介されており、そこからは当時の日本の様子のみならず、世界情勢までもが見えてきます。
当時のロシア帝国は世界最強の軍事国家であり、それに対して明治24年当時の日本は僅かな海軍しか所有しておらず、のちの日露戦争時の艦隊は姿形もありませんでした。
つまり明治天皇や日本の首脳陣たちは、この事件の結果がロシアの武力による報復、もしくは武力を背景にした巨額の賠償金へ対して頭を悩ませたのです。
東京から慌てて天皇や大臣たちが負傷したニコライ皇子が療養している京都へ見舞いに訪れる様子などは、日本の首脳陣が完全に狼狽してしまった結果だといっても過言ではありません。
こうした日本の誠意が通じたのか、幸いにもニコライ皇子の傷も命に別状なかったこともあって致命的な外交問題にはならずに事件は収束しました。
そして一転して本書の後半では、事件の張本人である津田三蔵への裁判を巡る行政と司法の対立と駆け引きが描かれます。
謀殺未遂罪は無期以下の懲役というのが当時の刑法ですが、第百十六条には以下の法案が織り込まれていました。
天皇・三后(太皇、太后、皇太后、皇后)・皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ、又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス
松方正義首相はじめ、西郷従道、伊藤博文といった首脳陣たちは、ロシア皇帝を満足させるためには厳罰、つまり第百十六条を適用して死刑とすることを主張しますが、児島惟謙大審院長をはじめとした裁判長や判事たちは、その法案の成立過程からも第百十六条は日本の皇室のみに適用されることは明らかであると主張し、何よりも司法権の独立を守り抜くために真っ向から対立します。
明治時代に1人の男が起こした事件を最大限まで拡大して見てゆくことで、かえって日本を取り巻く世界情勢が見えてくるという、まさに大津事件は当時の世相が凝縮された出来事だったのです。
プリズンの満月
"巣鴨プリズン"は、第二次世界大戦において戦勝国である連合国軍が多数の日本人戦争犯罪者を収容した施設として有名です。
その跡地は池袋サンシャインシティとして再開発され、当時の面影は公園に残された石碑以外に見い出すことは出来ません。
本書は吉村昭氏が"巣鴨プリズン"を舞台にして描いた小説です。
刑務官として40年間の勤務を終え定年を迎えた主人公・鶴岡が、昭和25年から8年間勤務した巣鴨プリズンでの出来事を振り返る形式をとっていますが、この主人公は著者が創造した架空の人物でありフィクションです。
ただしそこでの出来事は、当時のプリズンで事務官を務めていた森田石蔵氏からの詳細な取材、そして当時の記録を丹念に調べて執筆されており、その点では本書は紛れもなく歴史小説に位置付けられます。
収容された戦犯たちはGHQによりA級、B級、C級戦犯に分類されますが、これは犯罪の内容(種類)によって分類されたものであり、刑罰の軽重を示すものではありません。
実際にはA級戦犯として7名、BC級戦犯として52名が巣鴨プリズンで処刑されたといわれており、他にも20名が病気や自殺によってプリズン内で亡くなっています。
多くの犠牲者、遺族を生み出したという点で戦争が"悪"であるという点に異論はありませんが、そもそも戦争という非常時における殺人行為を罪に問えるのか、戦勝国の人間が一方的に敗戦国の人間を裁く権利を有するのかという点については当時から国際的に議論されてきました。
実際に極東国際軍事裁判に参加したインド人判事・パールは「日本への原子爆弾投下を決断した者こそ裁かれるべき」という旨の発言をし、裁判という舞台が戦勝国による復讐的性格を帯びている点を鋭く批判しましたが、この言葉に本質的な矛盾が凝縮されているように思えます。
当初、巣鴨プリズンは米軍の将兵によって運営されていましたが、やがてアメリカ軍が主力となっている朝鮮戦争の情勢が激化するに及んで人手不足のため日本人の刑務官が招集されました。
つまり日本の国法によって罰せられた訳ではない日本人戦争犯罪者を日本人刑務官が監視するという図式が成立してしまうのです。
本書には囚人たちに課せられる強制労働、死刑執行、芸能人による慰問に至るまで、刑務所内での出来事がこと細やかに記載されるとともに、囚人、そして刑務官が抱く複雑な心情までもが滲み出すかのように伝わってきます。
後世の我々は、巣鴨プリズンが昭和33年に閉鎖されることを知っていますが、当時の人たちはいつまで拘置され続けるのかという不安、そしていつ死刑が言い渡されるかという恐怖の中で日々を過ごすと同時に、一家の大黒柱を失った家族たちが困窮していることを知るに及んで、大きな焦燥感を抱いていたのです。
これは巣鴨プリズンに限った話ではなく、オーストラリアやフィリピン、中国やソ連などに抑留された日本人たち共通の感情であったのです。
やがて第二次世界大戦が終わり年月が経過するとともに、戦犯へ対する国際世論が変わり始める様子も本作品から伝わってきます。
作品全体に漂うのは重苦しい雰囲気ですが、わずかな希望の光が差し込み始め、それが少しずつ広がってゆきます。
しかしそれまでに長い時間と多くの犠牲が必要だったのは残念であり、戦争という行為の結果もたらした1つの悲惨な出来事として、後世に生きる我々は教訓を得なければなりません。
かきつばた・無心状
井伏鱒二氏の短編が15作品も収められている何とも贅沢な文庫本です。
- 普門院さん
- 爺さん婆さん
- おんなごころ
- かきつばた
- 犠牲
- ワサビ盗人
- 乗合自動車
- 野辺地の睦五郎略伝
- 河童騒動
- 手洗鉢
- 御隠居(安中町の土屋さん)
- リンドウの花
- 野犬
- 無心状
- 表札
随筆、私小説や歴史小説といった幅広いラインアップが揃っていますが、個人的に気になった作品を取り上げてみたいと思います。
まずは「おんなごころ」です。
これは井伏氏と交流のあった太宰治が愛人とともに入水自殺した時の出来事を振り返っています。
自殺直前の太宰はノイローゼ気味であり、先輩作家としての立場から療養することを薦めた著者との関係も良い状態ではありませんでした。
それでも自殺してしまった太宰へ対して強く忠告できなかった自分に「しまった」という後悔の気持ちがあること、一緒に無理心中した女性に振り回されていた太宰へ対して哀れみの感情を綴っています。
「かきつばた」では広島へ原爆が投下された当時、故郷の福山市で体験したことを私小説として書いています。
福山市は原爆の影響を受けませんでしたが、壊滅した広島の様子が分からず、"奇怪な爆弾"によって一瞬に消滅したという噂が広まるにつれ、少しずつその悲惨な実態が明らかになってくる緊迫した様子が伝わってきます。
やがて福山市も大空襲に襲われ、著者は避難した山の尾根から町の燃える明るみを眺めることになります。
強烈な体験にも関わらず、井伏氏の作風らしく強い感情を表に出さずに淡々と当時を振り返っているのが印象的です。
そして終戦直後に友人宅の池で著者が目撃した1人の女性の水死体、その池に季節外れに咲いていたカキツバタがなぜか不思議な純文学の世界を感じさせます。
この時の体験が後にに大作「黒い雨」を執筆する大きなきっかけになったのは間違いありません。
「御隠居(安中町の土屋さん)」では、著者が上州安中町に住む80歳の老人の元を訪れ、日露戦争に従軍し重傷を負った挙句にロシア兵の手によって捕虜にされた時の体験談を聞きに行ったときの様子を描いています。
老人の所属していた中隊はロシア軍の包囲によって全滅し、ほとんど唯一人の生き残りという悲惨な状況でしたが、耳は遠くなっているものの、快活かつ無頓着に当時の体験を話す老人の迫力に圧倒され、肝の据わった明治人の姿をそこに見出します。
井伏鱒二という作家の落ち着いた作風が根底にありながらも、これだけ多彩な作品を生み出せる才能に感心せずにはいられません。
宮本武蔵―「兵法の道」を生きる
私にとって宮本武蔵のイメージは、ほぼ吉川英治の小説がすべてです。
もっとも同氏の作品では、宮本武蔵が巌流島で佐々木小次郎との決闘に勝利した場面で終了し、その後半生にはまったく触れられていません。
私の中では若くして半ば隠遁生活に入り、水墨画や「五輪書」を執筆して暮らしたという勝手なイメージを持っていました。
本書は思想学者でもある魚住考至氏が、信頼できる文献からその生涯を丁寧に追ってゆき、半ば創作によって伝説化された宮本武蔵の実像に迫るとともに、そこから浮かび上がってくる思想を「五輪書」などを中心に専門家の視点から解説してゆく構成になっています。
小説に登場するヒロインのお通や幼馴染の又八は吉川氏が作った架空の人物であり、沢庵和尚との関係も事実ではなかったというのは予想通りですが、佐々木小次郎との決闘で武蔵が約束の刻限に大きく遅れ「小次郎、敗れたり」で有名な波打ち際での決闘場面は創作の可能性がきわめて高く、実際の勝負は約束の刻限に両者が同時に相会して行われた可能性が高いというのは意外な発見でした。
ただし武蔵が自作の大木刀を用いて、勝負を一撃で決したという部分は事実のようです。
小次郎との決闘を制した武蔵は、その後の人生も隠遁生活とは程遠いものでした。
三河刈谷城主・水野日向守勝成の元で大阪夏の陣に参加し、その後は姫路藩で自身の流派を広め、さらに明石城を築く時には兵法家として城下の町割り(城下の区画整理)を担当しています。
同時期に京都の文化サロンにも顔を出すようになり、そこで画を描き始め、庭造りにも挑戦したようです。
やがて明石の小笠原藩が小倉に移封されるとともに一緒に九州へ渡り、島原の乱にも養子の宮本伊織とともに出陣しています。
伊織はやがて小倉藩で筆頭家老の地位にまで上り詰めますが、客分の武蔵は名古屋や江戸にも頻繁に出かけてゆき、文化人たちと交流するとともに、精力的に自らの流派を広める活動を行っていたようです。
60歳を目前にして熊本の細川藩の客分として高禄で召抱えられ腰を落ち着けますが、そこでも藩主や重臣たちへ剣術指導を行っています。
ようやく最晩年になって熊本郊外の洞窟(霊巌洞)にこもって「五輪書」を執筆し始めますが、とっくに隠居していてもおかしくない年齢にも関わらず、こうでもしなければゆっくりと執筆活動の時間さえ満足に取れなかったような印象を受けます。
とにかく本書から浮かび上がってくる宮本武蔵の人生は、孤独とは程遠いものであり、むしろ多くの人たちとの交流を通じて名声を高めたという印象が強いものでした。
後半の五輪書を解説している部分は、多くの書籍で取り上げられている部分でもあるため割愛しますが、その特徴をひと言で表せば、神がかった精神論や無意味な伝統を排除した"極めて実践的な内容"であるということです。
本書によってひたすら剣術のみに打ち込んだ宮本武蔵のイメージが崩れ去り、殺伐とした戦国時代の中で誰にも縛られず自由に生き抜いた新しい武蔵像が見えてきたような気がします。
地獄変
一度は読んでおきたい名作を、あなたの鞄に、ポケットに-。
角川系列と思われるハルキ文庫から出版されている"280円文庫シリーズ"のキャッチフレーズです。
いずれも日本文学の名作が収められており、本書には芥川龍之介の作品以下4篇が収められています。
- 地獄変
- 藪の中
- 六の宮の姫君
- 舞踏会
いずれも過去に何度か読んだことのある作品ですが、彼の作品はいずれも読み終わった時に強烈な感動や悲しみといったものが湧いてきません。
その代わりに何ともいえない淡い余韻が続き、意識せずとも断片的に作品の風景が頭の中に浮かんでくるのが特徴です。
例えるなら俳句のあとに残る余韻に似ているかもしれません。
そこが映像や絵によってストーリーが展開されてゆく映画やマンガといった媒体とは決定的に違う小説の特徴でもあり、とくに芥川龍之介の作品にはそれを強く感じます。
たとえば「地獄変」で見る者を戦慄させた良秀の描く地獄変の屏風はどのようなものなのか?
また「舞踏会」における鹿鳴館の優雅な様子などが、何となく頭の中に浮かんでくるのです。
こうした読了後の余韻に浸りたくて芥川龍之介の作品を繰り返し読んでしまうのかも知れません。
本書のような手頃な価格で場所もとらない文庫本を身近に置いておくというのも悪くありません。
悩める日本共産党員のための人生相談
日本共産党員として40年近く活動し、参議院議員も勤めた経歴をもつた筆坂秀世氏の著書です。
筆坂氏が2005年に共産党を離党したあとに出版した「日本共産党」では疲弊しきっている組織の内情を赤裸々に暴露し、指導層への批判的な意見を掲載して話題になり、本ブログでも紹介しています。
本書はその続編に位置付けられる作品であり、現役共産党員からの悩みや訴えを掲載し、それに著者が答えるといった人生相談の形式で書かれています。
著者の筆坂氏自身は現役の共産党員ではなく、党内の権力争いに敗れ今なお現役の指導者たちに疎まれている側の人間であることから、そもそも著者に相談するのは筋違いな気もしますが、40年近くにわたり共産党員として活動してきた揺るぎない経歴があります。
彼らの言葉で表現すれば"百戦錬磨の闘士"といったところでしょうか。
ともかく共産党の良い時代も悪い時代も知っていることは事実です。
本書に掲載されている相談内容は(共産党員ではない)大部分の読者にとっては他人事なのですが、その内容はなかなか切実なものです。
本書では相談内容を以下のように章立てで分類しています。
- 第一章 「しんぶん赤旗」編
- 第ニ章 「悩める党支部」編
- 第三章 「お金の悩み」編
- 第四章 「議員はつらい」編
- 第五章 「幹部への不満」編
一方で相談の内容は、政党助成金を受け取らない、また新聞(赤旗)の発行部数低下による財政難、そして党員の高齢化に伴う人材不足という問題に集約することができます。
そしてその根本にあるのは、日本で一番古い政党でありながら実績が上がらない(議席を伸ばせない)、つまり責任ある指導者(中央委員会)が結果を残せていないという現実がすべてなのです。
老舗の大企業が時代の流れに取り残され、大きく業績を下げて苦しんでいる姿に似ていると感じます。
山本五十六 (下)
前回に引き続き、阿川弘之氏の「山本五十六」を紹介します。
文庫本にして900ページにも及ぶ長編ですが、上巻では山本五十六が連合艦隊司令長官に就任して日米開戦の可能性が濃厚になる時期まで、そして下巻では日米開戦直前(昭和16年初頭)からソロモン諸島で戦死するまでを扱っています。
時間軸でいえば下巻で描かれている山本五十六の生涯は2年少々であり、密度の濃い内容になっています。
周知の通り山本は、米内光政、井上成美らとともに日米開戦に反対の立場をとり続け、日独伊の三国同盟へ対しても強固な反対を唱え続け、右翼から「天ニ代リテ山本五十六ヲ誅スル」といった調子で命を狙われ続けました。
一方で暗殺の危険性が迫っても本人は気にする素振りも見せず、部下に行き先も告げずに外出するといった有様で、さらに右翼指導者の中にも山本を尊敬する人がいたというのは彼らしいエピソードです。
また開戦前に近衛首相から見通しを問われた際の有名なエピソードに次のようなものがあります。
「それは是非にもやれと言われれば、一年や一年半は存分に暴れて御覧に入れます。しかしそれから先のことは全く保証出来ません」
これを戦略家として日米開戦の結末を冷静に分析し、いざ開戦となれば渾身一滴の博打めいた真珠湾攻撃を成功させた優秀な提督として積極的な評価をすることが出来ます。
一方で連合艦隊司令長官という立場で反対し続けた日米開戦を承知し、ミッドウェー海戦においてすべての空母と多くの戦闘機を失い敗れたという消極的な評価の二通りがあります。
しかし所詮は誰を偉人や英雄として評価するかは主観的な見方に過ぎず、本作品などを通じて1人1人が判断すべきものです。
私自身の評価は、山本五十六は日露戦争にも参加した根っからの優秀な軍人であったということです。
またその出発点は彼の出生に遡ることが出来ます。
彼の郷里・長岡悠久山堅正寺の橋本禅師は山本の師匠でもありますが、彼のことを次のように評しています。
「机をはさんで対座していると、机の上に五臓六腑ずんとさらけ出して、要るなら持っていけというような感じがあった」
と言い、
「しかし、ある意味では、正体のつかめない人間、ふざける時にはいくらでもふざけるし、一方質実剛健、愛想無しで、底の知れないという、長岡人の典型のような男で、突然ひょいとあんな人物は出て来るものではない。長岡藩が、三百年かかって最後に作り出した人間であろう」
戊辰戦争において長岡藩は朝敵として薩長藩に敗れ、養祖父、祖父はその時に殺され、父、長兄、次兄は負傷します。
その時味わった苦労を山本五十六自身も背負い続け、海軍を志した後も軍人として活躍することで郷里の人々の無念を晴らそうという気概があったはずです。
現に山本は朝敵として討伐された長岡藩の家老・河井継之助を尊敬していました。
また彼自身はひょうきんな一面を持っていたものの、基本的には寡黙な性格で自らを軍人として定義付け、政治家を志そうとは1度も思いませんでした。
よっていったん聖断(つまり陸海軍を統帥する天皇の判断)が下れば、内心はどうあれ批判を口に出すことは避け、軍人として最善を尽くしたのです。
本作品は色々な側面から山本五十六を眺め、そこから等身大の山本五十六を浮かび上がらせた上質な伝記なのです。
山本五十六 (上)
第二次世界大戦における山本五十六は、当時の首相である東条英機と並んで有名な軍人ではないでしょうか。
明治27年に連合艦隊司令長官の地位が創設されて以来、長くとも2年程度で交代するのが日本海軍の伝統でしたが、国運を賭けた海戦時にその地位にいたのは、日露戦争時の東郷平八郎と太平洋戦争時の山本五十六の2人しかいません。
とくに山本五十六は有名なだけでなく、今なお人気がある点が東条英機と決定的に違う点です。
その理由を考えると、大きく3つの要因が考えられます。
まず最初に真珠湾攻撃、つまりアメリカへの緒戦の奇襲攻撃によって大きな戦果を挙げたことに裏付けられる実績(能力)が評価されている点です。
次に山本が連合艦隊司令長官という軍人として考えうる最高の地位にあったにも関わらず、冷静にアメリカとの圧倒的な国力の差を分析して開戦に反対し続け、のちにソロモン諸島で戦死を遂げるという、悲劇のヒーローとしての側面が考えられます。
最後に多くの部下から尊敬され、同僚からも慕われていた、その人間的な魅力によるものです。
これだけの要素を挙げると日本人好みの「判官びいき」にぴったり当てはまる人物であり、事実、戦後においてさえ山本五十六を軍神として神聖化する風潮があったようです。
しかし誰よりも神として祀られることを嫌ったのが山本自身であり、その人物像に迫った伝記として決定版ともいえるのが、阿川弘之氏による本書「山本五十六」です。
阿川氏は本書を執筆するにあたり多くの証言や記録を元にして、文庫本にして900ページにも及ぶ大作に仕上げています。
本作品の特徴は、当時の軍人だけでなく、故郷(新潟県長岡市)の親戚や知人、家族や愛人に至るまで多方面に渡る取材を行っている点です。
そこからは山本の強い信念や考え方はもちろん、時には複雑な心境や迷いなどが垣間見れ、山本への批判的な意見さえも取り入れています。
ともかく多くの関係者の証言や書簡が紹介されており、本書を執筆するために膨大な労力を費やした著者の思い入れが伝わってきます。
それも著者の阿川氏自身が戦時中に海軍に所属していた経歴を持っていることもあり、自身の青春を捧げた日本海軍へ対して郷愁と愛着を持ち続けたことは、氏のその後の作品にもはっきりと現れています。
天才たちのプロ野球
ペナントレースが終わり、10月に入ると各チームからは続々と戦力外の発表と引退のニュースが流れます。
結果だけがすべての厳しいプロの世界において、長年に渡り1軍で活躍し、かつ自らの意志でユニホームを脱ぐことのできる選手は一握りしかいません。1軍で満足に活躍することもなく、引退してゆく選手の方が圧倒的に多いのが現実です。
たとえ将来を期待されドラフト1位で入団してきた選手でさえも、過去の実績がプロ野球の将来を保証するものにはなりません。
先輩、あるいはコーチのアドバイスを受ける場面は数多くあると思いますが、その中のあるひと言がきっかけになり、大きく成長する選手は幸運かも知れません。
本書で紹介されているのは、いずれもそんな数少ないチャンスを掴み、それを引き寄せることのできた選手たちのエピソードです。
エースの作法
- 田中将大
- 前田健太
- 石川雅規
- 唐川侑己
- 岸 孝之
主砲の矜持
- 中村剛也
- T-岡田
- 中田 翔
- 畠山和洋
- 村田修一
- 内川聖一
いぶし銀の微笑
- 荒木雅博
- 田中浩康
- 森福允彦
ベテランの思考
- 松中信彦
- 谷繁元信
- 山本 昌
- 宮本慎也
多くの有名選手が紹介されていますが、167cmという小柄な体格ながらもヤクルトのエースとして君臨し続けた石川雅規投手の言葉が本書の中で印象に残ります。
「プロで活躍する人、活躍できない人の差って本当に紙一重だと思うんですよ。実際、僕より球の速い人なんでゴロゴロいるわけです。その人たち以上に速いボールを投げようと努力しても僕には難しい。努力してもできなそうなことはやらない。できることは継続してやる。ただ、いつどんな知識が役に立つかわからないので引き出しはひとつでも多く持っておいた方がいい。"オレは聞かねぇ"という人もいるけど、あれはもったいないですね」
プロ選手として活躍できる秘訣や法則など存在しないのかも知れませんが、本書で紹介されているエピソードの中には多くのヒントが隠されているような気がします。
自動車絶望工場
「日本を代表する企業といえば?」
アンケート結果は間違いなく2位以下に圧倒的な差をつけて「トヨタ自動車」が選ばれるに違いありません。
2015年には約28兆円の売り上げと2.8兆円の営業利益を計上している、日本だけでなく世界中で知られた企業です。
トヨタの経営戦略、生産管理(+品質管理)をテーマにしたビジネス書は数多く存在し、私自身もそうした本から感銘を受けた経験があります。
世界を席巻するトヨタの存在は日本の経済政策を左右し、また大スポンサーとしての地位を考えれば称賛する意見は多くとも、批判的な声は決して大きくはありません。
しかしおよそ国家にしろ企業にしろ、大きな力をもった組織が光り輝けば輝くほど、またその闇も深いものになるという点では歴史上例外はありません。
今から40年以上も前に、その大組織の闇へ迫ったルポルタージュが本書「自動車絶望工場」です。
著者の鎌田慧氏は今や日本を代表するルポライターの1人ですが、著者自身が1972年に季節工員(期間工)として半年間トヨタの自動車工場で実際に働きながら体験取材するという、当時としては画期的な方法を用いました。
もちろん自らのルポライターという身分は隠し、自身の故郷・弘前の職安を経由するという正規のルートで採用されます。
大量の季節労働者によって工場が運営されている事実から分かる通り、自動車という精密機械を製造するにも関わらず、その組立工程においては専門の知識や技術は必要ありません。
高度に機械化され、細分化された自動車製造の過程は、コンベアから流れてくる部品のスピードに合わせて、ひたすら合理化された手順で作業を繰り返すだけです。
しかもそのコンベアの速度は、作業員が無駄なく作業を終わらせた場合のギリギリの時間に設定されており、単調な作業をひたすら反復することだけが人間に求められます。
つまり人間が機械を操るのではなく、機械が人間を操るのが自動車工場の現実なのです。
一方職場に置かれた「トヨタ新聞」には、同社の国際進出、生産台数や営業利益の新記録樹立、公害安全対策といった綺羅びやかな記事のみが並び、現場の労働者との対比をいっそう際立たせます。
世間に殆ど届くことのない、疲れ切って希望を見い出せない労働者の姿を自ら体験取材することで伝えた本書は、40年以上が経過した今でも間違いなくルポルタージュの名作であり続けるのです。
日本の地価が3分の1になる!
2010年には1億2806万人だった日本の人口は、2040年までに16.2%減少すると推計されています。
人口が減少すれば土地の値段が下がるのは当然だと思われますが、本書ではそれが"3分の1"つまり約70%も下落すると主張しています。
この人口減少率をはるかに上回る地価の下落率は、15~64歳の生産年齢人口(現役世代)が減る一方、高齢者の人口が大幅に増加する、つまり日本全体の年齢構成が原因で引き起こされるとあります。
高齢化社会が加速している日本では、現在3人の現役世代が1人の高齢者を支えている計算になりますが、なんと2040年には4人の現役世代が3人の高齢者を支えることになるのです。
現役世代の人口減少と連動してGDPが減少するのはもちろん、高額の社会保障費の負担も足を引っ張ることによって賃金上昇が難しくなり、結果として土地への需要が減り、地価が大幅に下落するという理論です。
もちろん地価の下落率も高齢者の割合が多い地域ほど大きくなります。
本書の副題に"2020年 東京オリンピック後の危機"とあり、個人的にも東京オリンピックが一時的な景気底上げになっても、超高齢化社会を解決する糸口にはなりそうもなく、むしろオリンピック後の設備維持費を考えるとマイナス要因になりかねない危機感はあります。
一方で現在私自身が土地を持っておらず、不動産投資信託にも手を出していないことから、今から25年後に起こる地価下落については差し迫った危機感を持っていないのも事実です。
しかし街中が空き家だらけになり、経済的にも停滞することで日本の未来が暗くなることについては不安を抱いています。
本書ではそれを指し示す多くの統計データが掲載されており、一定の説得力を持って読者に迫ってきます。
この未来を回避するために著者は、高齢者を減らす、日本の人口を増やすという提言をしています。
まず高齢者を減らすというと物騒に聞こえますが、75歳以上を高齢者として定義し直すことで2040年時点での現役世代負担率を2013年当時と同じ水準に維持することが出来るとしています。
65歳以上を高齢者と定義したのは今から50年以上も前であり、その当時の平均寿命が65歳だったことに起因するようです。
たしかに80歳という現代の平均寿命を考えれば現実的な提言のようにも聞こえますが、75歳を定年としてそれまで働き続けることに不安や不満を感じる人は私を含めて多いはずですが、実際に定年延長に動く企業が増えていることからも、この流れは遅かれ早かれ進んでゆくものと思われます。
日本の人口を増やすという点においては、もちろん出生率を伸ばす努力や政策は必要と認めますが、急激な増加という点ではやはり現実的ではありません。
そこで著者は1980年から2013年までに2倍以上に増加した日本に住む外国人の人口をさらに伸ばし続けるという提言を行っています。
つまり移民を積極的に受け入れることで生産年齢人口の減少を食い止めるということです。
ここ数年だけ見ても明らかに外国人が増えたことは実感できますが、ブルーカラー、ホワイトカラー問わずに移民を受け入れる必要があるとう点がポイントです。
日本の高齢化社会を考える上で示唆に富んだ提言と、それを裏付ける豊富なデータが掲載されており、これからの日本を考える上で参考になる本であることは間違いありません。
ただし本書では「経済の停滞=日本の衰退」という図式が前提にあることを注意して読む必要があります。
私自身は世界に先駆けて超高齢化社会に突入する日本が、経済大国としての地位を守り続ける必要があるのかという点に疑問を持っていますが、その辺りは別の機会にでもじっくり触れてみたいと思います。
新選組物語
「新選組始末記」、「新選組遺聞」に続く、子母澤寛氏による新選組三部作の完結編「新選組物語」です。
著者はシリーズ1作目の新選組始末記で冒頭を次のように書き出しています。
歴史を書くつもりなどはない。
ただ新選組に就いての巷説漫談或いは史実を、極くこだわらない気持で纏めたに過ぎない。従って記録文書のわずらわしいものは成るべく避けた。
これは半分本音、半分謙遜といったところで、実際には多くの旧幕臣の古老や隊士の子孫へ取材を行い多くの文献を丹念に調べてゆき、なるべく創作や誇張を排除して新選組の真実へ迫るという真摯な態度で一貫されており、新選組を知る上で金字塔という評価を得ることになります。
しかしのちに子母澤氏の本業は小説家となり、実際に歴史を物語として書くことになるのです。
そして彼は同じ年に生まれた吉川英治氏らとともに日本の歴史小説というジャンルの黎明期を切り開き、大衆文学へと成長させる功績に寄与しました。
本書に収められているのは取材によって語られた回顧録ではなく、小説家として変貌を遂げた子母澤氏による完全な歴史小説です。
しかも前述したように長年の取材や研究に裏打ちされた歴史小説だけに、どの短編作品も完成度の高い、同じように新選組の短編小説を集めた司馬遼太郎氏の「新選組血風録」に勝るとも劣らない名作揃いです。
それもそのはずで司馬氏は新選組の作品を執筆するにあたり、子母澤氏へ作品を引用する許可や新選組に関する教えを請うたというエピソードがあるくらいです。
新選組ファンであれば本書も間違いなく外せない1冊です。
新選組遺聞
子母澤寛氏の新選組に関する著書は新選組三部作と呼ばれ、その1作目が前回紹介した「新選組始末記」であり、2作目にあたるのが今回紹介する「新選組遺聞」です。
本書の前半には著者が昭和3年に取材した八木為三郎翁を中心とした回顧録が掲載されています。
おもに幕末の京都において多くの伝説を残した新選組ですが、彼らが新選組を結成してから約2年間にわたり屯所を構えたのが壬生の郷士である八木家です。
当時は八木源之丞が当主であり、為三郎は少年時代に新選組と共に同じ屋根の下で過ごしたことになります。
八木家は郷士だけあって裕福で大きな屋敷を持っていましたが、それでもある日突然やって来た強面の新選組隊士たちに困惑したはずです。
奥座敷では芹沢鴨が近藤や土方らによって斬殺され、また山南敬助をはじめとした隊士たちが切腹、斬首されるような出来事が日常茶飯事であったのですから、内心恐れを抱き、かつ迷惑だったに違いありません。
一方で父・源之丞へ武士らしからぬ軽口で冗談を言う沖田総司、それと反対に堂々とした佇まいで無口な近藤勇、短気で騒々しい原田左之助、また道場の活気のある様子など、新選組隊士たちとの日常の交流を語ることができるのは八木為三郎翁ならではです。
また新選組を一躍有名にした池田屋事件においても八木邸が拠点として使われており、貴重な歴史上の証人でもあるのです。
明治になってからも永倉新八や斎藤一、島田魁といった生き残りの隊士たちが懐かしさのためか、ぶらりと八木家を訪れるというエピソードは微笑ましい場面です。
後半では伊東甲子太郎、鈴木三樹三郎兄弟、そして近藤勇の最期のエピソードが収められています。
とくに近藤勇の甥で後に養子となる勇五郎が語る斬首のときの様子、そして深夜に親族や道場関係者とともに首のない胴体を刑場から掘り出して運び出す生々しいエピソードは、新撰組局長として名を馳せた近藤勇の最期にしてはあまりにも哀れです。
前作「新選組始末記」が時系列に整理されたエピソードである一方、本作は著者が関係者へじっくりと取材を行い厳選されたエピソードが紹介されており、前作同様に新選組の歴史を知る上で欠かせない名作に仕上がっています。
新選組始末記
幕末をテーマにした本の中で新選組は、坂本龍馬と双璧をなすほど数多く取り上げられています。
新選組が活躍した寺田屋事件は明治維新を1年遅らせたと評されることがありますが、結果的に彼らが歴史の帰趨を握ることはありませんでした。
にも関わらず新選組が絶大な人気を博する背景は、もちろん"判官びいき"も要因に挙げられますが、何と言っても個性豊かで魅力的なキャラクターが数多く登場するという理由が大きいと思います。
本ブログでも歴史小説、伝記、検証本など新選組を扱った本をおそらく10冊は紹介しているはずです。
ただし新選組の本を執筆するにあたり、すべての作者たちが参考にしたであろう本が今回紹介する子母澤寛氏の「新選組始末記」です。
本書は昭和3年に初刊行されています。
当時から新選組はよく知られていた存在でしたが、剣豪や忍術といった講談のように多くの創作が付け加えられた状態であり、それを嘆いた著者が旧幕臣や新選組隊員の子孫たちを直接取材し、また文献を整理、調査して本書の発行にこぎ着けたのです。
この昭和初期という時代は、高齢ながらも新選組隊員たちを直接知る人たちが存命していたほとんど最後の時期であり、彼らの回顧録がいかに貴重であったかを窺い知ることが出来ます。
本書では新選組の結成から完全崩壊まで、つまり試衛館時代の近藤勇にはじまって函館で土方歳三が戦死するまでを時系列に、多くの関係者の回顧録とともに紹介しています。
その内容も非常に分かり易く整理され、1つ1つの出来事にその出典が示されている上、諸説ある場合には著者が一番有力と思われるものを指摘してくれる丁寧さです。
また驚くべきことに、本書に掲載さているエピソードは、私自身がほとんど過去に読んだ記憶のあるもので占められている点です。
それだけ多くの作家、あるいは作品が子母澤氏の作品を参考にした証であり、彼の業績が無ければ後の時代にこれだけ新選組が注目されることも無かったと断言できます。
彼の生きかた
主人公福本一平は、ドモリのため言葉が不自由で気の弱い少年であり、学校では友だちがなかなかできず、ウサギや犬などを世話して一緒に過ごす時間を楽しむ動物好きの少年でした。
そんな一平に理解を示し励ましてくれた秦直子先生の影響もあって、やがて彼はニホンザルを研究する動物学者になるのです。
一平は研究所で誰よりも熱心に活動しましたが、それは金や名声のためではなく、少年の頃からの純粋な動物好きな気持ちを持ち続けていたからです。
ここまでが物語の導入部ですが、山でサルの餌付け活動を行う一平の前にリゾート開発会社の専務である加納という男と、学生時代の級友であった朋子が偶然にも現れるところからストーリーが大きく動き出します。
その構図は人付き合いが苦手な無名の研究者(一平)と、富も権力も併せ持った大企業の専務(加納)の対立であり、2人をよく知る朋子はその対決を戸惑いながら見守るマドンナという形で描かれます。
しかしそれは弱者と強者の戦いであり、本来なら加納にとって一平は歯牙にもかけない存在であるにも関わらず、朋子という存在がその対立をいっそう深刻なものへとしてゆくのです。
キリスト教文学者としても知られる遠藤周作氏の作品は"殉教"をテーマとした作品も多く、必然的に"弱者"の視点から描かれることになります。
まさしくそれは本作の主人公(一平)にも当てはまり、武器を持たない弱者が必然的な敗北者となるか否かは、本作品を読んだ読者自身の感想に委ねられます。
ちなみに主人公には、 多くの困難に直面しながらニホンザルの研究に人生を捧げた間直之助氏という実在のモデルがあり、その影響もあって遠藤氏の作品としては珍しくキリスト教文学的な側面を意識して勘ぐらない限り、ほとんど感じることはありません。
また忘れてはならないのは、強者の立場として登場する加納はやや冷酷な側面はあるものの、必ずしも悪人ではなく頭の回転が早く精力的に仕事をこなす有能な大企業の実力者であるという点です。
一方で一平は世渡りが下手ながらも、自然の中でたくましく生きるニホンザルへ敬愛の念を抱き、その生態系を守るために全ての情熱を賭ける青年として登場します。
加納と大きく立場は異なるものの、信念という点では一平は決して加納に劣っていないのです。
遠藤氏の作品だけあって、一平や加納、そして朋子たち心理描写を丁寧に描き、ラストシーンに向かって綿密に物語が進行してゆきます。
最近のベストセラー作品などに見られる不自然な物語の飛躍は一切なく、長編小説のお手本のような完成度の高さです。
もし近ごろの小説に食傷気味の読者がいるなら、この40年前に発表された作品を是非読んで見ることをお薦めします。
※ちなみに現在"ドモリ"は放送禁止用語であり、"吃音"と言うのが正しいようです。
駅前旅館
井伏鱒二といえば昭和の大作家ですが、今は売り場スペースの限られた書店でその作品を見かけることはほとんどありません。
そのため古書店で井伏鱒二の作品を見かけた時などに少しずつ購入したりしていますが、本書も1ヶ月ほど前に会社近くの古書店で見つけた1冊です。
私自身はそれほど熱心な井伏鱒二ファンという訳ではありませんが、その作品が期待外れだったことはありません。
本書は著者が駅前の柊元(くきもと)旅館の番頭をしている生野平次へインタビューを行い、その生野が戦前から戦後にかけての駅前旅館の風景を自らの思い出とともに語ってゆくという設定をとっています。
古式な宿屋が電報で使う符牒の解説から始まり、日本各地から来る土地ごとの旅行客の気風、旅館の女中や板前、吉原遊郭、料亭に顔を出す芸者など、およそ旅館と関係のありそうな業界の風習がとりとめもなく語られてゆきます。
一方で当時の風習を伝えるだけでは、民俗学的な価値はあっても単調な小説になることは避けれません。
そこに生野自身の感情や精神、何よりも旅館の番頭としての気概が一緒に描かれることによって、当時の人びとの息遣いが聞こえてくるような生き生きとした小説作品へと変貌を遂げます。
まるで50年以上も前の東京の駅前旅館の風景がありありと頭に浮かぶようであり、たとえば修学旅行の学生たちによって賑わう活気ある旅館の情景が作品中で繰り広げられます。
さらに団体旅行やバスツアーの紹介によって得られるリベートの仕組み、客の呼び込み方のコツや銭を持っている客の見分け方など、番頭たちが生計を立てる上で欠かせない舞台裏についても臆面もなく独自の口調で語ってくれます。
話題が次々と切り替わるように見えて、小説の本筋にあるのは今も独身であろうと思われる番頭自身が色好みであることを告白し、そんな番頭が過去に経験した一途な淡い恋の思い出を断片的に語ってゆく部分です。
つまりインタビューを受けた番頭(生野平次)は、当時の旅館の様子を伝えながらも、同時に自らが歩んできた生き様についても熱心に語ってくれるのです。
小説としてのストーリー性も抜群でありながら、旅館の番頭という立場から見た市民たちの日常生活を生き生きと伝えてくれる、読んで得した気分になれる作品です。
カシオペアの丘で 下
引き続き、重松清氏の長編小説「カシオペアの丘で」の下巻をレビューしてゆきます。
後半は、医師から余命半年を宣告された主人公(シュン)が故郷に戻り、久しぶりに小学生時代の幼馴染たちと再会するところから始まります。
この物語にはシュンのほかにも不幸な運命を背負った人物が登場します。
その中の1人が川原さんであり、不幸な事件によって1人娘を失い、愛した妻にも裏切られるという体験を持っています。
川原さんは主人公よりも不幸な境遇にあるといってよいのですが、自らの人生に絶望している彼は、シュンが幼馴染のトシ、そしてトシの父親を殺したシュンの祖父・倉田千太郎と和解する、つまり許し合う場面に立ち会うための観察者という不思議な立ち位置で登場します。
もしシュンたちが相手を、そして自らを許すことが出来なければ、本作品の中でもっとも文学的(または哲学的)な生き方をしている川原さんは確実に"自殺"という手段を選んでいたはずです。
衰弱してゆくシュンを見守る家族たち、そしてトシをはじめとした幼馴染たちの姿を鮮明に描いていく過程で感動的な場面が幾つも登場しますが、個人的にはその傍らで控えめに佇む川原さんがつねに頭の片隅から離れませんでした。
この物語の登場人物たちは誰もが心や体に傷を持っていますが、それは小説という形で象徴的に描かれているだけであって、およそ過去に大なり小なり何らかの傷(後悔)を残している読者が大半のはずです。
つまり読者によって感情移入できる登場人物が違ってくるはずです。
感動巨編であると同時にエンターテイメント性の高い作品であり、そこに重松清氏の作品が読まれ続けられる理由があるような気がします。
カシオペアの丘で 上
著者の重松清氏は、何気ない日常を題材にして感動的な物語を創作するのが得意な作家という印象があります。
そうした意味では今回の物語の主人公はかなり特別です。
妻と小学生の息子と3人で都内に住む39歳の会社員である俊介(シュン)はごく普通の生活を送っていましたが、会社の健康診断で肺に悪性腫瘍、つまりガンが発見されます。
しかもガンはすでに手術の施しようがないほど進行し、医師から余命半年を宣告されてしまいます。
俊介は残された時間を意識した時に過去に捨てたはずの故郷が頭によぎります。
いつも一緒に遊んだかつての幼馴染、家業を継ぐのが嫌で飛び出した倉田家、そこには楽しかった、そして悲しい思い出が秘められていたのです。。。
死期を悟った主人公が故郷に戻り、自らの過去を精算してゆくというストーリーは映画の台本のようであり、上下巻800ページにも及ぶ長編小説になっています。
またこれだけの長編小説にも関わらず、主要な登場人物は主人公(シュン)とその家族、3人の幼馴染(トシ、ミッチョ、ユウ)、娘を事件で失い家族離散となってしまった川原さんなど10人程度であり、その分だけ中身の濃いストーリーになっているのも特徴です。
生き続ける人が死にゆく人へ、死んでゆく人が別れなければならない人へ何を残すことができるのか?
作品のテーマはとても重く、特に主人公と年齢や立場が近い私にとっては小説を通じて自分自身を意識せずにはいられない作品になっています。
ちなみにタイトルの「カシオペアの丘」とはシュンたちが小学生時代に星を見上げた場所であり、現在は幼馴染の1人であるトシが園長を務める故郷の遊園地です。
そこで全員が再会する時、止まっていた過去の時間が動き出します。。絶妙なタイミングで上巻が終わり、下巻を立て続けに手にとること間違いありません。
熱球
野球部のエースとして活躍し、甲子園まであと一歩というところまで行きながらチームメイトの起こした不祥事により夢を絶たれてしまう。。。やがて少年は故郷に失望し、東京で就職して家庭を築いて暮らしていた。
物語はそんな主人公(ヨージ)が1人娘とともに20年ぶりに故郷(周防市)へ戻ってきたところから始まります。
妻は学者としてアメリカ留学中で充実した時期を迎えている一方、ヨージは東京で仕事に行き詰まり、会社を辞めて無職で故郷に戻ってくるのです。
一度は故郷を捨てたヨージは懐かしさを感じる一方で、その空気はどこかよそよそしく、建て替えられて間もない実家は居心地の悪いものでした。
そこでかつての野球部のチームメイト、洋食屋の亀山、母校の野球部で監督をしている神野、そしてマネージャーの恭子と再会するところから、ヨージの日常が少しずつ変わり始めるのです。
結婚して子どもがいる40代目前の男性といえば仕事をバリバリとこなして、充実した毎日を過ごしていても不思議ではありません。
しかし本書に出てくる登場人物たちは、ヨージも含めどこか高校時代の挫折を引きずりながら日々を過ごしているという点で共通しています。
がむしゃらに白球を追い続けた高校球児としての青春は永遠に戻りませんが、それでも黒ずんで糸のほつれたボールに書かれた"熱球"の文字は彼らの記憶にしっかりと記憶に刻みつけられています。
学生時代に部活で汗を流した経験を持つ読者であれば、本ストーリーに共感できる部分が多いのではないでしょうか。
かくいう私もその1人ですが、厳しい練習を積み重ねてきたにも関わらず、試合に敗れた悔しさや挫折感、そうした経験が誰にもあるはずです。
物語の中で長年にわたり熱心に野球部を応援をしてくれたザワ爺が亡くなった時に野球部監督の神野が弔辞を読み上げる場面があります。
「高校野球とは・・・・シュウコウの野球とは、負けることに神髄があるんだと、わたくしたちはザワ爺から学びました。高校野球で勝ちつづけることのできる学校は、甲子園で優勝する一校しかありません。どこの学校も負けるのです。負けることが高校野球なのです。ザワ爺、あなたはわたくしたちに、負けても胸を張れ、と言いつづけてくださいました。負けることの尊さと素晴らしさを、わたくしたちに教えてくださいました。わたくしたちは、おとなになっても負けることばかりです。勝ちつづけている人など、きっと、誰もいません。・・・・(略)」
これは高校野球に限らず、ほとんどの部活に当てはまるはずであり、著者(重松清氏)の伝えたいメッセージはシンプルです。
つまり私たちの人生は大人になっても大小含めて多くの負け(失敗)の連続であり、それを受け入れながら前を向いて進むしかないのです。
それを本書はゆっくりと時間の流れる瀬戸内の町を舞台に、高校野球を題材にしたほろ苦い青春小説として伝えてくれるのです。
オー・マイ・ガアッ!
浅田次郎ファンであれば、彼のギャンブル好き、そして忙しい作家業のすき間を突いて敢行するラスベガスのカジノ通いは有名です。
本書はそんなラスベガスを舞台に、スロットマシンで史上最高額のジャックポット5400万ドルを引き当てた3人を主人公にした物語です。
私は当然のようにラスベガスへ行ったことはありませんが、ギャンブルのメッカであると同時にネオンに彩られた圧倒的な大金持ち、つまりセルブたちの街という印象があります。
しかし本書に登場する3人の主人公は人生につまずき、一発逆転に賭けてラスベガスのカジノを訪れ偶然にも出会うのです。
まずは大前剛(おおまえ・ごう)。
友人(共同創業者)に会社の金と10年間付き合った彼女を奪われ、失意のうちにラスベガスへ降り立ちます。
彼の名前をアメリカ人が発音するとタイトルと同じ響きになります。
そして梶野理沙。
キャリアウーマンだった彼女は衝動的に会社を辞め、辿り着いたラスベガスで娼婦としてその日暮らしを送っています。
もちろん彼女の苗字は"カジノ(casino)"にかかっています。
最後にジョン・キングスレイ。
海兵隊で「不死身のリトル・ジョン」として活躍したベトナム戦争の英雄は除隊後にアルコールに溺れ、家族も離散してしまい、人生最後の賭けに挑戦するためラスベガスを目指します。
前述した通り3人は史上最高額のジャックポットを引き当てますが、これが物語のクライマックではありません。むしろ、この空前の大金を目の前にして本当の物語が始まります。
主人公たち含めカジノネットワークを持つPGT社、ホテル・バリ・ハイ・カジノのオーナーやスタッフたちを巻き込んで、さまざまな人間ドラマが繰り広げられるのです。
やはり5400万ドルという現実離れしたジャックポットを話題の中心としているため、物語はシリアスな雰囲気ではなく、完全な喜劇として描かれています。
さらに色々な人間の喜怒哀楽がかなりのハイスピードで次々と繰り広げられますが、そこに人間がコントロールできない"運命"の存在を感じると同時に、金で買える幸せ、そして金で買えない幸せというテーマに迫ってゆきます。
数十億円の財産というのはちょっと想像がつきませんが、家のローンや教育費など現実的な金額を目の前にやりくりしている人たちにとってもお金の価値は普遍的なものではなく、必ずしも幸せの量と比例しないという当たり前のことを、この喜劇は再確認させてくれるのです。
ちなみに閑話休題のように挟み込まれている「ラスベガスは魂を解放する場所」と豪語する著者の私流トラベル・ガイドもストーリーの本筋とは別にかなり楽しく読めます。
ケルト神話と中世騎士物語
人類史上はじめてヨーローッパ全域を席巻した民族は、おそらくケルト人ではないでしょうか。
彼らは"文字"や"統一国家"という概念を持ちませんでしたが、強力な武器となる鉄の精錬法をいちはやく手に入れたことで、他の民族たちを瞬く間に制圧しました。
のちに神君と称えられることになるカエサルは、民族ごとに割拠していたケルト人(ガリア人)部族を次々と制圧してローマ帝国の礎を築き上げ、その過程は彼自身が執筆した有名な「ガリア戦記」に詳しく記されています。
しかしケルト人はカエサルによって根絶やしにされた訳ではありません。
むしろケルト人は、優等生と称されるほど積極的にローマ帝国(とその文化)へ同化していった民族でした。
一方ですべてのケルト人がローマによって征服された(=同化していった)わけではありません。
大ブリテン島のウェールズ、コンウォール、マン島、ブルターニュ(小ブリテン)、そしてアイルランドには今日なおケルト人の神話が息づいています。
本書はケルト人の神話を体系的に紹介してゆくのではなく、副題に"「他界」への旅と冒険"とある通り、ケルト人の死生観を通じてその精神世界を探ろうと試みた本です。
"他界"とは、キリスト教でいう"天国"、仏教でいうところの"極楽"や"地獄"であり、つまり死後の世界であると同時に、神々が住まう世界でもあるのです。
前述した通りケルト人は文字を持ちませんでした。
ドルイドと呼ばれる僧侶階級の人びとによって膨大な数の伝承が語り継がれるのみであり、そのほとんどは失われました。
しかし皮肉にも伝承の一部を文字として後世に残したのは、のちにケルト人へ布教を行ったキリスト教(異教)の修道士たちだったのです。
また修道士たちによって書き残された古伝承には、キリスト教的な概念が持ち込まれており、著者はケルト人の伝承の中から注意深くそれらを腑分けしようと試みています。
著者はケルト人の伝承の中にヨーロッパ文明の底層流に今なお生き続ける精神的伝統が横たわっていると考え、やがてケルト神話の背景から誕生したかの有名な「アーサー王伝説」を経て中世騎士の精神へと受け継がれていったと分析しています。
取り上げられている時代の幅は広いですが、本書で紹介されているケルト人伝承を挙げてみます。
- 「ブランの航海」
- 「コンラの冒険」
- 「ダナの息子たち」
- 「マー・トゥーラの合戦」
- 「メルドゥーンの航海」
- 「聖ブランダンの航海」
- 「聖パトリックの煉獄」
- 「イヴァンまたは獅子を連れた騎士」
- 「ランスロまたは荷車の騎士」
そこには世界的宗教にありがちな善悪二元論、勧善懲悪といった観念に縛られない、自由な世界が広がっています。
ケルト神話が教えてくれる人間が本来持っていた豊かな想像力と未知の世界へ対する畏敬の念は、多くのルールやしがらみに縛られた現代人を解放してくれるヒントが隠されているような気がします。
倭人伝、古事記の正体
ノンフィクション作家として活躍する足立倫行氏が日本のルーツ、つまり古代日本の謎に迫ろうと試みた1冊です。
タイトルから分かる通り、本書では「魏志倭人伝」と「古事記」という有名な2冊の歴史書、そして著名な日本考古学者・森浩一氏の学説を元に日本各地を取材旅行に訪れています。
まず「魏志倭人伝」といえば"邪馬台国"、そして"卑弥呼"が連想されますが、その所在地が九州、もしくは近畿いずれであったかの論争は学界でも結論は出ていません。
個人的には九州説派なのですが、著者(そして森浩一氏)も九州説を前提として各地の古墳をはじめとした遺跡を巡っています。
まず魏志倭人伝が日本書紀や古事記と決定的に異なるのは、魏志倭人伝が中国で成立した歴史書であるのものの、邪馬台国(そして女王である卑弥呼)が存在していた3世紀当時に書かれた同時代資料だという点です。
そこには邪馬台国(邪馬壹國)のほかに、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、狗奴国など30にのぼる国々が古代日本に存在していたことが伺えます。
対馬国、壱岐(一大)国といった場所が特定できている国が存在する一方、倭人伝に書かれている邪馬台国への旅程を正確に解釈すると、九州のはるか南の太平洋上に存在していたことになってしまい、これが邪馬台国の場所が特定できない大きな理由になっています。
しかし解明されていない謎が多いこと自体が邪馬台国、しいては古代日本史の魅力でもあり、著者が遺跡を巡りながらその存在を想像してゆく旅程を読者は一緒に楽しむことができます。
後半は古事記という神話と天皇の系譜を記した書物を取り上げています。
古事記は日本書紀とほぼ同じ時期(8世紀初頭)に書かれた歴史書ですが、日本書紀が天武天皇の勅令によって編纂されたヤマト政権の正史であるのに対し、古事記は太安万侶(おおのやすまろ)によって作られたと推測されるものの、その成立過程は不明な点が多いようです。
この2つの歴史書は大筋で同じ内容を扱いつつも、古事記には物語としてのエピソードが豊富であり、必ずしもヤマト(天皇)政権を絶対的な存在として描いていない部分があり、正史(日本書紀)と違い、当時の語り部が伝える伝承を取り入れたという説があるようです。
著者はヤマトタケルの東征、スサノオやオオクニヌシを中心とした古代出雲の伝承、葦原中国(日本)を治めるために行われた天孫降臨など、古事記の主要な内容に沿って遺跡を巡ってゆきます。
古事記は倭人伝よりかなり後世(約500年後)に成立しているものの、神話や古い言い伝えの要素をかなり含んでいるため、その全容を解明するのは倭人伝よりも困難なのかも知れません。
しかし本書で著者と対談している森浩一氏は、自らの著書「倭人伝を読みなおす」について、
「邪馬台国がごこにあったかとか卑弥呼とはどんな女王だったかだけに関心をもつ人は、本書を読まないほうがよかろう」
とまで断言し、倭人伝はいったい何を描こうとしたのか、現実に自分の足で歩いて、よく見て考えることが大切だと指摘しています。
古代日本の遺跡は私たちが思っている以上に全国に点在しています。たまには本書を片手に、遺跡を訪れてみるのもよいかも知れません。
オーストラリア6000日
あとがきからの引用ですが、本書はオーストラリアの大学で教授として教鞭をとっている著者(杉本良夫氏)が次のような想いで執筆した本です。
この本は、私を取り巻く個人的なかけらを組み合わせて書き綴ったもので、学問的な均等を保って、オーストラリア社会の全体像を提示しようという試みではない。メルボルンに定住する私人として、自分に興味のある生きざまにだけ焦点を当てて、私見を展開してみた。身辺雑記であることを意識して、普通の学術書では常識となっている脚注や参考文献は、すべて省いた。敬称もなるべく略した。
タイトルに「オーストラリア6000日」とありますが、著者はオーストラリアに永住権を持ち、本書執筆時点で約18年もの滞在期間を経ていることから、一般的に見れば日本からオーストラリアへの移住民(つまりオーストラリア人)といえるでしょう。
本書を"私見"とするだけあって、研究者としての学問的追求はほとんど見られませんが、それでも著者の専攻が比較社会学であることから、その視点は鋭く多元的であり、オーストラリアの文化や習慣、社会問題を紹介する際に日本と比較することはあっても、日本人独自の視点といった性格は薄く、国際経験豊かなジャーナリストが執筆しているという印象を受けます。
一方で本書が出版されたのは1991年であり、ここに書かれている内容は今から25年前のオーストラリアの姿であることも留意して読む必要があります。
オーストラリアは欧州人(アングロ・サクソン)系の国であるものの積極的に移民や難民を受け入れています。
この点はかつてのアメリカと同じであり、日本人から見るとオーストラリアとの違いが分かりにくいかも知れませんが、オーストラリアはアメリカと違い、移民が持ち込んできたそれぞれの文化的伝統を維持してゆくマルチカルチュラリズムを推奨しています。
著者は見る角度によっては島国である点、銃の所持を厳しく規制している点、大統領制ではなく首相制を採用している点、また軍事的にアメリカに依存している点などは日本とオーストラリアの共通点であると指摘しています。
また太平洋戦争では日本とオーストラリアは敵対関係にあり、戦闘のみならず捕虜収容所などで双方の兵士(民間人)に多くの犠牲者が出ていることも忘れてはなりませんし、親日家がいる一方で日本へマイナスの感情を抱いている人たちもいるのです。
ただし著者は単純な日豪比較、米豪比較を極力避け、オーストラリアの自然から始まり、長期休暇やレジャー、市民活動、テレビやラジオの特色や人気番組の紹介、スポーツや教育、結婚に至るまでオーストラリア人のライフスタイルを身近な例を挙げながら紹介してくれ、その内容はさながらオーストラリアへの移住ガイドブックのようです。
インターネットが普及する以前のオーストラリアとはいえ、その文化的背景や伝統を知る上で現在でも充分に参考になるはずです。
そしてオーストラリア社会の抱える自然破壊や貧困格差の拡大といった問題点にも鋭く言及しています。
地理的、経済的にもオーストラリアは日本にとって緊密で重要な関係にある一方で、日本人がオーストラリアに抱くイメージは"広大な自然"、"コアラ、カンガルー"といった漠然としたものであり、主要都市はおろか首都の名前も知らない人が多いはずです。
本書は日本人にとって近くて遠いオーストラリアを市民たちの文化や日常生活の視点から理解できる貴重な本といえます。
つばさよつばさ
JALの機内誌「SKYWARD」に連載されている浅田次郎氏の旅をテーマにしたエッセー集です。
この連載は好評でかなり続いているようで、本ブログで以前紹介した「アイム・ファイン! 」が第2弾だったようであり、今回紹介する「つばさよつばさ」がシリーズ第1弾です。
1年の3分の1を旅先で過ごすという著者ですが、人気作家だけに実際には講演や取材で出かける機会が多く、長い休暇をとって気ままに海外旅行というわけにはいかないようです。
それでも何気ない身の回りの出来事から外国と日本との文化比較論に至るまで、どれも肩肘張らずに浅田流の軽快なエッセーで書き綴っています。
例えば日本には混浴の習慣がありますが、ヨーロッパの中でもドイツやオーストリアでは混浴の習慣があることを自らの驚きの体験とともに語ってくれるのは、エッセーとして楽しめるほかに海外旅行の豆知識としても役立ちます。
またかなりの食道楽を自負する著者が、"世界中のグルメ"ではなく"まずいもの"を紹介してくれるのはかなりユニークな内容です。
もちろん文化が異なれば味覚の好みも違ったものになるのは承知の上で次のように結論付けています。
長い間の学習によれば、地元の名士にとっておきの現地料理をふるまわれて、うまいと思ったためしがない。つまりそうした場合には、最も文化の隔たったディープな料理を食わされるからである。
だがふしぎなことに、うまいものよりまずいもののほうが、懐かしく思い出させる。世界が平らになり、さほどのカルチャーショックを感じなくなった今、まずいと感じるものは明らかに、旅の娯しみを教えてくれるのである。
誰しも旅先でまずいものを食べたいとは思わないはずですが、どこか深さを感じさせる言葉です。
年季の入った旅行通だけあって、著者はあえて日本人観光客が訪れない静かな土地を訪れることがあるようで、滞在先で持て余した時間を埋めるために浮世離れした仕事の役に立たない書物を読みふける習慣があるそうです。
こうした著者の姿からはかえってエッセイストよりも文学者としての一面が垣間見れます。
たそがれのドーヴィルに戻ると、なぜかその街には、日本人観光客の姿がなかった。石畳を渡る海風が、けっして徒労などではなかったよと、私のゆえなき感傷を慰めてくれた。
いつも叱らずにねぎらい労って下すった、この風は母の声に似ている。ドーヴィルを訪れるのなら、やはり冬がいい。
やはり本書もバッグの片隅にしのばせて旅行先でリラックスしながら読みふけるのが相応しいでしょう。
ロスジェネの逆襲
「オレたちバブル入行組」、「オレたち花のバブル組」に続く半沢直樹シリーズの第3弾です。
ちなみに大ヒットしたTVドラマは第2弾までを原作にしており、単行本(最新版)では第4弾まで発売されているようです。
つまり本作品はTVドラマ化されていない半沢直樹シリーズであり、続編(放映されるかは分かりませんが)が待ちきれない人は本書で一足先に新シリーズを楽しむことが出来ます。
当ブログで本シリーズを"劇場型経済小説"、主人公は大組織の不正を許さない反骨心と正義感を持った人物だと表現しましたが、この半沢直樹は敵の弱みを握って情報(証拠)を引き出したり、味方に引き入れるために利で誘ったりとかなりのハードネゴシエーターであり、インテリジェンスな要素も満載です。
作品ごとに舞台は大きく異なるものの、大枠のストーリーは定型化されつつあり、個人的には経済小説というよりむしろスパイ小説に近い印象さえ受けました。
主人公は組織からどんなに冷遇されようと自分からは決して裏切らない(辞めない)点も、どこかスパイ小説の主人公めいた雰囲気があります。
ドラマで話題になった「倍返しだ!」のセリフも「1点取られたら2点取り返す」というスポーツマンシップ溢れたものではなく復讐の宣言であり、実際に半沢を陥れようとした相手は臥薪嘗胆のごとく猛烈な反撃を食らうのです。
前作で七面六臂の大活躍だったにも関わらず、組織の都合で東京中央銀行から子会社の東京セントラル証券へ出向を命じられた半沢直樹は(少なくとも表面上は)平然とそれを受け入れます。
これは事実上の左遷ですが、そこでも相変わらずの半沢は、よりによって(出向元の)親会社、つまり東京中央銀行を相手に壮大な戦いを挑むことになります。
そしてその舞台はITベンチャー企業のM&Aであり、敵対的買収(TOB)、ホワイトナイト、株の時間外取引などかつて話題になったキーワードが登場します。
主人公の半沢は好景気バブルの就職世代ですが、今回半沢ととも奮戦する部下の森山、IT経営者の瀬名はともに就職氷河期に社会人となったロスジェネ(ロストジェネレーション)であり、彼らの口からは割を食ってしまったという本音が出てきます。
「オレたちって、いつも虐げられてきた世代だろ。オレの周りには、いまだにフリーター、やり続けている大学の友達だっているんだ。理不尽なことばかり押し付けられてきたけど、どこかでそれをやり返したいって、そう思ってきたんだ」
かくいう私もロストジェネレーションの1人ですが、半沢が彼らを叱咤激励しながら引っ張ってゆく場面は読んでいて微笑ましくもあり、本作品の見どころの1つになっています。
オレたち花のバブル組
前回紹介した「オレたちバブル入行組」の続編、つまり半沢直樹シリーズの第2弾です。
今回は半沢の勤める東京中央銀行、そして銀行からの融資で再建を目指す老舗の伊勢志摩ホテル、さらには銀行の適性な融資を巡っての金融庁の検査といった構図が物語の中心となりますが、さらにはタミヤ電機、ナルセンといった他の企業も巻き込んで怒涛のように物語が進行してゆきます。
金融業に縁のない人にとって金融庁検査と言われてもピンと来ませんが、池井戸氏がストーリーの流れの中で分かり易く解説してくれるため、先ほどの複雑な構図も自然と読者の頭の中に入ってくるのは前作と同じく本シリーズの優れた点です。
また一見すると、業績不振のホテルが銀行から融資を受けて再建を目指すといった普通にありそうな出来事が、さまざまな陰謀によって銀行の土台を揺るがしかねない状況へ発展してゆくというダイナミックな展開も本シリーズの魅力です。
銀行という大組織の内部では過酷な出世争いが繰り広げられ、幹部にまで昇進できるのは一握りの人間ですが、それは能力だけで決定されるフェアなものではありません。
時には組織内の陰謀によって責任を押しつけられ、また時には派閥争いに敗れて脱落してゆく者も多いはずです。
私のように大企業に勤めた経験がなくとも、そうした企業の内情を耳した経験を持つ人は多いはずです。
そして主人公の半沢直樹は常に理不尽な理由で逆境に立たせられる運命のようであり、しかも今回立ち塞がる敵は、銀行内部のみならず、融資先の伊勢志摩ホテル、さらに金融庁の検査官という敵だらけの状況ですが、同時に半沢の熱意と姿勢に惹かれて協力する人たちも現れるのです。
彼は頭が切れるバンカーであり、何より権力に屈しない反骨心を持ち合わせています。
「組織の理不尽な要求に屈せず、自らが正義と信じることを貫き通す」
誰もが心の中で憧れるサラリーマンを体現しているのが半沢直樹であり、それが本作品が支持されている大きな要因であることは間違いありません。
オレたちバブル入行組
多少なりとも本屋へ通う習慣のある人であれば、つねに最新作が大々的に宣伝される池井戸潤氏が飛ぶ鳥を落とす勢いの作家であることは容易に分かります。
そして滅多にTVドラマを見ない私でも「倍返しだ!」のセリフで有名な「半沢直樹」が大ヒットになったことも知っています。
普段から最新作やベストセラーを意識せず気の向くまま読書をしているため、今までたまたま池井戸氏の作品を読む機会がありませんでしたが、はじめて手にとった同氏の作品がドラマ「半沢直樹」の原作にもなった本書です。
主人公の半沢直樹は、銀行という巨大で旧態依然とした組織のサラリーマンですが、やられたらやり返す気骨のある銀行員という設定です。
銀行のような大組織が持つ独自の文化は、その組織が生き抜いてきた経験や知識が遺伝子として織り込まれ反映されているという長所がある一方、時には時代の流れに取り残され停滞を招く危険性を持ち合わせています。
つまり半沢は、その独自の文化が持つ悪い面(悪習)へ対して正面から立ち向かってゆくのです。
彼はバブル時代の完全な売り手市場の時に入行したものの、その恩恵を充分に受けることなくバブルの崩壊に直面してしまった世代であり、その敵の正体を具体的に言えば、大組織の悪習に染まりきり、自らの権力を背景に陰謀を巡らす団塊世代の銀行幹部たちということになります。
大組織の中で信念を貫き通す半沢の姿は、城山三郎氏の「官僚たちの夏」の主人公であるミスター・通産省こと風越信吾に通じるところがありますが、城山氏の作品が実在の人物をモチーフにしている一方、本作品は完全なフィクションです。
ただしフィクションである利点を充分に活かし、ストーリーに起伏を持たせ、クライマックスが盛り上がる内容になっています。
あえてこの作風を名前を付けるならば"劇場型経済小説"という言葉がしっくりときます。
それでいて一定のリアリティを失わない作品の高い質は、著者が元々銀行員だったという経験が間違いなく役に立っています。
また入念に練りこまれたストーリーのほかに見逃せないのが、銀行という組織の仕組みが作品を通じて自然と学べるという点です。
私のように金融業界に高い関心のない読者でもジェットコースターのようにストーリーに引きずり込まれ、思わず半沢を応援せずにはいられないエンターテイメント性の高さは、累計250万部という数字にも納得できる大ベストセラー作品です。
半パン・デイズ
小学校入学を前に、東京から瀬戸内の小さな町に引っ越してきたヒロシ少年。
本書はそんなヒロシ少年の小学校6年間を描いた青春小説です。
このヒロシ少年は、著者である重松清氏自身の小学生時代を部分的にモチーフにして組み立てられています。
重松氏は私よりも一回りは上の世代ですが、それでも"昭和"に小学生時代を過ごしてきた私にとって、作品中で描かれる景色はどこか懐かしく、読み進めてゆくと何度もヒロシ少年の姿を自分自身に重ね合わせてしまう場面が何度もあります。
この作品には、いじめ、ケンカ、勉強や遊び、初恋、大人に褒めら、叱られ、友達や親族との出会いや別れといった多くの経験を通して、少年が少しずつ成長してゆく軌跡がぎっしりと詰まっています。
小学生は"世間"を知りません。
この"世間"とは"大人の世界"と言い換えてもよく、大人が何気なく過ごしている日常が感受性豊かな小学生にとっては新鮮な日々なのです。
ヒロシ少年の体験を繊細に描いてゆく"大人の重松氏"の力量に驚きつつも、どんどん物語に引きこまれてゆきます。
またヤスおじさん、チンコばばあ、親友の吉野、シュンペイさん、タッちんなどなど、、多くの個性豊かなキャラクターが登場し、彼らを通じてヒロシが内面的に成長してゆき、いつの間にか広島弁もすっかり板についてゆく過程は時に涙やほろ苦さもありながら、最後には清々しい気持ちにさせてくれます。
仕事で疲れたら、瞑想しよう。
本ブログで「スタンフォードの自分を変える教室」を紹介しましたが、その中で意志力を強化(注意力と自制心を向上)する手段の1つとして、前頭前皮質への血流を増やす効果のある"瞑想"が科学的にも効果があると紹介されていました。
実際、グーグルやインテルなど名だたる企業が社員へ対して瞑想プログラムを導入して効果を上げており、日本よりアメリカの方が瞑想へ対する理解が深まっているという印象があります。
一方、日本では"禅"という言葉が定着しているものの、座禅を実践する日本人はごくごく少数というのが実感です。
私もかなり前に"禅"に興味を持ち、「只管打坐」で有名な曹洞宗の開祖である道元の伝記や永平寺に関する書籍を読んだ経験がありますが、教義の内容は理解できても、その禁欲的で厳格な規律には敷居の高さを感じざるを得ませんでした。
そもそも座禅の基本的な姿勢である"かかと"を交差させる結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢でさえも体の固い私にとっては苦痛であり、とても続きそうにありませんでした。
大企業が取り入れている瞑想であれば、制約も少なく気軽に始められると思い立ち、さっそく図書館から3冊の瞑想に関する本を取り寄せました。
しかし結果として、うち2冊はあえなく半ばで読むのをやめてしまいました。
理由は簡単で、あまりにもスピリチュアルな側面が目立ちすぎていたからです。
「悟り」を目指すために瞑想する、または著者自身がヒマラヤの山奥で修行(瞑想)を重ね真理を会得したと主張する内容はどう考えても瞑想上級者(?)向けであり、基本を理解したい私にとって唐突すぎる内容だったのです。
その中で本書は"仕事で疲れたら、瞑想しよう。"というタイトル、また副題にある"1日20分・自分を浄化する習慣"という適度なゆるさ、実際の内容も忙しいビジネスマンを読者に想定して書かれているため、もっとも取っ付き易い1冊になりました。
ただし本書を読み終えて瞑想を習慣的に実践できた訳ではなく(これから実践できるかも分からないため)、本書の詳しい内容を紹介するのは差し控えます。
本書で触れられているのは世界的に有名なTM瞑想(超越瞑想)であり、内容も非常に初歩的な部分から解説してくれます。
つまり瞑想にも空手と同じように"流派"が存在するようですが、著者自身がビジネスマンとして活躍する傍らで瞑想を習慣的に行ってきた経験があるだけに、一般人にとって大聖者からのアドバイスよりも身近なため、理解と共感しやすいのは間違いありません。
瞑想の入門書を読んでみたい人は、まずは本書を手にとってみてはいかがでしょうか?
気張る男
明治時代に関西(大阪)を中心に活躍した実業家・松本重太郎を主人公にした歴史小説です。
多くの実業家や財界人をモデルにした小説を手がけている城山三郎氏がもっとも得意とする分野ですが、そもそも松本重太郎と聞いてピンとくる人は少ないかも知れません。
岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)、安田善次郎(安田財閥の創業者)、渋沢栄一(日本を代表する実業家)とほぼ同時代に生きた人物であり、銀行や鉄道、紡績、ビール会社などの事業を次々と立ち上げた松本は"西の松本、東の渋沢"と並び称えられるほど多くの実績を残し、彼が創設に関わった企業は今でも姿や形を変えて存続しています。
それでも彼の知名度が低い理由の1つは、松本自身が事業に失敗し破産同然のまま実業界を引退したこと、もう1つは大阪を中心とした関西の民間事業に力を入れ続け、政界や首都である東京から距離を置き続けたことから、歴史のスポットライトから少し外れてしまったという理由が挙げられると思います。
重太郎の生まれた丹後国間人村は日本海に面して残りの三方を山に囲まれた寒村であり、長男ではない彼は口減らしのため、わずか10歳という幼さで京都に奉公に出ます。
一生懸命働きながら勉学にも勤しみ、やがて自分の小さな店「丹重」を大阪に構えるところから重太郎の飛躍が始まります。
蝋燭や羅紗の商いで成功していた重太郎は時代の流れを読み、第百三十国立銀行(現:滋賀銀行の前身)を設立することで資金を調達し、瞬く間に鉄道や紡績など大資本が必要な事業に乗り出し、目の回るのような忙しさに身を置くことになります。
その他にも北スコットランドで静養していた鉄鋼王アンドリュー・カーネギーに会いに行くなど、驚くほど精力的に活動します。
しかし彼の最大の魅力は実業家として成功した姿ではなく、事業に失敗し全財産を投げ出した後の人生だったかも知れません。
家賃10円の借家に移り住み過去の栄光にしがみつくことなく平然と暮らし続ける重太郎は、たとえ富は失っても酸いも甘いも噛み分けた人間としての厚みは失わなかったのです。
果たして今の大企業経営者たちはいざという時に責任を真正面から受け止め、そこから逃げ出さない重太郎ほどの心構えがあるのか?
甚だ心もとない問いかけです。
スタンフォードの自分を変える教室
タイトルの"自分を変える"からは、自己啓発、またはビジネス書のような自己変革のための本という印象を受けます。
たとえば偉人たちのエピソードや、成功した経営者の考え方を引き合いにしてゆき読者のやる気を誘発するといった主旨の本を想像してしまいます。
しかし世の中の殆どの人にとって偉人となることも大金持ちになることも現実的ではなく、そもそも人生の目標は人それぞれです。
本書の"自分を変える"ための目標とは、ダイエットや禁煙であったり、借金を返すことなど身近なものばかりを取り上げています。
そして多く人にとって、ある目標を達成するためにもっとも不足しているのが"意志力"であると著者は指摘しています。
オリンピックで金メダルを獲得する、大企業でトップの実績を上げて出世するといった目標であれば"意志力"のほかに"才能"や"運"という要素が必要になってきますが、本書で挙げられているような身近な目標であれば、意志力さえ継続できれば達成できるように思えます。
著者のケリー・マクゴニガル氏はハーバード大学で博士号を取得している新進気鋭の心理学者であり、彼女がスタンフォード大学で開催した10週間の講座は高い評価を受け、多くのメディアに取り上げられました。
本書はその講座を再現したものであり、10週間のプログラムによって心理学、医学的な見地から意志力に関する最新の見解、そして強化の方法を紹介しています。
よって本書も10章から構成されており、本書を読み進めて実践することによって効率的に意志力を強化できるという内容になっています。
ただし、まず最初に断わっておくと、本書で紹介されている内容はどれも目から鱗が落ちる革新的なものではありません。
たとえば本書で紹介されている一例として、
- 睡眠不足に陥るとストレスや誘惑に負けやすくなる
- 失敗した時は自分を責めずに許す
- 他人の欲求(意志力)は感染する
などです。
しかし本書が優れているのは、こうした方法を紹介する前に意志力の正体や性質を丁寧に解説してくれる点です。
たとえば医学的に意志力は脳の前頭前皮質という部分がコントロールしており、人類の進化に欠かせない要素として他の動物より発達してきました。
一方で脳の中心にある扁桃体という部分は、前頭前皮質が発達する以前から生存本能(原始的な欲求)に密接に関わっており、ここから発せられる信号は前頭前皮質の活動を妨げます。
こうした前提がある上で扁桃体が発する衝動的な欲求を抑える方法を最先端の研究成果や豊富に引用される実験データから分かり易く説明してくれるため、画期的な方法でなくとも納得しながら読み進めることができます。
目標に向かって継続する意志力が弱まり、目の前の欲求が勝ちそうになった時、私たちの脳で何が起きているのかを理論的に知ることができるのです。
そしてもう1点評価したい点は、著者の大学での講座を本書で再現するという形をとっており、そして大人気を博したプログラムだけに堅苦しい講義が延々と続くということはなく、各所にジョークを散りばめて、読者(受講者)が眠くなったり、飽きたりしないよう配慮されている点です。
一気に読破するだけでなく、本書を開けばいつでも講座を再現できるため、意志力強化の手引書として気の向いた時に手にとって読むのが有用な活用法ではないでしょうか。
総員起シ
太平洋戦争には、世に知られぬ劇的な出来事が多く実在した。戦域は広大であったが、ここにおさめた五つの短編は、日本領土内にいた人々が接した戦争を主題としたもので、私は正確を期するため力の及ぶ範囲で取材をし、書き上げた。
これは著者の吉村昭氏によるあとがき冒頭の文章ですが、ノンフィクション歴史小説に定評のあった著者だけに作品中の描写は著者があたかも現場にいたかのような臨場感があります。
本書に収められているのは以下の5作品です。
- 海の柩
- 手首の記憶
- 烏の浜
- 剃刀
- 総員起シ
「海の柩」、「烏の浜」はいずれも北海道の海上で起きた悲劇を取り上げ、「手首の記憶」はソ連の参戦によって樺太から撤退する民間人たちの悲劇を取り上げています。
「剃刀」は沖縄戦の後半にスポットを当て、「総員起シ」は瀬戸内海で潜水艦の訓練中に起きた事故を取り扱っています。
いずれも多くの犠牲者や戦死者を出した出来事ですが、太平洋戦ではあまりにも多くの死者が出たこともあり、作品の大部分の悲劇が充分に世の中に知られているとはいえません。
タイトル作にもなっている「総員起シ」は、伊予灘由利島付近で起きた伊号第三十三潜水艦で発生した訓練中の事故を取り上げています。
浸水により浮上できなくなった潜水艦の中で、かろうじて浸水から免れた区画。
その中で取り残された乗組員たちが絶望的な状況の中で、高まる気圧、減ってゆく酸素に苦しみながら遺書を残し息絶えてゆくという悲痛な場面を描いています。
もちろんこれもフィクションではなく、九死に一生を得て脱出した乗組員からの話、そして戦後9年後に引き上げられた潜水艦の中で遺体が腐敗せず当時のままで発見されるという出来事を通して、当時の状況が判明したのです。
乗組員たちは戦地に赴ことなく死を覚悟した時何を思ったか?そして残された時間で故郷にいる家族たちへ何を思ったか?
私たちが想像するだけで痛ましい事故ですが、そこから目を背けず淡々と描写を続ける著者の心中も決して穏やかではなかったはずです。
戦争文学というより、まるで戦争ルポルタージュのような迫力のある作品たちがおさめられた1冊です。
プロ野球の名脇役
多くのプロ野球選手の中でもスターやエースと呼ばれる選手のプレーは我々を驚かせますが、野球はチームスで成り立っているポーツです。
そして野球を注意深く見てゆくとスター選手ほど目立たなくとも、メディアに取り上げられる機会が少なくとも、チームの勝利のために貢献する選手たちの存在に気付くはずです。
そんな彼らの活躍を応援するのがプロ野球の醍醐味だと思います。
本書は「プロ野球の職人たち」の続編として、スポーツライターの二宮清純氏が、脇役たちの物語に光を当てた1冊です。
引退して間もない選手もいれば王長嶋時代に現役だった選手も含めて、幅広い年代から著者がこだわったメンバーを選んでいるように感じます。
またスタッフ編としてコーチやスコアラー、打撃投手にもスポットを当てている点は注目です。
【野手編】
- 田口 壮
- 大熊 忠義
- 辻 発彦
- 末次 利光
- 緒方 耕一
- 井端 弘和
【バッテリー編】
- 谷繁 元信
- 斎藤 隆
- 大野 豊
- 遠山 奬志
【スタッフ編】
- 伊原 春樹
- 掛布 雅之
- 伊勢 孝夫
- 北野 明仁
- 山口 重幸
"名脇役"だけあって有名な選手が多いですが、その中でも比較的知られていない選手の中では、日本プロ野球で最高の1番バッターと言われた福本豊を2番打者として支えた大熊忠義です。
彼は福本の盗塁をアシストするためにファウル打ちの技術を身につけ、自分の打率を大幅に下げてまで役割に徹しました。
また元阪神の遠山奬志投手は投手として伸び悩んでいる時期に野村監督から、左バッターのインコースを徹底的に攻める役割を与えられ、ワンポイントリリーフとして存在感を示しました。
元巨人の松井秀喜をして「顔を見るのも嫌だ」と言わしめたのは、最高の褒め言葉に他なりません。
野球のタイトルを獲ることは選手にとって大事ですが、だからといって4番バッターを9人並べても勝てないのが野球です。
たとえ目立たぬ役割であっても取り換えのきかない唯一無二の存在として貢献する人材の必要性は、プロ野球にかぎらず重要なことなのです。
馬賊 日中戦争史の側面
清朝後期から日中戦争終結に至るまでの壮大な時間軸の中で、主に旧満州、中国東北部で活躍した「馬賊」の歴史を解説した1冊です。
本書は1964年(昭和39年)初版という、半世紀以上前に発刊された本です。
著者の渡辺龍策氏は1903年(明治36年)生まれで父は袁世凱直隷総督の学事顧問に赴任していたこともあり、幼い頃から中国に慣れ親しんできた経歴を持っています。
日中戦争という動乱の時代を中国大陸で体験し、馬賊を実際目にした機会も多かったに違いありません。
当時の中国を中心に歴史を見てゆくと、イギリスや日本、ロシアなどの列強国、そして袁世凱を筆頭にした各地で群雄する軍閥、孫文や蒋介石、毛沢東に代表される革命勢力といった勢力が拮抗し、混沌とした情勢を生み出していました。
さらにその中で侮れない勢力を持っていたのが馬賊であり、もっとも有名なのが張作霖ですが、伊達順之助、小日向白朗(尚旭東)、松本要之助といった馬賊として活躍した日本人もいました。
麻のごとく乱れた当時の中国において、もっとも苦しめられたのは当然のように農民たちでした。
そんな農民たちが権力者たちの詐取、外部からの略奪から自らの身を守るための自営組織として立ち上げたのが馬賊の発祥であり、貧困地方(とくに満州西部)においてその傾向が顕著でした。
やがて馬賊の中、あるいは近隣の馬賊間で「親分-子分-兄弟分」といった血盟的、同志的、同族的な連携が見られ、彼らが共同戦線を張ることで大きな勢力に成長していったと著者は解説しています。
"賊"という字に惑わされ馬賊を単なる盗賊(略奪)集団とみなすのは誤りであり、盗賊は"土匪"や"匪賊"とて区別され、馬賊たちから見ても軽蔑すべき存在であったのです。
仁義を重んじるという点では日本の任侠と似たような性質を持っていますが、その武力ははるかに強大であり、馬賊は民衆たちを守る勇敢で腕っぷしの強い男の象徴として、子どもたちにとって憧れの存在ですらあったことが分かります。
歩兵銃をたすき掛け腰には幾つかの拳銃を差し、夕日を背に満州の広大な原野を疾駆する馬賊の姿をイメージすると、戦国武将にも通じるカッコ良さがあります。
しかし満州を足がかりに大陸へ進出してきた日本軍は、馬賊や孫文率いる革命軍さえも盗賊と混同してしまい、漏れなく制圧対象としました。
少なくとも"馬賊"という地域に根ざした存在とうまく共存・活用できれば治安維持のみならず、住民たちの日本軍へ対する感情も違ったものとなったでしょう。
また馬賊は文字とおり"馬"を機動力とした武力集団でしたが、日本やロシアの軍隊は戦車や重火器などにより近代兵器を装備しており、馬賊が正面から戦うのは著しく不利でした。
それでも有力な頭目(大攬把)であれば10万の馬賊たちに号令をかける力を持ち、勇敢で地理に精通した彼らの勢力は決して侮ることはできませんでした。
勢力を伸ばし脅威的な存在となってきた張作霖を爆殺し、満州国という傀儡国家を作り上げた日本は馬賊との共存を拒みましたが、それは満州の民衆との共存を拒んだことも意味していたのです。
結局、日本は満州を豊かな漁場としか見なさない帝国主義国家としての本音が主流を占めるに至ったのです。
結果として満州を豊かな土地とする目標は理想に終わり、中国の各地へ戦線を拡大していったものの最後まで民衆を単なる"賊"として見なさなかった日本軍の敗北は必然であったともいえます。
馬賊は時代の流れとともに消滅しましたが、彼らは死に絶えた訳ではなく、再び農村へと帰っていったに過ぎないのです。
最後に日本人馬賊として活躍した小日向白朗を主人公にした小説はおすすめです。
馬賊戦記〈上〉―小日向白朗 蘇るヒーロー
馬賊戦記〈下〉―小日向白朗 蘇るヒーロー
「諜報的生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー
男性向け月刊誌「KING」で佐藤優氏が連載していた記事を1冊の単行本にまとめたのが本書です。
連載内容は外交官として諜報(インテリジェンス)活動に従事してきた経験を分かり易く、そして日常生活に応用できるようなヒントと共に読者へ伝えるという趣旨で執筆された記事です。
そのため佐藤優氏の著書をこれから読んでみようという人にとっての入門書としても最適です。
連載記事だけでちょうど1冊の単行本にまとまれば理想だったのですが、残念ながら「KING」は2008年に廃刊となってしまい、本書の後半は雑誌で企画された(?)著者と著名人たちの特別対談が4本収録されています。
まずは連載された記事(全12回)のタイトルを紹介します。
- 第1回 佐藤優式インテリジェンス読書術
- 第2回 公開情報からですら、差はつけられる
- 第3回 信頼されるためのサード・パーティー・ルール
- 第4回 つなぎ役(リエゾン)の重要性
- 第5回 大物になると、常に生命は危険
- 第6回 交渉に役立つ人間行動学
- 第7回 余計な秘密は知らないほうがいい
- 第8回 安心できる裏取りの方法
- 第9回 憎まれることなく嫌われる技法
- 第10回 上手なカネの渡し方
- 第11回 逃げ出すタイミングの見つけ方
- 第12回 始めるときに、「終わり」について決めておく
はじめは読書術という無難なテーマから入っていますが、「第5回 大物になると、常に生命は危険」 になるとかなり物騒な話題になります。
"ロシアでは5億円くらいの利権抗争があれば、かならず人が死ぬ"という著者が間近で見てきた具体的な例を日本にそのまま当てはめることは出来ませんが、日本でも事件性の出来事が起こっても不思議ではありません。
「第7回 余計な秘密は知らないほうがいい」では、余計な秘密(=自分の任務に関係のない秘密)を知ると面倒に巻き込まれる可能性が高いと指摘しています。
諜報活動において情報は多ければ多いほどよいと考えがちですが、そこには万が一自分が尋問対象者になったときに知らない秘密情報を漏らすことはできないというインテリジェンスの知恵があり、これもビジネスマンの活動にも応用可能ではないでしょうか。
また「第10回 上手なカネの渡し方」もかなり際どいテーマですが、実際に書かれている内容にはかなり説得力があり、効果的なプレゼント(または報酬)の渡し方として応用できるのではないでしょうか。
後半の対談では鈴木宗男、筆坂秀夫、田中森一、アントニオ猪木などかなり個性的なメンバーが登場し、後半のスペースを埋めるためとはいえ読者を飽きさせません。
対談における佐藤優氏の魅力は、知的な話題から体育会系のかなりマッチョな話(時には猥談に至るまで)相手によって幅広く対応できる点です。
分析能力だけでなく、こうした柔軟に対応できる能力こそがインテリジェンスにとってもっとも必要なのかも知れません。
冬の鷹
日本史で解体新書といえば杉田玄白がすぐに思い浮かびます。
元々はターヘル・アナトミアというドイツ人医師クルムスが書いた解剖学書をオランダ語訳したものが原本になっていますが、解体新書の訳者には杉田玄白のほかに中川淳庵、、桂川甫周といった江戸時代の医師たちが名を連ねています。
しかし最大の功労者はこの中に名を連ねていない前野良沢であり、4人の中では唯一オランダ語を翻訳できる能力を持った人物でした。
今となっては良沢が自ら名乗らなかった理由は不明ですが、その翻訳の不備(=完全な翻訳ではないこと)を自分が一番分かっており、学者としてのプライドが許さなかったという説があります。
いずれにしても解体新書の出版はセンセーショナルな出来事となり、結果として杉田玄白の医者としての名声が高まり、多くの門人たちを抱える医術の大家としての地位を築くことになります。
一方の前野良沢は生涯をオランダ語の学習に捧げ、出世することもなく質素に生涯を送り続けました。
性格の面でも社交的で世間を渡るのが上手な玄白、そして内向的で人付き合いが苦手な良沢は対照的な2人だったといえます。
本書「冬の鷹」は、この対照的な2人の生涯を描いた歴史小説ですが、著者の吉村昭氏の興味は終始一貫して前野良沢へ注がれています。
若くしてオランダ語の習得を志した良沢でしたが、長崎でオランダ通詞(通訳者)を務める西善三郎、吉雄幸左衛門らにオランダ語を学ぶことがいかに至難であり、中津藩医師として江戸に滞在したままの習得はまず不可能だと諭されます。
さらに2人の通詞の師匠であり、和欄文字略考を執筆した青木昆陽でさえも、オランダ語を話すことはおろか、翻訳すら殆ど出来なかったというのが現実だったようです。
しかし良沢は無理と言われようとも一度決めたオランダ語の習得を諦めることはありませんでした。
良沢は藩主に願い出て、100日程度でしたが長崎へオランダ語修行に出ます。
もちろんわずかな期間で語学が目立った上達をすることはありませんでしたが、そこで手に入れたのが解体新書の原書であるターヘル・アナトミアだったのです。
これが後に杉田玄白らと共に解体新書を執筆するきっかけになります。
玄白はオランダ語を新しい西洋の知識を手に入れるための手段として捉え、自らの名声を利用して多くの弟子を育てたという点で功績があり、決して非難されるものではありません。
しかし著者の心を惹きつけたのは、生涯をオランダ語の研究に捧げ、富と名声からも無縁だった孤高な良沢の生き方だったのです。
また良沢の数少ない友人として高山彦九郎が登場します。
尊王思想家として日本全国を奔走しますが、当時はまだ盤石だった幕府権力による弾圧で挫折することになります。
彦九郎が生きているうちにその努力が実ることはありませんでしたが、その尊王活動にかける情熱は、政治的性格がまったくなかった良沢とどこか通じるところがあります。
介子推
某マンガの影響かにわかに人気が高まりつつある中国の春秋戦国時代。
きっかけはどうであれ、春秋戦国時代が好きな私にとって喜ばしい傾向であることに間違いありません。
春秋戦国時代の魅力は何と言っても登場する人物の多彩さにあります。
500年以上も続いた時代のため当然といえるかもしれませんが、名君や名宰相、勇猛果敢な将軍、天才的な策略家、もちろん暴君や欲の皮が突っ張った貴族も登場し、さらには諸子百家と呼ばれる思想家たちが中国全土で活躍するといった、のちの三国志の時代や日本の戦国時代さえも及ばないほどレパートリーが広いのが特徴です。
中には謎の多い神秘的な人物も少なくないのですが、その代表例が本作品の主人公・介推(介子推)です。
春秋時代にもっとも隆盛だったのが普であり、その最盛期を築いたのが重耳(文公)です。
重耳は春秋戦国全体を通しても間違いなく5本の指に入る名君ですが、若い頃から王族の内乱に巻き込まれ放浪の旅を続け、普の君主に即位した時にはなんと60歳を過ぎていました。
長い苦難の時代を支えたのは重耳に従った多くの忠臣たちでしたが、その中の1人が介推です。
やがて重耳が君主として普へ帰還したときに臣下たちの間で恩賞を巡る争いが起きますが、富や名声と関係なく重耳を影から支え続けた介推は、臣下たちの争いに加わることなく年老いた母とともに故郷の山中へ姿を消します。
あとから介推の功績の大きさを知った重耳は、名君だけに自らの過ちを認め血まなこになって介推を探しだそうとしますが、二度と彼が世間へ姿を現すことはありませんでした。
この辺りの展開は諸説ありますが、中国の清明節は介推を悼むための祭日が起源となっており、今でも多くの中国人から神として祀られる存在です。
介推の生涯はいくつかのエピソードが伝わるのみでそのほとんどが謎に包まれていますが、本書は小説家として抜群の実力を持つ宮城谷昌光氏が描いた介推の物語です。
介推は山霊から棒術を学び重耳の元へ馳せ参じますが、欲望渦巻く戦乱の世の中で毅然とした生き方を貫き、何度も重耳の危機を救ってゆきます。
あらすじを書いてしまえば単純ですが、登場人物たちはどれも個性的であり、春秋戦国時代に精通した著者は介推の生涯を巧みに史実の中へ溶け込ませてしまいます。
それだけに著者は本作品を書き上げるのが本当に辛かったと告白していますが、物語は全編にわたり迫真に満ち、結果として歴史小説の名作といえる1冊に出来上がっています。
アメリカ素描
司馬遼太郎といえば誰もが認める日本を代表する歴史小説家です。
それはイコール"日本の歴史を描いた小説家"というイメージであり、実際に代表作のほとんどが日本の歴史を扱ったものです。
なにより著者自身が、その歴史を実感を伴って想像できるのは、日本からせいぜい中央アジアのエリアまでだという旨を幾つかの著書で述べています。
本書は、新聞社の企画でアメリカへの取材旅行を持ちかけられた場面から書き起こしています。
はじめは躊躇していた著者でしたが、やがて気が変わりカリフォルニアを中心とした西海岸、そしていったん帰国して時間をおいてからニューヨークを中心とした東海岸へそれぞれ約20日間ほど滞在した時の感想や体験を1冊の本にまとめたのが本書です。
幕末や明治時代を舞台にした作品の中で艦隊を率いて開国を迫ったり、また日露戦争で大きな役割を果たしたアメリカの存在は大きく取り上げられており、元からその歴史的知識は充分であったことは言うまでもありません。
時期はおそらく今から約30年前(1980年代中頃)だと思われますが、当時はすでにハイテク産業が巨大になりつつあり、インターネットは一般的に普及していないながらも、その基礎となる技術はほぼ完成していました。
さらにハリウッド映画はすでに隆盛を迎えており、音楽やファッションの面でも世界の最先端は常にアメリカがリードしている時代を迎えていました。
これは本書の発表された時代がすでに、2016年現在のアメリカとほぼ同じイメージであったことを意味します。
さらにこの取材旅行の特徴は、史跡や博物館といった展示目的の場所にはほとんど立ち寄らず、今も変化し続けている町、そしてそこに暮らしている市井の人びとと積極的に会うことでアメリカという国を肌で感じようとしていることです。
著者はアメリカへ飛び立つ前に、以下のような概念を仮定として用意しました。
~ 中略 ~
アメリカとは文明だけでできあがっている社会だとした。しかし人は文明だけでは生きられない、という前提をのべて、だからこそアメリカ人の多くは、何か不合理で特殊なものを(つまり文化を)個々にさがしているのではないか、
~ 中略 ~
言うまでもなくアメリカはさまざまな国からの移民たちによって成立しており、それが"人種のるつぼ"と言われる所以です。
言語こそ英語が主流であるものの、同じアメリカ人の間でも先祖の出身地ごとに生活習慣や文化には多様性があることは私でも理解できますが、それだけでは今も爆発的に世界の最先端技術やエンターテイメントを生み出し続けるアメリカの巨大なエネルギーの源泉を見出すことが難しいように思えます。
著者がアメリカを訪れた時代のみならず、現在隆盛を迎えているインターネットを例にとってみてもGoogle、Apple、Amazon、Microsoftをはじめとして、FacebookやTwitter、YAHOO!などアメリカから生まれたサービスを挙げればキリがありません。
しかし今から30年も前に書かれた紀行文でありながら、そこからは現代でも通じるアメリカの本質が見えてくるような気がします。
私は、無器用で、趣味とか娯楽とかいえるようなものを持っていない。
せいぜい、小説を書く余暇に、文明や文化について考えたり、現地にそれを見たりすることが、まずまずのたのしみであるらしい。
著者はこのように謙遜していますが、本書はするどい洞察力、円熟した思考力でアメリカを捉えようとした名著ではないでしょうか。
ファーストレディ〈下〉
引き続き遠藤周作氏の「ファーストレディ」下巻のレビューです。
本作品の主人公の1人渋谷忠太郎は、典型的な保守派の政治家として描かれます。
地元に利益誘導をすることによって強固な地盤を築き、党内でも将来性のある派閥につき政策よりも政治工作に熱中し、その背景には金が飛び交うようなイメージです。
忠太郎は架空の人物ですが、彼とともに登場する政治家は吉田茂に始まり、鳩山一郎、岸信介、池田勇人や佐藤栄作、三木武夫そして田中角栄に代表される実在の政治家たちです。
もちろん彼らには有能な政治家としての才能、魅力、そして一種の凄みがあるものの、忠太郎は彼らを見て「金が政治を動かす」という信念を持ち、ひたすら党内で出世し続けることのみが目的となり、次第に自分を見失ってゆくのです。
これはある意味では金と地位を求め続け、生涯そこに疑問を抱かない政治家が存在することへ対する"救い"と解釈することもできます。
また大臣にまで出世した(忠太郎)を支え続け、ファーストレディへの階段を順調に歩みつつも喜ぶことの出来ない百合子にとっても"救い"になってゆくのです。
一方で忠太郎夫妻とは対照的な、弱者を助けるために弁護士になった辻静一、その妻であり患者を(真の意味で)癒やすために働く愛子たちにもやはり"救い"は必要なのです。
4人の主人公たちは戦後、別々の道を歩いてきましたが、やがて彼ら(彼女たち)が超えられない困難に直面したとき、再びその道が交わる瞬間が本作品のクライマックスになります。
それは長編小説の中に周到に準備してきた伏線がすべてつながる瞬間であり、昭和を代表する作家として、そしてキリスト教文学者としての遠藤周作氏の作品の奥深さを読者が味わう瞬間です。
始まりは若々しい青春の物語、そして充実の立身出世の物語へと進んで、やがて人生の挫折を知る悲劇の物語、最後は命と愛の物語で締めくくるという、映画のスクリーンのような本作品は、隠れた名作といえるのではないでしょうか。
ファーストレディ〈上〉
東京大空襲の中で偶然に知り合った2人の大学生と2人の女学生。
戦後、その1人である渋谷忠太郎は政治家になることを決意し、もう1人の辻静一は戦後シベリアに抑留されるものの帰国後は弁護士を目指します。
やがて2人の女学生のうち百合子は忠太郎と、愛子は静一と結婚してそれぞれの戦後の生活が始まります。
感受性の豊かな若者たちにとって"戦争"という強烈な体験は、その後の価値観を決定づけるほどの影響力を及ぼすことがあります。
忠太郎は日本を復興させるという崇高な想いからではなく、戦後も国民たちが天皇を尊敬し続ける姿を目の当たりして決して日本は左翼化しない保守的な国民性であることに確信を抱き、政治家として保守政党が勝ち馬であることをいち早く見抜きます。
そして戦争によって味わった困窮から、"所詮人は金で動く"ということが彼の信念になります。
一方、静一はシベリア抑留で弱者の立場を経験することによって、社会の中の弱者を手助けすべく裁く側(検事)ではなく、裁かれる人を守る側(弁護士)の道を目指したのです。
見方を変えれば、裁く側が戦勝国のソ連、裁かれる側が敗戦国である日本であり、この日本の中にはシベリアで息を引き取り祖国に帰ることの出来なかった戦友までが含まれるのです。
政治家の妻となった百合子は、その基盤を確かなものにすべく陰日向なく夫を支え続けなければならない宿命を背負います。
一方の愛子は夫の仕事を尊重しつつも、自らは肉親を病気(結核)で亡くした経験から看護師を続ける決意をします。
いわば本作品は、戦中から戦後にわたる対照的な2組の夫婦の人生を描いた物語でもあるのです。
ところで著者の遠藤周作氏は、数多くの作品やエッセーにおいて社会問題には言及しても、"政治"を話題に取り上げる機会の少なかった作家という印象があります。
しかし本書"ファーストレディ"は政治の世界を生々しく描写してゆきます。
歴代の総理大臣をはじめとした政治家たちが次々と実名で登場し派閥争いや金権政治を繰り広げる様相は、普段は言及せずとも政治に注目し続け、それでいて醒めた目で観察し続けた遠藤氏の容赦のない本音が垣間見れるのです。
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