糖尿病の真実
日本では糖尿病患者とその予備軍の合計は2000万人に昇ると推定され、特に中高年の3人に1人が該当すると言われています。
本書では多くの糖尿病治療の実績を持つ内科医である水野雅登氏が、現代の糖尿病治療の問題点を指摘しています。
幸いにも今のところ私に糖尿病の傾向はありませんが、そんな私でも糖尿病と聞いてまず思い浮かべるのはインスリン注射です。
しかも1度インスリン注射をはじめると一生止められないというのも聞いたことがあります。
一方で著者はそのインスリン治療こそが糖尿病患者を増やしている黒幕であると断言しています。
まずインスリンは血糖値を下げるために体内で生成されるものです。
一方でインスリンを唯一生成できるのは、すい臓のベータ細胞のみであり、このベータ細胞は一度減ってしまうと二度と復活することはありません。
加えてベータ細胞を減らす要因となっているのが、糖尿病を治療するためのインスリンの分泌を促す作用を持つ内服薬であるSU剤とインスリン注射であると指摘しています。
簡単に言えばこうした薬がすい臓へ負荷をかけてしまい、本来人間の身体が持つインスリンを分泌する力を失わせるというものです。
またインスリン注射と同じくらい重要であるのが食事療法であると指摘しています。
国が定める食事摂取基準では年齢、性別によって1日に摂取すべきエネルギー量(キロカロリー)が示されており、そのうち「炭水化物で全体のエネルギーの6割を摂取せよ」と推奨していますが、著者はそれでは多すぎると指摘しています。
糖分が含まれる炭水化物の摂取をなるべく避け、タンパク脂質食を実践すべきだと主張しています。
本書では日本の標準治療で使用される薬剤名や治療方針を記載した上で、著者が用いる薬剤名や治療方針も具体的に明示されており、医師が読んだとしても納得できる内容になっていると思います。
推奨する食事についても具体的な食材名やサプリメント名が記載されており、とにかく本書全般に渡って具体的に書かれていることが印象に残りました。
例えば糖尿病の方が本書を読むことで、実際に自分が処方されている薬剤や指導されている食事療法と比較することが可能であり、かなりの参考になるはずです。
驚くのは著者が担当した5年間84例の2型糖尿病患者の脱インスリン率は100%であったという点です。
もちろん本書だけ読んで服用している薬を自己判断で中止するのは絶対にやめ、必ず主治医に相談するようにという注意喚起もされています。
もし私が糖尿病と診断された時には、迷わずこの本を再び手にとることになるでしょう。
東京大空襲の戦後史
太平洋戦争の終盤は制空権、制海権をともに失い、日本全土が空襲の被害を受けました。
その中でも最大のものが東京大空襲と言われる1945年3月10日の未明に行われた約300機のアメリカ軍爆撃機B29による無差別爆撃で、被災者は100万人を超え約10万人の生命が失われました。
両親を失い戦争孤児となった子どもたちの一部は「浮浪児」となり、大人でさえ食料調達が困難で生きるのに精一杯だった時代に彼らの味わった体験は想像を絶する悲惨なものだったはずです。
運良く浮浪児にはならなくとも、両親を失い親戚に預けられた孤児たちがそこで冷たい仕打ちを受けた例も多く、悲劇は戦場だけに留まりませんでした。
それでも軍人軍属は戦後に国からの補償を受けますが、空襲をはじめ戦争の被害を受けた民間人に補償は適用されず、長い間我慢を強いられました。
一方で政府は民間人の戦争被害による範囲が広範囲であること、それに伴う補償額が膨大になることを恐れ、長い間認めてこなかった歴史があります。
たしかに空襲で焼失した家を国の補償で建て直したという話は聞いたことはありませんが、家族が無事で自分の身体が健康であればまた家は建て直せるかも知れません。
一方で負傷によって残った障がいや失われた家族の生命は決して戻ってこないのです。
本書は東京大空襲の被害にあった人々が国を相手どり謝罪と賠償を求めた裁判や活動を記録したドキュメンタリーです。
一方で戦後80年近くが経過し活動メンバーたちの高齢化も避けられない状況で、彼らは「国は自分たちが死ぬのを待っている」と感じています。
本書に掲載されている被害者たちの体験談はどれも悲惨なものであり、辛さの中で何度も死のうと思ったという言葉が出てくるのが印象的でした。
これは戦争を経験していない世代にとってまったく無関係なものではありません。
たとえば今後日本が戦争に踏み切ったときに敵国の攻撃によって民間人へ被害が出ることはウクライナの例を見るまでもなく容易に想像できます。
歴史は繰り返すと言います。
つまりその時にも再び国によって民間人が見捨てられる可能性があるのです。 姿は、将来の自分たちの姿と重なる可能性があるのです。
奇しくもつい最近、岸田総理大臣が防衛費の大幅の増額を指示し、不足する財源を賄うため増税の検討をはじめるというニュースが流れてきました。
とても不安で不吉なニュースですが、結局は国民一人一人の有権者としての意思表示が将来を決めてゆくのです。
エベレストの空
著者の上田優紀氏はプロのカメラマンとしても活動しています。
趣味で登山はするものの、自分がエベレストつまり世界の最高潮を登頂するなど考えたこともなかったといいます。
しかしふとしたきっかけでエベレストの頂に立ち、そこからの景色を写真で「撮る」ということが目標となります。
本書は著者がエベレストの登頂を目指してからどのようなトレーニングや準備をし、さらには資金集めに奔走したかを含めてエベレスト登頂までの一部始終をドキュメンタリーとして収めた1冊です。
登山装備の発達、豊富な資金と手厚いサポートによるツアー登山が登場しエベレスト登頂に成功する人が増えていますが、毎年のように死亡者が出ていることも事実です。
しかも著者がエベレストに挑んだのはコロナが世界中で猛威を振るっていた2021年であり、一段と挑戦のハードルが高くなっていた時期でした。
高地順応がスムーズに行くように冬の富士山でトレーニングを続けたとありますが、生身の人間が順応できるのは6500メートルまでであり、7000メートル以上の標高では酸素ボンベなしでの行動は困難となり、8000メートルより先は「死のゾーン」と呼ばれ、空気中の酸素濃度は地上の3分の1となり、人間が生存できる環境ではないと言われます。
つまり真冬の富士の頂でトレーニングをしたとしても、エベレストの環境とは比べものにならないのです。
本書の優れた点は、まず著者がプロの登山家ではなく一般的な読者と大差のない立場からエベレスト登頂を目指した点であり、私たちが抱く初歩的な疑問を丁寧に解説してくれています。
つまり著者のエベレスト登頂に自分自身を重ねてしまうな追体験ができるのです。
次に何と言っても著者がプロのカメラマンである点で、本書には多くの写真が掲載されています。
高度8000メートルを超える登山では装備を1グラムでも減らして行動すべきですが、著者はそこに予備含めて2台のカメラ、そしてレンズを携帯してゆき、撮影の際には分厚い手袋を外さなければならないため凍傷の危険性があります。
それだけのリスクを犯して撮影した写真は、地球と宇宙の境目にある景色のようであり、山の美しさでも読者を楽しませてくれるのです。
それでも本書の主軸は撮影した写真の解説ではなく著者がエベレスト登頂を目指すストーリーそのものであり、優れたドキュメンタリー、紀行文であるのです。
知の教室
サブタイトルには「教養は最大の武器である」とあり、次の文から始まります。
本書は、がっついたビジネスパーソンや学生を念頭に置いた実践書だ。
最近は、大学でも「すぐに約立つ事柄」すなわち実学を重視する傾向が強まっている。
成果主義、弱肉強食の競争が加速している中で、実務に役立たない教養などに時間を割いても無駄だと考えている人も少なくない。
しかし、それは間違いだ。すぐに役立つような知識は賞味期限が短い。
冒頭に本書の結論が簡潔に述べられています。
それでは次にどのようにして教養を身に付ければよいのか?という疑問が出てきますが、著者の回答は明確です。
それは"読書"をすることです。
私も読書は好きなので自分には教養があるのかなと思いましたが、著者(佐藤優氏)の凄まじい読書量を知り、あっという間に自信を無くします。
著者は月間300冊の本を読み、今まで本の購入のために使ってきた金額は6000万円になるといいます。
1日10冊の本を読む計算になりますが、速読で読むべき本を精査し価値があると感じた本を集中的に読むという方法をとっているようです。
読書の範囲も専門とする神学の本をはじめ、歴史、経済、哲学、さらには小説とジャンルも広範囲に及びます。
これだけで1日が終わってしまいそうですが、著者の本業は作家であり、毎月の原稿の締め切りは80本もあるということですから、もはや人間業とは思えません。
しかし各界の専門家と対談し、様々な視点から情報を分析する佐藤氏の驚くべき知識量は、こうした読書が土台になっていることは間違いなさそうです。
一方で本書は体系的に教養を身につける方法を解説している本ではありません。
著者の読書術、時間のマネジメント方法、読むべき本のタイトルなどが挙げられていますが、過去に行った知識人たちとの対談の模様、かつて発表した記事やレポートもかなりの量が掲載されており、結果的に本書は500ページ近くの分量になっています。
そこには対談や過去に執筆したレポートから教養によって身に付けた知識をどのように活用して対話や情報の分析を行ってゆくのか、さらには問題解決の武器として、必要に迫られた時には闘う方法を含めて実践的に学んでほしいという意図があるようです。
著者はロシア(ソ連)を担当する外交官と活躍していた経歴があり、掲載されているレポートもロシアを扱ったものが登場しますが、作家デビューとなった「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」を知っている読者であれば違和感なく読むことができると思います。
本書は2015年に刊行されていますが、このとき著者は作家活動10年目を迎え、自らの活動を振り返って中間総括を行いたいという意図もあったようであり、そうした視点でも本書を楽しむことができます。
私自身、社会人になって数年間はノウハウ本に熱中していた時期がありましたが、たしかに即座に実践で使えると宣伝されているテクニックには奥行きがなく、何冊も読んでゆくとどれも同じような内容に感じてしまいます。
もちろん中には参考になる本もありますが、食傷気味になって読書本来の楽しみがなくなってしまっては本末転倒です。
私自身これからもジャンルに拘らず、なるべく好奇心を持って幅広く読書を続けたいと思います。
海辺の小さな町
著者の宮城谷昌光氏は中国史や日本史を舞台にした歴史小説家として知られています。
私も多くの作品を読んでいる宮城谷ファンの1人ですが、本書は現代を舞台にした青春小説という著者にしては非常にめずらしい作品です。
期待と不安を持ちながら作品を読み始めましたが、著者らしい文章は健在でありすぐに馴染むことが出来ました。
主人公は東京で生まれ育った青年であり、彼が静岡の小さな港町にある大学へ進学するために親元を離れて引越をする場面から物語は始まります。
進学祝いで父親から買ってもらった一眼レフカメラを携えて静岡へ向かいますが、たまたま下宿先の隣部屋の同級生も趣味で写真をやっていることから意気投合します。
今まで写真に興味はなかったものの、やがて主人公はその奥深い世界へ青春を捧げることになるのです。
私自身、コンパクトタイプのデジカメを何台か買い替えて所持していたものの、今ではそれすら持たずにスマホのカメラ機能で事足りている状態です。
本格的な一眼レフカメラに何となく憧れはあるものの、いつか気が向いたら購入するのも悪くないかなと考えている程度で、ほとんど写真に興味がない部類に入ります。
一方で本作品には写真の専門用語が数多く登場し、素人だった主人公そうした機能や技術に詳しくなってゆく過程が描かれています。
当然のように作品に登場する人物たちも写真好きが多く、それぞれが自分なりのこだわりを持って撮影をしています。
かなり専門的な用語が登場しますが、それもあとがきを読んで納得します。
それは著者自身が昔写真にハマっていた時期があり、コンテストに入選するほどの腕前を持っているということです。
そして本作品は著者が写真好きなことを知っている編集者が、写真をテーマにした作品を執筆することを勧めて誕生したという経緯があるようです。
もちろん写真を軸としながらもストーリーの組み立てはしっかりしており、王道の青春小説としても充分に楽しむことができます。
今まで読んできた歴史小説とは一味違う読了感があり、宮城谷ファンとしてはぜひ抑えておきたい1冊です。
「ふたり暮らし」を楽しむ
下重暁子(しもじゅう あきこ)氏が定年後の夫婦の暮らしをエッセー風にまとめた1冊です。
簡単に言えば夫婦ともに定年を迎え、2人で向き合う時間をどのように過ごすかという本です。
世間一般に言えば今まで別行動だった2人が一緒に過ごす時間が増えることで、面倒なことや腹の立つことが増えストレスになるというところですが、著者は2人暮らしを楽しくる送る工夫をしてみようと提案しています。
たしかに熟年離婚をしない限りどちらか一方が先に逝くまで2人暮らしは続くのですから、建設的な意見だと思います。
ただ実際には著者が自らの体験に基づいて語っている部分が多く、ノウハウ本として読むよりは興味のある作家のエッセーとして読む方がおすすめであり、私もその1人です。
下重氏は昭和11年生まれであり、NHKアナウンサーを経て作家になっています。
一方の夫はテレビ局に勤めていた会社員であり、共働きの環境にあったようです。
食事の準備は料理が得意な夫の役割で、妻は皿の準備と洗い物に専念するといった役割のようです。
家計に分担のルールはあるものの、2人とも経済的には自立していることもあり、お互いの収入も貯金も知らないと言います。
服装についてはお互いに共有しているアイテムも多く、帽子やセーターが取り合いになることもあるようですが、その分買い物は2人で出かけることも多いようです。
こうして書いてゆくと他愛の無い内容ばかりになっていますが、要は作者の暮らしをエッセー風に紹介しているだけなので、突拍子のないアイデアが出てくることはありません。
どことなく参考にしつつ、単純にエッセーとして楽しめれば充分だと思います。
サブタイトルに「不良老年のすすめ」とありますが、これも自分を年寄りだと決めつけず、「新しい趣味を見つけて夢中になるべきだ」、「周りの生活スタイルにこだわる必要はない」といった著者の主張の反映であり、無趣味で変化のない生活パターンに陥りがちな老年夫婦たちへのエールでもあるのです。
蓮如
蓮如(れんにょ)という名を聞いても、親鸞(しんらん)の嫡流として生まれ浄土真宗を広く広めた中興の祖といった程度の知識しかありませんでした。
戦国時代ファンとしては蓮如よりも、石山本願寺を拠点に織田信長と10年にわたり戦いを繰り広げた顕如(けんにょ)の方が印象に残っているくらいです。
本書は作家の五木寛之氏が、蓮如について解説・考察した1冊です。
著者は歴史の専門家でないこともあり、本書に蓮如の生涯や功績が事細かく記されているわけではありません。
よって本書は蓮如の功績を時系列で知りたい人にとっては不向きかもしれません。
内容は作者が蓮如の足跡をざっくりと辿り、彼が考えたであろう事柄、そこへ集う当時の民衆たちの信仰心、また親鸞と対比して見えてくる蓮如の人柄や特徴を考察してゆく内容になっています。
極端に言えば蓮如をテーマにしたエッセーと言えるかもしれません。
ともかく作者は聖人のイメージが定着している親鸞よりも、謎めいたところのある蓮如の方が好みのようで、次のように表現しています。
親鸞の名前をきけば、人びとは襟を正し、居ずまいを改めて、おのずと敬虔な表情になります。
しかし、蓮如さんと聞けば人びとは思わず頬をゆるめて、春風に吹かれるような和やかな目つきになる。
蓮如は40代半ばに本願寺当主となるまで歴史の表舞台に出ることはありませんでした。
しかし一旦登場するや否、蓮如はまたたく間に爆発的に信徒を増やしてゆきます。
先代の正式な妻の子どもでなかったにもかかわらず当主となった点、越前の吉崎や京の山科に布教拠点としの一大勢力を築き、それがのちの一向一揆の土台となった点など、そこには親鸞とは違い世渡りに長けた、やり手の宗教家といったイメージが漂ってきます。
たとえば現代においても北陸地方が「真宗王国」と呼ばれているのが蓮如の功績であることは間違いなく、どことなく政治家が築いた地盤で行う票集めのような雰囲気さえ感じます。
もちろんこれは私個人の印象ですが、民衆の中に溶け込み、彼らの苦悩ととも生きて布教活動を行った蓮如の姿を想像しながら、そんなことを考えながら読んだ1冊です。
天狗争乱
吉村昭氏が手掛けた幕末の水戸天狗党を扱った歴史小説です。
当時の時代背景を知っておいた方がこの作品を楽しめるので簡単に解説してみたいと思います。
まず幕末の黒船来航、そして江戸幕府瓦解に至る一連の流れの根底には、一貫して尊王攘夷の考えが大きな原動力になっていました。
"尊王"とはたとえ将軍であろうとも、日本が一致団結して国力を高めるために天皇を尊ぶという思想です。
"攘夷"とは通商を求める西洋諸国の狙いが日本の植民地化にあるとして開国に反対する政治的な方針です。
元来、尊皇攘夷というスローガンに徳川政権の打倒という意味は含まれていませんでしたが、独断で日米和親条約を締結した幕府への批判がエスカレートしてゆき、やがて最終的に倒幕という考えに発展してゆきます。
この尊皇攘夷の考えの支柱となり全国的に広く知らしめたのが、徳川政権の中枢ともいえる御三家の1つ水戸藩主の徳川斉昭や同じく水戸藩の学者・藤田東湖であり、のちに維新を成功させることになる薩摩藩や長州藩に先駆けて幕末で注目を集めた藩であるといえます。
現実的には水戸藩も一枚岩ではなく、従来の幕府体制を支持する保守派、尊皇攘夷を段階的に進めてゆこうとする穏健派、早急に実力行使で攘夷を実現しようとする過激派に分かれていました。
一時期は過激派がもっとも勢力を持ち、彼らの一派が大老井伊直弼を暗殺する桜田門外の変を成功させますが、幕府からの処罰、藩主斉昭の永蟄居(永久追放)そして病死、藤田東湖の事故死によって次第に勢力を失ってゆきます。
それでも水戸藩内の過激派が全滅した訳ではなく、元々政治勢力として存在していた天狗党を東湖の息子である藤田小四郎らが中心となり過激な武力集団として再編成してゆくのです。
武装した天狗党は水戸藩が公認した軍ではなく、いわば私兵であり、軍資金などを後援者からの寄付、そして各地の豪商から巻き上げる形で調達し、筑波山を拠点に1000名を超える勢力にまで成長します。
天狗党の中でももっとも血の気の多い田中愿蔵(たなか げんぞう)率いる別働隊は金品を強奪したうえで宿場に放火するといった事件を引き起こし、やがて幕府や周辺の藩から討伐軍が派遣される事態にまでに発展します。
薩摩藩や長州藩は日本の西部に位置しているため徳川幕府のお膝元からは遠く、彼らの軍事行動は蛤御門の変(禁門の変)のように、せいぜい朝廷のある京都が舞台となる程度でした。
しかし天狗党は江戸と同じ関東平野で挙兵した武力勢力であること、また水戸藩が認めた軍ではないことから、幕府はすぐに直接的な武力行使を決断します。
結果的に天狗党の決起は早すぎたということになり、彼らの最期は悲劇で終わることになります。
時期さえ間違わなければ彼らが維新の元勲として名を連ねる可能性もあったと思います。
しかしながら一方で、桜田門外の変、天狗党の争乱といった水戸藩から生まれた尊皇攘夷のエネルギーが維新を大きく前進させたことも間違いありません。
ちなみに水戸藩は天狗党の全滅により尊王攘夷派が完全に下火になり、戊辰戦争の段階になっても藩内の混乱が続き、結果的に明治政府樹立にも目立った人物を排出することはありませんでした。
これは過激だったゆえに有能な尊王攘夷派の人物がことごとく死に絶えてしまい、人材が完全に払拭してしまったことが原因です。
本作品には天狗党の設立から彼らの政治的・軍事的行動がこと細やかに記録されており、この1冊を読めば天狗党のすべてが分かるといっていい1冊です。
その分600ページ以上ある大作となっていますが、幕末ファンにとって必見の作品です。
海馬(トド)
本書は吉村昭氏が、7篇の動物を扱った小説をまとめた1冊です。
収められている作品と扱っている動物は以下の通りです。
- 闇にひらめく<鰻>
- 研かれた角<闘牛>
- 蛍の舞<蛍>
- 鴨<鴨>
- 銃を置く<熊>
- 凍った眼<錦鯉>
- 海馬<トド>
いずれも創作小説ですが記録小説として知られている著者だけあって、扱う動物の習性をよく調べた上で書かれていることが分かります。
「銃を置く」ではヒグマ撃ちの名手として名高い大川春義をモデルにした作品ですが、著者は実際に何度か会って取材をしています。
大川氏は幼い頃に三毛別羆事件をすぐ近くで見聞きした体験を持っていることもあり、同事件を題材にした「熊嵐」の続編と位置付けることができます。
大川氏はアイヌ猟師に師事して熊の習性や仕留めるコツなどを学んでゆき、生涯に100頭ものヒグマを仕留めまでの過程を作品にしています。
ほかに鰻を扱った「闇にひらめく」が個人的には印象に残っています。
作品中では鰻の習性とその漁の仕組みに詳しく触れられている部分が興味深いのはもちろんですが、そこに恋愛ストーリーがうまく織り込まれており、完成度の高い小説として楽しめる作品に仕上がっています。
作品のストーリーは様々ですが、本書には人間と動物、または人間と自然といった大きなテーマが横たわっており、色々と考えさせられる1冊です。
天に星 地に花 (下)
本作品のテーマは、江戸時代の百姓たちの暮らしであり、時には抗えない天災による飢饉、そして時には普段はおとなしい百姓たちが藩の重税に反対し一揆として立ち上がる様子を描いた作品です。
またこれらの出来事は一貫して大庄屋の次男として生まれ、のちに医師となる高松凌水の視点から描かれています。
彼の子孫である高松凌雲が幕末明治で活躍するものの、凌水自身は郷土の歴史の中に埋もれている、いわば全国的にほぼ無名の人物ですが、作品を読み進めてゆくと彼を主人公にした作者の意図がよく分かってきます。
それは凌水が武士や農民といった身分の違い、財産の大小といった貧富の差に関係なく平等に医療を施した医師であり、農村に治療所を開業した彼の視点を通じて当時の風景をより俯瞰的に眺めることができるのです。
凌水は百姓たちの暮らしを間近に見ているだけに、一貫して一揆として立上る百姓たちに同情的です。
一方で享保13年(1728年)に起きた一揆の際に、久留米藩の家老・稲次因幡正誠は怒りで城下に迫りつつある百姓たちの目の前に立ち、自らの責任によって彼らの要求を受け入れることを決断します。
結果として1人の犠牲者も出すことなく一揆たちを鎮めました。
しかもこの時の稲次は27歳という若さでしたが、のちにこの出来事をきっかけに家禄を取り上げられ山村に蟄居し、疱瘡によって無念の境遇のまま亡くなります。
凌水はこの稲次の最期を看取った医師であり、彼の死後も生涯に渡って尊敬し続け、月命日には医療所を休診にしてまで墓参りを続けるのです。
そして宝暦4年(1754年)、財政難を打開するため久留米藩は人別銀を徴集すると領民へ伝えます。
これは人頭税の一種であり、暮らしに余裕のない久留米藩領の百姓たちは再び一揆として立ち上があるのです。
しかも今回はかつての稲次のように身を挺して百姓たちの暮らしを理解した上で怒りを鎮めようとする家老は現れませんでした。
独立し地元からも信頼される成熟した医師となった凌水の目に、再び起こった一揆たちの姿がどのように映るのか。
素朴に生きる農民たちの姿を描いた作品でありながら、壮大なスケールを感じさせる作品になっています。
天に星 地に花 (上)
本書は「天に星 地に花」という壮大なタイトルが付けられてる歴史小説ですが、いわゆる日本史における有名な人物を主人公とした作品ではありません。
久留米藩にある井上村の大庄屋の次男として生まれた庄十郎(のちに医師となり高松凌水と名乗る)の視点から見た当時の農民たちの暮らしや、彼らが藩の重税に反対し一揆を起こす様子などを描いた作品です。
著者の帚木蓬生氏は福岡県小郡市(旧久留米藩領)の出身ですが、かつて久留米有馬藩において5人の庄屋が私財を投じて大石堰(おおいしせき)を完成させるまでの過程を描いた「水神」の続編ともいえる作品であり、作者の強い郷土愛を感じます。
大庄屋といえば実質的に村を統治する庄屋たちをさらに束ねる立場であり、その身分は農民であるものの武士に準ずる格式を持っていました。
そのため暮らしは比較的裕福ではあったものの、彼らの生活も農民たちの生活に溶け込んだものでした。
そして庄十郎も例外ではなく、幼い頃より農民たちの暮らしを間近に見て、時には農作業を手伝うことでその暮らしの大変さを体感して育ちます。
もちろん大変なことばかりではなく、豊作となったときの収穫の喜びや村人が一丸となって執り行う雨乞祭の熱狂なども体験してゆきます。
前作と同様にこうした農民たちの平和な暮らしが描かれる一方で、藩が放漫財政によって乏しくなった財源を補うための重税に反対して立ち上がる農民たちの姿も描かれています。
手に鎌や鍬を持ち寺の境内に集まり気勢を上げている百姓たちを眼の前に、大庄屋である父はこう言います。
「甚八に庄十、この有様をようく目に焼き付けておけ。これが百姓の力ぞ。百姓が集まれば、山も動かすし、筑後川だって堰き止められる」
かつて大石堰によって筑後川の水を引き入れて用水路を建設し、水不足に悩まされていた広大な台地を水田に変えたのも百姓たちの力であり、決して誇張した表現ではなかったのです。
やがて村で流行した天然痘(疱瘡)により母を亡くし、自身も死線をさまよった庄十郎は次男という立場もあり、医療への道を志すようになります。
そしてわずか14歳で生まれ故郷を後にした庄十郎は、新しい医師という道を歩むようになるのです。
ちなみに医者となり高松凌水と名乗った庄十郎の子孫が幕末・明治と活躍した医師・高松凌雲であり、本ブログでも紹介した「夜明けの雷鳴」の主人公として扱われてます。
船乗りクプクプの冒険
宿題嫌いのタローは、母親の目を盗んで冒険小説「船乗りクプクプ」を読み始める。
作者にはキタ・モリオとあるが、読み始めるとわずか4ページで終わってしまい、残りはすべて白紙でノートにでも使ってくれという言葉で終わっている。
これは原稿を書けない作者が執筆途中で姿をくらまし、やけくそになった編集者がそのまま出版してしまった作品なのである。
これに驚いたタローは突然気が遠くなってしまい、気付くと何と自身が作品中の主人公クプクプになってしまうのである。
ここまでが作品の導入部ですが、ともかくクプクプは仲間たちと共に大海原へ冒険へと乗り出すことになります。
一緒に航海を共にするのは、頭が少々ボケている短期で目の悪い船長、力持ちだが頭の回転が悪いヌボー、デブとノッポのコンビであるナンジャとモンジャという締まらないメンバーです。
物語のあらすじ自体は未知の島を発見して上陸し、そこで冒険を繰り広げるというありきたりのものですが、メンバーが締まらないだけに必然的にその内容もヘンテコなものになってしまいます。
大人が真面目に読む文学作品というよりも、作者の北杜夫が児童向けの冒険小説として書き上げた作品ではないかと思われます。
冒険小説といってもよく知られている「海底二万里」、「十五少年漂流記」といった本格的なものではなく、作品の半分以上はユーモアに満ちた内容になっています。
個人的には、おそらく主人公のタローのように勉強嫌いの少年でも気軽に読める内容にしたのではないかと勝手に想像していますが、作者の北杜夫のユーモラスで脱力感のある作風がうまくマッチした内容になっています。
ともかく荒唐無稽な内容ですが、作品全体としては不思議に起承転結が上手く考えられており、そこにも北杜夫らしさを感じます。
もちろん大人でもバカバカしいと思いながら楽しむことができる作品になっています。
バチカン大使日記
著者の中村芳夫氏は長年に渡り経団連で勤務し、のちに民間出身でありながら駐バチカン大使を約4年間(2016~2020年)を勤めたという経歴を持っています。
バチカンといっても国土は東京ドーム10個分の広さしかなく、皇居よりも小さい面積しか有していません。
さらに人口はわずか600人強しかなく、武力も経済力も有していない小さな国家です。
そもそも本書を読むまでバチカンに日本の大使館があることすらも知りませんでしたが、そんなバチカンは世界中に大きな影響力を持っています。
それは世界中に13億人いると言われるカトリック信徒たちであり、バチカンの教皇はその頂点に立つ存在なのです。
つまり物理的な国力ではなく、宗教という結びつきで国境を超えた影響力を有している国であり、日本の外交戦略の面から考えても重要な国であることが分かります。
かつて教皇が持っていた権力は中世ヨーロッパ世界においては国王以上であり、宗教のみならず政治的な影響力という点でも社会の頂点に君臨していた時代がありました。
その影響力の一部が21世紀においても脈々と生き続けていることが分かります。
タイトルに「日記」という言葉が使われていますが、本書は日記形式というよりバチカンの紹介、大使在任中のおもな出来事、そして何より自身もカトリック信者である著者は、教皇(バチカン)の教えや経済、平和に対する考え方について紙面を割いて紹介しています。
まず著者在任中のもっとも大きな出来事として挙げられるは、2019年11月23日に実現した教皇の訪日です。
訪れた広島、長崎でのスピーチ、東京では東日本大震災の被災者と面談し、さらに当時の安倍首相とも会談を開きます。
そこからはバチカンが単なるキリスト教の伝導、カトリック信徒たちの代表者としての顔だけでなく、国際社会において明確な政治的主張を持っていることが分かります。
まず代表的な主張として、いかなる場合においても武力行使への反対、特に核兵器の廃絶を強く訴えています。
しかしアメリカやヨーロッパをはじめカトリック信者を多く抱える国々の中には核兵器の保有を続けると国家が存在するというのが現状です。
また経済面では貧しい人びと、言い換えれば経済発展の恩恵から取り残された人々への支援を主張しています。
さらには資源を浪費する自由主義経済の行き過ぎへの警鐘、持続可能な経済の実現が現在のバチカンの考えであり、これも西欧諸国の経済政策とは必ずしも一致していません。
著者は経済のエキスパートということもあり、こうしたバチカンの考え方についても分かりやすく解説してくれています。
もちろんカトリック信徒たちの考え方も一枚岩ではなく、バチカンは宗教的な活動に専念するべきという保守的な考えも存在するのも事実です。
本書はバチカン大使としての日常を面白おかしく紹介するといった類の本ではなく、多くの日本人にとって馴染みの薄いバチカンそのものを紹介する教養書としての側面が強い内容になっています。
さいはての中国
著者の安田峰俊氏は中国事情に詳しいルポライターとして活躍しています。
本書ではいわゆる普通の観光客が行かないような中国のディープスなポットを"さいはて"と位置付け、著者が実際に行ってみるというアプローチを取っています。
中国語が堪能な著者は観光客というより潜入取材という形をとっており、そのため普通の日本人では見られない中国の日常を垣間見ることができます。
まずはじめは「中国のシリコンバレー」と呼ばれる広東省深セン市へ出向きます。
深セン市自体は普通の日本人でも訪れることができますが、著者が訪れたのは格安ネットカフェが軒を連ねる地域です。
ここは昭和時代に短期労働者が集まる「ドヤ街」の現代中国版のような地域であり、ここに集まる中国の若者は金はなくともスマホを持ちPCも使いこなせる人たちです。
昭和であればドヤ街に集まる労働者たちは稼いだ金を酒やギャンブル、風俗といった娯楽に費やすといったアナログなイメージがありますが、ここでの若者たちは日雇いで稼いだ金をスマホのアプリ課金、オンラインカジノといったデジタルな娯楽に費やす点が昭和の風景と大きく異なります。
彼らは格安ネカフェを拠点とし「1日働けば、3日遊べる」といった刹那的な生活を送り続けます。
著者はこの街で暮らすこうした若者たちと接触して取材を続けてゆきます。
日本でいえばネトゲ廃人(インターネットゲーム中毒者)のような人たちですが、彼らは自分の身分証さえも売り払って金を作っており、その多くは貧しい地方の農村出身であり、家庭や経済環境に恵まれずに深センへ流れ着いた人が多いようです。
そこには昭和のドヤ街の風景、そして現代も生活に困窮しネカフェで暮らし続ける日本人の姿とも重なるところがあります。
他にも本書で紹介されているスポットとして中国共産党が政治的宣伝、思想教育のために観光地に仕立てた習近平の聖地、巨大な高層ビルが建設途中のまま放置されて建ち並ぶゴーストタウンなど合計8箇所が掲載されています。
どれも興味深く読むことができますが、圧倒的な人口、そして近年の経済成長を背景にしたマネーパワーを誇る中国は名実ともに大国として国内にとどまらず、海外にも大きな影響を与えていることが分かります。
同時に中国共産党の進める独裁的で強引な政策とは別に、そこで暮らす中国人たちのしたたかな生活力も印象に残りました。
経済、金融、または政治的な視点で中国を解説する書籍は数多く見かけますが、こうした地道な取材から作り上げられたルポタージュから見えてくる中国の姿も知っておくべきであると感じた1冊でした。
働き方5.0
著者の落合陽一氏は、人工知能関連の研究者として活動しており、最新のインターネットの有識者としてメディアに登場したり、またSNSを通じても自ら積極的に情報を発信するなど、多岐に渡る活動をしています。
いわば時代の寵児であり、私も以前から名前を知っていましたが、その著書を読むのは今回が始めてです。
まずタイトルにある「働き方5.0」とは、AIやロボットが幅広い分野で進化し、人間とともに共存してゆく時代を指しており、それ以前の社会を以下のように分類しています。
- 狩猟社会(1.0)
- 農耕社会(2.0)
- 工業社会(3.0)
- 情報社会社会(4.0)
著者はこの新しい時代が訪れると、「魔法をかける人」、「魔法をかけられる人」という2種類の人間に分かれるといいます。
まず「魔法をかけられる人」というのは、急速にコンピュータテクノロジーが進化してゆく中で、その仕組みを理解しようとせず、知らず知らずのうちに(Aiなどの)システムの指示の元、下請けのように働く人たちを指します。
一見残酷な世界のように見えますが、それはコンピュータと人間の得意とする領域が違うだけであり、最適な仕事の棲み分けの結果であると指摘します。
彼らもテクノロジーのもたらす「便利さ」や「効率化」の恩恵を充分に享受することがでるため、決して不幸せになるわけではないのです。
一方、「魔法をかける人」というのは、新しいテクノロジーやサービスを創り出す側の人を指し、新しい時代を牽引してゆく人たちです。
本書では新しい時代を「魔法をかける人」として生きるために、どのような考え、取り組みが必要なのかについて解説している本でもあるのです。
詳しくは本書を読んでもらうとして、少なくとも昭和以来続いてきたブルーカラーよりもホワイトカラーの方がエリートという概念も無くなってゆき、「創造的専門性を持った知的労働者」という新しい階層が登場するといいます。
これを大上段で語ればインターネットを劇的に便利にしたGAFA(Google、Apple、facebook、Amazon)のようなサービスを創り出すことですが、現実的には小さな領域であっても「オンリーワン」で「ナンバーワン」になろうということです。
たとえば今やGoogleの提供するサービスの数は膨大であり、とても1人の人間で作り出すことは不可能です。
しかしまだコンピュータで解決されていない小さな問題を見つけ出し、解決することなら充分可能だと著者はいいます。
大事なのはそうした課題を自ら見つけ出し、自分のやりたこと(興味のあること)と方向を一致させ実行してゆくことなのです。
一方で本書に書かれていることは、中年以降の人たちにとって本業との兼ね合いもあり、著者の言う新しい技術を身に付けるのは現実的ではありませんし、それはリタイアした高齢者たちにとっても同様です。
つまり本書は10代から20代前半、その中でもとくに社会人として世の中で出てゆく前の若者たちに向けて書かれた本であるということです。
ただ本書を通じて、Web界隈で注目されている人物がこれからの世の中をどのように予測しているのかを興味深く知ることができる1冊です。
背中の勲章
日米が真っ向から衝突した太平洋戦争においてアメリカに囚われた日本人捕虜1号として、真珠湾攻撃時に特殊潜航艇の搭乗員であった酒巻和男が知られています。
そして本作品の主人公である中村末吉は、酒巻につづく日本人捕虜第2号になります。
中村は一水(一等兵)として特設監視艇隊に配属され、「長渡丸(ちょうとまる)」の搭乗員となります。
「長渡丸」といってもその実体は徴用された漁船に過ぎず、そこに無線機と最低限の武器だけを載せて太平洋上で敵艦隊や飛行隊を監視するという任務に就いていたのです。
しかも無線は敵発見時にしか使用を許されず、それを使用すれば直ちに敵に発信源を突き止められるという運命が待っていました。
当時は陸海軍に限らず、「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」という考えが徹底されており、中村らも敵に発見された際には敵の軍艦へ向かって玉砕することが暗黙の任務とされていました。
漁船で敵の軍艦へ体当たりしたところで大した損害を与えられるとは思えませんが、当時は米軍に捕まれば残酷な拷問の末に殺されるというウソが兵士たちへ教え込まれており、何より生きて敵に捕まるのは恥であるという価値観が徹底して刷り込まれていたため、誰も疑問を抱くことはありませんでした。
日本軍の上層部としては助かる兵士の命を救うという考えなど微塵もなく、捕虜として作戦機密を敵に漏らされる方が都合が悪いと考えていたことは明らかです。
その中で主人公の中村は、特攻しようとした漁船を沈められ海上で気絶しているところを捕らえられたのです。
当然のように彼は生きて捕虜になったことを恥じ、まともに尋問に答えることもなく「早く殺せ」の一点張りで押し通し、護送中の船から海へ飛び降りて自殺を図ることさえ試みます。
それでも時間の経過とともに態度を軟化させ、捕虜収容所の中でいつか日本軍がアメリカ本土に上陸して自分たちを解放してくれることに希望を抱くようになります。
しかし月日が流れミッドウェー海戦、、アッツ島、ガダルカナル、硫黄島、沖縄などの生き残り日本兵が収容所へ送られてくると、日本がアメリカ相手に苦戦していることが分かってきます。
加えて捕虜たちはドイツが降伏したという衝撃的なニュースを耳してさえ誰もが最後まで「日本が破れるわけはない。神州不滅だ。必ず日本は勝つのだ。」と信じていたといいます。
これは国を挙げて総力戦を闘い抜くために作り出された法や制度、思想、教育といったものが、日本人へ対しいかに集団的狂気をもたらしたかという歴史的事実を描いた作品でもあるのです。
著者の吉村昭氏は、昭和40年後半に主人公となる中村末吉氏に直接取材をして本作品を完成させています。
終戦後、生きて故郷へ帰り年老いた母と抱き合い泣いた人間と、捕虜収容所のベッドに拘束されたままアメリカ兵へ「殺せー、殺せー」と迫り暴れた人間が同一人物であったことを忘れてはならないのです。
愛国商売
古谷経衡氏は、文筆家としておもに若者をターゲットにした言論活動をしています。
よってその著作も社会を色々な角度から分析したものや、自らの主義主張を書籍としてまとめたものが殆どです。
本作品は自らの実体験を元にした小説という形をとっており、今までの著作の中では異色といえます。
古谷氏はかつて保守思想に傾倒し、その中でもネット右翼と呼ばれる人たちに共感していたといい、本書に登場する主人公はかつての古谷氏自身を投影した人物として登場します。
作品の主人公(南部照一)は保守系言論人の勉強会に参加したことをきっかけに、あっという間に保守論壇期待の新人という地位へと昇ってゆくのです。
この作品は2つの楽しみ方があります。
1つ目は右派論壇の人たち、そしてそれを取り巻くネット右翼(通称:ネトウヨ)の実態がよく分かるという点です。
もちろん普通にそうした内容を解説することも可能ですが、小説という形をとることで物語に没入する読者に身近に感じられるといった効果があります。
たとえば作品に登場するネトウヨは男性比率が圧倒的に高く、しかも平均年齢も高めです。
そこにはコミンテルン陰謀論、彼らの称す反日メディアと言われる媒体、在日特権と言われるもの、また在留韓国・朝鮮人への批判などに溢れており、その大半は学術的な根拠のない「とんでも論」なのです。
著者自身がかつて身を置いていた世界だけに、こうしたネトウヨと呼ばれる人たちの描写にはリアリティと迫力に溢れています。
2つ目は青春小説としても読める点です。
大学を卒業して就職もせず個人所業主として私設私書箱サービスを営む主人公は、別にやりたいこともない、何者にもなれていない若者の1人です。
そんな主人公が興味本位で保守界隈の世界に片足を突っ込むやいなやあっという間に期待の新星として祭り上げられ、やがてその狭い世界で複雑な人間界や利権争いに巻き込まれてゆく過程は、若者にとっての劇的な環境の変化であり、読者は純粋に青春小説としてストーリーを楽しむことができるという点です。
本作品ではかなりのページが狭い右翼界隈内における権力争いのシーンに割かれていますが、その描写はドロドロとしたものではなく、登場人物はどれもどこか抜けた(=脇の甘い)人たちであり、皮肉とユーモラスを交えて書かれています。
タイトルにある「愛国商売」は皮肉以外の何ものでもなく、右派界隈に溢れている陰謀論はある意味でネトウヨをはじめとした支持者たちを惹き付けておくための保守言論者たちの撒き餌なのです。
そして彼らはそうした発信を続けなければ支持者を失い、あっという間に失職してしまうという儚さと悲哀を表してるのです。
サイコパスの真実
2017年、神奈川県座間市にあるアパートの一室で、9人の頭部と骨などが見つかるという衝撃的な事件が起きました。
最近では現実とは思えないほどの事件を起こす凶悪犯罪者に共通する特徴として「サイコパス」が注目されています。
そして犯罪者の脳の機能や構造に関する研究が進み、少しずつサイコパスに関する新たな事実も分かりつつあり、従来のサイコパスへの常識が大きく変わろうとしています。
本書では犯罪心理学を研究している原田隆之氏が、興味本位ではなく、最新の科学的知見に基づきサイコパスを解説している入門書です。
まずサイコパスという特性をもつ人すべてが犯罪者ではなく、むしろその大多数が犯罪とは無関係であると前置きしています。
一方で統計では100人に1人はサイコパスである可能性があることも判明しており、その原因(遺伝なのか生活環境によるものなのか)の解説、またその治療法についても言及しています。
サイコパスにはさまざまな形態をとり、相当の多様性があるため、どの特徴が強調されるのかは人それぞれなのですが、サイコパスの特徴として挙げられているものを本書より抜粋してみたいと思います。
第一因子:対人因子
表面的な魅力一見人当たりがよく、魅力的である。
相手を惹きつけるだけの魅力と、卓越したコミュニケーション能力を持つが、そこに感情はなく、それは偽の優しさである。
他者操作性
心に弱みや不安を抱えている人を見抜くのが得意で、巧みのその心の隙間に取り入ろうとする。
そしてその相手は自分の欲求を充足するための対象でしかなく、経済的な搾取や暴力等を利用して自らの支配下へ置こうとする。
病的な虚言癖
息を吐くように嘘をつき、しかも嘘がばれてもまったく動揺の気配を見せない。
あまりにも平気な態度であるため、相手は狐につままれたような気分になり、こちらの方が間違っていたのではないかと思うほどである。
性的な放縦さ
不特定多数の相手と性的な関係を結ぶ。
もちろんそこに愛情はなく、自分の性的欲求を充足させるための単なる道具としか見ていない。
自己中心性と傲慢さ
自分が世界の中心であると信じて疑わず、自分自身がルールであり、ほかに従うべきルールはないと思っている。
自らの行為が周囲から責められることがあっても、悪いのは社会であり、そのルールが間違っているとすら考える。
第二因子:感情因子
良心の欠如他者への思いやりや配慮を欠き、相手がどうなろうがまったく気にかけない。
つまり悪事をはたらいても良心の呵責から後悔することもない。
共感性や罪悪感の欠如
知能に問題ななく善悪の区別はついているが、共感性という歯止めがないため平気で悪事をはたらく。
被害者へ遺族の感情に思いを馳せることができないため、愛情や反省を口にすることはできても心はまったく動いていない。
冷淡さ、残虐性
他人にはとことん冷たく、冷酷になることができ、残忍なことも平気で行う。
暴力への抵抗感がないため、歯止めが利かないのである。
浅薄な情緒性
一見人当たりがよいが、よくよく付き合うと言葉だけが上滑りして感情自体はとても薄っぺらい。
情緒を表す語彙が乏しく。「言葉を知っているが、響きを知らない」状態。
不安の欠如
不安や恐怖心が欠如している。
そのため相手を傷つけ、社会のルールに反する行動であっても大胆に行動を起こすことができ、そこにためらいや動揺は見られない。
第三因子:生活様式因子
現実的かつ長期的目標の欠如彼らは現在にしか根を張っていないので、過去のことにはこだわらず、将来のことも考えない。
そのため貯金や健康維持に関心がなく、その日暮らしのような浮き草的生活となりやすい。
衝動性と刺激希求性
目先の楽しみの心を奪われて、後先のことを考えない。
違法薬物や危険運転、頻繁な引っ越し、ふらっとあてもなく旅に出ることも多い。
無責任性
生活のあらゆる面で無責任は行動を取る。
借金を平気で踏み倒す、仕事でも遅刻や欠勤の常習犯であり、結婚しても配偶者を顧みることなく、育児や親としての責任を放棄する。
第四因子:反社会性因子
これまでの良心や共感性を欠き、衝動的で無責任な彼らの行動パターンは、当然のことながら犯罪という形を取ることが多い。 なかには巧みに法の網をかいくぐったり、法律違反すれすれのところでうまく立ち回っていたりする者もいるが、反社会性という点に関しては変わらない。最後に忘れてならないのは、安易にサイコパスというレッテルを貼るのは、その人が社会的に相当な不利益を受けることになるため慎まなければなりません。
また一般人がサイコパスを正確に見抜くのは不可能であり、適切な資格や学位を有した者が、さらに定められた研修と訓練を受けてはじめて診断可能になるそうです。
つまりここに記載されたサイコパスの特徴は専門家の解説として参考程度にすべきでしょう。
小倉昌男 祈りと経営
小倉昌男といえば"宅配便の父”として20世紀の伝説的な経営者の1人として知られています。
本ブログでも高杉良氏の「小説ヤマト運輸」を紹介していますが、名経営者だけに小倉昌男の伝記やビジネス書は数多く出版されています。
本書はそのいずれでもなく、ノンフィクション作家である森健氏が小倉昌男の経営者としての姿ではなく、世間には殆ど知られていない素顔に迫った1冊です。
森氏が本作品の執筆(取材)を始めた時点で小倉昌男はすでに世を去っており、生前彼と交流のあった人物への取材を通じてその実像へ迫ってゆくという手法をとっています。
そもそも著者が小倉昌男に興味を持ったのは、彼に関するさまざまな書籍に目を通し、3つの疑問を持ったことに始まります。
1つ目は、引退後に私財(自身が所有していたヤマト運輸の株)のほとんどを投じて福祉財団を設立し、その活動をライフワークとした理由です。
つまり経営者時代に福祉への取り組みへ関心のあった形跡が見られないにも関わらず、熱心に福祉の世界に入っていった動機が不明だったのです。
2つ目は、小倉氏は物流業界における官庁の規制と争い続け、経済界では「闘士」として知られる人物でした。
しかし彼は著書で自らのことを「気が弱い」「引っ込み思案」であると分析しており、役人と正面切ってケンカをするイメージからは想像がつきません。
著者も小倉氏に1度インタビューをした経験があるものの、その時の印象は物静かで小さな声で話す人物だったといい、世間のイメージと実像とのギャップに疑問を持ちます。
最後の3つ目は、最晩年の行動です。
小倉氏は80歳という高齢で癌により体調を崩している中にも関わらず、アメリカ・ロサンゼルス市に住む長女宅を訪問し、そこで死去しています。
つまりなぜ長年住み慣れた日本で最期を迎えなかったという疑問です。
本書では小倉氏の経営手腕といった点には殆ど触れず、ひたすら彼のプライベートな部分を掘り下げることで名経営者と言われた人間の素顔を浮き彫りにしようとしています。
たとえば熱心だったカトリックへの信仰や、複雑だった家庭事情、私的な人間関係などです。
もし彼の生前にこうした類の取材が行われていたとすれば、私生活に踏み込み過ぎたプライバシー侵害だという声が上がってもおかしくありません。
しかし小倉昌男が亡くなって10年が経過し、インタビューを受ける関係者たちの気持ちもかなり落ち着いてきていること、そして今なお小倉昌男の名は不朽のものであり、彼の素顔を知りたいという世間のニーズがそれだけ大きかったという点が挙げられます。
本作品はまるでミステリーの謎解きのようであり、著者の取材により少しずつ小倉昌男の素顔が明らかになってゆきます。
ノンフィクションでありながら小説を読んでいるような錯覚を覚える作品であり、構成力の高さに感心してしまいます。
結果として本作品は第22回小学館ノンフィクション大賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞、第48回大宅壮一ノンフィクション賞と3つもの賞を獲得して世間でも大きく評価された1冊です。
ルポ 中国「潜入バイト」日記
上海に移住して活躍するフリーライター西谷格(にしたに・ただす)氏が中国の最先端ITサービスを片っ端から体験してゆく「ルポ デジタルチャイナ体験記」が興味深かったため、続けて手に取った1冊です。
本書はタイトルから分かる通り、著者が中国人社会の中でアルバイトを次々と経験したルポになります。
実際に体験したアルバイトは以下の通りです。
- 上海の寿司屋でバイトしてみた
- 反日ドラマに日本兵役として出演してみた
- パクリ遊園地で七人の小人と踊ってみた
- 婚活パーティで中国女性とお見合いしてみた
- 高級ホストクラブで富豪を接客してみた
- 爆買いツアーのガイドをやってみた
- 留学生寮の管理人として働いてみた
上記のうち婚活パーティーへの参加はアルバイトとは違いますが、著者は日本人の中で漠然とた共通認識である中国人像、または中国社会のイメージではなく、それをより深く知るための手段として日本人のいない中国人だけの職場で働くことを思いついたのです。
近年は急速な経済発展を遂げているとはいえ、まだまだ日本と比べてもアルバイトの時給は低く、進んでこうしたディープな体験をする日本人は殆どいないだけに本書を興味深く読むことができました。
著者が体験したアルバイトは同種のものが日本にも存在する一方で、日本ではまず見られない光景や出来事が日常的に体験できるというのが一番の醍醐味ではないでしょうか。
詳しくは本書を読んでのお楽しみですが、本書で知った中国人たちの興味深い一面を紹介したいと思います。
まず1つ目は中国人の衛生意識が日本人と大きく隔たりがあることです。
著者は自分の経験上、中国の衛生意識は東南アジア(たとえばタイやベトナムなど)のそれと比べても低いとも指摘しています。
床に落ちた食材を拾って調理することに罪悪感は皆無であり、見た目が汚れていなければ衛生的に問題ないという共通認識があるようです。
さらに床に直接まな板を置いて調理する、床に料理が盛り付けられた皿を置くというのは中国人の衛生感覚からすると何の問題もないようなのです。
これは野菜すらも生で食べる文化がなく、熱を通して濃い味付けの傾向がある中華料理という食文化も関係している気がします。
2つめは中国人は日本人以上に開放的であるという点です。
中国は共産党の独裁国家であり、密告などの制度がある監視社会であると言われていますが、思ったより閉鎖的ではないという点です。
著者は自己紹介で日本人であると伝えても特段怪しむアルバイト先は皆無であり、「あ、そう。」、もしくは「日本人は珍しいね。」程度で違和感なく迎え入れてくれたといい、それは婚活パーティーでも同様だったようで、上海在住の著者すらもそれが驚きであったと語っています。
日常のコミュニケーションに差し支えなければ、彼らにとって相手がどの国の人でも大した関心事ではないようであり、どちらかというと日本人の方が外国人へ対して身構えてしまう傾向があるように思えます。
3つ目は「ルポ デジタルチャイナ体験記」でも感じたことですが、中国人は仕事が「いい加減で雑」な面がある一方、とりあえず試してみるという柔軟さと臨機応変さがあり、本書を読んでそれはITサービスに限ったことではなく、中国人の精神に根ざしたものだと思いました。
もし礼儀やマナー、地域や社会のルールが堅苦しくて我慢できないと感じている日本人がいれば、中国への移住を検討してみると案外良いかもしれません。
本書を通じて分かることは、すぐ隣国とはいえ中国人の持つ良い面、悪い面というのは日本のそれとは大きく異なる傾向が異なり、常識とされていることもかなり違うということです。
たとえば日本人が中国人へ抱くイメージの1つとしてマナーが良くないという点が挙げられますが、つねに他人への迷惑を気にして調和を重んじる日本人と、個人主義で他人の目を気にしない中国人という気質の差が大きく関係していることが分かってきます。
また中国人は他人の目をあまり気にせず、困っている人の手助けにも関心が薄い不親切な社会に見えるかも知れませんが、一方で自分が身内(仲間)だと認めた人にはとことん親切であり、日本人であれば躊躇するような仲間内のお金の貸し借りも抵抗なく応じるといった一面があるようです。
つまり本書は日本人が持つ平面的で偏りがちな中国へ対する一方向なイメージや溝を埋めてくれる手助けをしてくれるのです。
キリンビール高知支店の奇跡
1957年に国内ビールのシェア1位を獲得し、長い間首位に君臨し続けてきたキリン。
しかしアサヒビールが1987年に「スーパードライ」を発売して爆発的なヒットを生み出すと市場に変化が起こり始めます。
そしてついにアサヒビールが1996年にキリンから国内シェアNo.1の座を奪還します。
著者の田村潤氏はキリンに逆風が吹く1995年に本社から都落ちに近い形で高知支店へ赴くことになります。
しかも高知県は全国的にもアサヒビールへ対して負け幅が大きく、最下位ランクの支店だったのです。
著者は大学卒業後にキリンへ就職し、高知支店長、東海地区本部長、そして代表取締役副社長兼営業本部長を務めたという経歴を持っています。
田村氏は、全国最下位の成績だった高知支店を全国トップクラスへと押し上げ、さらに2009年には営業本部長としてアサヒビールから再び国内トップシェアを奪還するという輝かしい実績を残しています。
本書はタイトルにある通り、田村氏をはじめとしたキリン高知支店がどのようにして全国最低クラスからトップに躍進したのかをメインに紹介しています。
詳しくは本書を読んでからのお楽しみですが、当時の高知支店の営業マンたちは「どうせ勝てない」と負けチームの風土に染まっていたようです。
そしてその風土は支店長の激で一朝一夕で変わるような簡単なものではなく、地道な取り組みを数年続けてようやく成果が出てくるものだったのです。
立場は変われども著者が一貫して行ってきたのが、現場主義だといえます。
それは大企業にありがちな膨大な時間を費やした会議で決定される販売戦略や、社内調整ではなく、ビジョンに基づいた現場での愚直な基本行動に集約されます。
キリンビールは100年の歴史を誇る老舗であり、「キリンラガービール」や「一番搾り」、「のどごし生」といったブランドを持っているメーカーという特性はありますが、他の業界や業種でも本書から参考にできる部分はあるのではないでしょうか。
長生きしたい人は歯周病を治しなさい
最近よく見かける健康系の新書です。
若い頃は健康に関する本には見向きもしませんでしたが、40代に入りたまにこうした本にも興味を持つようになりました。
つい1ヶ月ほど前に「歯科健診を義務化」にする制度が検討されているというニュースを見かけて本書を手にとってみました。
私自身は虫歯は何度か経験していますが、歯が痛くなれば虫歯であり、歯茎が腫れると歯周病くらいの認識しか持ち合わせていませんでした。
しかし虫歯と歯周病は原因となる菌がまったく違うものであり、本書は後者の歯周病にスポットを当てた医療知識を啓蒙する内容になっています。
何となく年寄りの病気だと思っていた歯周病ですが、医学の研究が進み、今や歯周病はあらゆる病気の元凶になり得ることが判明しつつあります。
具体的には次のような病気の原因に歯周病が大きく関わっている可能性があるということです。
- 心筋梗塞・脳卒中
- 動脈硬化
- 肥満・メタボリックシンドローム
- 糖尿病
- 早産・異常出産
- 誤嚥性肺炎
- 関節リュウマチ
- 骨粗しょう症
詳細は本書に譲りますが、簡単に言えば歯周病の原因となっている(ジンジバリス菌に代表される)細菌によって引き起こされているケースがあることが最新の研究によって明らかになってきています。
つまり歯周病菌は血液を通じて全身をかけ巡り、さまざまな病菌を引き起こす原因になっているのです。
私自身にとっては寝耳に水の内容ばかりですが、とにかく本書が大げさなタイトルでないことが分かってきます。
しかも歯周病は自然治癒することはなく、抗生物質などで完全治療することも難しいというやっかいな病気です。
結局は毎日の正しい歯周病ケア、そして定期的な歯科健診という地道な方法でしか歯周病の重症化を防ぐ手立てはないということです。
本書では具体的な歯周病ケアの方法、そして食生活や生活習慣の改善といった方法も紹介されています。
ただし歯周病菌が体に及ぼす影響については最近になって明らかになってきたデータが多く、現時点でその全容が明らかにされている訳ではありません。
今後の研究で新しい事実が明らかになり、本書に書かれていることが間違っていたということもあり得るということを心の片隅に置きながら読むことをおすすめします。
空白の戦記
吉村昭氏の定番である太平洋戦争を扱った戦記ものの短編が6作品収められています。
- 艦首切断
- 顛覆(てんぷく)
- 敵前逃亡
- 最後の特攻隊
- 太陽を見たい
- 軍艦と少年
いずれの作品にも共通しているのは、戦争中は軍部の発表やマスコミによる報道が一切されなかった事件や出来事を題材にしており、終戦後にはじめて明らかになったという点です。
公式に発表されなかったということは軍部にとって都合が悪かったということであり、またその裏では人命が失われているという点でも共通しています。
こうした戦記を読むたびに思うのは、戦争中の人命がいかに軽く扱われたかという点です。
例えば「艦首切断」、「顛覆」では根本的には設計ミスが原因で起きた事故ですが、その事故によって亡くなった軍人たちの遺族へその真相が伝えられることはなく、(遺体は海に沈んだため)紙片が1枚入っているだけの白木の骨箱が渡されただけで処理されたのです。
また「敵前逃亡」、「太陽を見たい」では沖縄戦を題材として扱っていますが、そこで登場する主人公は軍人ですらなく、戦争協力を強制された民間人であり、得体の知れない国体や理念を守るというという考えはあっても、そこに肝心の国民の命を守るという意識は皆無だったことがよくわかります。
小説を執筆するからには多少なりともハッピーな結末のストーリーを書きたくなるものですが、吉村氏はひたすら史実や記録に基づいた作品にこだわり、その内容を捻じ曲げるようなことは一切しなかったことで知られています。
また本書の中で吉村ファンであれば、「軍艦と少年」という作品が注目されます。
これは同氏の代表作である「戦艦武蔵」の後日譚というべき作品であり、当時長崎で最高軍事機密として建造されていた戦艦武蔵の設計図を職場に不満を持つ少年が持ち出したという事件を扱ったものです。
「戦艦武蔵」の中では1つのエピソードとして扱われた内容ですが、短編では少年のその後についてテレビ局とともに取材を行っ際の経験が描かれています。
未成年かつ出来心とはいえ軍事機密を持ち出した彼の身には、その後の人生を決定づけるような懲罰が待っていたのです。
本書に収められている作品は日本が敗戦を喫した戦争を題材としているだけに、いずれも救いのない暗い結末で終わっています。
だからこそ歴史を正面が見つめるという意味で読む価値のある作品であり、私が吉村昭氏の作品が好きな理由もそこにあります。
人の砂漠
日本を代表するノンフィクション作家である沢木耕太郎氏が昭和52年に発表した作品です。
本書には8作品が掲載されていますが、どれも1冊のノンフィクション作品として成立するほど内容が充実しており贅沢な気分で味わうことができる1冊です。
いずれも昭和40年代終盤から51年に執筆されたと思われ、当時20代後半という若さもあり日本各地へ取材へ出かけ、もっとも精力的に活動していた時期の作品といえます。
本書に収録されている作品を簡単に紹介してみたいと思います。
おはあさんが死んだ
昭和51年浜松市で1人の老婆が栄養失調のため孤独死するという事件が発生する。自宅に残された10冊のノートには英語などでビッシリと書き込みがされており、著者はそこから老女の辿ってきた人生に興味を持ち取材を開始する。
棄てられた女たちのユートピア
千葉県館山市の里山に開設された婦人保護施設「かにた婦人の村」。そこには社会復帰の見込みのない知的障害・精神障害を抱えた婦人たちが集団生活を送っている。
そして彼女たちの多くは元売春婦という経歴を持ち、全国に類を見ないユニークな施設に興味を抱いた著者は、取材のために彼女たちとともに施設で過ごすことになる。
視えない共和国
那覇まで520km、台湾まで170kmというまさに国境に位置する与那国島。戦後の混乱期には密貿易の拠点として栄えた歴史を持つも、今は人口減少と過疎化が進みつつある。
著者はそんな辺境の島に住む人びとには本州にも沖縄本島にも見られない独特な意識や文化が存在していることに気付き魅せられてゆく。
ロシアを望む岬
目の前にロシアの領土、つまり北方領土を望む根室周辺を訪れた著者。北方領土返還は日本の悲願であるはずだが、そこには地元の漁師をはじめ複雑な利権が絡んでいることが分かってくる。
そしてそこでは国家権力の合間で漁民たちがたくましく暮らしていた。
屑の世界
屑屋が集めてきた品を買い取る「仕切屋」で働くことになった著者。そこには様々なバックボーンや事情を抱えた屑屋たちがリヤカーや自転車で廃品を持ち込んでくる。
彼らの人間模様、そして仕切屋の世界にある独自のルールや不文律などを著者は少しづつ理解してゆく。
鼠たちの祭
穀物取引所で「場立ち」として活躍してきた集団を取材する著者。そこは生き馬の目を抜く相場の世界であり、多くの人間が成功しそして破滅していった。
さらに過去に大相場師として名前を馳せた人たちの過去を辿り、そこに潜む魔物に憑かれ闘い続けた人生を振り返ってゆく。
不敬列伝
かつて存在していた「不敬罪」。それは天皇をはじめ後続へ対しての不敬の行為を取り締まる法律だったが、法律そのものが消滅した戦後においてもそれは姿形を変えて確かに存在し続けている。
著者は戦後における皇室をターゲットとした事件を起こした、あるいは犯罪を企てて逮捕された人物たちを取材し、象徴としての天皇の存在を問いかけてゆく。
鏡の調書
上品な佇まいの資産家を名乗る老女は、83歳の天才詐欺師として世間を賑わすことになる。計121件の詐欺により被害総額600万円の詐欺を働くが、そのうち自分のために使ったのは8万余りに過ぎなかった。
それは大規模で計画的な詐欺とは性格の異なる、多くの被害者側にもある種の余裕が残っている不思議な詐欺事件であった。
事件の独自性に興味を持った著者は詐欺の被害者を通じて、彼女の正体に迫ってゆく。
ノンフィクション作家として次から次へとテーマを探し、時にはそこで働くことによって取材を続けてきた著者の行動力と臨場感が作品から伝わってきます。
これは作家活動全体を通じても若い頃にしか挑戦できないスタイルであり、その意味でも貴重な1冊ではないかと思います。
千日紅の恋人
著者の帚木蓬生氏は、精神科の開業医として活動しながら長年に渡り作家活動を続けていることで知られています。
作風も多岐にわたり、自身の専門である医療を題材とした作品から歴史小説、サスペンスなどがありますが、ずばり本作品は長編恋愛小説です。
主人公として登場する宗像時子は38歳の独身女性です。
彼女に子はいないものの、過去に2回の結婚に失敗したという経歴があります。
そして現在は老人ホームでヘルパーとして勤めるかたわら、亡くなった父が残した古アパート"扇荘"の管理人をしながら老いた母の面倒を見ながら暮らしています。
扇荘では時子が直接住人の元へ訪れて家賃を集金する昔ながらのスタイルをとっています。
私自身は過去に4回ほど賃貸アパートに住んできましたが、大家さんや管理人が直接集金に訪れる物件には住んだことがなく、どの物件でも大家の顔も名前も知らないまま住み続け、そして引っ越して行ったことになります。
扇荘の住人は、にぎやかな5人家族、老夫婦、生活保護を受けている女性、単身赴任の男性などさまざまな事情を持った人たちが暮らしており、管理人である時子は日常的に彼らと接しています。
それはどこか昭和的な人情味のある風景です。
もちろんそんな心温まる交流ばかりではなく、家賃を滞納する住人への催促、ルールを守らない住人への注意、隣人への嫌がらせや苦情など、管理人の元には厄介なことも日常的に持ち込まれます。
それでも時子は住人1人1人の性格や事情を把握しているため、手際よくとまでは行かないものの逞しい管理人として問題を処理してゆくのです。
そして運命の出会いともいうべき、チェーン店スーパーに勤める青年(有馬生馬)が転勤で時子のアパートに住むことになるのです。
彼が登場することで忙しくも同じことの繰り返しで過ぎてゆく時子の日常が少しずつ変化し始めます。
あらすじの紹介はここまでにしますが、長編小説だけに恋愛だけでなく、住人たちとの交流をはじめさまざまな日常の出来事がサイドストーリーのように詰め込まれており、こうした枝分かれしたエピソードが積み重なって作品の魅力をより高めています。
読了後の余韻もよく、映画の原作にしても人気の出そうなじっくり腰を据えて楽しめる1冊です。
ルポ デジタルチャイナ体験記
日本と中国を比べたときにモノ作りの品質に関しては日本に一日の長があるものの、すこし注意深くニュース読めば、ITサービスの分野においては完全に中国が日本の先を走っていることに気付かされます。
つまり中国産といえば危険な食品、偽ブランドというイメージは過去のものになりつつあり、近い将来、最先端のデジタル技術といえば中国産という時代が現実味を帯びつつあるのです。
本書は上海在住のノンフィクション作家・西谷格(にしたに・ただす)氏が、中国で最先端のITサービスを片っ端から利用してみた体験をまとめた1冊です。
デジタル化により無人運営されているホテル、レストラン、ショップ、そしてエンタメボックスという変わったものから、各種レンタルサービス、中国におけるキャッシュレスサービスの仕組みまでを難しい専門用語を使うことなく、あくまで利用者の目線からレビューするという本書のスタイルは、誰にでも理解しやすい内容になっています。
また本書を通じて、否が応でも立ち遅れている日本の現状を考えずにはいられません。
その特徴は、ITサービスは間違いなく最先端であるものの、現実は玉石混交であるということです。
つまり使い勝手の良い便利なサービスもあれば、見かけ倒しのハリボテのようなサービスも数多く存在するということです。
例えば日本で新しいITビジネスをはじめる場合、綿密な市場調査や高い品質の完成度を目指してスタートしようとします。
一方中国では、不具合が残る完成度7~8割程度の未熟な品質でよいので、とりあえずサービスを開始してから試行錯誤するという割り切りの良さがあります。
日本ではクレームの嵐になりそうな不具合でも、中国人たちは良くも悪くも日常的にそうした不具合に慣れており、自己責任として割り切れるという国民性の違いも大きいようです。
個人的にはITサービスに限らずビジネスでもっとも大切な要素はスピードだと思います。
つまり市場で試行錯誤できる中国では、ITサービスを猛烈な勢いで発展させることのできる土壌があるという見方ができます。
もちろん自動車や建造物のように自身の命を預けることになる商品には万全の品質を求めたいところですが、ことITサービスに関していえば命に直結する場面は少ないため、果敢なチャレンジをしやすい分野であることも確かです。
またデジタル技術による便利さを享受するためには個人情報漏洩も心配になりますが、元々共産党による一党独裁体制に慣れている中国人たちは、日本人よりも個人情報提供に関して寛容です。
中国ではキャッシュレス決済と併せて信用度もデジタル化されており、利用者の個人資産や交友関係までもを総合的に判断して信用スコアとして数値化されている社会なのです。
日本人はこうした信用度を数値化してしまうと、それをあたかも"人間の値打ち"のように捉えがちですが、中国人たちはITサービスを利用するための一種のパラメータと割り切って気軽に教えあったりする国民性があるようです。
本書にはあくまでも中国の最先端ITサービスの体験と日本における類似サービスとの違いが論じられているに過ぎません。
それでも本書から考えさせれることは多くあり、文化や政治体制、そして国民性に根付いたものが中国のITサービスの原動力となっているため、日本はおろかアメリカや他の国であっても、最先端を走り続ける中国を追従するのは容易ではないことが分かってきます。
そして確実に言えるのは、最先端のデジタル技術、ITサービスを知るためには、今後も中国の動向に目を離せないということです。
日本の昔話
柳田国男が日本全国より採集した昔ばなしを1冊の本にまとめたものです。
以前似たような本として「日本の伝説」を紹介しましたが、専門家でない私は昔話と伝説の違いを正確に説明することは出来ません。
何となく伝説は特定の場所やモノにまつわる言い伝えであり、昔話は囲炉裏端や寝床などで祖母が語る昔の物語といった感じの違いでしょうか。
本書は200ページ足らずの薄い文庫本ですが、なんと100以上の昔ばなしが収められています。
本書は昭和5年(1930年)に刊行されたものが、増版を続けて現在に至っているものです。
昭和5年というと、その当時子どもとして昔ばなしを聞いていた人たちは現在100歳前後のはずです。
一方で柳田は昭和5年以前から日本各地で先祖代々語り継がれてきた昔ばなしが失われることを危惧し、仲間たちと協力して精力的にこうした昔ばなしを採集するという努力を続けてきました。
私自身も子どもの頃に聞いた昔ばなしは「桃太郎」や「浦島太郎」に代表されるような全国区の昔ばなしばかりであり、その土地ならではの昔ばなしを聞いた記憶は殆どなく、まして現在においては子どもが先祖代々口伝のみで伝えられてきた昔ばなしを聞く機会は皆無となっているはずです。
本書に載っている昔ばなしは教訓めいたものや荒唐無稽なもの、迷信ががったものなどバラエティに富んでいて見ていて飽きません。
ちなみに柳田は本書のはじめで次のように語りかけています。
皆さん。この日本昔話集の中に、あなた方が前に一度、お聴きになった話が幾つかあっても、それは少しも不思議なことではありません。
なぜかというと、日本昔話は、昔から代々の日本児童が、常に聴いていたお話のことだからであります。
この書き出しから分かるとおり、柳田は苦労して採集した昔ばなしを児童文学として多くの子どもたちに読んでほしかったのです。
こうして大人になり改めて各土地の昔話を読んでみると、子ども向けの他愛のない話としではなく味わい深く感じられるのは私だけではないはずです。
人間らしさとは何か
「人間らしさ」を突き詰めて考えるということは、どこか思想、哲学、あるいは宗教的な匂いがしてきますが、本書のアプローチはまったく異なります。
それは生物人類学、霊長類学、考古学、文化人類学、民俗学といった見地から迫っているという点であり、著者の海部陽介氏は人類進化科学者という肩書を持っています。
具体的には霊長類(サル目)の中で、他の仲間(チンパンジーやゴリラ、オランウータンなど)とヒト(ホモ・サピエンス)との違いに着目し、次に初期の猿人→猿人→原人→旧人→新人(ホモ・サピエンス)と進化してゆく過程で、人類がどのように変貌していったのかを考察することで人間という存在を問いかけてゆく構成になっています。
本書は大学で行われた講義内容を分かりやすく整理して書籍化しており、教室で授業を受けているような感覚で読み進めることができます。
タイトルにある「人間らしさ」もテーマとして扱っていますが、本書の大部分は私たち((ホモ・サピエンス))が現在に至るまでどのような進化を遂げてきたのかについてに割かれています。
二足歩行、ほかの霊長類のように毛皮を持たなくなった過程、頭蓋骨の形状変化、言語を操りはじめた起源など、最新の研究結果を講義の中にフィードバックした内容となっており、知的好奇心を充分に満たしてくれる内容になっています。
私にとって本書で一番勉強になったのはヒト(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し世界中へ広まっていったというアフリカ単一起源説です。
言葉としては知っていましたが、少なくとも私は学校で習ったことがなく、何となく人類は地域ごとに、たとえば北京原人が中国人の先祖になり、ネアンデルタール人がヨーロッパ人の先祖になったという程度の認識だったと思います。
アフリカ単一起源説は1987年に提唱され、遺伝子研究の発達によってエビデンスも固まり、現在では多くの科学者がこの見解を支持している定説になっています。
本書ではその過程が詳しく解説されており、アフリカで誕生したヒト(ホモ・サピエンス)は、そこで"ことば"を話すようになり、また精巧な石器のみならず彫刻がほどこされた美術的作品を作り出すようになり、そこから世界中へ広まってゆきました。
世界中にはさまざまな言語や文化を持ち、そして肌や髪、目の色の違う人びとが暮らしていますが、人類学的、または遺伝学的な観点で見るとその違いは微小なものであり、その違いを人種で区別するという行為自体が科学的に無意味であることを教えてくれます。
つまり10万年前に誕生したヒト(ホモ・サピエンス)と現代の私たちは同一の人種であり、その能力は基本的に変わっていないということです。
今や人類は多くの科学技術の恩恵を受け、また芸術の分野でも目覚ましい発展がありましたが、それは私たちが10万年前の人びとより優れていたわけではなく、祖先たちが世界中を冒険し、そこで積み上げてきた知識の恩恵を受けている結果に過ぎないのです。
今現在、先進国で生活をする人と未だにジャングルで狩猟生活を続ける人との違いは、育った環境や文化に由来するものであり、民族が持つ能力の優劣によるものではないことを意味しています。
本書からそうした知識を得ることで、(ありもしない)人種差別を行う愚かしさを知ることになり、ともすれば人間が地球を支配しているという思い上がった考えを改めさせ、謙虚にしてくれる1冊ではないでしょうか。
苦しかったときの話をしようか
著者の森岡毅氏は、P&Gを経て大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンにヘッドハンティングされ、当時低迷していた大阪のテーマパークの経営を立て直した実績を誇るマーケティングの専門家です。
現在は自ら株式会社刀を設立し、経営者としても活躍しています。
本書の副題には、"ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」"とありますが、これは著者が大学を卒業し社会人になとうとする長女へ向けて書き溜めていたアドバイスが編集者の目に止まり世に出ることになった1冊です。
現在は頭のいい大学を出て一流の会社に入社するという昔ながらの安定したエスカレーター的な価値観がまったく通用しない世の中になりました。
それは日本の高度経済成長が過去のものになったという要因もありますが、本質的には世の中の技術やライフスタイルの変化が目まぐるしく変わり、かつ世界中が経済的にグローバルに繋がるような時代になったという要因が大きいと思います。
日本はそこで起こる技術革新をリードすることが出来ず低迷し、その経済的地位が相対的に下がって来ているという危機に瀕しています。
例えば隆盛を誇るインターネット界隈を見渡してもGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)に対抗できる企業は日本には存在せず、それはPCに使用されているOS(Windows、macOS)にしても同じことが言えます。
かつて日本の得意なハードウェアの分野に関してもPCやスマートフォンで日本のメーカが世界的なシェアを占めているものはなく、そのコアとなる部品(CPUやメモリ)についても同様です。
つまり組織に自分を人生を委ねるのではなく、個人の能力を磨き上げ、戦略的に自分のキャリアを築いてゆく時代になっているのです。
著者自身にしても日本企業ではなく、P&G、USJと外資の企業を渡り歩いてキャリアを形成してきた実績を持っています。
それは同時に年功序列という制度のない外資系企業の中で実力で周りを認めさせてきたということを意味し、ギリギリの厳しい状況を何度も経験してきたということに他なりません。
つまり豊かな暮らしを目指そうとすれば、これらから社会へ出てゆく若者たちには厳しい弱肉強食の世界が待っていて、そこでの生存競争を勝ち抜く必要性があるのです。
著者(父)は娘へ対して世界は残酷な現実があり、自分の強みを知った上でそれを磨き続けなければ生き残れないという一見すると、かなり厳しい言葉を投げかけています。
しかし一方で、そこには希望も満ち溢れており、挑戦のための自由な選択肢が無数にあることも同時に示唆してくれています。
本書は我が子へ対して社会に出てから厳しい現実が待っているという心構えを促し、そこで生き抜くための戦略を指南しながらも、最終的にはエールを送る内容にもなっているのです。
経済的に成功した父親が娘へアドバイスをしているだけの本であり、平凡な道を歩いてきた自分には関係ないと決めつけるより、自分のキャリアを振り返るのにも役に立つ1冊であり、年頃の子どもがいる親であれば自分が一度読んだ上で勧めてみてはどうでしょうか?
リーチ先生
前回に引き続き原田マハ氏の作品です。
タイトルにあるリーチ先生とは、バーナード・リーチ(1887~1979)のことであり、イギリス人として来日して陶芸を学び、のちに祖国イギリスのセント・アイヴスで窯を開き、陶芸家として日本だけでなく海外でも広く知られています。
とはいえ陶芸の世界を知らない私にとっては、本作品を通じてはじめて知った陶芸家です。
本作品はリーチの伝記としてよりも、明治時代に単身日本を訪れ、陶芸を通じた日本とイギリスの交流を描いた小説作品として楽しむ1冊となります。
作品中には実際にリーチと交流のあった濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、高村光太郎、そして柳宗悦をはじめとして武者小路実篤、志賀直哉といった白樺派のメンバーが登場しますが、何と言っても作者が本作品のために登場させる沖亀之助・高市親子を通じてリーチの物語が展開されてゆきます。
沖亀之助はリーチの一番弟子として、また彼の身の回りの世話をする人物として登場しますが、リーチが芸術家として苦悩する日々、陶芸という一生を捧げる目的を見つけた喜び、そして日本やイギリスで窯を開くまでの苦楽を共にします。
つまり亀之介はリーチの成し遂げたことの一部始終を見届けてたきただけでなく、その内面のことも良く知っている一番の理解者なのです。
亀之助は不運にもリーチよりかなり早く亡くなりますが、彼の意志は息子の高市に受け継がれ、親子二代に渡るリーチとの交流が作品の大きな軸となります。
かなりの長編ですが、その分リーチたちの日常が丁寧に描かれており、完成度の高い小説に仕上がっています。
リーチ先生と沖親子間の心の交流が読者の心を暖かくしてくれる作品であり、爽やかな気分にさせてくれます。
ちなみにリーチがセント・アイヴスで開いた「リーチ工房」は健在であり、今なお陶芸を通じた日英の架け橋となり続けているとのことです。
ゴッホのあしあと
著者の原田マハ氏は2003年頃より執筆活動を開始していますが、その前にはューヨーク近代美術館などでキュレーターを勤めていたという変わった経歴を持っている作家です。
人気作家なので知っている人も多いと思いますが、私にとっては今回はじめて読む作家です。
ただし本書は新書という形から分かるように小説ではなく、著者がフランスを訪れゴッホの足跡を辿り、そこに考察を取り入れたドキュメンタリー風の作品になっています。
さらに付け加えるならば、本書は2018年に出版されていますが、彼女は2017年にゴッホを題材とした小説「たゆたえども沈まず」を発表しており、同作品の作家ノートと位置づけることもできます。
私は肝心の小説の方を読んでいないのですが、2021年に上野の東京美術館で大規模なゴッホ展が開かれ話題になりました。
実際にゴッホ展に行ったわけではありませんが、当時何となく気になっていたこともありタイトルだけを見て本書を手にとりました。
よく知られているようにゴッホは生前にその作品を評価されることはなく、わずか37歳でピストル自殺により人生を終えています。
しかし没後にその作品が瞬く間に世界中で評価されるようになり、今ではその作品が世界でもっとも高額で取引される画家の1人になっています。
ここまでは私も知っていたことですが、本書を通じてパリやアルルをはじめとしたゴッホが辿った街の様子、そしてそこで描かれた作品が解説されてゆく過程で彼の人間像が具体的に見えてきます。
とくに絵の解説については著者のキュレーターとしての経歴が充分に発揮されており、絵画には素人の私にもその違いを分かりやすく説明してくれます。
つまり彼女の小説を読んでいなくとも、ゴッホの入門書としては最適であり彼の足跡を手軽に知ることができます。
以下は本書で紹介されている個人的に印象に残った作品です。
- フィンセント・ファン・ゴッホ 「夜のカフェテラス」 (1888)
- フィンセント・ファン・ゴッホ 「星月夜」 (1889)
脳に悪い7つの習慣
著者の林成之氏は、脳の研究者、脳外科医、そして救命センターの部長としての経歴を持つ、いわば脳のスペシャリストです。
タイトルにある"脳に悪い習慣"は、脳の健康に悪い習慣というよりも、頭の働きを活発化したり、自分の能力を引き出すのを阻害する習慣という意味で使われています。
つまり医学的に解明されている脳の仕組みからパフォーマンスを上げるためには、どのような取り組みが必要かを分かりやすく説明している1冊です。
まず本書で述べられている「脳に悪い7つの習慣」とは以下の通りです。
- ①「興味がないと」物事を避けることが多い
- ②「嫌だ」「疲れた」とグチを言う
- ③言われたことをコツコツやる
- ④常に効率を考えている
- ⑤やりたくないのに、我慢して勉強する
- ⑥スポーツや絵などの趣味がない
- ⑦めったに人をほめない
ただしここに書かれた結論だけを見て実践するのは、かなりハードルが高いのではないでしょうか。
しかも一見すると③は地道に努力すること、④は忙しい中で時間を有意義に使おうとすることが悪い習慣の一部であると言われているような気がします。
なぜ悪いのか、具体的にどのような行為が悪いのか、本書ではその理由を脳の仕組みを解説しながら、なぜそれが悪い習慣となるのかを具体的に挙げているため、読者は納得しやすいのです。
たとえば脳は、「正誤を判断する」、「類似するものを区別する」、「バランスをとる」、「話の筋道を通す」といったプラスの作用のために「統一・一貫性」の作用を持っています。
しかしこの作用はときに、他人が自分と違う意見を持っている場合、つまり反論されるとカチンときてしまうような場面ではマイナスに働いてしまいます。
脳はダイナミックセンターコアという一連の処理を繰り返す、つまり物事を繰り返し考えることで独創的なアイデアが生まれるようになりますが、他人の考えを受け入れず自分が正しいと考えが凝り固まることで、「統一・一貫性」の作用が、その働きを阻害してまうのです。
脳の仕組みを理解すれば、他人からの意見が気に入らないのはしょうがない、むしろより良いアイデアのためのその意見も選択肢の1つに取り入れてもう1度考えてみようという発想ができるようになるのです。
著者も言っていますが、本書を1度読んだだけですべてを習慣付けるのは難しいため、手元に置いて繰り返し目を通すと良いのではないでしょうか。
華栄の丘
春秋戦国時代は中国全土で約550年間(B.C.770 ~ B.C.C221)もの間続いた戦乱の時代であり、多いときで100以上の国が乱立していました。
本書は宮城谷昌光氏による春秋時代に宋(そう)の宰相として活躍した華元(かげん)を主人公とした歴史小説です。
先ほど触れたように100以上の国が存在しましたが、春秋時代の超大国は晋(しん)・斉(せい)・楚(そ)あたりであり、物語の舞台となる宋は中規模程度の国に位置付けられます。
しかし宋の南には楚、北西に晋、北東に斉があり、3大国の緩衝地帯のような場所に位置していました。
華元の生きた時代は晋と楚がもっとも大きな力を持っており、両国が諸国の盟主としての地位を巡って激しく争いを繰り広げていました。
もう少し詳しく説明すると、のちの戦国時代に秦が史上初めて中国全土を統一することになりますが、春秋時代にはそもそも中華統一という概念が存在していませんでした。
かつて統一王朝を築いた周(しゅう)はこの時代でもかろうじて存在しており、力を失った周に代わって諸国へ号令をかけることのできる、つまり天下を裁量できる国が盟主と呼ばれたのです。
宋には大国と渡り合えるような国力を持っていなかったため、時代によって晋、あるいは楚を盟主に仰ぐといった難しい舵取りを迫られている国でした。
両大国の旗色を見ながら、同盟相手としての晋と楚を巧みに乗り換えることが出来る宰相がいるのならば、それは有能という評価となるでしょう。
しかし宋としての国の方針を明確にして両国からの武力による脅しには屈せず、かつ国を保つことが出来るのならば、それは名宰相と評されます。
華元はそれを成し遂げた宰相ですが、さらに1歩進んで第三者として長年に渡り天敵同士だった晋と楚の和平をも実現させたのです。
それを現代史で表すならば、冷戦時代のアメリカとソ連との間の和平条約締結を日本の総理大臣が仲介して実現させたようなものです。
(もちろん仮の話ですが。。)
華元は武力を用いることや詐術を弄することを嫌った戦乱の世には珍しい宰相です。
しかしそれだけでは戦乱の時代を生き残ることはできません。
代わりに華元は"礼"を用いて大事に当たろうとしました。
この時代にまだ孔子は生まれておらず、後世のように"礼"には複雑で儀式的な意味はなく、約束した事を守る信義や、弱い立場の者を守る仁義のような考えのみがありました。
果てしなく続く戦乱の時代が人心を荒ませ、かつて古代で大切にされてきた"礼"が忘れられ、"武力"が重んじられる時代になろうとしていたからこそ、華元の存在は光り輝いたのです。
詳しい内容は本書を読んでからの楽しみですが、いつものように宮城谷作品の登場人物はどれも個性的かつ魅力的であり、読者を最後まで楽しませてくれることは保証します。
傷つきやすくなった世界で
本書はフリーペーパー「R25」の誌上での石田衣良氏の連載エッセイ「空は、今日も、青いか?」を文庫化したものです。
「R25」といえばリクルート社が創刊した20代、30代前半の読者をターゲットとしたフリーペーパーであり、当時は私自身もターゲット層だったということもあり何度か手にとった記憶があります。
エッセイといえば作家自身の何気ない日常の出来事や、時事ニュース、仕事や趣味について自由に綴ってゆくスタイルですが、本書では連載当時40代半ばだった石田氏が若い世代へ意識して語りかけるスタイルで執筆されています。
もし読者の親世代の大御所作家がエッセイを連載するとなると、読者(若者)との距離が開き過ぎてしまい、内容も説教や教訓めいたものになりがちになることが予想されます。
また同世代となると、年齢的に実績のある作家がほとんどいません。
その点で石田氏は、少し歳の離れた若者に理解のあるお兄さんという立ち位置で、実績も申し分ない人選であるといえます。
本書に収められているのは2006年から2008年にかけてのエッセイですが、おもに話題にしている内容を取り上げてみます。
- 臆病にならずに積極的に異性と交際しよう!
- 日本人は働き過ぎ。自分にとっての生きがいを大切にしよう!
- 選挙へ行って政治を良い方向へ変えてゆこう!
- ネットの情報だけでなく、自分で考えることが大事
- 格差や差別を無くしてゆこう!
10年以上前に執筆された内容ですが、今でも話題として取り上げても不思議でないものばかりです。
暗い事件や重いテーマを取り上げる回もありますが、作者の姿勢や結論はどれもポジティブであり、一貫して世の中を嘆いて諦めるより、少しずつでも良くしゆく努力を続けることの重要性を訴えている点は、まさに若者向けといえます。
どんなに時代が変わっても若者たちはつねに前を向いて自分の道を歩んでほしい、そんな作者の希望と応援が詰まったエッセイに仕上がっています。
私自身はもうR25世代ではありませんが、このエッセイからは元気をもらえる気がします。
白い航跡(下)
引き続き明治に活躍した医師・高木兼寛を主人公にした歴史小説「白い航跡」下巻のレビューです。
イギリスで最優秀の成績を収めて医師の資格を得た兼寛は、帰国してそのまま海軍軍医における要職を次々と任せられるようになります。
この頃の兼寛は、紛れもなく日本でもっとも最先端医療の知識を持った医師だったのです。
ところで明治の早い段階から、陸軍と海軍は別々の道を歩み始めます。
陸軍はドイツ式への兵制改革を取り入れ、海軍はイギリス式の制度を積極的に取り入れます。
それぞれ良い所を取り入れたといえば聞こえはいいですが、結果的にはダブルスタンダードのような形となり、太平洋戦争が終わるまで続く陸海軍間の不仲の大きな原因となりました。
これは医学においても同様であり、海軍は兼寛に代表されるようにイギリスから最先端医療を学び、陸軍は同じくそれをドイツから取り入れ、東京大学もドイツ医学を採用することになります。
当時イギリスでは実証主義に徹した医療が重んじられ、ドイツでは学理を重視するという性格の違いがありました。
その頃、軍では脚気(かっけ)が猛威を振るっており、特に海軍では脚気の病人により艦隊を運営する必要人員を確保できないほどの危機に陥っていました。
当時、脚気は西欧では見られない病気であり、日本独自の風土病とみなされていました。
しかし兼寛はそれを白米を中心とした兵食の栄養の偏りであると見抜き、粘り強く上官へ兵食改革を訴え続けます。
海軍内で行われた実験で確証を得た兼寛は、天皇陛下に拝謁してその必要性を訴える機会に恵まれます。
それから急速に改革が進んだ海軍では脚気をほぼ壊滅させることに成功したのです。
しかし陸軍内では、世界的な細菌学の権威であるベルツなどが唱える脚気は細菌による伝染病であるという説を曲げず、真っ向から衝突します。
どう考えても、お互いの医学の長所を持ち寄って協力して研究するのが一番良い方法ですが、陸海軍間は派閥や権力争いに明け暮れるのが日常で、とてもそんな状況を望むことはできませんした。
兼寛も脚気の原因を突き止めた訳ではなく、兵食の洋食化、そして白米と麦を混ぜたメニューにより脚気問題を解決したというイギリス式の実証主義のスタイルで望んだのです。
一方、学理で説明できなければ意味が無いという陸軍側の主張はまさしくドイツ式であり、日露戦争においても陸銀は脚気による死亡者が深刻な数になっていました。
その急先鋒となったのが森林太郎(森鴎外)であり、理論武装の弱い兼寛は実績があるにも関わらず、つねに劣勢に立たせられます。
兼寛にとって不幸だったのは、脚気の原因がビタミンB1不足によるものであり、結果的に彼の方針は間違っていなかったという立証が、その存命中に行われなかったという点です。
ただしそれ以上の不幸は、両者の縄張り争いにより多くの兵士が命を落としたという現実です。
兼寛の功績により日清戦争時には海軍における脚気死亡者はほぼセロになっていましたが、日清戦争における陸軍は戦死者977名に対して脚気により死亡者は3,944名、同じく日露戦争では戦死者47,000名に対して脚気死亡者は27,800名という驚異的な数字であり、国の指導者が兵卒の命を軽視する傾向は、この頃からはっきりと表れていたのです。
歴史上に埋もれたあまたの人物の中で、当時ほとんど世間から忘れらていた高木兼寛という人物を掘り出して長編小説とした吉村昭氏の慧眼が光る作品です。
白い航跡(上)
日本の近代医学発展に貢献し、東京慈恵会医科大学を創立した高木兼寛を主人公とした歴史小説です。
明治維新後に日本は積極的に西洋文明を取り入れ、医学もその中で急速な発展を遂げます。
そしてその担い手は、西洋医学を学んだ若者たちでした。
以前ブログで紹介した「夜明けの雷鳴」の主人公・高松凌雲もその1人であり、彼が旧幕臣として箱館戦争に医師として参加したのとは対照的に、兼寛は薩摩藩の医師として戊辰戦争に従軍しました。
兼寛はその時20才という若さでしたが、蘭方医学の軍医として従軍したのです。
蘭方医学とは江戸時代にオランダから伝えられた医学であり、その意味では西洋医学の1つではありました。
しかし当時ヨーロッパで急速に発展を遂げていた最先端の医学と比べると内容はかなり遅れており、おもに書籍による座学であったため、実用性が高いとは言えませんでした。
蘭方医学や漢方医も刀槍傷の手当は心得ていましたが、銃創についての治療方法については無知だったのです。
実際に戦争では、銃創の負傷者へ対して銃弾を取り出さずに傷口を縫い付けたために壊疽を起こし悪化させ、助かる命も助からないということが起きていたのです。
兼寛も銃弾の適切な治療方法を知らない1人でしたが、当時数少ない最先端の西洋医術を学んだ関寛斎やイギリス人医師ウイリスの医療技術を知り、自分の無力さを実感します。
明治時代に入りイギリス人の元で医学を学び続けた兼寛は、海軍医師としてイギリスで最新の医学を学ぶという幸運に恵まれます。
こうしてセントトーマス付属医学校に留学することになった兼寛は懸命に勉学を続け、日本人としてはじめての留学生だったにも関わらず最優秀の成績を収めるまでになります。
最先端医学はもちろんですが、兼寛はイギリスの医療制度に深い感銘を受けます。
1つは貧しい人びとが無料で治療を受けられる制度であり、この運営資金は王室や篤志家からの寄付によって賄われていました。
そしてもう1つは的確に医師をサポートし、きめ細やかに患者へ奉仕する看護婦という制度です。
もちろん当時1人の留学生に過ぎない兼寛に日本で同じ制度を実現させる影響力はありませんしたが、後年、海軍医師の頂点である海軍軍医総監になったときに、2つとも彼の手によって実現されることになるのです。
本作品を通じて1つの時代が終わり、新しい時代に入ってゆこうとする当時の日本の姿が、1人の若者の生き方の中に凝縮されているかのような爽快さを感じるのは私だけではないはずです。
蛙の子は蛙の子:父と娘の往復書簡
阿川弘之・佐和子親子の往復書簡を掲載するという出版社の連載企画を1冊の本にまとめたものです。
今でも娘の佐和子氏はテレビでよく見かけますが、父・弘之氏も名物親父として知られています。
まず大正9年生まれで旧海軍の軍人という経歴があるだけに筋金入りの頑固者であり、しかも瞬間湯沸かし器とあだ名されるほどの短気な性格は、娘の佐和子氏だけでなく同世代の作家であった遠藤周作氏らのエピソードでもたびたび触れられています。
この往復書簡は1997年に行われたものであり、当時父は77歳、娘は44歳という年齢でした。
書簡には1往復ごとに編集部が決めたテーマが設けられていますが、"手紙について"、"仕事について、"怒り"や"笑いについて"など比較的幅広い括りで設けられています。
これまで親子間で正式な手紙のやりとりをした経験が無いという2人だけに、最初は文面から照れが感じられます。
とくに父側(弘之)は、
ある問題に関して手紙をやりとりして意見交換するなぞ、何だか甘つたるい感じで-、極言すれば変態的且つ偽善的な感じでいやだ。とまで言い切っています。
それでも2人とも一流の文章書きだけに、すぐにテンポのよい文面に変わってゆきます。
多くの読者がこの父娘の性格を理解した上で読むことを想定しているように思えますが、2人のパーソナリティの違いだけでなく、佐和子氏はエッセイストらしく自身の身近な出来事の中にテーマに沿った話題を滑り込ませるのがうまく、弘之氏は作家だけに歴史的教訓や自身の戦時体験、古典の例などからテーマに合ったものを選び出すという、どちらも得意分野を発揮した文章を書いています。
1テーマ(1往復)につき10分もあれば読めてしまうという点で、気軽なエッセイ風の作品に仕上がっています。
本書と似たような作品として、やはり同性代の作家である北杜夫・斉藤由香氏の親子対談である「パパは楽しい躁うつ病」も本ブログで紹介しているので、機会があればセットで楽しんでみるのはいかがでしょうか。
やめられない ギャンブル地獄からの生還
作家であり精神科医でもある帚木蓬生氏が、自らも多くの患者を治療してきた経験を持つギャンプル依存の実態を紹介し、警鐘を鳴らしいる本です。
帚木氏の作品は何冊か読んできましたが、作家ではなく医師としての立場から執筆された本を読むのは今回がはじめてです。
まずアルコールや薬物依存という言葉はニュースなどでよく聞きますが、ギャンブル依存に関してはそこまで大きく報道されていないような気がします。
一方、日本にはギャンブル依存症者が推定で320万人もいるとされ、大きな社会問題になりつつあります。
かなり前に「パチンコ「30兆円の闇」」という本を紹介しましたが、パチンコはギャンブル場としてではなく遊技場という名目で日本各地に点在しています。
つまり日本は成人であれば誰でも気軽にギャンブル場へ入り浸れる環境にあり、実質的に世界一のギャンブル大国という状態にあります。
著者もこの環境こそが深刻なギャンブル依存を生み出していると本書で指摘しています。
競馬やオートレースなどの公営ギャンブルもありますが、ギャンブル依存症者100人のうち実に82人が、パチンコ・スロットによってギャンブル地獄にはまり込んだという統計があります。
私も本書を読むまではギャンブルで借金を作る人は、賭け事が好きな性格なんだろうという程度の認識でしたが、精神疾患であるギャンブル依存症となった人間がギャンブルを続けるのは「意志」と関係ないと解説しています。
つまり覚醒剤中毒者と同じく脳の機能変化が生じてしまい、通常の意志が働かなくなっている状態なのです。
親や配偶者が借金を肩代わりして二度とギャンブルに手を出さないと誓約書を書いたところで、そこに個人の「意志」が存在しない以上、治療を行わない限り決してギャンブルを辞めることは無いと著者は解説しています。
本書ではギャンブル依存症者が陥る悲劇的な内容についても多くの具体的な例を紹介しています。
ある意味でアルコールや薬物依存以上にギャンブル依存が怖いのは、嘘によって借金や横領を際限なく繰り返し、経済的に本人のみならず家族の人生まで破滅させてしまう点です。
本書は作者が医師であることからギャンブル依存の治療についても詳しく解説しており、ギャンブラーズ・アノニマスやギャマノンといった自助団体も大きく取り上げています。
ギャンブル依存から国民を守る強力な政策が必要な時期に来ている感じ、少なくともカジノ誘致など論外であるとことを実感した1冊です。
実録 脱税の手口
著者の田中周紀氏は共同通信社、テレビ朝日報道局で5年9ヶ月の間にわたり国税局と証券取引等監視委員会(SESC)を担当し、フリージャーナリストとなった今でも脱税事件や経済事件を取り扱い続けている経歴を持っています。
日本人の9割は会社員であり、勤務先の会社が所得税を源泉徴収して年末調整まで手続きしてくれるため、給料から税金が引かれていることは分かっても自分から納税手続きをする機会は滅多にありません。
私もその1人であり、確定申告を行った経験も人生に1度しかありまぜん。
そもそも納税は国民の義務であるにも関わらず、学校では税金の種類や納税の仕組みを教わる機会すらなく、日本人の大部分は納税は勝手に行われるものであるという認識で無関心な人が多いのではないでしょうか?
一方で意図的に税金を払わない行為は違法であり、悪質な場合は重加算税と懲役刑が課せられる場合があります。
マスコミで報じられる場合には以下のケースがあるようです。
- 「申告漏れ」・・・単なる経理ミス
- 「所得隠し」・・・意図的な仮装・隠蔽行為があると認定された場合
- 「脱税」・・・所得隠しの中でも特に悪質なもの
- 第1章 著名人はなぜ狙われるのか
- 第2章 税への無知が招いた悲劇
- 第3章 犯罪になり得る高額の無申告
- 第4章 マルサが追い詰めた巨額脱税事件
- 第5章 法の穴を突く悪い奴ら
- 第6章 脱税指南ビジネスの闇
- 第7章 罪が罪呼ぶ"ハイブリッド脱税"の末路
本書では世間でも大きく報道された若手実業家やお笑い芸人などの税金にまつわる事件を取り上げ、マスコミが報じなかった深層をじっくり解説しています。
事件の性質別に7章に分かれています。
やはり脱税に手を染める人たちに共通するのは、それなりの資産を持っているという点です。
逆に言えば生活する資金に困って脱税をするケースは皆無ということであり、それだけに脱税報道に関する世間の目は厳しいものがある気がします。
数十、数百億円という事業収入があれば脱税によって得られる金額もかなりの額となり、少しでも多くの金を残しておきたいという心理が働くのでしょうし、人間の欲深さには際限が無いという一端を見ることができます。
大人のための昭和史入門
本書の冒頭は次のような言葉ではじまります。
本書のタイトルは「大人のための昭和史入門」です。
「大人のための」とあえて銘打ったのは、かつて学校で習ったような「戦争はいけない」「軍部が悪玉だった」「指導者が愚かだった」では片付かない、そのとき日本人が直面した複雑な問題と向かい合おうと考えたからです。
たしかに学校の教科書で主要な事件や出来事を追うことはできますが、肝心な戦争や敗戦の原因については上記のようにほんの数行で触れているだけに過ぎません。
教科書の内容を補足すべき立場の教師にしても、たいていの場合、紋切り型の説明を付け加えるだけではないでしょうか。
私自身、今まで日中戦争、太平洋戦争、そして東京裁判やGHQ占領時代を題材にした本を読んできましたが、本書の序文にあるようにそれぞれの出来事に複雑な事情が潜んでおり、本を読めば読むほど、かつて日本が戦争を始めた理由をとても一言で説明することは不可能だとう実感を抱くようになりました。
本書はこうした当時の日本、そしてそれを取り巻く世界の情勢といった複雑な背景を1つ1つ解きほぐしてゆくための入門書なのです。
第1章では戦後70年という区切りを機会に、座談会という形で戦争を改めて振り返っています。
そこでは日本の戦略が裏目に出てしまった要因、日本と欧米諸国が抱く理念のズレ、戦争から学ぶべき教訓といった内容などが4人の知識人たちによって語られています。
その中には私にとってまったく新しい視点の考えた方もあり、新鮮かつ刺激的な内容で楽しみながら学ぶことができる充実した内容になっています。
続いて2章では学者や作家たちが小論文、またはコラムという形で、およそ時代順にそれぞれのテーマで戦争を振り返っています。
- リーダーに見る昭和史 日本を滅ぼした「二つの顔」の男たち
- 満州事変 永田鉄山が仕掛けた下剋上の真実
- 張作霖爆殺事件 軍閥中国は「イスラム国」状態だった
- 国際連盟脱退 松岡洋右も陸相も「残留」を望んでいた
- 五・一五事件 エリート軍人がテロに走るとき
- 二・二六事件 特高は見た「青年将校」の驕り
- 日中戦争 蒋介石が準備した泥沼の戦争
- 三国同盟 「幻の同盟国」ソ連に頼り続けた日本
- 日米開戦 開戦回避チャンスは二度あった
- 原爆投下 ヒロシマ・ナガサキこそ戦争犯罪だ
- ポツダム宣言 日本は「無条件降伏」ではなかった
- 東京裁判 東京裁判の遺産
- GHQ占領 日米合作だった戦後改革
- 人間宣言 天皇・マッカーサー写真の衝撃
- 日韓歴史認識 和解が今後も進まない三つの理由
本書から見えてくるのは、日本はけっして戦争へ向かって一直線に進んでいったわけではなく、まして特定の人物によって開戦の火蓋が切られたわけでもありません。
それははさまざまな人間の思惑や利害関係、そして時には偶然と思えるような出来事が複雑に絡み合い、幾つもの分岐点を経過して起きた結果であるということです。
そしてそれは戦後の高度経済成長についても言えることです。
歴史を学ぶというのは奥深いものであり、安易な結論はまがい物でしかなく、幾つもの思考を重ねた結果でしたか得られないものなのです。
呉漢(下)
貧しい小作農民の子として生まれ、その勤勉さを評価されて停長という地方役人に抜擢された呉漢ですが、自分の師であり賓客として扱っていた祗登(きとう)が親の仇討ちのために殺人を犯したため、自らも罪に連座されることを恐れて職を投げ出して逃亡します。
呉漢は保身のために師を売ることはしない人物でした。
彼は自分を慕う部下たちと共に河北地方へ向かい、そこでの紆余曲折を経て、やがて運命の劉秀と出会います。
この頃は中国各地で自ら皇帝と名乗る人物や、盗賊団などが跋扈し、劉秀自身もその中の1人に過ぎませんでした。
そこで呉漢は劉秀の躍進とともに大司馬(軍事の最高責任者)に抜擢されます。
呉漢は各地で転戦を重ねますが、彼の面白いところは天才的な戦略を駆使するタイプでも、無双の武力を備えたタイプの将軍ではなかったことです。
たしかに彼の部下には武力に優れた部下がいましたが、呉漢自身は人の本質を見抜く目を備えていたのです。
そして彼が迷ったときには、師として尊敬する前述の祗登(きとう)が助言を行います。
つまり人を見る目があるということは、すこし拡大解釈すれば人の考えていることが分かるということであり、戦争においては相手の裏や、裏の裏を察知する能力につながってゆくのです。
また劉秀からの絶大な信頼を寄せられていたという点においては、その能力はもちろんですが、彼の誠実な性格を知っていたという点も大きかったのです。
実際、劉秀から離反して反旗を翻す将軍も登場しますが、ひたすら呉漢は劉秀のため、そして天下平定のために働き続けるのです。
これを現代風に例えると社員として誰よりもよく働き、成果を出し続けた会社に忠実な社員ということになりますが、客観的に見ると、こうした人物を物語の主人公にしても読者はあまり楽しめません。
しかしこの作品からは、呉漢という人間の奥行きの広さを感じられます。
それは登場人物の魅力もさることながら、呉漢と祗登、呉漢と劉秀という血の通った、強固な人間同士のつながりといった要素が物語全般に渡って取り入れられているからだと言えます。
歴史書の文字を表面から追っただけでは見えてこない、彼らの内面を見つめて物語として紡ぎ出すという、歴史小説家・宮城谷昌光氏の見せ所を充分に堪能できる名作です。
呉漢(上)
紀元前221年、秦の始皇帝が初めて中国を統一しますが、この王朝はわずか15年後で崩壊します。
いわゆる項羽と劉邦の時代が始まり、この戦いに勝利した劉邦が秦に続いて中国を再び統一し漢を建国します。
この王朝は約400年もの間繁栄することになります。
世界史の教科書にある通り知っている人も多いと思いますが、この漢はちょうど200年間を境に前漢と後漢とに別れます。
それは漢という王朝が途中で一度滅んでしまうからです。
前漢が滅んだ時点で再び群雄割拠の戦乱時代が到来しますが、その戦いを制したのが前漢の第6代皇帝・劉景の血を引く劉秀(りゅうしゅう)でした。
彼の片腕として、またもっとも信頼の置ける将軍として活躍したのが、本作品の主人公である呉漢(ごかん)です。
彼は貧しい家の出身であり、もし前漢が滅ぶことがなければ歴史上では名もなき民として生涯を終えるはずだった境遇の人間でした。
劉秀にしても戦乱の世が訪れなかったら、中央に出ることなく地方でのみ知られた名家の1人として人生を終えていたに違いありません。
実際に作品の冒頭で呉漢は、家族を養うため領主の経営する大農園で働く小作農民として登場します。
しかも彼には、人並み外れた武芸の才能があるわけでも、学問に励むということもしていない、特筆すべき人物ではありませんでした。
ただし1つ彼の長所を挙げるとすれば、人一倍熱心に働くことだけが取り柄でした。
社交的で周りを巻き込むタイプでもなく寡黙だった呉漢ですが、彼が一途に働く姿を見て声をかけてくる人が現れ始めます。
やがてさまざまな人の縁で彼は亭長に抜擢されることになりますが、これは地方の宿駅の管理や警察署長といった役職であり、中央から見れば取るに足らない役人の1人に過ぎませんでした。
亭長といえば前漢を興した劉邦も一時経験した役職でもありました。
そんな呉漢がやがて戦乱の世へ乗り出し、天下の大将軍となるまでの軌跡を描いた歴史ロマン小説です。
古代中国史を舞台にした歴史小説を書かせたら右に出る者のいない宮城谷昌光氏の作品だけに、読者の期待を裏切らない出来栄えに仕上がっています。
漂流
1994年。
沖縄のあるマグロ漁師は、フィリピン人船員とともに37日間も海を漂流することになります。
さらにその8年後、その漁師は再び漁に出て今度は2度と戻ることはありませんでした。
その漁師の名前は木村実という伊良部島の佐良浜出身の漁師であり、本書は木村の足跡を追ってゆくノンフィクションです。
著者の角幡唯介氏は、極地冒険を行うノンフィクション作家として活動しています。
今までの彼の作品は自らの体験を作品にしたものが主であり、今回のように自分以外の人物にスポットを当てた作品は初めてではないでしょうか。
角幡氏は極地冒険を行う理由を、便利安全になった都会生活では"死"が希薄になり、そのために"生"を実感できないことを理由に挙げています。
つまり、その"死"を身近に感じるためにわざわざ北極を犬ぞりで横断するような冒険に出かけているのであり、これは登山家やクライマーにも当てはまるかも知れません。
一方、漁師は船が沈没し漂流する危険性が仕事の中につきまとう職業であり、"死"を取り込んだ日常を送っていることに興味を覚えたと述べています。
実際、取材で出会った漁師たちは、事故や災害によって訪れるかもしれない"死"というものをどこか運命として受け入れている姿勢、もしくは"生"に対しての執着が薄いような印象を受けたといいます。
文庫本で600ページ以上のかなりの大作ですが、2度の漂流を経験したとはいえ、1人の漁師の足取りを追うための作品としてはかなりの分量という印象を持ちました。
しかし本書では木村実の足取りを追う一方で、彼自身がそうであった佐良浜出身の漁師たちの実像にもかなりのページを割いて迫っています。
佐良浜漁師は豪快な性格の人が多く、沖縄でもっとも漁師らしい気質を持った人びとだといいます。
20メートル近くの潜水をしての追い込み漁、戦後間もない頃の密貿易への従事、禁止されていた危険なダイナマイト漁を長く続けていた経緯など、確かに命知らずの側面があることは確かなようです。
沖縄の南方カツオ漁やマグロ漁など何ヶ月もかけての危険な遠方漁の歴史には、佐良浜漁師は欠かせない存在であり、最盛期にはグアムで豪遊し、故郷に家族がいるにも関わらず現地妻がいた佐良浜漁師も多かったようです。
今も佐良浜には最盛期に漁師たちが大金を稼いで建てた豪邸が所狭しと立ち並んでいるようです。
地域特有の文化が色濃く残っている場所では独自の死生観すらをも内包していることがあり、まさしく佐良浜がそうであるといえます。
こうした特有の文化は、外部の人間から見るとときに新鮮であり、ときにショッキングでさえあります。
木村実という漁師は間違いなく佐良浜漁師のもつ特有の文化を代表する典型的な1人であり、本作品が問いかけるスケールの大きさに読者は引き込まれるはずです。
路地の子
「路地」とは人家のひしめく狭い通路という意味があり、例えば"路地裏の名店"などといった使われ方が一般的です。
一方で「路地」は別の意味を持っており、それは被差別部落・同和地区を指す言葉としても使われてきました。
"路地"は日本各地に1000箇所以上存在するといい、特に大都市には大規模な路地が存在していました。
本書のタイトルにある「路地」はまさしく後者の意味で使われており、著者の上原善広氏は大阪の路地出身者者という出自を持っています。
私自身は同和問題(部落差別)といったものを殆ど意識せずに育ちましたが、私より一回りくらい上の世代になると少年時代にこうした差別を目にした経験を持つ人が多いように感じます。
作品の舞台は大阪堺市の東に隣接する松原市にかつてあった更池(さらいけ)という路地であり、そこは"えた(穢多)"と呼ばれる食肉処理、や皮革加工に従事する人が住む地区でした。
また、そうした歴史的背景を持つことから戦後には大規模な"とば(屠殺場)"が運営され、最盛期には住民の8割が食肉関係の仕事に従事していたといいます。
ちなみに穢多差別は平安時代に始まったとされ、長く根強い差別の歴史を持つことが分かります。
しかし本書は部落差別による人権侵犯がメインテーマではありません。
貧しく、識字率も低い更池の路地において、自身の腕っぷしと才覚だけで成り上がってゆく1人の男の半生を描いたものです。
主人公は著者の実父でもある上原龍造であり、彼は昭和24年生まれの団塊世代です。
龍造少年は、中学生の年齢にして学校に通わず、多くの路地の住民がそうだったように"とば"で働いていましたが、わずか15歳にして牛刀を手にヤクザを追い回すという、近所で評判の突破者(とっぱもん)、つまり向こう意気の強い何をしでかすか分からない乱暴者として知られていました。
本書のストーリーを乱暴に表現すれば、昭和の不良漫画と任侠映画を足して二で割ったような内容ですが、舞台が"路地"や"とば"であるという描写にノンフィクションとしてのリアルさと迫力を感じます。
牛が引きずり出されると同時に、為野はいつものように、何のためらいもなく勢いよくハンマーを眉間に叩きこんだ。
「ここで可哀そうや、思たらアカンで。動物やから、牛もそれをわかってすがってくる。そうなったら手元が狂って打ち損じる。その方が余計に可哀そうや。だから一発で決めたらなアカン」
四五歳になる為野は、そう教えられてハンマーを振るってきた。
~省略~
もろに眉間を打たれた牛は、一瞬で失神し、脚を宙に浮かせドッと崩れ落ちる。途端に左側の扉が開けられ、倒れた牛はザーッと音を立てながら職人たちが待つ解体場へと滑り落ちてゆく。
「なあ、為野のおっちゃん。エッタってなんや」
「・・・・・・そんな難しいこと、おっちゃんにわかるわけないやろ。ワシら、昔からずっとエッタだのヨツだの言われるんや」
負けん気と度胸、そして腕っぷしだけを頼りに龍造少年は成り上がりを目指し、やがて職人修行を経て自分の店を持つことになります。
龍造の信念は至ってシンプルなものであり、「金さえあれば差別されない」というものでした。
ただし龍造の店が大きくなるにつれ、極道や右翼、部落解放同盟や共産党など、利権を巡っての人物が現れます。
怒涛のようなストーリーは圧巻であり、ある意味で龍造の半生は歴史上の偉人よりも劇的だったといえます。
時代と歴史が生み出した人間の熱量と狂気のようなものが作品全体から漂っている1冊です。
サイレント・マイノリティ
西洋史を題材にした作品で知られる塩野七生氏によるエッセイです。
今までも塩野氏の小説やエッセイは多く読んできましたが、本書は1985年に彼女が作家として初めて手掛けたエッセイ集です。
そのためか今まで読んできたどのエッセイよりも歯切れが良く、何気ない日常を取り上げるというよりも、自分の考えをしっかりと主張しているといった印象を受けました。
それでも作家活動を始めると同時にイタリアに移り住んだ著者は、本書が発表された時点で15年もの間イタリアに在住している経験がありました。
その交友範囲もイタリアの文化人や政治家、実業家など多岐に渡り、彼らを題材にしたエッセイも何編か収録されています。
また彼女の作家としての考えが明確に示されているたエッセイも掲載されています。
いわゆる歴史小説家は有名になればなるほど、世間から史実と異なる部分を指摘されたり、またその史観が公平ではないといった類の批判の声は大きくなっていきます。
そして塩野氏も本ブログでも紹介した長編小説「ローマ人の物語」によって、一躍有名作家の仲間入りをした1人といえます。
塩野氏の執筆スタイルは、その大部分を文献集めや取材に費やすようで、できる限り史実に忠実な歴史小説を書くことを心がけているようです。
しかし1人の人間が膨大な史料すべてに目を通して、間違いをゼロにすることは歴史学者にさえ困難なことであり、それが作家であればなおさらです。
さらに付け加えるならば、研究結果や作品を世の中に送り出してから、ある史実の定説が覆されることも珍しくないのです。
それを充分に承知した上で、彼女は次のように結論付けています。
「小説」を書こうという意図のあるなしにかかわらず、取捨選択は絶対に必要なのである。いや、それだけでは充分でなく、想像力や推理の助けなしには、つなげようもないくらいなのだ。
歴史における国家の盛衰は、その国の国民の精神の衰微や、過去の成功に囚われ堕落してしまうことに起因するという説明は、一見すると説得力があるように思えます。
しかし彼女はヴェネツィア共和国の盛衰史を書いた「海の都の物語」を次のような仮設に基づいて執筆したと言っています。
国家であろうと民族であろうと、いずれもそれぞれ特有の魂(スピリット)を持っている。
そして、国家ないし民族の盛衰は、根本的にはこの魂に起因している。盛期には、このスピリットがポジティーブに働らき、衰退期には、同じものなのにネガティーブに作用することによって。
歴史小説というフィールドでは真実性も大事だが、同時に仮設を立てることも可能であり、最終的にそれが読者を楽しませるものかが問われるはずです。
そして塩野氏は、物語の奥行きを持たせるために、手の混んだ偽史料作りをして作品に登場させたこともあります。
それは専門家さえ欺くほどの手の混んだ偽史料であり、それは実在する史料を引用するよりも困難でした。
これにはイタズラ心もありましたが、その反響の大きさに少し反省した著者は次のように結んでいます。
少なくとも三年間は、偽史料づくりはしないと、と決心したのである。
三年間というのが、今年から続けて三年間にするか、それとも、1年ずつ飛び飛びにするかは、まだ決めていないのだけど。
その他にも作家としては珍しい自身の政治的信条を明らかにするエッセイがあったりと、もっとも新進気鋭だった頃の勢いを感じられる良いエッセイに仕上がっていると思います。
仕事と人生
三井住友銀行頭取、日本郵政社長を勤めた西川善文氏のインタビューをまとめた1冊です。
このインタビューは2013年から2014年にかけて行われたものであり、西川氏は惜しまれながらも2020年に死去しています。
インタビュー内容に応じて章立てされているようですが、どれも少し似通ったようなタイトルになっています。
- 第1章 評価される人
- 第2章 成長する人
- 第3章 部下がついてくる人
- 第4章 仕事ができる人
- 第5章 成果を出す人
- 第6章 危機に強い人
肝心の内容は典型的なビジネス書という感じで、インタビュー時点で完全に一線を退いていた西川氏が今までの経験から、優秀なビジネスマンに必要な要素を語るという形になっています。
西川氏の経歴の大部分はバンカー(銀行家)としてのものでしたが、本書で語られれている仕事へ取り組む姿勢、上司や部下との接し方などは、全てのビジネスマンにとっても当てはまるものであり、読みやすく頭に入りやすい内容です。
個人的に印象に残った部分として、三井住友銀行という巨大な組織においてスピード感を大切にしていたという点です。
組織が巨大になればなるほど意思決定は遅くなるものですが、西川氏は「スピードとは他のどんな付加価値よりも高い付加価値だ」という考えを持ち、バブル崩壊の際には迅速に不良債権の処理を行い、さくら銀行との合併の際にはいち早くコスト削減とリストラを実行し合併効果を挙げています。
スピードを上げるためには犠牲にするものも必要で、そのため100点満点を目指すのではなく、70点で手を打てれば御の字という経営を行ってきました。
確かに100点満点の成果を目指すために時間をかけるよりも、スピードを重視してその間に70点を何度も獲得した方が遥かに効率的だという点は私もまったく同意です。
もちろん高度な技術を要求される職人や他人の命を預かる医療従事者など、こうした例が当てはまらない職業も多いですが、多くのビジネスシーンに当てはまるのではないでしょうか。
次に見たくない現実こそ直視するという点です。
これは厳しい経営状況から目をそらさずに真正面から打開してゆくという局面に限らず、経営環境に追い風が吹いてうまくいっている状態が続いているとしても安泰に慢心したり安住することなく、良い状態はいつまでも続かないという不都合な現実から逃げずに、努力を継続するというものです。
1938年(昭和13年)生まれの西川氏には自分のバンカー人生に平時はほとんどなかったと振り返っています。
その中には耳障りの良いことばかりでなく、バンカーとして数々の企業が倒産した現場に立ち会い、経営者として多くの社員をリストラするといった決断もしてきたはずであり、本書では詳しく紹介されていない裏の現実にも思いを馳せて読んでゆく必要があると思います。
人民は弱し 官吏は強し
星新一の作品ということでショートショートだと思い込み内容を確認せず購入しておいた1冊ですが、本書は自身の父親である"星一(ほし はじめ)"を題材とした作品です。
星一は若くしてアメリカに渡り、学費を稼ぎながらコロンビア大学へ通うという苦学生時代を経験します。
そしてアメリカ時代に得た知識と経験を元に製薬会社を立ち上げ、順調に業績を伸ばしてゆきます。
まさしく今でいうベンチャー起業家であり、1915年(大正4年)には、それまで輸入に頼っていた麻酔として不可欠なモルヒネの国産化にはじめて成功するという業績を残します。
ただしモルヒネの原料はアヘンであるため当然のように政府によって統制されており、また原料を手に入れたとしても当時の日本にはモルヒネを生産する技術がありませんでした。
それを星たちはそれをアイデアと努力によって実現させるのですが、そこに留まらず日本ではじめての冷凍食品の生産へチャレンジするなど、まさしく起業家が成功してゆく過程の物語として構成されています。
しかし後半になって物語の雰囲気が大きく変わってゆきます。
それはモルヒネ原料であるアヘンの入手を知古であり台湾の民生長官、満鉄の初代総裁などを勤めた大物政治家・後藤新平の助力で行ったことに端を発しています。
選挙によって後藤自身が所属する政友会が敗れて憲政会が勢力を伸ばすと同時に、星の会社にも強い圧力がかかり始めます。
当時は民間企業であろうとも、政治家や官僚とうまく結びつかなければ成功が難しいという時代背景がありました。
星と後藤は親しい仲でしたが、裏金を政治資金として献金するなどのやましい行為は行っておらず、何より星自身がアメリカの自由市場主義に感化されていたこともあって、政治家との癒着によって事業を成功させるという考えをまったく持ち合わせいませんでした。
官僚の許可を経て保管していたアヘンを違法性を問われ、裁判にまで発展することになり、モルヒネの製造は滞り、風評被害まで流されてしまいます。
つまり物語後半の星は、事業を発展させるどころではなくなり、ひたすら政治家や官僚を相手に苦闘してゆくことになります。
しかも相手は一企業が相手をするには、あまりにも強大な国家権力であり、言いがかりのような理不尽な要求を前に絶望的な戦いを強いられることになるのです。
前半では違和感を感じていた「人民は弱し 官吏は強し」というタイトルも後半を読んでゆくと納得のいくものとなり、読者としては主人公を応援しつつも暗い気持ちになってゆくことは否めません。
まるで日本人の好きな判官贔屓を逆さまにしたような内容です。
こうした権力を濫用した国家でやがて軍国主義を台頭させ、敗戦というプロセスへ進んでいったという結果を星新一自身も若い頃に経験しているからこそ、作品中で当時の状況を父親のセリフを通じて痛烈に批判しているのです。
同時に現代においてもその可能性がゼロになったわけではないということを、寓話として残した作品であるともいえます。
さらに付け加えるならば、作品からは星新一がこうした苦い経験と無念な思い味わった父親を敬愛している様子も伝わってくるのです。
夜明けの雷鳴
慶応3年(1866年)にパリで開催される万国博覧会への出席とヨーロッパ諸国との親善を目的とした使節団が日本を出発します。
前水戸藩主・徳川斉昭の第18子昭武を代表とする面々であり、その中に一橋家に医師として仕えていた本作品の主人公である高松凌雲
凌雲は江戸で西洋医学を学び、またオランダ語や英語に堪能な人物ということで、幕府を代表して西洋医学を実地で学ぶ医師として抜擢されたのです。
そして予定通り凌雲はフランスのオテル・デュウ(HOTEL DIEU)で本格的な西洋医学を学び始めます。
そこで行われている麻酔を使った最先端の外科手術行にも感心しますが、何よりも彼が驚いたのは医学学校に併設された病院で、貧しい人たちに無料で医療を実施していたことです。
西洋で医学は神聖なものとされ、その貧民病院の運営は実業家や貴族たちの善意の寄付によって賄われており、その光景はのちの凌雲へ大きな影響を与えることになります。
一方で日本では幕末という激動の時期を迎えていました。
大政奉還、鳥羽・伏見の戦い、そして江戸無血開城と、凌雲らが日本を離れている間に彼らを派遣した幕府そのものが瓦解してしまったのです。
使節団は急いで帰国の途につきますが、そこには幕府の実態はなく、徳川慶喜も江戸を退いて水戸で謹慎中であることが判明します。
一橋家の医師である凌雲は当然のように慶喜の元に戻ろうとしますが、厳しく監視され拘束状態の慶喜のそばには近づくこともできず、途方に暮れることになります。
そして実兄であり、幕府の兵差図役でもある古屋佐久左衛門が官軍と徹底抗戦のために江戸から北上していったことを知り、自らも旧幕臣として幕府再興に身を捧げることを決意します。
すでに時流は薩長を中心とした新勢力へ傾き、保身と損得を考えるならば存在すら失われた幕府側に付くメリットはまったくありませんでしたが、その道をあえて選ぶのが凌雲という男だったのです。
凌雲は江戸湾の品川沖に停泊していた海軍副総裁・榎本釜次郎(武揚)の艦隊に同乗し、函館の地へ赴くことになります。
やがて榎本から直接、函館病院の頭取になることを要請された凌雲は、「病院のことは一切口出しをしない」ことを条件にその任を引き受けることになります。
病院の全権を任せられた凌雲は、周りの反対意見をよそに敵味方関係なく負傷者を治療する方針を取ります。
これも凌雲がヨーロッパで学んだ医者としての精神であり、西洋諸国では敵方の傷病者も治療するという常識に感化された結果でもありました。
幸いにも入院している兵士からは武器を取り上、敵兵が病院になだれ込んできたときも医者が身を挺して患者を守るという方針は、やがて函館に攻め込んできた官軍からも理解され、野戦病院として最終的に1338人もの傷病者を治療することになります。
箱館戦争終結後は明治政府からの誘いを一切断り、民間病院を経営する傍らで貧民を無料で診察する組織「同愛会」を設立したりと、ヨーロッパで学んだ医学の精神を実践し続けたのです。
凌雲と一緒にヨーロッパへ訪問したメンバーの中には渋沢栄一も名を連ねていました。
彼がのちに500社もの企業の設立や経営に携わり、「日本資本主義の父」と呼ばれたのと同様、凌雲は「日本医療の父」と呼ばれるようになります。
江戸から明治へと時代は大きく変わっても、志は変えなかった凌雲の人生が詰まった作品です。
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