知っておきたい感染症
まさに今世界で猛威を奮っている新型コロナウィルスをはじめ、近年の感染症についてどんな特徴があるのかを感染免疫学、公衆衛生学の専門家である岡田晴恵氏が解説しています。
本書が出版されたのは2020年8月10日の一斉臨時休校や飲食店の休業要請などが実施された後ですが、年末の状況はさらに悪化しているといえます。
本書で取り上げられている感染症はいずれも近年流行したものであり、誰もが1度は耳したことのある名称が並んでいます。
- 新型コロナウィルス
- エボラウィルス病
- H5N1型鳥インフルエンザ
- H7N9型鳥インフルエンザ
- SARS
- MERS
- デング熱
- 破傷風・マダニ感染症
ひと言に感染症といっても死亡率や感染のしやすさ、また感染後の症状にはウィルスごとに特徴があり、本書ではその違いを一般向けに分かりやすく説明してくれています。
普段なら読み流してしまう内容も、今なら差し迫った危機としてより真剣に読むことができるのではないでしょうか。
連日テレビに専門家が登場し、新型コロナを解説する場面を見かけますが、時間的な制約のある中で散発的に内容を聞くよりも、1冊の本としてまとめて体系的に感染症を知るということは効率が良いように思えます。
こうした知識は感染予防にも有効ですが、将来自分が感染した場合を考えても予備知識として無駄にはならないのではないでしょうか。
今後も感染者が増えてゆくことが予想され、万が一の備えというより誰にでも起こり得るレベルへと変化しつつあります。
またあらゆる社会・経済活動がリンクした21世紀のグローバル化社会では、感染症にも新たな対策指針の構築が必要であると訴えています。
この言葉には、この新型コロナウィルスが終息しても今後も新たな感染症が発生し続けるという警告が含まれています。
近年多くの感染症が発生しているように思われますが、人類は歴史上何度も感染症の危機に出会っています。
歴史を振り返れば、感染症の流行が人口調節の役割を担ってきたことは、歴史人口学の教えるところである。農業効率が向上し、食料が増産されるのと連動して人口が増えてゆく。
しかし、人の生活様式が変化し、社会活動が活発になると、その影響を受けて感染症が流行して、人口増加に抑制がかかる。そのような現象が繰り返されてきた。
淡々と怖ろしいことが書かれていますが、これも1つの真実であり、そもそも感染症(ウィルス)を絶滅させることは不可能であり、人類にとって共存してゆくという選択肢しかないのかも知れません。
カエサル
カエサルといえばローマ帝国の礎を築き上げ、その死後も"神君"として讃えられた偉人です。
彼はガリア人(ケルト人)、ゲルマン人と戦いを繰り広げながら領土を獲得してゆき、彼らをローマ文明に組み込んでゆきますが、後世その過程はヨーロッパ創造に例えられ、19世紀の歴史家モムゼンは「ローマが生んだ唯一の創造的天才」とカエサルを激賞しています。
私にとってカエサルは塩野七生氏の「ローマ人の物語」の印象が強く、その起伏に満ち、何度も危機と栄光を経験する人生は数多くの偉人伝の中でも指折りの魅力を持っています。
本書はラテン文学の専門家として慶應義塾大学の教授でもある小池和子氏がカエサルの生涯を追ったものです。
カエサルの業績は多く、時代背景や前後関係までを詳細に描こうとすればかなりの分量になることが予想されますが、著者はまえがきで次のように解説しています。
本書が目指すのは、新書というコンパクトな形態を生かし、カエサルに関する最も基本的で重要な事柄を整理して簡略に述べることである。
カエサルを伝記や物語にすると魅了的であるがゆえに眩しすぎる存在になってしまいますが、あえて一歩引いて客観的にカエサルを見ることで分かってくる事があります。
例えばカエサル自身の著書である「ガリア戦記」や「内乱記」と他の同時代の史料を比べてみると彼が決して完璧な人間ではなく、自身の行動を正当化し敵を貶めるために出来事の順序を並び替えたり、当事者でありながら都合の悪い事実には触れなかったりすることもあります。
もちろんカエサルの魅力は聖人君子のような品位にあるのではなく、喜怒哀楽を持った1人の人間としてでにあり、時には失敗を経験しながらそれを乗り越えてゆくという人間臭さにあります。
そしてその魅力は本書にようにカエサルに関する生涯を客観的に追ってゆく中においても色褪せることはありません。
プロ野球「衝撃の昭和史」
本書はスポーツジャーナリストの二宮清純氏が、文藝春秋で2011年6月号か翌年12月号まで連載した特集記事を新書にまとめて出版したものです。
タイトルにある通り、おもに昭和における日本プロ野球史にちなんだ伝説を取り扱った本です。
野球ファンであれば目次を見ただけで大体テーマの想像がつくかも知れません。
- 江夏の二十一球は十四球のはずだった
- 沢村栄治、戦場に消えた巨人への恩讐
- 天覧試合、広岡が演出した長嶋の本塁打
- 初めて明かされる「大杉のホームランの真相」
- 江川の投じた最速の一球
- 宿敵阪急を破った野村野球の原点
- 遺恨試合オリオンズvs.ライオンズ、カネやん大乱闘の仕掛け人
- 落合博満に打撃の師匠がいた
- ジャイアント馬場は好投手だった
- 打倒王貞治「背面投げ」の誕生
- 三連勝四連敗、近鉄加藤「巨人はロッテより弱い」発言の真相
- 「清原バット投げ事件」の伏線
こうした伝説(または事件)の真相は、往々として当事者たちの口が重いことがあり、まして本人が現役選手やコーチ、監督として活躍している場合であればなおさらです。
しかし長い時間を経た今だからこそ、当時の状況を率直にかつ冷静に振り返って著者の取材に答える元プロ野球選手たちの姿が印象的です。
また今でこそプロ野球にもリクエスト制度(ビデオ判定)がありますが、上記のエピソードのうち2つが誤審にまつわるものであり、いずれも日本シリーズの結果を左右するものでした。
さらに今では殆ど見かけなくなりましたが、乱闘や暴言にまつわるエピソードが多いのも昭和プロ野球ならではないでしょうか。
時代は変わっても血の通った人間が野球をプレーしていることに変わりはなく、令和となったこれからもプロ野球伝説が次々と生まれてくることは間違いないでしょう。
欧州分裂クライシス
EU(欧州連合)は第二次世界大戦への反省から生まれた価値共同体であり、その前身であるECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)から数えると70年の歴史を持っています。
特に2000年代初頭には共通通貨ユーロを導入し、ユーロ域内における市民の移動の自由が保証されます。
加盟国の市民が自国内と同じように他の加盟国へ自由に移住して就職することが可能になりました。
まさに人類の叡智が作り出した共同体であり、世界中から注目を浴びた時期がありますが、そんなEUにおける将来の見通しが不透明になりつつある現状をドイツに30年在住している熊谷徹氏がレポートしたのが本書です。
EUの先行きが不安になっている要因はポピュリズム革命にあると著者は主張しています。
聞き慣れない言葉ですが、著者によれば社会を「民衆」と「腐敗したエリート」に二分し、所得格差の拡大、難民問題、重厚長大産業の衰退といった市民の不満を栄養にして、政治体制の打倒・変革を目指す動きであると解説しています。
このポピュリズム革命の動きがもっとも早く現れた国がイギリスです。 周知の通り2020年1月31日にイギリスはEUを離脱(ブレグジット)しましたが、これは前任のキャメロンとは正反対の熱心なプレグジット推進派であるボリス・ジョンソン首相によって主導されたといえます。
またEU離脱キャンペーンを推し進めてきたもう1人の人物が、ブレグジット党首のファラージです。
彼らはEUへの拠出金による財政負担の増大、移民受け入れによる雇用や治安の問題を取り上げ、2016年の国民投票によってEU離脱が決定されたのです。
著者はここに2つの問題点を挙げています。
1つ目は離脱派ポピュリストたちはデマや誇張した主張をSNSなどに流布し、事実(ファクト)を軽視する傾向があるという点です。
つまり国民の不満や不安につけこみ、偽情報によって有権者の投票行動に大きな影響を与えたといいます。
2つ目はピュリストたちは既存の政治秩序の破壊には関心があるが、その壊した秩序を再構築したり新しい解決策を提示しないという点を挙げています。
批判のみで現政権を倒し、彼らが政権を奪取したときに建設的なビジョンを提言できるかはかなり不安です。
イギリスはEUで二番目に大きな経済パワーを持っており、その離脱はEUにとって大きな痛手になるのはもちろんですが、イギリス自身にもEUの広大な市場へ自由に参入できなくなるというデメリットがあり、グローバル化の恩恵を受けて成長してきたイギリスの経済成長力が今後低下してゆくという懸念が出ています。
そしてポピュリズム革命の津波は、EUの盟主であるドイツへも確実に押し寄せています。
2017年に右翼政党のAfDが一気に第三党となり、政治の勢力図が変わりつつあります。
やはり根本的な要因はイギリスと同様ですが、未だに根強い東西ドイツの経済格差、メルケル首相主導による積極的な難民を受け入れ政策による混乱など独自の事情もあります。
他にもフランス、ポーランド、ハンガリーにも同じ動きが見られることが紹介されており、さらにロシアによるポピュリストの支援といった動きも見られ、ヨーロッパ全域に渡って急速に危機が広がりつつあります。
2016年からアメリカの大統領となったトランプも、移民政策に関しては批判的であり、国際的な協調よりも自国ファーストを優先させる動きは知られています。
本書で触れられているポピュリズムという視点からの大きな国際政治の動きはニュース報道で殆ど触れられる機会がないにも関わらず、日本へ与える影響が甚大であることは間違いありません。
仮にEU分裂となった場合、戦争が再発するというシナリオが最悪のものであり、それを具体的にレポートし警告してくれる本書の存在は貴重であると同時に、もっと多くの日本人に読まれて欲しいと思う1冊です。
ルポ 技能実習生
技能実習生という言葉はよく聞きますが、個人的には縁がないため実態をよく知らない存在でもありました。
法律では技能実習生を以下のように定義しています。
人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術又は知識の移転による国際協力を推進することを目的とする。
額面通りに受け取れば、先進国(日本)による発展途上国への国際支援ということになりますが、本書を読むとその実態が大きくかけ離れたものであることが分かります。
日本国内に技能実習生として滞在する外国人は2019年末時点で41万人となり、在留外国人の14%を占めています。
この比率は留学生(11%)を上回っており、外国人労働者そのものが最近10年間で3倍以上に増えているといいます。
たしかに都内ではコンビニや飲食店に留まらず、あらゆる業界で外国人を見かけることが当たり前になっています。
本書はジャーナリストの澤田晃宏氏が実習生全体の53%を占めるベトナム人実習生へ焦点を当て、現地での丁寧な現地取材を通じて技能実習生の舞台裏、つまり実情を赤裸々に暴露しているといえます。
まず実態をシンプルに表すと、日本企業にとっては労働力不足の解消、ベトナム人にとっては出稼ぎが目的であると言えます。
現場を取材して分かってくるのは、日本での仕事を通じて習得した技術がベトナムへ還元される機会は殆どなく、滞在中に上達した日本語そのものくらいしか役に立たないということです。
つまり技術・知識の移転による国際貢献は実効性を持たないスローガンに成り下がっているのです。
ベトナムの実習生送り出し機関、日本の実習生受け入れを仲介する管理団体の間にはキックバック(賄賂)、売春を含めた違法で行き過ぎた接待が横行し、そのツケは100万円以上になることもあるベトナム人実習生が負担する手数料となって表れることになります。
多くのベトナム人実習生が存在することで日本とベトナムとの間に独自の労働者派遣産業が誕生したといってもよく、法律を無視した業界独自のルールと利権が渦巻く世界といえるでしょう。
それでもベトナム人が日本を目指す動きは増加の一途を辿っています。 なぜならば日本で技能実習生として3年間働けば、借金を返済した上で300万円の貯金を残すことが可能であり、これだけの額があれば故郷に家を建て、家族の生活を楽にすることができるからです。
もっともそれは万事うまくいった場合であり、中には労働条件や待遇が劣悪な職場もあり、結果的に実習生が失踪し不法滞在を続けるといった問題も出てきています。
2020年1月1日時点でベトナム人実習生の不法残留者数は8,8632人というからかなりの人数です。
政府もこうした問題は把握しており、2018年12月に「特定技能」の在留資格を新設して技能実習から移行を試みますが、技能実習の教訓を生かせているとは言えない状況です。
特定技能は技能実習とは違い、国際協力という側面を捨てて国内の深刻化する人手不足を解消する仕組みとして発足したものですが、今のところ開き直った政策のわりには使い勝手が悪いというお役所仕事にありがちな残念な状況にあるようです。
最後に著者は韓国を訪れ、労働力不足解消のため日本に先行して単純労働分野において外国人の積極的な受け入れを行った雇用許可制(EPS)を取材しています。
おそらく韓国で実施している雇用許可制は、日本が推進しようとしている政策と方向性では一致しているからです。
日本より制度運用がうまくいっている面がある一方、賃金未払い、外国人差別といった問題はやはり存在し、その根底にはEUやアメリカも直面している移民問題と同じ問題が横たわっているといえそうです。
それは世界でグローバル化が推進された結果、国境を超えた人の移動が爆発的に増えた一方、文化や価値観の違いによる衝突、そこから生じる雇用問題とったものであり、日本のみならず世界的に見ても課題が山積みであることを実感させられます。
世界最悪の旅
北極圏の遭難史においてはフランクリン隊がもっとも有名ですが、南極圏における遭難では本書で紹介されているスコット隊が知られています。
フランクリン隊は129名全員が死亡するという悲劇的な結果に終わり、生存者がいないためその全貌が未だに解明されていません。
一方、本書はスコット隊の一員であったチェリー・ガラードによって執筆されており、捜索によって遭難者の遺体を発見した本人でもあるため、その軌跡はほぼ明らかになっているといってよいでしょう。
ちなみにガラードは当時の極地探検をおもに指揮していた軍人ではなく、極地研究のために彼らに同行した動物学者でした。
本書は主に4部構成で成り立っています。
まず最初に古くは18世紀後半からはじまった南極探検の歴史について言及しています。
そこからは1910年にフランクリン隊がテラ・ノバ号で出港し、南極探検へ向かった時代背景が見えてきます。
そして次に1回目の越冬を経て著者を含めた3人が行った南極における5週間の探検の様子が紹介されます。
当然ですが、当時はGORE-TEXのような防水性に優れた素材は無く、また医療や保存食加工技術も未熟だった時代の極地探検がいかに過酷だったかが伝わってきます。
皮膚から出た汗は衣服の中で氷り体温を容赦なく奪い、おそるべき壊血病もこの時代は完全に克服できていませんでした。
タイトルにある"世界最悪の旅"とは、著者が経験したこの探検から名付けられたものです。
それから5ヶ月が経過し、いよいよフランクリン隊長を含めた5人が南極点を目指し、その帰路で全員が命を落としてしまった悲劇の一部始終が語られることになります。
著者のガラードはフランクリン隊長に先行して貯蔵所を設置するサポート役に回り、南極到達隊のメンバーではありませんでした。
そのためフランクリン隊の5人が遭難した際には捜索に参加し、テントの中で凍死したフランクリン隊長たちを発見することになります。
同行はしなかったガラードでしたが、遺留品として残されていた手記から悲劇の全貌が明らかになるのです。
最後にフランクリン隊長たちの遭難から、その原因や問題点を総括しています。
本書は遭難事故が発生した1911年から約10年の月日が流れた時点で発表されていることもあり、当事者のガラード自身も冷静に当時を振り返っています。
彼らが命を犠牲にしてまで学んだ教訓は、のちの南極探検に生かされたに違いなく、また生存者のガラードもそれを何よりも望んでいたのです。
ちなみに南極点到達はノルウェーのアムンセン隊がスコット隊に数週間先行する形で成し遂げています。
北西航路の開拓とともに極地探検のヒーローとなったアムンセンですが、この点でもガラードは競争に敗れたスコットを擁護する発言をしています。
それはアムンセン隊がひたすら南極点への到達だけを目指したのに対し、スコット隊はガラードが行ったようにペンギンなどの生物調査、南極の地質調査を主な目的として派遣された調査隊であり、南極点は複数ある目的の1つに過ぎなかったと言います。
それでもスコット隊が南極点を目指した背景には、地味な南極の研究調査だけでは思うようにスポンサーから資金が集まらず、南極点初到達という一般向けに分りやすい目標が必要だったという要因があり、どこか100年後の現代と似たような状況だったという点で興味深いです。
今から100年前の出来事だけに冒険ノンフィクションとしてはやや古典ですが、現代の私たちが読んでも極限状態に挑む人間たちの心理が伝わってくる名作です。
アグルーカの行方
本書には「129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極」という副タイトルが付いています。
フランクリン隊は極地探検史における最大の悲劇として知られており、彼らの目的はヨーロッパから北極圏を通って太平洋へ抜ける北西航路の開拓でした。
1845年にエレバス号とテラー号の2隻で出発したフランクリン隊は北極圏で氷に閉じ込められたため、やむなく陸路を通っての帰国を目指しますが、その途中で129名全員が帰らぬ人となります。
何人かのイヌイットによる目撃情報、そしてその後行わた探索によって発見された隊員たちの遺体や遺留品から当時の状況が分かってきますが、彼らは最終段階において飢餓のためにカニバリズム(人肉食)が行われたことも明らかになり、当時のヨーロッパに衝撃が走りました。
しかし生存者が1人もいなかったため、遭難の全貌は今でも解明されていません。
本書は作家であり冒険家でもある角幡唯介氏が、同じく極地冒険家として知られている荻田泰永氏とともにフランクリン隊の軌跡を辿る冒険を行ったノンフィクションです。
角幡氏は冒険家であっても未踏の山や絶壁に挑戦する登山家やクライマーではなく、人の住んでいない僻地を冒険することに興味があるようです。
彼らは凍った海や島を徒歩によるソリ引きでフランクリン隊の軌跡を辿り、乱氷による凹凸をソリで乗り越えるのに苦戦するものの、地形的にはほぼ平坦です。
さらに景色も変化に乏しい氷の世界が続きます。
しかし極地冒険の最大的の難関は、フランクリン隊がそうであったように気候そのものにあります。
顔から氷柱を垂らして凍傷を負いながら歩き続ける彼らの半径数百キロ以内には1人の人間も住んでいない世界であり、その過酷な自然環境は作品の中からよく伝わってきます。
例えばマイナス20度以上の気温の中で人間が活動を続けるためには、通常の2倍以上にあたる1日5000キロカロリーを摂取しても充分ではなく、角幡氏たちは激しい飢餓に悩まされ続けます。
作品はフランクリン隊の消息を解説、または推測しながら冒険の過程を実況するような構成ですが、氷の上をひらすら歩くという単純な行為そものが困難な冒険であることがよく分かります。
また人間は登場せずとも、ホッキョクグマ、麝香牛、雷鳥といった北極圏ならではの動物が登場します。
しかし極限状態にある角幡氏たちにとって動物たちは観察対象というより、乏しい食糧を補充するための狩りの対象であったのです。
本作品の魅力は単純な極地冒険録として楽しめることはもちろんですが、荒涼とした景色の中で150年前のフランクリン隊の姿を探し求める旅という視点でも味わい深い作品です。
フランクリンは大英帝国の威信と期待を背負いながらも希望を持って旅立ったはずですが、やがてそれは失望に変わり絶望で幕を閉じることになります。
その結末を知っている後世の人間が、同じ道を辿るという行為は極地冒険であると同時に、情緒漂う探索といった雰囲気があるのです。
それでも、日本人は「戦争」を選んだ
著者の加藤陽子氏は東京大学の文学部教授であり、本書では著者が中高生へ行った5日間の特別授業の内容が収められています。
テーマはタイトルにある通り、近代史における日本が戦争を行った理由であり、以下のように分かりやすく順を追って授業が進められてゆきます。
- 日清戦争
- 日露戦争
- 第一次世界大戦
- 満州事変と日中戦争
- 太平洋戦争
中高生向けということで噛み砕いた内容かと思えば、大人にとってもかなり読み応えのある内容になっています。
歴史の教科書であれば年号や出来事、人物名の暗記が中心ですが、本書の授業ではつねに
「なぜこのとき日本はこのような決断を下したのか?」
を考えることが求められます。
代表的な例として、なぜ日本は長期化しつつある中国との戦争、朝鮮や満州の防衛といった課題がある中で、さらにアメリカヘ対して無謀ともいえる太平洋戦争の開戦に踏み切ったのかという疑問があります。
もちろん戦争を決意した当時の首脳陣たちは最初から負けることを覚悟していた訳ではなく、彼らなりの勝算があったのです。
それを知るためには過去の出来事を1つずつ取り上げるのではなく、連続した流れの中で理解する必要があります。
政治、経済、軍事的要素だけでなく、当時の民衆心理や社会的背景、相手国(中国、ロシア、アメリカ)の立場からの視点でも考察する必要があるでしょう。
著者の紹介する史料は一般的な歴史教科書には掲載されていない、たとえば日記やメモ、演説内容といったものであり、当時の人びとがどのように状況を把握していたかが分かる新鮮なものばかりです。
過去の出来事を調べるのは手段でしかなく、歴史学の本質は先人たちの言動から何を教訓にすべきかを学ぶことにあります。
一方で同じ過去の出来事から導き出される教訓が人によって正反対であることも珍しくなく、仮に人間が歴史からつねに正しい教訓を引き出す能力があれば、今の世界は限りなく平和だろうと思います。
つまり歴史の年号や人物名には正解がありますが、本来歴史学に正解はないのかも知れません。
本書の内容は、なるべく正しい教訓を歴史から引き出すための材料を提供する授業であり、そこには歴史は暗記科目といったマイナスイメージから脱却するヒントがあるように思えます。
ちなみに先生(著者)からの質問に対する学生からの回答内容は大人顔負けであり、学生たちの優秀さにも驚かさせられます。
「意識高い系」という病
ネットスラングにそれほど詳しくない私でも「意識高い系」というワードはたびたび目にする機会があります。
一見すると褒め言葉のようですが、文脈から皮肉を込めたネガティブな意味で使われる機会が多いことは私でも知っています。
著者の常見陽平氏の言葉を要約すると次のようになります。
社会問題に対する関心が高い、勉強熱心、積極的で交流好き。
ただし自分の実力以上に自己アピールしたがる残念な人たち。
確かに残念な人であり、この「意識高い系」というネットスラングは、2009年頃から本格的に使われるようになったようです。
本書では、こうした「意識高い系」の人びとの生態系(?)を明らかにしつつ、彼らを誕生させる土壌を作った「自分磨き」メディアの存在、そして彼らの発言力を広める原動力となったFacebookやTwitterをはじめとしたソーシャルメディアの影響力を解説しつつ、最終的には情報との正しい向き合い方を提言しています。
私自身、「意識高い系」というタイトルに惹かれて好奇心で本書を手にとったものの、実際に扱っているテーマはかなり大きなものです。
「意識高い系」というテーマから入り、読者にネットリテラシーを啓蒙する本と言ってよいかも知れません。
政治、芸能に限らず、ほぼすべてのジャンルのニュースがネットで話題にされない日はありません。そしてそこでは行き過ぎた誹謗中傷というのがつきものです。
本書は2012年に出版されていますが、変化が早いと言われるネットの世界においても本書で紹介されているような状況は殆ど変化がないように思えます。
つまりネットリテラシーを掲げたところで、人間はいきなり賢くはなれないのです。
それは異種交流会、勉強会を何度か経験して、いきなり自分が優秀になったと錯覚している「意識高い系」の人たちとまったく同じことです。
常見氏が指摘しているように、いきなり優秀になれる方法はありません。
地に足をつけて目の前の現実(仕事や家族)に丁寧に対処してゆくしかないという点もその通りだと思います。
ネットの話題を取り扱った本にも関わらず10年近く経過しても内容が陳腐化していないため、今でも一読の価値がある本であるといえます。
骨が語る日本人の歴史
本書の著者・片山一道氏は骨考古学の専門です。
骨考古学というとほとんどの人に馴染みが薄いですが、発掘された人骨を調べ、当時の人の様子を明らかにする学問だといいます。
本書では
- 旧石器時代人
- 縄文人
- 弥生人
- 古墳時代人
- 中世以降
旧石器時代の人骨は発掘数が少なく多くを語ることは難しいようですが、その後約1万年に渡って続く縄文人はかなり特徴的だったといいます。
骨太で小ぶりで頑丈な体格。下半身が発達した体形。大頭大顔で寸詰まりの丸顔の顔立ち。著者はこれを当時の日本列島(縄文列島)の独特な風土が深く関わり、外界と長く孤立してきたことが要因であると推測しています。
大きな鼻骨と下顎骨、そして彫りの深い横顔は、世界中くまなく探しても類を見ないほどに特異的である。
しかし弥生時代になると、なにかもが様変わりするというから驚きです。
すなわち長い平坦な顔、低い鼻、細い顎、高めの身長といった縄文人と対照的な特徴を持っています。
一方で近畿地方や九州西北部や南部、四国や東海地方の以東以北では縄文人の特徴を持った人骨が多く発見され、多様性というのも弥生時代のキーワードになります。
またこうした発掘状況から著者は
「弥生人が縄文人に置き換わった」
「大陸からの渡来人が縄文人を駆逐した」
といった二分論には反対し、生活様式の変化、そして両者が徐々に混合していった結果であると主張しています。
古墳時代は以降はのちの日本人に共通する中顔、中頭、中鼻、中眼、中顎、体形は胴長短脚の傾向が多くとなるといいます。
中世以降もこの特徴は続きますが、身長は低くなり続け、虫歯が多くなる傾向が出てくるようです。
また最近70年における日本人は顔立ちも体形もすべてが特異に変化したといいます。
平均身長が10cm以上も高くなり、著者は歴代の日本列島人の中に紛れても、すぐに現代人だと正体がバレるだろうと言います。
原因は定かではないが乳幼時期の栄養条件、食事の西欧化が要因であると推測しています。
ここから分かるのは、生活環境が変わるとたった1代で人骨の特徴が大きく変わり得るということです。
こう考えると縄文人が弥生人型の人骨に変化していったというのも説得力があります。
本書を通じて重要だと感じることは、残された文献や遺跡だけが歴史ではないということです。
物言わぬ人骨は正真正銘の歴史性を有しており、そこからは従来とは違った角度から歴史の変容を推察することが出来ます。
それこそ著者の唱える「身体史観」であり、そこからは歴史上の事件や事象を追うだけでは見えてこない、当時の人びとの生活が見えてくるのです。
勝者の思考法
スポーツは完全とは言えないまでも、会社員などの職種と比べても公正・公平なルール下で勝者と敗者が決定する世界であると言えます。
人柄や処世術といった目に見えない要素、物事に取り組む手法が評価される余地は少なく、何よりも"勝利"という結果が重んじられるのです。
そんなプロフェッショナルたちが真剣勝負を繰り広げる世界において、勝利し続けることがいかに困難であるかは容易に想像が付きます。
本書ではスポーツの中でも主に日本のプロ野球やMLBの世界を中心に"勝者"をテーマにしたコラムが掲載されています。
- 第1章 弱者が強者に勝つ方法
- 第2章 名監督・名コーチの思考法
- 第3章 敗者の思考法
- 第4章 組織に見る勝敗の明暗
- 第5章 勝者の思考法
目次を見ても分かる通り、一口にスポーツといっても選手以外に、監督やコーチ、球団、さらに国際大会であれば協会といったレベルで勝者を論じることが出来ます。
また大部分の読者は一流プロスポーツ選手と同じようなパフォーマンスを出すことは出来ませんが、少なくとも彼らの思考法は真似ることができます。
とくに常勝軍団の監督やコーチの考え方や手法は、会社員にとっても参考になる部分があるはずです。
さらに常勝軍団がいれば弱小軍団、つまり敗者も存在するはずであり、彼らの思考からも私たちは学ぶことがあるはずです。
前置きが長くなりましたが、本書はある意味ではビジネス書としても、スポーツコラムとしても読むことが出来ます。
著者の二宮清純氏はスポーツジャーナリストとして長年活躍してきた人であり、企業経営はともかくスポーツの世界の厳しさをよく知っている人です。
とはいえ本書の内容は決して堅苦しいものではないため、個人的には姿勢を正して熟読するよりも、スポーツコラムとして楽しみながらも何かビジネスのヒントを見つけられればラッキーくらいの気楽さで読んで見ることをおすすめします。
プロ野球「人生の選択」
毎年約100人の新たなプロ野球選手が生まれ、ほぼ同じ数だけの選手が去ってゆきます。
毎年10月に入るとペナントレースが終わり、ドラフト会議と戦力外通告がファンたちの話題を賑わせます。
ただ今年はコロナの影響で夏の甲子園大会が開催されなかった影響もあり、少し盛り上がりに欠けてしまったのは残念です。
プロ野球選手にとって入団、退団といったイベントもそうですが、本書ではスポーツライターの二宮清純氏がプロ野球選手にとっての人生の岐路となった場面にスポットを当ててコラム風に紹介しています。
野茂英雄やイチロー、松井秀喜らがメジャーリーグに挑戦したエピソードが本書で紹介されますが、個人的にはスター選手のエピソードよりも、厳しいプロ野球の世界で生き抜くために奮闘してきた選手のエピソードの方に興味を惹かれます。
分りやすい例でいえば、主にオリックスで活躍して176勝を挙げた星野伸之投手が当てはまります。
彼は高校卒業後にドラフト5位で入団しますが、そこで自分の球速がプロ1軍のレベルにないことを悟ります。
そこで星野投手の下した決断は、剛速球を身に付ける努力ではなく、スローボールに磨きをかけるというものでした。
遅いボールで打者のタイミングを外すためのフォームと正確なコントロールを武器として身に付け、最速でも120キロ後半のボールで厳しいプロ野球の世界で活躍し続けたのです。
また本書では大リーグで活躍した選手も紹介されています。
私は本書で初めて知りましたが、ジャイアンツに在籍していたバリー・ボンズは、MLB歴代1位記録となる通算762本塁打で知られる偉大なバッターですが、彼が本塁打を量産するようになったのはキャリアの後半になってからであり、それまでは走攻守揃ったアベレージヒッターとして活躍していました。
しかし年齢の影響で走力の衰えを自覚するようになると肉体改造やフォーム改造を行い、走力が不要となる正真正銘のホームランバッターとして生まれ変わったのです。
よくホームランバッターは天性のものと言われますが、ボンズはその常識を自らの努力で覆したのです。
後半は日本プロ野球へ対する提言コラムという形がメインとなり、内容がタイトルと少し離れてゆきますが、それでも本書が出版された2003年当時の日本プロ野球を懐かしみながら読むことができました。
イスラーム生誕
本書は日本におけるイスラーム研究の第一人者であった井筒俊彦氏のイスラム教の解説書です。
井筒氏は30以上の言語を操る語学の天才と言われ、独自の意味論的解釈学という研究手法を編み出したことでも知られ、イスラム教解説の入門書としては名著と言われる1冊だそうです。
ひとまず難しいことは脇に置いておいて、日本において仏教、あるいはキリスト教の成り立ちに関する解説本、あるいは関連した文学作品は容易に入手することが出来ます。
一方でイスラム教に関するそうした作品は圧倒的に数が少ないのが現状です。
その理由は飛鳥時代に伝来し定着した仏教、あるいは16世紀半ばにポルトガル(イエズス会)によって布教が開始されたキリスト教とは違い、日本が長らく地理・歴史的にイスラム文化圏と疎遠だったことです。
しかし今やイスラム教は中東のみならずアフリカ、東南アジアにおいても浸透し、統計上ではすでに仏教徒を上回る信者数となり、21世紀中にはキリスト教徒を抜いて世界一の信者数となることが確実であると言われています。
つまり今後も進んでゆく国際化、あるいは多様化社会にあってイスラム教徒との共存は避けて通れない要素であり、そのための一般的教養として有用な1冊であると言えるでしょう。
文庫本ということもあり決して分量は多くはありませんが、本書で示唆されている内容は奥深く、小説のようにストーリーを辿るだけではなく、著者の言わんとすることを理解しながら読み進めることが重要になってきます。
ここでは私なりに本書によってイスラム教の理解に役立った部分を簡単に紹介してみます。
まずイスラム教はユダヤ教、キリスト教と同じくセム的一神教を起源とする宗教であるため、かなりの共通点があるという点です。
つまり唯一絶対神を信仰する宗教であり、モーセやアブラハム、キリストやムハンマドはいずれも預言者という性格を持つ点、旧約聖書を肯定的に解釈している点も共通しています。
次にイスラム教が広まったアラビア、ペルシア地方は、元々多神教が信仰されていた地域であったという点です。
多神教の時代はジャーヒリーヤ(無道時代)と呼ばれ、血族や限られた地域ごとに異なる神を崇拝していたという点では、日本の神道とも共通している点があります。
また唯一神のアッラーは、多神教時代における主神(最高神)の位置付けとして元々存在していた神であり、決してイスラム教(ムハンマド)が独創した神ではないという点です。
例えば日本においては天照大神が唯一神となり、他の神の存在はすべて否定されたと仮定すると理解し易いかも知れません。
最後にムハンマドの軌跡を辿ると、イスラム教は政治的な世界と一体化しているという点です。
ムハンマドは同じく宗教の創始者といえるブッダやキリストとは違い、武力行使そのものを否定はしませんした。
むしろ異教徒へ対して武力行使も厭わないという教えは、ムハンマド自身が聖地メッカを奪還するためにムスリムを組織化して戦争という手段を取ったことにも大きく影響さており、軍事は政治に直接的に結びつくからです。
これは後発であったイスラム教が世界的宗教へと発展する過程で避けて通れなかった道でもあり、後の時代においてキリスト教国家や仏教国家が武力行使したことを考えると、必ずしも一方的に非難される性質のものではないというのが個人的な印象です。
本書で言及されているのは現在の国際情勢、あるいは宗派ごとの複雑な対立といった要素ではなく、あくまでもイスラム教の成立過程にのみ焦点を当てています。
基本的な知識の欠如によって、イスラム教へ対する誤解や先入観を抱かないためにも、少しでも多くの日本人に読んで欲しい1冊であることは間違いありません。
秋の街
本作品の著者である吉村昭氏に限って言えば、個人的に長編小説の方がより好みであり、そのため同氏の短編小説はあまり読んできませんでした。
本書には7作品が収められている短編集ですが、吉村昭ファンとしてなるべく多くの作品を読みたいという気持ちで手にとってみました。
- 秋の街
- 帰郷
- 雲母の柵
- 赤い眼
- さそり座
- 花曇り
- 船長泣く
「秋の街」では仮釈放が決まった受刑者が刑務官と一緒に街を見学するという、ある1日が描かれています。
長らく刑務所で過ごしてきた受刑者(主人公)にとっては信号機すら新鮮であり、電車の切符を買うという行為にも困惑します。
我々が何気なく過ごしている日常は、長らく刑務所で過ごした主人公にとって非日常であり、こうした目線を変えた物語構成に新鮮味を感じます。
たとえば現在において同じシチュエーションを想像すると、インターネットの普及がそれに該当するでしょう。
塀の中で過ごしている間にネットで商品を購入して銀行口座を管理することが日常となり、さらに音楽も映像も地図さえもオンラインが当たり前になっている状況に久しぶりに出所する受刑者が戸惑うのは容易に想像できます。
本短編と似ているシチュエーションを描いた作品に同氏の「仮釈放」という長編がありますが。本作品を気に入った方はそちらも読んでみることをお勧めします。
「帰郷」では患者搬送サービスの運転手を、「雲母の柵」では司法解剖jに従事する臨床検査技師を、「赤い目」では実験用マウスを飼育する研究員の日常を描いています。
どれも実際にそうした職業に従事している人から話を聞き、作品を書き上げているところに著者らしさを感じます。
「さそり座」、「花曇り」は父と子、母と子の関係を印象的な場面とともに切り取った、一見すると吉村氏らしからぬ文学作品のような作風ですが、淡々としていながらも綿密な描写からはやはり著者らしさを感じます。
最後の「船長泣く」は、著者がたびたに手掛ける難破、漂流もののノンフィクション性の高い作品であり、もっとも吉村氏らしい作品であるといえるでしょう。
本書の短編集には共通のした1つのテーマがあるというより、バラエティに富んだ吉村昭氏の作品を楽しむ1冊になっています。
ヒコベエ
数学者であり、数多くのエッセイで知られている藤原正彦氏が初めて手掛けた自伝的小説です。
舞台は昭和20年代前半、つまり終戦して間もない頃に過ごした幼少・少年時代を描いています。
タイトルにある「ヒコベエ」は、正彦の幼い頃のあだ名です。
母・藤原ていは「流れる星は生きている」で知られている通り、満州から命からがらヒコベエとその兄、妹を連れて引き揚げてきた壮絶な経験を持ち、父は東京気象台に勤め、のちに新田次郎のペンネームで作家として活躍します。
どちらも著者のエッセーではお馴染みのエピソードですが、物語は終戦後ソ連兵に捕まり、捕虜収容所で1年近くの抑留生活を経て父が帰国するところから始まります。
食料や生活必需品を確保することさえ難しい深刻な物資不足の時代でしたが、ヒコベエ少年は兄弟の中でも一番元気に育ちします。
5歳で近所の子どもたちのガキ大将として走り回る毎日を送る一方、藤原家は父の公務員としての月給だけでは生活が困窮する状態でした。
引き上げ後から体調が優れない母の負担を軽くするため、ヒコベエは母の実家である信州の笹原(長野県茅野市)に預けられたりしますが、自然に囲まれた伸び伸びとした環境でヒコベエはまずます腕白小僧っぷりを加速させてゆきます。
一方、父の公務員としての月給だけでは生活が困窮していまう藤原家では、母が満州からの引き挙げ時の記録を出版したり、それに触発された父が小説家を目指し始めたりと試行錯誤しますが、そうした苦労をまったく知らずに無邪気に遊ぶヒコベエの姿は対照的であり、いつの時代も子どもたちの純粋な姿が大人たちに未来の希望を与えてくれることが分かります。
家族や親戚だけでなく、ヒコベエが少年時代に出会った友だち、学校の先生や気になるあの子とのエピソードが満載であり、本作品はヒコベエが小学校を卒業するところで終わります。
少年の目に映る成長とともに少しずつ広がってゆく世界が繊細に書かれており、誰もが経験した自らの少年・少女時代と重ね合わせて読んでしまいます。
著者はあとがきで、この頃は日本中が貧しく最低限の衣食住でなんとか生き延びていた時代であったが、何故か人びとの顔は明るかったと振り返っています。
もちろん底抜けに純粋で明るい少年の目には、常に世界が輝いて見えていたはずですが、現代社会で希薄になった人びとの絆が色濃く残っていた時代であり、そうした古き良き時代の魅力が現代の読者にも伝わってくる爽やかな読了感があります。
巴御前
男勝りの武者振りを見せる女性を"巴御前(ともえごぜん)"と表現することがあります。
巴御前は木曽義仲に仕えた一騎当千の女武者として知られていますが、軍記物語にしか登場しないこともあり、実在そのものも定かではない半ば伝説上の存在です。
義仲が木曽谷で挙兵した時から付き従っていたこともあり、彼女の軌跡はほぼ義仲のそれと一致します。
個人的には1度は時代の寵児となりがらも、歴史の主人公になり切れなかった人物に興味を惹かれます。
そして木曽義仲はまさにその典型的な人物です。
他の代表的な例としては新田義貞が思い浮かび、中国史であれば劉邦と争った項羽、古代ローマ史であればポンペイウスなどが私の中で該当します。
義仲は源氏の武将としていち早く平氏の大軍を撃破して京を制圧します。
頼朝と同じく武家の棟梁としての資格である八幡太郎義家の血筋を受け継ぎ、その武勇も申し分ありませんでした。
さらに彼の従える四天王と呼ばれる武将、本書の主人公である巴御前たちの実力も頼朝麾下の武将たちとまったく遜色ありません。
しかし結果的に義仲は頼朝に敗れることになります。
その原因を義仲には頼朝と違い合戦には長けていても長期的な戦略を立てる軍師が不在だった、義仲自身に思慮や慎重さが足りなかったと指摘する歴史家がいますが、歴史の"If"含めてそうした要因を想像するのは歴史を楽しむ醍醐味の1つといえます。
話が逸れましたが、本作品の主人公は巴御前と木曽義仲の2人であるといえます。
2人は他人が同席していても、お互い心の中で会話することができ、さらに巴御前は他人の心を読むことができます。
いわゆる超能力の持ち主ということになりますが、伝説上の女武将を小説作品として描く設定としては悪くありません。
清和源氏の血すじを受け継いだ義仲は、信濃国木曽谷の豪族によって大将に担ぎ上げられた面もあり、つねに疑心暗鬼と中で過ごします。
一方でその心中を唯一理解できるのが巴御前であり、2人が単純な主従関係でも恋人関係でもないという絶妙な距離感が描かれています。
作品全体を通してのストーリーのテンポも良く、歴史エンターテイメントとして楽しく読むことができました。
おろしや国酔夢譚
天明2年(1782年)。
伊勢から江戸を目指して出港した廻船・神昌丸に乗り込んだ船頭光太夫はじめ15名は嵐によって7ヶ月も大海を漂流することになります。
神昌丸はアリューシャン列島の1つアムチトカ島に漂着しますが、アラスカ半島に連なる列島ということもあり、そこでは過酷な自然が待ち受けていました。
タイトルにある"おろしや"とはロシアのことであり、ベーリング海一帯に毛皮を求めて進出していた当時のロシア帝国の人びとと出会うことで彼らの運命は大きく変わってゆきます。
光太夫一行の異国での生活は10年間にも及びますが、故郷へ戻るという念願を果たせず寒さや病気で次々と倒れてゆく仲間たちが続出することになります。
それでも光太夫はユーラシア大陸を横断しモスクワやペテルブルグを訪れ、ロシア皇帝エカチェリーナ2世に拝謁することになります。
文化も言葉も気候もすべてが違う異国の地で過ごす日々。
さらに帰国の可能性も定かではない不安がつきまとうとあっては、お世辞にも明るい物語とはいえません。
それでも光太夫に協力してくれる少数のロシア人が現れたり、若い船員たちはいち早く日常生活の中でロシア語を覚えて彼らの生活に馴染んでゆく様子も描かれています。
はじめは漂流記くらいの気持ちで読んでいたのですが、次第に15名の日本人たちの人生を描いた壮大な作品であることに気付き、読む人によって印象に残る登場人物も異なってくるはずです。
例えばロシア文化に馴染もうとせず、ひたすら故郷へ帰ることだけを願い続けた九右衛門と、洗礼を受けロシアの地に残る人生を選んだ新蔵の存在は対称的です。
また本作品の持つ別の魅力は、数奇な運命でロシア帝国を訪れることになった当時の日本人たちの紀行文になっているという点です。
作者の井上靖は光太夫の残した記録だけでなく、ロシアに残っている文献も引用して当時のロシア人たちの生活や文化、滞在した町で起こった出来事などを作品の中で綴っています。
本作品の主人公ともいえる漂流時の船頭であり、ロシアの地では日本人たちの代表であった光太夫は不屈の精神で仲間たちを励まし続け、またロシア帝国の要人に働き続けることで帰国を実現させます。
単純な娯楽小説として楽しむには暗い作品ですが、歴史小説、紀行文、そして人間ドラマを描いた作品としての魅力を持っています。
つまり時代を超えて読み続けられるべき1冊ではないでしょうか。
鉄砲無頼伝
信長台頭以前の戦国時代を代表する鉄砲軍団といえば雑賀衆と根来衆が有名です。
雑賀衆を率いた鈴木孫市は有名で多くの歴史小説に登場しますが、根来衆を率いた津田監物(けんもつ)を知っている人は少ないかも知れません。
監物は種子島に鉄砲が伝来してから間もない時期に自ら島まで出向いて鉄砲を入手します。
帰郷した監物は根来の鍛冶職人を組織し鉄砲の大量生産に成功すると同時に、根来寺の僧兵たちに鉄砲の訓練を施して傭兵軍団を作り上げます。
白い袈裟頭巾をかぶった山法師の格好をした僧兵軍団が鉄砲を担いで戦場に現れ、次々と敵兵を撃ち倒す光景を想像すると謎めいた魅力を感じます。
つまり監物は日本ではじめて鉄砲の量産を成功させると共に、その有用性を戦場で証明したという輝かしい功績があるのです。
ただし津田監物の活躍は、信長が台頭する時期より前ということもあり、それほど知られていないのです。
本作品では監物が根来衆を率いて足利義輝や三好長慶、松永久秀といった近畿地方の勢力の中で活躍する姿が描かれています。
根来衆は傭兵軍団であり、恩賞の金額次第で雇い主を裏切ることもあれば、旗色が悪い味方を見捨てることもあります。
要するに監物率いる根来衆は、忠義心という美学を微塵も持ち合わせていないのです。
そろそろ合戦に飽きてきたし、金もたんまり稼いだから紀州に帰ってのんびり過ごしたいという心情は、領土を巡って争い続ける普通の武士たちには無い感覚です。
剣豪小説が多い津本陽氏の作品の中では珍しいストーリーですが、殺伐とした戦国時代を悠々と生きてゆく男たちの魅力が詰まっている1冊です。
石橋湛山―リベラリストの真髄
石橋湛山(いしばし たんざん)は明治~大正、そして昭和を生きたジャーナリスト、そして政治家です。
戦後の政治家という点では、吉田茂、鳩山一郎、池田勇人と比べると知名度は低いのではないでしょうか。
それは病気によりわずか2ヶ月間で総理大臣の地位を去った「悲劇の宰相」であることも一因でしょうが、彼を別の視点から見るとまったく違った像が浮かび上がってきます。
彼の真骨頂は近代日本における稀有なリベラルなジャーナリストとしてであり、前出の3人が生粋の政治家であったのと違い、彼が政界を志したのは戦後になってからでした。
当時の日本においてリベラルなジャーナリストは、政府から危険視されていた共産主義者よりも珍しい存在であり、帝国主義、そして次々と植民地政策を推し進める日本政府へ対して一貫して反対し続けました。
まずは有権者の資格として直接国税を一定以上納めるという条件を撤廃し、完全なる普通選挙と民主主義の実現を訴え続けました。
湛山は明治期の政府を藩閥政治、専制政治であると批判し続けたのです。
次に朝鮮半島や満州含めた日本の実質的な植民地をすべて放棄することも主張し続けました。
外国はそこに住む各民族が主権者なのであって、無理に支配したところで反感や不安は決して消えず、結果的に長い目で見れば政情不安の原因になり、国家にとって損失になるというものでした。
湛山は単純な平和主義者であったわけではなく、その理由を政治、外交的論点、経済的論点、人口・移民的論点、軍事的論点、国際関係的論点いずれから見ても無益であることを理論的に指摘したのです。
それは帝国主義そのものを否定することであり、その延長線上にある日中戦争、日独伊三国同盟、アメリカとの開戦すべてを批判し続けました。
湛山は東洋経済新報社の記者、あるいは主幹としてこうしたジャーナリスト活動を続けましたが、戦時下の言論統制にあっても発言や考えを翻すことはありませんでした。
当時の政府は言論弾圧の方法として、反戦的な記事の出版社へ対してインクや用紙の割当を減らすといった実力行使に出ますが、それを心配した友人が同情しても
「いざとなれば雑誌を廃める覚悟さえしていれば、まだ相当のことがいえますよ」
と語ったといいます。
湛山は社屋や私邸を売却してでも雑誌を発行し続けることにこだわり、言論の自由を何よりも重んじていたのです。
湛山はクラーク博士、そのクラークの薫陶を直接受けた大島正健(湛山が通った尋常中学校の校長)から強い影響を受けており、そこで学んだアメリカン・デモクラシーの精神がその考え方の根底にあり続けたのです。
そのため戦後の実質的なアメリカ占領下の日本ではGHQと意見が一致したかといえば、まったくの逆でした。
政界へ進出した湛山は、戦勝国による一方的な占領政策を批判し、日本の真の独立を模索し続けたのです。
そのためGHQから帝国主義者・全体主義者というまったくの濡れ衣で公職追放(レッドパージ)される屈辱を味わうことになります。
1950年代の段階で湛山は日米安保体制、つまりアメリカ追従外交が日本およびアジアの安全を将来にわたり保障することは困難であることを予測し、日中米ソ平和同盟という構想を持ち、かつその実現に向けて精力的に活動していたのです。
そしてまさに現在、米中関係が冷え込む中で湛山が危惧していた安全保障上の不安が実現化しつつあります。
当時と違い中国が大きな成長を遂げた今、あくまでも日米同盟に固辞し続けるのか?
今まさに石橋湛山という人物を再評価する時期が来ているといえます。
朱鞘安兵衛
タイトルの朱鞘安兵衛でははなく、堀部安兵衛といえばピンと来る人も多いのではないでしょうか。
本書は赤穂浪士四十七士の1人して知られている堀部安兵衛(武庸)を主人公にした歴史小説です。
著者の津本陽氏といえば剣豪小説で知られていますが、赤穂浪士随一の剣の使い手といえばこの安兵衛ではないでしょうか。
安兵衛は越後新発田藩の物頭役・中山弥次右衛門の嫡男として生まれます。
しかし父・弥次右衛門は失火の責任を問われて、家禄召し上げ、領地追放という不幸に見舞われます。やがて父は失意の中で病死しますが、幼い頃より父から新陰流の手ほどきを受けてきた安兵衛は、剣術修行の旅に出ることになります。
上州・馬庭念流道場で剣術を学び、やがて江戸に上がり直心影流の堀内道場に入門することになります。
そこで講談で有名な高田馬場の決闘などを経て、播磨国赤穂藩の堀部弥兵衛金丸の養子となりますが、ここまでの経歴を見ても安兵衛の半生が波乱万丈だったことが分かります。
剣術に励み、その武勇が評判になり浪人から立身出世を遂げたのですから、武士としての大いに面目を施したといえるでしょう。
しかし忠臣蔵で知られている通り、その幸せは長くは続きませんでした。
数年後に赤穂事件が起こるからです。
藩主・浅野内匠頭は切腹、領地も幕府に没収されるにあたり、安兵衛には旧縁のある新発田藩から仕官の誘いがあったようですが、それを断り主君の仇討ちを決心するのです。
本作品の中心はあくまでも安兵衛であり、忠臣蔵の物語はあくまでも作品の背景に過ぎません。
安兵衛は仇討ちを計画する浅野家旧臣の中でも、急進派の中心人物ととして知られます。
腕は確かで勇気と義侠心も充分に持ち合わせてい一方で、仇討ちの成否よりも一刻も早く主君の恨みを晴らすための決行を急ぐところはいかにも安兵衛らしさといえます。
忠臣蔵に登場する浪士の中でも大石内蔵助とはまた一味違った、堀部安兵衛の爽やかさ際立つ作品です。
歴史の活力
前回紹介した「中国歴史の言行録」に続いて、宮城谷昌光氏による自己啓発的エッセイです。
前回が中国古典にある名言から人生、あるいはビジネスにおけるヒントを示唆していたのに比べ、本書では中国古典はもちろん本田宗一郎や小林一三といった近代史における名物経営者のエピソードも紹介されています。
後世に名を残した人たちの中には、栄達した者もあれば破滅の道を辿った者もいますが、本書にはそうしたエピソードで彩られている1冊といってもいいでしょう。
つまり現代に生きる私たちが、よりよい人生を送るためのヒントになる考え方を膨大な量の史料の中から効率良く紹介してくれている1冊なのです。
本書では以下のように章が構成されています。
- 人相篇 -強烈な個性をはなつ異相の人物
- 言葉篇 -ことばは、過信することなく重んじる
- 真偽篇 -真偽を正しく知るは大いなる力
- 才能篇 -"努力し得る"才能こそ天才の本質"
- 命名篇 -時間と、人に対する命名
- 創造篇 -創造力を支える実見・実用
- 教育篇 -教育により人は立つことを得る
- 死生篇 -平安な時にそなえあって天命に耐える
- 父子篇 -先達である父の教えは道理にかなう
- 人材篇 -人材の登用が明暗を分ける
- 先覚者篇 -非凡を転じて先覚者となる
- 哲理篇 -正しい生き方の知恵
- 貧富篇 -謙虚にして富のなんたるかを知る
- 信用篇 -窮地から救ってくれるものは信用
- 観察篇 -観察眼なしに人は動かせない
著者の専門は中国史ですが、人相篇、命名篇、哲理篇といったあたりは普通の啓発本ではまず取り上げられないテーマであり、著者らしさが出ています。
孔子や老子といった有名な大思想家、理想的な政治を行ったとされる三皇五帝の言動が見本になるのはもちろんですが、劉邦、劉備といった抜きん出た才能も持たなかった人物が一躍有名になった要因に言及している部分などは、より身近に感じられるのではないでしょうか。
論語にある次の言葉のように、中国史にはその根底に独特の考え方が存在しています。
死生、命あり。冨貴、天にあり。
これは生き死にや財産を成すことや出世はすべて天命が決めることだから、人間の力ではどうにもならないという意味です。
一見すると残酷な言葉のようですが、才能や努力が必ずしも実を結ばないのは今の昔も変わらない事実です。
ただし失敗や挫折で自分を責めても仕方がないという意味も含んでおり、救いの言葉にもなっているのです。
一方で天命を引き寄せるのは正しい生き方と信念であるという考え方も根付いており、必ずしも怠惰で運任せのような人生を送ることを肯定しているわけではありません。
本書で取り上げられている人物は、いずれも激動の時代を生き残ってきた人たちです。
彼らの生き方を真似することは出来ませんが、今の時代を行きてゆく我々にとっても、そこから何かしらのヒントが得られるはずです。
中国古典の言行録
中国歴史小説の第一人者である宮城谷昌光氏が、ビジネスマン向けに中国古典の名言を紹介している1冊です。
いわゆるビジネス書、自己啓発本と呼ばれるジャンルですが、歴史小説作家がこうした類の本を執筆する例はよくあります。
人の一生、つまり人生を学びたいと思った場合、本質的に同時代を生きている人から学ぶことは難しく、また非効率です。
歴史は過去に生きた人間たちの記録といってもよく、そこには偉人や聖人もいれば、非業の死を遂げた人も星の数ほどいます。
つまり歴史は、東西古今問わず彼らの完結した人生を知ることのできる最も効率的な教科書であり、歴史小説作家はその専門家であるという見方ができます。
本書では論語、老子、孫氏、荀子、韓非子、史記、三国志といったメジャーな中国古典、また晉書、三事忠告、貞観政要といった少しマイナーな古典から実に50以上もの名言が紹介されており、以下のようにジャンルごとに章立てされています。
- 自己啓発
- 日常の心得
- 人間関係
- 指導者への帝王学
- 経営戦略
中国古典の名言の魅力を一言で表せば、無駄を究極的に削ぎ落とした文体でありながら、その意味するところが実に奥深いという点です。
例えば本書で紹介されている名言に次のようなものがあります。
不知無如(知る無きに如かず)
これは異例の抜擢により宋の宰相となった呂蒙正の言葉ですが、経営者向けの名言として紹介されています。
トップになれば影で悪口を言われるのは当然であり、それが抜擢人事であればなおさらです。
しかしなまじ言った本人を突き止めてしまえば、その人を能力ではなく感情で判断してしまう要因になってしまい、有能な人材を用いることができなくなることを諌めた言葉です。
何でも知りたがるのが人の性ですが、中には知る必要のないネガティブな性質の情報が存在することをはるか昔に生きた人は知恵として身に付けていたのです。
こうした金言をたった4文字で表現しているのが中国古典の魅力といえるでしょう。
ビジネス書としてはもちろん歴史エッセイとしても楽しめる1冊になっています。
戦争で死ぬ、ということ
「人類の歴史は戦争の歴史である」という言葉がある通り、歴史の教科書を開いても武力によって国家や王朝の興亡が繰り返されてきたことが分かります。
こうして戦争は有史以来繰り返されてきたわけですが、近代戦争、具体的には第一次世界大戦以降、戦争の質が大きく変化したと言われています。
その背景には、製品の技術革新や大量生産を可能にした産業革命があり、より簡単により大量に人を殺戮できる兵器が登場したことが挙げられます。
また近代戦争は、総力戦の形態を取ることが多く、軍事力のみならず内政や外交、技術や思想といった国家の持つあらゆる資源を戦争へ投入するようになりました。
簡単に言えば、より大量の資源を消費し、より大量の死傷者を生み出す戦争が行われるようになりました。
もちろん戦争を行う指導者たちは正義は自分たちにあると信じており、祖国のために喜んで犠牲になる兵士がいることも事実です。
本書は戦争の正義がいずれにあるのかを論じているわけではなく、ただひたすら戦争の実態を描き、それを読者へ問いかけるというスタイルをとっています。
戦後生まれの著者は戦争体験者に取材を重ねることで、その生々しい実態を描き出すといった手法を取っています。そしてその内容は、少し想像力を働かせれば直視に耐えられない光景であることが分かります。
- 空襲で頭が半分吹き飛んだまま、数メートル走り続け倒れて死んだ少年
- 座って赤ちゃんを抱きしめたまま首が無くなって死んでいる女性
- 淀川に浮かぶ何十個もの生首
- 病気と空腹で動けず密林の中で次々と手榴弾で自決する兵士たち
- 息絶えた子供を固く抱きしめ狂気の如く叫びながら走る母親
また本書では愛国という旗印の元で、女性たちが経験した戦争時代も描かれています。
当時の人気歌手・美ち奴が歌った「軍国の母」の歌詞を見れば世相を知ることができます。
こころおきなく祖国のため
名誉の戦死頼むぞと
涙も見せず励まして
我が子を送る朝の駅
一方で現在においても戦争賛美とまでは行かなくても、関係が悪化しつつある隣国へ対しての武力行使もいとわないといった意見も見受けられます。
血気盛んな若者の声というなら分かりますが、個人的に親が戦争を経験している団塊世代の人からこうした意見を直接聞いたときには驚いた記憶がありましたが、おそらく発言した本人に戦争の実態への想像力があるとは思えませんでした。
いずれにせよ戦争の想像と現実の間にあるギャップを確認してみるだけでも本書の価値はあると言えます。
太陽は地球と人類にどう影響を与えているか
私たちの大部分は月の満ち欠けと違い、太陽は毎日決まって姿を現すものであり、見た目の変化は発生しないものと思い込みながら生活しているのではないでしょうか。
私もその1人ですが、本書では国立天文台で太陽観測を中心に行っている花岡庸一郎が、最新の研究データと成果を用いて太陽を解説してくれます。
太古より太陽は地球にとって最大のエネルギー源であり、その比率は人類が電力や化石燃料を使い始めてからも圧倒的であり、実に99.97%を占めると言われています。
そもそも太陽が無ければ地球上の動物はおろか植物さえ全滅してしまうほどの極寒の世界になることを考えると、妥当な数値ではないでしょうか。
科学の歴史でいうと、人類は17世紀初頭にはじめて太陽の黒点を観測するようになりますが、それが地球へどのような影響をもたらすのかは長らく謎のままでした。
その影響が初めて認識されたのが19世紀後半であり、その原因が解明されたのは20世紀半ばになってからです。
それは太陽の黒点周辺で発生する太陽フレアにより大量のX線が放出され、地球の電離層を擾乱するこよって無線通信の障害が発生するというものです。
いわゆる磁気嵐と呼ばれているものです。
何やら難しそうですが、無線通信が携帯電話の電波、GPS、航空無線などに使われていることを考えると、私たちの生活インフラの一部になっていることが分かるはずです。
それでも私自身が磁気嵐によって困ったという経験がありませんが、最新の研究で8世紀や10世紀に大規模な太陽フレア、つまり"スーパーフレア"が発生していた可能性が示唆されており、これが現代社会で発生した場合、通信障害だけでなく、世界規模の大停電にまで至る可能性が高いと言われています。
最悪の場合、核兵器含めた近代兵器が暴走する危険性さえあるかも知れません。
つまり皮肉なことに文明社会が高度化、複雑化した結果として、人類が太陽から深刻な影響を受けるようになったのです。
本書では太陽の仕組みから、最新の研究成果、そして人類への影響といった点を専門家の立場から豊富なデータを使って解説しています。
その殆どが今まで知らなかったことであり、知的好奇心を充分に満たしてくれる1冊になっています。
有史以前より人類にとって太陽は絶対的な存在であり、各地の民族がそれを信仰の対象とし、神格化してきた歴史がありました。
そして科学の発展よって太陽の仕組みが明らかになってきた現代においても、やはり太陽は地球にとって絶対的な存在であり続けるのです。
逆転世界
久しぶりにSF作品をレビューします。
今回紹介する「逆転世界」は、SF小説の中でもかなり純度の高い作品です。
舞台となるのは「地球市」と呼ばれる、可動式の都市です。
例えるならジブリ作品の"ハウルの動く城"ならぬ"動く都市"なのです。
それも魔法の力で浮遊するわけではなく、レールを敷設して10日で1マイル(約1.6km)ずつ移動させるといった地味なものです。
彼らの先祖は地球を遠く離れた惑星に降り立ち、そこでは都市を"最適線(都市が位置すべき理想の場所)"を目的として移動させ続ける宿命にありました。
しかも最適線自体がつねに移動し続けるため、それを目指す都市も永遠に移動を止めることができないのです。
都市に住む大部分の人たちは都市の外に出ることも、外界を覗くことも禁じられた世界の中で暮らしていたのです。
都市を移動させるために尽力する人びとはいずれもギルドに所属しており、彼らのみが都市の外へ出ることが許されています。
主人公の"ヘルワード"もその1人ですが、そもそも彼を含めて何のために都市を移動し続ければいけないのかという真の理由は誰も知らないのです。
優れたSF作品は、荒唐無稽な空想世界を描いたものではなく、必ずどこかに現代社会を投影した要素が存在します。
移動する"地球市"は閉鎖的な空間ではあり、そこで暮らす人びとは厳格または暗黙のルールに従って生きてきました。
例えばそれを現代社会の中で考えてみると、それは私たちの所属する会社や学校のルールであったり、地域の慣習であったりすることに気づきます。
そうした規律は組織の中で安全・円満に過ごす上では有用なものですが、一方でそれが当たり前になり過ぎると考えることをやめてしまい、現状からの変化を恐れるようになります。
SF小説は時間の経過ともに作品設定そのものが陳腐になりやすいジャンルですが、本作品は1974年という今から45年前に発表された作品にも関わらず、今でも色褪せずに楽しめる貴重な作品です。
そもそも最適線とは何なのか?
地球市はいつまで移動し続ければいけないのか?
そしてその真の理由は?
それは作品を読んでからのお楽しみですが、これからも定期的にSF小説もレビューしてゆきたいと思います。
わたしの流儀
吉村昭氏が作家としての日常、出会った人びと、また日々感じたことをシンプルに綴ったエッセイ集です。
掲載されているほとんどのエッセイが文庫本で2~3ページの分量のため、1分で1本のエッセイが読めてしまいます。
作家のエッセイを読むと、作風からははまったく想像できない人柄であったり、逆に思った通りの人物像だったりすることがありますが、本書に関しては完全に後者が当てはまります。
吉村氏の作品をジャンル分けすると歴史小説、または戦争文学に分類されると思いますが、彼の特徴は他の同ジャンルの作家と比べても史実を重視することにあり、作者自身の創作部分を極力排除した作風で知られています。
そのため彼は「記録小説」という新しいジャンルを開拓したと評されています。
それだけに吉村氏は日本各地を飛び回り、調査や取材を重ねていることがエッセイから伺えます。
また東京の自宅にいるときは、正月以外1日も休むことなく書斎の机に向かう日常を送っていると言います。
書斎の四方の壁には天井まで伸びた書棚があって、書籍が隙間なく並び、床の上にまであふれ出ている。
それらにかこまれて、机の上に置かれた資料を読み、原稿用紙に万年筆で文字を刻みつけるように書く。
海外旅行や温泉旅行に行く訳でもなく、ギャンブルや何かの趣味に興じることもなく作家活動に専念する様子は、まさに私のイメージとぴったり重なります。
ただしストイックに自分を追い込んで執筆活動を続けているというより、作家という職業が天職であり、心底から性に合っているという感じです。
一方で趣味を持たない吉村氏が唯一の楽しみにしているのがお酒だといいます。
毎日欠かさず晩酌をしていると言いますが、
たしか私が千鳥足になったのは、焼酎をコップ17杯飲んだ時だけで、お銚子28本並べたこともある。とあるように、完全に酒豪のレベルです。
それでも取材の旅行先では午後6時、自宅では午後9時になるまでは決して酒を口にしないというルールを自らに課しているというところが吉村氏らしい部分です。
至るところで吉村氏の温厚で真面目な性格が垣間見れますが、エッセイそのものが平凡で退屈ということは決してありません。
なぜならエッセイで一番重要な要素"ユーモア"を決して忘れていないからです。
最後の晩餐では"アイスクリーム"を食べたいと言ったり、行きつけの浅草の小料理屋で自分の正体がバレていないことをいいことに職業を「養豚業者」と名乗ってみたり、吉村氏が真面目な顔でそのように発言している場面を想像すると、不思議な面白みが出てくるのです。
白仏
著者の辻仁成氏が、祖父をモデルにその生涯を描いた作品です。
辻氏は1959年生まれであり、祖父は日露戦争へ出兵した経験を持つ世代です。
祖父(作品中では稔)の生まれは福岡県の大野島( 現:大川市大字大野島)であり、江戸時代に筑後川の河口にある三角州へ移住した人びとが開墾した土地です。
この土地で生涯暮らし続けた主人公・稔は老境に入って骨仏(白仏)を作り上げることになり、それが作品のタイトルにもなっています。
骨仏は信仰の1つの形として日本各地に点在するようですが、彼の場合は大野島の各所に眠る3000体もの遺骨を掘り出して完成させたというから驚きです。
そもそも墓から遺骨を掘り起こすという行為自体、遺族の了承を得る段階から始めなければならないと考えると途方もない労力であり、一大事業であることは容易に想像ができます。
ただし骨仏建立プロジェクトの過程を描くことが本作品の目的ではありません。
そこに至るまでの信念は一体どこから生まれてきたのか?
つまりそれを描こうとすれば、必然的に祖父(稔)の生涯を描かずにはいられないことになります。
本書では稔の生涯を忠実になぞるノンフィクション作品としてではなく、激動の時代を生きた1人の人間の生き様を文学として描いたものです。
稔が生きた時代は、親子三世代、つまり大家族で暮らすのが普通でした。
また同時に海外への出兵、医療や衛生が未発達だった要因もあり、"死"が身近なものとして日常の光景に存在していました。
たとえば10人兄弟のうち、病気や事故などで成人に達したのは半分の5人ということも珍しくはありませんでした。
稔自身も兄弟、幼馴じみ、初恋の人、そして息子までもが、事故や病気、戦死、ときには自殺といった要因で亡くなってしまう体験をします。
さらに日露戦争では、生き残るか殺されるか究極の状況の中で、敵として現れたロシア人青年を自分の手で殺める経験もしています。
それさえ同時代に生きる人からすれば特別な出来事ではなかったはずですが、稔は幼い頃から"人の死"、もっと言えば”人は死んだら何処へ行くのか?”ということを人一倍考え続けてきたのです。
物語の大部分は、周囲10キロにも満たない筑後川の河口にある大野島を舞台に進行してゆきます。
大野島には橋がなく、戦後まで対岸へは渡し船で移動するしかありませんでした。
必然的に土地に住んでいる家族同士の付き合いは濃く、稔の生家であった鍛冶屋も例外ではありませんでした。
つまり親族や近所同士だけでなく、幼馴じみや恋人、学校の先輩や後輩といった関係が生活の隅々にまで浸透している共同体の中に暮らしていたのです。
現代に暮らす私たちであれば息苦しく窮屈に感じてしまうような環境ですが、こうした時代・地域でなければ、人びとの遺骨を粉砕し混ぜ合わせて1体の骨仏を建立するという発想は生まれなかったはずです。
そこに暮らす人びとの息づかいが聞こえてきそうな作品であり、素朴に暮らし、数々の困難を受け入れ、そして乗り越えてゆく姿からは哲学的なメッセージさえ感じます。
承久の乱
以前ブログで紹介した中公新書から出版されている壬申の乱に引き続いて、今回は承久の乱を手にとってみました。
日本の大乱シリーズを時代順に読んでいる訳ですが、古代ロマンが感じられる壬申の乱と違い、個人的には地味な乱というイメージがありました。
何故なら源平合戦が終わり、平清盛も源頼朝も過去の人となった鎌倉時代初期の戦乱ということで登場人物が地味という印象があり、無謀にも朝廷が北条家へ対して主導権争いを挑んで失敗したというイメージしか持っていませんでした。
しかし本書を読み進めてゆくと、日本史の教科書では数行程度でしか記述されていない乱が、歴史のターニングポイントとなった重要な出来事であることが分かってきます。
それを一言で表すと、承久の乱によって日本の実質的な権力は幕府(武家政権)が担うことになったということです。
清盛も頼朝も実質的に朝廷を上回る軍事力を持っていたと言えるかも知れませんが、その立場は明らかに朝廷が上であり、彼らが政権を担っていたとは言えません。
2人はあくまでも朝廷から軍事司令官としての地位を与えられただけであり、清盛はそれに相応しい地位を得るため官位昇進に熱心でしたし、頼朝に至っては官位よりも朝廷から東国の経営、つまり勢力地盤の独立さえ担保できれば満足でした。
しかし承久の乱以降、幕府にとっての反対勢力の指導者がたとえ天皇や上皇であろうとも容赦なく処断される時代になります。
そのきっかけを作ったのが、皮肉にも天皇として並外れて優秀であった後鳥羽上皇でした。
彼は歴史上に残る歌人として、琵琶の名演奏者として、蹴鞠の達人、優秀な武芸者としてマルチな才能を発揮した人物であり、政治への意欲、行動力どれを取っても非の打ち所がない人物でした。
しかしそれが故に、自分の意向に従わない幕府を実質的に主導していた北条氏と正面衝突することになったと言えます。
一言でいえば自信過剰だったということになりますが、たとえ帝王と言えども快適な宮廷育ちの後鳥羽上皇と、幾度もの戦場をくぐり抜けてきた武士たちとの勝負は始めから付いていたのかも知れません。
本書で取り上げられているのはもちろん承久の乱ですが、本書のはじめでは後三条、白河上皇から、鳥羽・後白河上皇へと受け継がれた院政の流れ、その過程で発生した保元・平治の乱、平家・源氏ら武家の台頭という後鳥羽上皇登場以前の流れを一通り振り返っているため、スムーズに本題へ進むことができます。
また政治面・軍事面だけでなく、文化面にも目が配られており、専門的な内容ながら読者が時代の奥行きを感じられる1冊となっています。
十一の色硝子
タイトルから推測できるように11編の作品が収められている遠藤周作氏の短編集です。
- ワルシャワの日本人
- カプリンスキー氏
- 幼なじみたち
- 戦中派
- 代弁人
- ア、デュウ
- 黒い旧友
- 環りなん
- うしろ姿
- 五十歳の男
- 聖母賛歌
遠藤氏の長編は、「沈黙」や「深い河」に代表されるように人間の宗教や死生観に踏み込んだ重々しいテーマの作品が多く、一方でエッセイではジョークの効いた軽快な作品が多く、その雰囲気は正反対と言ってもいいくらいです。
そうした意味では短編集の作品は、ちょうどその中間地点にあるような位置付けにあります。
著者にはフランス留学の経験があり、その頃の体験をモチーフにしたもの、かつて大病を患った経験、昔の飼っていた犬の話などをテーマに選んでおり、本書の作品は私小説の側面があります。
短編ということもあり、伏線もなくストーリーが淡々と進んでゆきますが、その根底に潜むテーマはかなり重いことに気づきます。
人間の傲慢、差別、孤独、老い、身近な人の死など、お世辞にも明るい内容ではありません。
ただし作品中では重々しい雰囲気を前面に押し出すわけではなく、作品に登場する主人公たちの日常生活の中に溶け込む形で描かれています。
なぜなら先ほど挙げたテーマは重々しく感じるものの、誰にとっても身近なものであり、人生において一度は経験することになる事象だからです。
1つの例えとして、誰もが常にいつか訪れる自らの"死"を意識して生活しているわけではありません。しかし自らの大病、または身近な人の死を通じて、今まで以上に”死”を意識し始めることもあるでしょう。
そして遠藤氏は生死の境をさまよう大病を何度か経験しながら作家活動を続けてきただけに、こうしたテーマを敏感に感じ続けて作品中に投影し続けてきたのかもしれません。
朱の丸御用船
本作品の舞台は、鳥羽藩の波切村(現・三重県志摩市波切)です。
日本のどこにでもある普通の漁村ですが、廻船交通が盛んな江戸時代において村にある大王崎は熊野灘と遠州灘とを分ける難所として知られていました。
それは沈没や難破する船が多かったことを意味しますが、波切村では沖で無人の水船(難破船)が発見された場合、それを村の所有とする"瀬取り"という暗黙のルールが存在していました。
海難事故の犠牲者(水死体)が村に流れ着いた場合、それを"流れ仏"として丁重に葬り、瀬取りで得た積荷は海からの恵みとされていました。
そして村人たちの結束は固く、瀬取りの事実が外へ漏れることはありませんでした。。
ここまでは作品は導入部ですが、作品中には当時の漁村の人びとの暮らしを淡々と描く場面が多く登場します。
ストーリーとは直接関係ないこうした描写を退屈だと感じてしまう人がいるかも知れませんが、個人的にはこうした昔の人びとの生活や風習を知ることのできる民俗学的な描写がかなり好みです。
"瀬取り"は、公式には禁止されていましたが、村びとたちの暗黙のルールで続けられてきたことは冒頭で述べました。
しかし何事にも例外は存在するもので、それが厳しい監視下に置かれていた御城米船でした。
御城米とは幕府に納める年貢米を運搬する廻船であり、この年貢米を密売したり盗み取った者は、「悉く(ことごとく)死罪行われるべき事」という法律がありました。
本作品には、この御城米を密売した船頭と、瀬取りした波切村の村びとたちが登場します。
船頭の密売は緻密に計画されたものであり、また村びとたちの瀬取り行為は決して外に漏れない結束の固いものだったはずですが、思いがけないところから権力者(役人)たちの知るところになります。。
この出来事が、日本のどこにでもある漁村の平和な日常を崩壊させるきっかけに繋がってゆくのです。
著者の吉村昭氏は、この出来事をある本の中の短い記述から偶然知ることになります。
そこから地元の史家を訪ね、そして現地の史料を精力的に収集します。
その成果として発表された本作作品に登場する人物は主人公の弥吉を除き、すべて実在とであるというから驚きです。
誰一人歴史上の有名人が登場するわけでもなく、村びとや地方役人といった名もなき歴史の中で忘れられていた人びとを掘り起こることで本作品は成り立っています。
決して派手な物語ではありませんが、歴史のリアリティを描いた作品として一流であり、本書からは作者の妥協しない執筆スタイルを垣間見ることができるのです。
空白の五マイル
大きくはノンフィクションの括りになると思いますが、"冒険"や"探検"というテーマに惹かれて本を手にとる機会があります。
本ブログではあまり紹介していませんが、過去に新田次郎の山岳小説を片っ端から読んでいた時期があり、それがきっかけになりました。
前人未到の山頂、密林のジャングル、見渡す限りの大海原、極地と冒険の舞台はさまざまですが、著者の角幡唯介氏は19世紀のイギリス人に代表される古典的な地理的探検の世界に憧れていたようです。
"古典的"と表現したのは、21世紀になり世界地図が完成され、未知の大陸はおろか島さえ存在するはずもなく、地球上はすべて探検し尽くされたように思われていたからです。
その中で角幡氏は、チベットの奥地にツアンポー峡谷と呼ばれる陸の孤島ともいえる地図の空白地帯が存在することを知るのです。
交通の便が悪い僻地であることに加え、"峡谷"という言葉が示すように川の両側には高く険しい崖がそそり立ち、さらに川はあまりの激流でカヌーで下ることも不可能という地形が21世紀に入っても人類の侵入を拒み続けていたのです。
当然のように過去にこのツアンポー峡谷に興味を抱いた探検家たちは存在し、実際に探検も行われていました。
日本も含め各国が大規模な探検隊を編成し、このツアンポー峡谷の謎を解き明かしてきましたが、それでも残った最後の地図上の空白地がタイトルにある通り5マイル(約8km)ということになります。
またチベット仏教に関連した伝説として、ベユル・ペマコと呼ばれる理想郷がこの地域にあるという言い伝えも探検家たちの好奇心を揺さぶる要因になっていました。
もちろん角幡氏自身ががその伝説を真に受けていたわけではありませんが、彼の決意が揺らぐことはありませんでした。
その当時の心境を次のように語っています。
この無茶な冒険で自分は本当に死ぬかもしれない。
しかし冒険しないままこの後の人生を過ごしても、いつか後悔する。今考えると、そんなヒロイックな気持ちが当時の私にはたしかにあった。
そこには悲壮な覚悟があるわけではなく、やはり多くの冒険・探検家が共通して持っていた"好奇心"が原動力になっていたことが伺えます。
本書では19世紀の終わりから20世紀の終わりまでに試みられたツアンポー峡谷の探検史を紹介するとともに、自身が2002年と2009年の2回に渡って行った探検の一部始終が収録されています。
日本の若者がたった1人でチベットに降り立ち、人類未踏の地を目指してゆく姿に憧れを抱く読者は私1人だけでなはいはずです。
村上海賊の娘(四)
ベストセラーとなった歴史小説「村上海賊の娘」もいよいよ最終巻です。
もちろんクライマックは、村上海賊が活躍する第一次木津川口の戦いです。
毛利、そして能島・因島・来島村上家が総力を結集した水軍が、織田水軍が激突するという構図です。
織田方は和泉国淡輪(たんのわ)を根城にする海賊・真鍋七五三兵衛が総大将ですが、かつては主人公・村上景に惚れていた時期があり、他を圧倒する勇猛果敢なラスボス感たっぷりの存在として描かれています。
3巻の後半から4巻すべてを木津川口の戦いに割いており、とくに4巻はすべてが海戦シーンで埋め尽くされています。
個人的には作品全体のバランスから考えるとすこし長過ぎると感じてしまいますが、3巻までに登場した毛利方・織田方の武将たちの戦う姿が万遍なく描かれており、それぞれの人物に思い入れを持った読者を楽しませるための配慮が感じられます。
史実に忠実なタイプの歴史小説では、重要な登場人物がいつの間にかフェードアウトしてしまうことがよくありますが、本作品に限ってはそうした心配はありません。
とにかく織田方が優勢になったり、毛利方が盛り返したりといった場面が繰り返し描かれますが、潮流や風の向きによって船が流されたり、弓矢や焙烙玉の応酬、そして相手の船に乗り移っての接近戦など、海戦ならでは描写が楽しめます。
ちなみに文庫本の巻頭には作品の舞台となった瀬戸内海や大阪湾の地図が掲載されています。
私自身は、物語を読みながら巻頭地図を何度も往復しながら読書するタイプですが、作品を読み終わったあとに現地を訪問するための参考地図としても使えます。
さらに今治市の大島には、村上海賊ミュージアムがあります。
作品で何度も登場した実物大の小早船、村上武吉が使用した陣羽織、関船の模型などが展示されているようであり、いつか訪れてみたい場所です。
村上海賊の娘(三)
ベストセラーとなった「村上海賊の娘」ですが、4巻で構成されている長編にも関わらず作品の中で進行する時間はわずか5ヶ月程度です。
織田信長と石山本願寺の間で行われた石山合戦は10年(1570~1580年)に及ぶ戦いとなりましたが、これは"合戦"というよりも"戦役"と表現した方が正しいかもし知れません。
この戦役の中で1576年に毛利水軍と織田水軍の間での行われた"第一次木津川口の戦い"を取り扱ったのが本作品ということになります。
織田軍に包囲された石山本願寺は兵糧攻めに苦しみますが、信長へ対抗するために本願寺と同盟することを決めた毛利家は、海上から本願寺へ兵糧など物資の搬入を行うことを決定します。
その補給路となった大阪湾の制海権を巡って行われた戦いが木津川口の戦いということになります。
本願寺側が築いた木津砦を巡る攻防、そして木津川口における海戦が本作品の見どころになりますが、どちらも実際に激しい戦いが繰り広げられた戦でした。
とくに前者の戦いでは、信長方の総大将・原田直政(塙直政)が討死するほど激しいものでした。
直政は信長の側近である赤母衣衆の出世頭であり、もし彼がここで討死することがなければ、のちの前田利家のような影響力を持った可能性があります。
作品中で総大将の直政を討ち取ったのは、本願寺方に味方した雑賀孫市という設定もドラマチックです。
本作品の特徴は、長編にも関わらず進行する時間軸が短い分、登場人物同士の会話が細かく繰り広げられ、かつ合戦の模様を詳細に描くためにページを割いている点でしょうか。
そのため登場する武将たちにも細かい設定や性格が与えられており、読者によって応援したくなる武将が異なるかもしれません。
何はともあれ、じっくりとストーリーを味わうことのできる親しみやすい歴史小説であるといえます。
村上海賊の娘(二)
和田竜氏の歴史小説「村上海賊の娘」の第2巻レビューです。
1冊あたり約300ページという標準的な文庫本の分量ですが、歴史小説の割には登場人物のセリフが多い構成になっているためサクサクを読み進めることができます。
また和田氏の作品はマンガのような躍動感のある描写が多く、若い世代の読者が歴史小説に興味を持つきっかけとなる作品として最適です。
主人公の女海賊・村上景は、能島(のしま)村上家の当主・武吉の娘として登場します。
彼女は家臣や兵士たちから"姫"と呼ばれ男勝りの海賊働きをする女性であり、20歳という当時としては少々婚期を逃している年齢にも関わらず、腰を落ち着ける気配がありませんでした。
作品に登場する一族を簡単に紹介してみたいと思います。
村上武吉(父)
瀬戸内海で最大の勢力を誇る能島村上家の当主。
すでに数々の武功を挙げた武将として圧倒的な存在感を持つ。
村上元吉(兄)
能島村上家の嫡男。
海賊らしくない真面目で勤勉な性格であるが、景にとっては口うるさく説教をしてくる苦手な兄という存在であり、元吉から見るとやんちゃで困った妹という関係です。
村上景親(弟)
臆病でおとなしい性格。
景にとっては忠実な飼い犬のような弟であり、景親にとっては理不尽で恐ろしい姉という関係。
村上吉充(叔父)
因島(いんのしま)村上家の当主。小早川隆景に仕える。
普段は主家の機嫌を取る優男ではあるが、裏ではしたたかな面を見せる。
村上吉継(叔父)
来島(くるしま)村上家の幼い当主・通総を補佐する重鎮。
見た目も性格も豪快な海賊らしい海賊。景にとっては遠慮なく叱りつけてくる叔父であり、少し苦手な存在。
ほかにも乃美宗勝、児玉就英といった毛利家の武将や、景と偶然出会った一向宗徒など登場しますが、どの人物も作者らしく個性豊かに描かれています。
戦国時代の武将といえば立身出世を目指して豪快かつ自由に生きるというイメージがありますが、実際には裏切りや近隣の有力大名の動静をつねに気にしつつ、自家の存続を模索しなければならないというストレスのかかる環境でした。
また武力が物を言う時代だっただけに女性の活躍する場面は殆どなかった時代です。
しかし主人公・村上景は持って生まれた男勝りの気性と腕力を利用し、世継ぎとも無縁であることから海の上で自由奔放に生きる道を選ぶのです。
つまり彼女が行くところ、常にに何かが起こるのです。
村上海賊の娘(一)
2014年本屋大賞に輝いた和田竜氏の歴史小説「村上海賊の娘」を今さらですが手にとってみました。
室町から戦国時代にかけて瀬戸内海を拠点に活躍した村上海賊を取り上げています。
主人公は戦国時代に活躍し、村上海賊の最盛期を築き上げた村上武吉の娘という設定です。
作品中に"女海賊"というインパクトを残すために創作された人物だと思われますが、ほかにも歴史の中で活躍した"女傑"かいることを考えると、決して突拍子もない設定とは言えません。
海賊として活躍した村上氏は信濃村上氏に起源があるという説もあり、もしそうであれば武田信玄と争った北信濃の村上義清も同族ということになります。
海賊として瀬戸内海に定着した村上氏はやがて3家に別れますが、戦国期における各家の立場を簡単に紹介します。
能島(のしま)村上家
3家の中では最大の勢力を持ち、戦国時代においても独立勢力としての地位を保つ。
因島(いんのしま)村上家
毛利氏の家臣・小早川隆景の元で水軍として活躍する。
来島(くるしま)村上家
伊予国の守護・河野氏の水軍として活躍する。毛利氏との関係も良好。
主人公の村上景(きょう)は、能島村上氏という設定です。
戦国時代には同族同士の争いが全国各地で見られましたが、少なくとも村上氏同士の関係は比較的良好だったようです。
そして彼ら村上海賊にとってはある日湧いたように共通の敵が登場します。
それが石山本願寺へ攻め込んだ戦国の風雲児・織田信長です。
毛利家は急速に成長する織田家と対抗する戦略上、本願寺と同盟を結ぶことになります。
そして各村上氏も毛利家へ協力することを決定します。
結果としてこの石山合戦は10年間も続くことになりますが、それだけ当時の本願寺が強力だったことを示しています。
当時の本願寺の宗主は顕如(本願寺光佐)であり、彼を中心に組織された一向一揆たちは各地で猛威を振い、これには徳川家康も上杉謙信といった有力大名も苦戦しました。
また加賀のように守護大名が一向一揆に倒され、信徒たちによる自治が行われた地域さえありました。
中国地方を支配する毛利、瀬戸内海を支配する村上水軍、一向宗徒を組織する本願寺が手を組み、織田信長と対決する図式が作品の背景にあります。
今回作品の内容をほとんど紹介はしていませんが、やはり戦国時代は歴史小説にとって華の舞台なのです。
海賊の日本史
歴史における勝者だけでなく、敗者として葬られた人物にスポットライトを当てたり、天皇、宗教、地形といった観点から歴史を考察した小説や歴史学の本を読んできました。
それでも今回紹介する本のように、日本史における"海賊"を中心に歴史を考察した本には初めて出会いました。
まずは本書の主な章立てを紹介しておきます。
- 藤原純友の実像
- 松浦党と倭寇
- 熊野海賊と南朝の海上ネットワーク
- 戦国大名と海賊 - 西国と東国
見てわかる通り、平安時代から戦国時代までの海賊を網羅しています。
さすがに徳川幕府という近世的な統一国家が成立すると海賊の活躍する場所は失われてしまいますが、そこに至るまでの歴史には、常に海賊が活動していたことが分かります。
時代によって海賊の勢力分布や地域は変動するものの、藤原純友、そして塩飽水軍や村上水軍が活躍した瀬戸内海は、日本海賊史の中心地であったといえます。
一方で、漫画や映画に代表される海賊、つまり"パイレーツ(Pirates)"や"バイキング(Viking)"をそのまま日本の海賊のイメージへ当てはめてしまうと、相当なズレが生じてしまうことも事実です。
日本史に登場する海賊にはさまざまなタイプがあり、時代の移り変わりと共に変容してきたその姿を終章で総括していますが、要するに日本史における海賊は単一のイメージで捉えることの出来ないものであることが分かってきます。
また本書に掲載されている地図を参照しながら読み進めてゆくと、今あの島や沿岸に住んでいる人たちの先祖は"海賊"だったのかも知れないという想像が広がってゆき楽しむことができます。
談志最後の落語論
少し前に三遊亭円朝を扱った本を読んだこともあり、落語つながりで立川談志の本を手にとってみました。
談志の落語は映像でしか見たことはなく、生では見たことがありません。
もっとも私自身は落語ファンではなく、ごくたまに寄席へ訪れる程度であり、そもそも寄席への出演が禁止されている立川流の落語を聞ける可能性はありませんでした。
ちなみに有名な落語番組「笑点」についても滅多に見ることはありません。
そのため肩書で誰が真打ちかは分かりますが、落語通を唸らせる名人についても私自身はまったく判断できません。
寄席には出演しない立川談志でしたが、独演会という形で各地で開催される公演ではチケットが高額で転売されるほど人気があり、熱心なファンが多いことで有名でした。
一方で一般的には、談志は口が悪い、気難しいというイメージがあり、ともかく一筋縄ではいかない人物だったことは確かです。
そんな談志が亡くなったのが2011年、本書が出版されたのが2009年と考えると最晩年に近い時期の著書といえるでしょう。
本書に限らず談志がこだわったのは、落語そのものを定義しようとしたことです。
「落語とは、人間の業の肯定である」
「落語とは、非常識の肯定である」
特に前者は有名な言葉ですが、いかに落語を上手く演るかという次元ではなく、落語そのものを本質から突き詰めようとしていたことが伺えます。
古今の落語家を引き合いにして落語論を展開してゆきますが、談志が認める落語家はごく一部であり、大方がマイナス評価という手厳しい結果になっています。
本書にか書かれている落語独自の間合いや、その笑いの質というのは初心者にとって難解であり、そもそも文字で表せる性質ではないのかも知れませんが、それでもヒントになりそうな言葉が幾つか登場します。
その1つが、落語の雰囲気から発生する「落語リアリズム」であり、また昔から育んできた「江戸っ子の了見に合うもの」ということになります。
落語家の突然変異のように言われる談志ですが、こうした伝統芸能の根底にあるものを重んじていた姿勢が見えてきます。
それは同時に落語を聞く側にも、江戸の空気や、そこに登場する人物の心理を理解することが求められるということになります。
逆に言えば、そうした価値が分かっていない落語家、それを笑う観客は談志にとって落語ではなく、場違いのイヤらしい芸ということになるのです。
私なりに解釈すれば、前提条件として演者と観客が共通の世界観を持った上で楽しむのが落語ということになります。
その前提に立つと談志の次の言葉も単純に傲慢とは言い切れなくなり、彼のプライドが言わしめたと捉えることができます。
「談志が"いい"と称(い)うものを、"いい"と言う客だけが談志を聴きにくればいい。それを"否"と言う人は、どうぞご自由にお帰りください。おいでにならなくも結構です」
落語界の未来を心配していた談志でしたが、この頃はすでに半分あきらめの心境になっていたのが残念な点です。
てくてくカメラ紀行
2003年。
カメラマンの石川文洋氏は、65歳にして日本縦断徒歩の旅を出発します。
宗谷岬から那覇市までを約150日間かけて、3300kmの道のりを踏破することになりますが、その記録は岩波新書から出版されている「日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦におて日記形式で詳しく触れられており、本ブログでも紹介しています。
自分の限界に挑戦する旅というより、マイペースで歩きながら職業柄、日本各地の風景や人びとをカメラに収めながらの比較的気軽な旅といった印象があります。
石川氏はこの旅で、1万2000枚の写真を撮りましたが、前述の本では新書という紙面の都合もあり、掲載されている写真の数は限られていました。
そこで旅の写真を中心とした書籍が、本書「てくてくカメラ紀行」です。
著者の徒歩旅行を都道府県ごとに章立てして写真を掲載しています。
紀行文も掲載されていますが、あくまでも写真がメインであり、読むというよりも鑑賞するための本といえるでしょう。
個人的にうれしいのは、写真メインの本でありながら、簡単に持ち運びできるコンパクトな文庫サイズであることです。
350ページ以上にわたって各地の風景、そしてそこに暮らす人びとの姿が収められた写真が散りばめられています。
そこに掲載されている写真は、世界遺産のような壮大な風景ではないものの、素朴であるが故に眺めていて飽きません。
私の印象に残った写真を挙げてみても、特別なシチュエーションで撮影されたものは1枚もありません。
- 夕涼みする親子(山形県)
- サザエを漁る漁師(新潟県)
- 秋祭り(京都府)
- 普賢岳を背景に噴火で消失した鉄筋校舎跡(長崎県)
- 小学校の生徒たち(沖縄県)
活字を目で追うのも楽しいですが、たまには気分転換に写真を眺めながらページをめくるのも悪くありません。
そら、そうよ ~勝つ理由、負ける理由
プロ野球選手として主に阪神タイガースで活躍した岡田彰布氏の著書です。
以前に本ブログで岡田氏の「頑固力」を紹介しまたが、こちらは主に阪神タイガースの監督としての経験を踏まえた采配や選手の起用といった話題が中心でしたが、本書で語られるのはスバリ組織論です。
本書の内容を紹介する前に岡田監督の成績を見てみます。
- 阪神監督時代
- 2004年 4位(Bクラス)
- 2005年 1位(Aクラス)
- 2006年 2位(Aクラス)
- 2007年 3位(Aクラス)
- 2008年 2位(Aクラス)
- オリックス監督時代
- 2010年 5位(Bクラス)
- 2011年 4位(Bクラス)
- 2012年 6位(Bクラス)※途中休養
阪神監督として5年で4回のAクラス、そして1回の優勝という成績は結果を出していると言えます。
一方オリックスの監督としての3年間はいずれもBクラス、最終年は事実上の更迭という残念な結果に終わっています。
よって本書で語られる組織論は阪神を良い例として、オリックスが悪い例として引き合いに出されています。
ただし本書で岡田氏の主張していることは次の言葉にほぼ集約されているといえます。
勝つチームをつくるために必要なのは、組織の力だ。
プロ野球は現場だけの力でも、フロントだけの力でも勝てない。
両者の力が合わさってこそ、結果が出る。そのためには、現場とフロントが同じ方向を向いて、どういうチームをつくるのかを、お互いでしっかりと話し合わなければいけない。
現場とフロントが1つになって、組織は初めて力を発揮する。
本書の示す現場とは、監督やコーチたち(選手は含まない)であり、"フロント"とは球団社長や本部長、場合によってはオーナーも含まれます。
最近は野球ファンの目も肥えており、監督やコーチの采配や指導力だけでなく、フロントの行う球団運営の手法が批判の矛先になることが多くなっています。
ただよく考えると、フロントは現場の人事や予算に関する主導権があり、さらにFAやトレード、ドラフトといった戦力補強にも一定の発言権を持っているから当然といえます。
これを企業に例えると、営業や製造といった部門が"現場"、経営陣、人事や財務といった間接部門が"フロント"といえます。
この2つの要素がうまく噛み合わない企業が業績を伸ばせる訳もなく、それだけに岡田監督が実際に経験し、そして分析した本書の内容は、ビジネスにも充分に応用できるといえます。
最後に蛇足ですが、悪い例として挙げられているオリックスはあくまでも組織論とはいえ、ファンが気の毒に思えるほどこき下ろされているのでご注意ください。
峠うどん物語 下
国道の走る峠に市営斎場と向かい合って営業している「峠うどん」を舞台にして繰り広げられる物語の下巻です。
作品自体は上下巻を通じて10編の短編で構成されています。
基本的にそれぞれの短編は独立した形で完結していますが、全編をつなぐストーリーも存在しています。
その1つが「峠うどん」の商売についてです。
中学に通う主人公・淑子(よしこ)の祖父母がうどん屋を経営していますが、職人気質の祖父は客席を増やして葬儀帰りの団体客を受け入れるような提案にまったく耳を貸しません。
つまり商売っ気が無いのです。
葬儀帰りの悲しみに沈んだ人を慰めるような味にこだわったうどんが売りであり、そんなお店だけに人生の終焉つまり"死"を扱った作品でありながら、人情味溢れるストーリーが繰り広げられます。
そこへ頑固な祖父とおせっかいな祖母、そして何にでも興味津々な孫の淑子、時には教師である淑子の両親が加わりストーリーが多彩に広がってゆきます。
下巻の終わりへ近づくにつれ毎週楽しみにしていた連続ドラマが最終回を迎えつつあるような寂しさを覚えますが、それも読者としていつの間にか「峠うどん」へ愛着を抱き始めているからです。
著者の重松清氏はあとがきで次のように書いています。
舞台は、斎場のすぐ近くにあるうどん屋 - 書き出す前に決めていたのは、それだけだった。
作者自身が、好奇心と期待を胸にどんなお客が入ってくるかを待っていたに違いありません。
峠うどん物語 上
峠のてっぺんにぽつんと建っているうどん屋「峠うどん」。
元々は「長寿庵」という屋号でしたが、お店の面している国道を挟んだ真向かいに市営斎場が建設されてからは洒落にならないという理由で今の屋号に変更されたのでした。
かつてはトラックやタクシー運転手、ドライブを楽しむ家族連れで賑わったお店でしたが、今やお通夜やお葬式に参列したひとたちのお店に様変わりしたのです。
一方で変わらないのは、昔ながらの職人技が凝縮された手打ち麺と手作りの出汁にこだわり続けていることです。
そこは中学校へ通う主人公・淑子(よしこ)の祖父と祖母が2人で切り盛りするうどん屋でもあり、週末になる度に峠うどんを手伝いに出かけるのが日課でした。
ここまでは作品の導入部であると同時に物語の設定でもあり、このうどん屋を舞台にして起きるストーリーを短編として繋いでゆくというスタイルをとっています。
父親のかつての同級生、淑子の同級生の従兄弟の死、または斎場に働く職員のエピソードなどが登場しますが、作品自体は決して暗い雰囲気で進んでゆくわけではありません。
もちろん亡くなった人へ対して悲しむ人たちの姿が描かれる一方で、中学生の淑子は人の死を理屈では分かっていても、自分自身に経験か無いため実感としては乏しいのです。
それを人生経験豊かな祖父母をはじめ、お店を訪れる人たちを通じて少しずつ理解してゆき、彼女は成長してゆくのです。
私自身も成人するまで葬儀に出席した経験が殆どありませんでしたが、やはり年とともにそうした機会が増えてきます。
亡くなった人との関係もさまざまですが、まさしくそうした面を本作品は追求しており、多彩なストーリーが展開されてゆきます。
上巻では5つのストーリーが収められていますが、いずれも峠うどんが舞台としてキーポイントになっています。
つまり峠うどんに設置された定点観測カメラから物語が展開してゆきますが、そうした仕掛けの演劇を鑑賞しているような気分で読み進めるとより楽しめると思います。
悲素(下)
上巻に引き続き和歌山毒物カレー事件を扱った「悲素」下巻のレビューです。
著者の帚木蓬生氏は自身が医師ということもあり、砒素中毒患者を解析することで事件へ捜査協力を行った医学博士を主人公にして描いています。
主人公の沢井教授は毒薬中毒を専門にしていることから、過去にオウム真理教教団による一連のサリン事件の捜査協力を行った経歴を持っています。
作品の中では過去の松本サリン事件での出来事に触れるタイミングが出てきます。
ほかにも過去の毒薬が使用された事件や戦争の歴史にも触れてゆくことで、読者へ毒薬へ対する医学知識を与えてくれると共に、物語の奥行き深めてくれます。
上巻では事件の発生から、その被害者を診断結果を解析するところまでを描いていましたが、下巻では事件の全貌が見えてくるとともに、医学的見地からの証拠固めの過程からはじまりす。
そして中盤からは逮捕、取り調べ、裁判へと一気にストーリーが流れてゆきます。
よって後半では沢井教授が専門家の立場から公判に出廷する場面が登場します。
警察、検事、そして裁判官や弁護士はそれぞれの立場から沢井教授へ分析結果や意見を求めますが、そこで語られる内容はどれも同じようなものです。
作品の読者にとっては冗長に感じてしまいう部分ですが、事件の過程を克明に描こうとする作者の意思も同時に感じることができます。
たとえば砒素中毒とタリウム中毒や鉛中毒、あるいはギラン・バレー症候群との違いは作品中で沢井教授の口から何度も語られることもあり、読者もその違いを覚えてしまうほどです。
こうした点は医療サスペンスと共通する部分であり、実際に著者もそうした作品を手掛けています。
しかし本作品が迫力と説得力を持つのは実際に起きた事件を題材にしている点であり、エンターテイメントと片付けることのできない重さがあります。
私の場合リアルタイムでこの事件を知っていたものの、ニュースやワイドショーを熱心に見ていたわけではないため"何となく知っていた"程度です。
しかしこうした捜査の過程や裏側を描いた作品を読むことで、たとえ事件から時間が経過しても知ることには意義があると思います。
なぜなら砒素に限らず人体に有害な物質は工業を始め産業に欠かせない側面があり、世の中から無くすことは出来ません。
つまりいくら厳重に毒薬が管理されようともこうした事件が再び起きない保証はどこにもないからです。
悲素(上)
1998年7月25日に発生した和歌山毒物カレー事件を扱った小説です。
主人公は、毒薬の特定や被害者の診断を通じて警察の捜査に協力した九州大学の医学教授です。
登場人物は仮名ですが、作品の内容は事件を忠実になぞった実録小説といえます。
私自身もワイドショーで連日報道され、世間的に大きな注目を浴びた事件として記憶に残っていますが、夏祭りに集まった地域住民たちがカレーによって集団中毒になったこと、容疑者が逮捕される前から報道され続けていていたという印象がある程度です。
主人公の沢井教授はテレビでこの事件を知ることにりますが、報道される被害者の病状と、その毒物が青酸であることに矛盾があることをすぐに感じます。
それは神経内科、衛生学、そして環境中毒学を専門としている沢井は毒薬の知識に精通していたからです。
やがて毒薬の正体が砒素化合物と判明すると、沢井の元へ和歌山県警から捜査協力の依頼が届くことになります。
なぜなら沢井は日本ヒ素研究会の副理事であり、日本で数少ない砒素中毒者の臨床経験のある医学者だったからです。
本作品の特徴は、一貫して沢井教授の目線から描かれているという点です。
よって作品の序盤は、沢井教授自身がメディアや捜査官からの情報によって少しずつ事件の全容が明らかになってゆくというミステリー小説のような楽しみ方ができます。
ただしミステリー小説であれば、どんなに残酷な殺人鬼であってもエンターテイメントとして楽しむことができますが、この作品では犠牲者の数からその症状まで事実を元に描いている点で異なります。
「事実は小説より奇なり」と言われますが、容疑者によって毒物カレー事件以外にも保険金詐欺を目的として砒素が日常的ともいえる頻度で使用され続けた背景が明らかになるにつれ、沢井教授とともに読者の背筋にも寒いものが走ってゆきます。
私が住んでいる地域でも毎年夏祭りが開催され自治会の人たちが出店する屋台に多くの住民が集まります。
私自身も運営に関わった経験がありますが、そこでは子どもも大人も警戒心を抱くことなく提供される食物を口へ運びます。
そこへ致死量の毒物が混入されているとしたら・・・・・。
題材となっているのはその「if」が実際に起きてしまった事件であり、救急車が駆けつけた現場は阿鼻叫喚だったといいます。
本書を医学の力が犯罪を暴いてゆくストーリーといえば聞こえはいいですが、地道な研究を続けてきた医学者たちがその成果を社会へ還元するために奮闘した記録なのです。
小説ヤマト運輸
高杉良氏による"クロネコヤマト"でお馴染みのヤマト運輸を扱った実録小説です。
昭和50年(1975年)。
社長の小倉昌男が、どの運送会社も手掛けていない"小口便"の市場へ乗り出すことを決意する場面から物語が始まります。
オイルショックの影響で輸送需要が大幅に落ち込んでいた状況であったものの、社内からは小口便では採算性がとれないという反対意見が大多数でした。
彼らが生み出した"宅急便"という言葉が定着したように、今や無くてはならないサービスとして成功した結果は周知の通りです。
言うまでもなく新しい分野への挑戦は大きなリスクを伴いますが、そこへ成功の確信を持って躊躇なくチャレンジした小倉昌男には時代の流れを読む慧眼が備わっていました。
やがて物語は時間を遡り、大正8年(1919年)のヤマト運輸創業時に遡ります。
当時は自動車の存在自体が珍しい時代であり、鉄道や船、短距離であれば人力や馬による物資輸送が主力でした。
昌夫の父である康臣が創業したヤマト運輸(当時は大和運輸)は、関東大震災、軍による接収や空襲という苦難を乗り越えながら大手の運送会社として成長するまでに至ります。
そこからまた時代が冒頭に戻り、宅急便をさらに進化させクール宅急便、スキー宅急便、ゴルフ宅急便とサービスを拡充させてゆく過程が描かれてゆきます。
これらすべて順調だったわけではなく、むしろ知名度が広まるまでの取扱個数の伸び悩み、運輸省(現・国土交通省)からの免許発行や規制緩和を巡る闘いなど障壁の連続だったことが分かります。
つまり本書にはヤマト運輸の誕生から成長までの軌跡が詰まっているといえます。
また作品からもう1つ浮かび上がってくるのが、父であり創業者である康臣、そして息子であり二代目社長である昌男との間にあるストーリーです。
創業者の康臣は三越百貨店をはじめとして多くの取引先を開拓し、ヤマト運輸を大手企業へと押し上げます。
その会社へ息子の昌男も入社することになりますが、康臣は息子を決して甘やかすことなく、むしろ厳しい現場へ送り込んで鍛え上げるとともに、経営者としての資質を見極めようとします。
そして二代目社長となった昌男は、運賃の大幅値下げを要求してきた三越百貨店との取引を打ち切り、主力だった大口便から事業撤退し小口便へ舵を切ることになります。
一見すると父親が懸命に切り開いた事業を息子が否定したように思われますが、決してそうではありません。
二人はその時代でもっとも相応しい事業へ乗り出す決断を下しただけであり、父親が初代創業者、息子が第2創業者の役割を担ったという点で、理想的なバトンリレーであったといえます。
本書は1994年までのヤマト運輸を描いて終わっていますが、それから20年以上が経過し、今はドライバーたちの長時間労働やサービス残業をはじめとした労働環境が社会問題としても取り上げられています。
もちろんこれはヤマト運輸だけでなく業界全体が抱える問題でもありますが、やはりリーディングカンパニーとしてのヤマト運輸が注目されるのは仕方ないと言うより、当然であると言えます。
直近ではドライバーたちの待遇改善や消費税増税を理由とした運賃の値上げを行っていますが、肝心の業績は芳しくないようです。
経営も創業一家の手を離れ、歴代社長も10人以上に引き継がれて現在に至っています。
今も続くヤマト運輸の物語がどのような軌跡を辿ってゆくのか、密かに見守ってゆきたいと思います。
三遊亭円朝と江戸落語
私自身が落語の熱心なファンというわけではありませんが、最近は若い世代にも人気が出ているようです。
落語の良いところは、堅苦しさがなく気楽に聞けるという点でしょうか。
最近は機会がありませんが、2割くらいの客入りの中でのんびりと昼席を楽しむ、もしくは映画代わりに夜席を楽しんだあとに1杯飲みにいくというのは、何とも言えない贅沢な時間の過ごし方です。
公演日を気にすることなく、いつでも開いている常設寄席の存在は日本演芸の屋台骨を支える存在だと思っていますが、新型コロナウィルスの影響で休演する常設寄席も出てきているようで心配です。
話が逸れましたが、本書では江戸から明治にかけて活躍した落語家である初代・三遊亭円朝(圓朝)を扱っています。
志ん生、志ん朝、談志など、名人を挙げればキリがありませんが、現代落語において円朝の果たした功績は比類するものがなく、大作を創作する一方で、明治以降の言文一致運動においても文壇へ大きな影響を与えたと言われています。
まず前半では円朝の生い立ちを辿ってゆきます。
放蕩三昧の落語家であった父・円太郎のせいで一家困窮する幼少時代を送りますが、名人と謳われた円生の元へ弟子入りして若いながらもメキメキと頭角を表します。
しかし弟子の実力に嫉妬したのか、やがて師匠との間に確執が生まれてしまいます。
それでも円朝は常に前向きであり続け、没落しつつあった三遊亭一家の再興を誓い、自らの活躍にとどまらず多くの弟子を育てます。
後半ではそんな円朝が創作した作品(噺)の筋を紹介しています。
本書で取り上げられているのは、以下の作品です。
- 真景累ヶ淵
- 怪談牡丹燈籠
- 塩原多助一代記
- 黄金餅
- 文七元結
さらに終盤では「円朝をあるく」と題して、先に登場した作品ゆかりの地を写真付きで掲載しています。
ともかく1冊まるごと円朝を扱った、落語に興味のない人でも歴史上の偉人として、落語ファンには新時代を切り開いた稀代の名人として楽しめます。
Youtubeでも落語を聞くことはできますが、やはり落語は生で聞くのが格別であり、コロナ騒ぎが収まったら久しぶりに寄席へ足を運んでみたいと思わせてくれます。
壬申の乱
本屋で"中公新書 日本の大乱 4冊合計60万部突破"という帯に惹かれて購入した1冊です。
ちなみに4冊で扱っている大乱は以下の通りです。
- 壬申の乱
- 承久の乱
- 観応の擾乱
- 応仁の乱
日本史に限らず反乱は歴史の定番ですが、この4つを挙げた理由は、地方の有力者が中央政権へ対して起こした反乱ではなく、直接的に王朝や幕府といった国家レベル権力の奪取を目論んだ反乱だからだと思われます。
ただし勝者の視点から語られるのが歴史である以上、"乱"は常に正統な中央政権へ対する反対勢力という位置付けであることが多いのも事実です。
例えば新田義貞が鎌倉幕府を、織田信長が室町幕府を、そして薩長同盟が江戸幕府を滅ぼした出来事は"乱"とは呼ばれません。
つまり鎮圧された武力蜂起へ対して後世になってから"乱"と名付けられるケースが殆どですが、この壬申の乱は中央政権へ対する反乱勢力が勝利するという珍しいパターンです。
壬申の乱を簡単に説明すると、次期大王(天皇)の座を巡って、天智天皇の息子(大友皇子)と弟(大海人皇子)が争った出来事です。
実績や慣例に照らし合わせれば、天智天皇のあとは大海人皇子が天皇へ即位するのが当然と思われていましたが、天智天皇が愛する我が子を次期天皇として指名したことで、大海人皇子は出家を決意し実行に移します。
しかし天智天皇が亡くなるやいなや、出家したとはいえ大海人皇子の影響力を恐れた大友皇子が殺害を企てたため、やむなく大海人皇子が立ち上がり勝利したというのが通説です。
個人的には天智天皇が中大兄皇子だった時代、つまり大化の改新の頃より中臣鎌足とともに兄を支えてきた大海人皇子の実力は本物であり、若く実績にも乏しい大友皇子にとっては相手が悪かったという印象があります。
本書では歴史学者である遠山美都男氏が、通説となっている壬申の乱を否定し、新しい視点で捉え直そうとした1冊です。
"新しい視点"とは、大海人皇子による乱が単なる正当防衛ではなく、周到に準備された上で大友皇子との間で繰り広げられた戦いだったという視点です。
詳しい内容は省略しますが、本書では大友、大海人各陣営に属した豪族たちの素性を明らかにしつつ、古代最大の内乱を再検証してゆくといった手法をとっています。
最近読んだ井上靖氏の「額田王」にも壬申の乱の経緯が詳しく触れられているため、気軽に読める歴史小説で壬申の乱が知りたい人にはこちらがおすすめです。
残り3冊についても近々読んでみたいと思います。
帰郷
正確には分かりませんが、どうやら戦後70年を意識して出版された浅田次郎氏の短編集のようです。
本書の収録に合わせて執筆された作品もあれば、以前の作品も混じっていますが、いずれにしても戦争をテーマにした短編が6編収録されています。
- 帰郷(2015年)
- 鉄の沈黙(2002年)
- 夜の遊園地(2016年)
- 不寝番(2016年)
- 金鵄のもとに(2002年)
- 無言歌(2016年)
1つの分類方法として戦争文学には、戦争経験世代、戦後第一世代、戦後第二世代と作家を年代ごとに区分する方法があります。
浅田氏は両親が戦争経験者であるため戦後第一世代、いわゆる団塊世代の作家ですが、戦争の傷跡が残る風景を眺め、乏しい食糧で空腹に耐えた幼少時代を過ごした世代です。
つまり間接的に戦争を体験している世代であるといえます。
戦争文学へのアプローチという点では、事実を忠実に伝えることを重視する方法、ストーリーを重視する方法がありますが、著者の作風は完全に後者であるといえるでしょう。
たとえば「鉄の沈黙」は、孤立無援となったニューギニアの小さな岬を守備する小隊を舞台にした作品ですが、たった1基の八八式高射砲で連日に渡り飛来してくるB24爆撃機を迎撃するという絶望的な状況下にあります。
この状況ではアメリカへ投降する以外に生き残る術はありませんが、彼らはあくまでも最期まで戦い抜く選択をします。
つまり彼らが生還する可能性はゼロですが、事実(体験談)を重視するならば生き残った兵士がいない戦場を舞台にした小説は書けません。
またストーリーテラーとして知られる浅田氏の作品には、読者の感情を揺さぶる魅力があり、本書では戦争をテーマにしているだけに切なさや哀しさを感じる作品が多いようです。
絶体絶命の場面で奇跡の生還を果たすといった都合のよい展開はありませんが、浅田氏の作品に絶望のまま終焉を迎える作品というのは似つかわしくありません。
どこか作品を読み終わった後の気分は悪くなく、何ともいえない余韻が残ります。
それは戦争の悲惨だけを強調するだけでなく、そこで懸命に生きてきた人間たちのドラマを描き出そうとしているからだと思います。
本書に限らず浅田氏にはもともと戦争を題材とした作品が多く、ファンであればテーマを意識せずとも充分に本書を楽しむことができるでしょう。
北海タイムス物語
1990年。
早稲田大学を卒業した主人公・野々村巡洋は、北海道の新聞社である北海タイムスに新卒として入社します。
地方紙とはいえ新聞社といえばエリートという印象がありますが、この北海タイムスは違いしました。
苛酷な労働環境、安い給料、という今でいえば完全なブラック企業だったことを野々村は入社してからはじめて知ることになるのです。
全国紙の影響で部数を減らし経営が悪化しつつある北海タイムスの社員は、他紙の倍の仕事をこなしながらも給料は7分の1という悲惨な待遇でした。
北海タイムスはかつて実在していた新聞社(現在は倒産)でしたが、著者の増田俊也氏自身がかつて在籍していた会社でもあり、いわば私小説という側面も持っています。
そのため当時の本社ビルのレイアウトから、新聞が製作されるまでの怒号が飛び交う現場の緊迫感が作品から伝わってきます。
主人公の野々村を見ていると、自分が新入社員だった頃を思い出さずにはいられません。
右も左も分からない中で戸惑う様子、先輩や同僚たちの個性的な性格を少しずつ理解してゆく過程、おまけに給料日前に懐が寂しくなって空腹に耐えた過去など私自身と主人公の経験に共通するものもあり、自然と感情移入してしまいます。
更に加えると、今では少なくなった連日の酒席という思い出も主人公と共通する部分があります。
主人公の他にも登場する社員たちはどれも個性的であり、それぞれの葛藤を抱えながら北海タイムスで働いています。
彼らの小さな物語が一見するとバラバラに同時進行しているようで、最終的には調和しながら本作品を構成しています。
誤解して欲しくないのは、本作品はブラック企業の内情を告発した内容でもなければ、逆に称賛する意図がある訳でもありません。
北海タイムスという会社で働く人たちの喜怒哀楽と著者自身が経験した濃い経験の日々を、振り返って小説化したに過ぎません。
著者の学生時代を舞台にした七帝柔道記を読んだ時にも感じたことですが、著者の描く主人公がさまざまな挫折を繰り返しながら成長してゆく青春小説は、多くの読者を夢中にさせることは間違いありません。
法然と親鸞
法然と親鸞の名前を並べると、真っ先に思い浮かぶのは師弟関係です。
本書の内容もまさにその通りで、宗教学者である山折哲雄氏が2人の師弟関係について考察した本になります。
法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗が誕生した背景には、当時の末法思想が深く関係しています。
末法思想を簡単に説明すると、釈迦の入滅後に正法、像法、末法という3つの段階を経て、しだいに仏教が衰退の道をたどるという歴史観です。
日本では平安時代末期から鎌倉時代前半がそれにあたり、源平合戦の戦乱と重なったこともあり、当時の人びとの精神に末法が深く根ざしていました。
つまり「この世の終わり」、「世も末」という雰囲気であり、多くの人びとが現世に絶望または悲観していたといえば分かりやすいでしょうか。
よって2人の教えは、死生観でいえば"生"よりも"死"に重点を置いたものであり、信者たちにとっては現世のご利益よりも極楽浄土への往生が重要であったといえるでしょう。
後の戦国時代に織田信長をもっとも苦しめたのは武田や毛利、浅井・朝倉連合でもなく、浄土真宗の門徒であった一向一揆の武力蜂起でした。
彼らが手強かったのは、「死んだら極楽浄土へ行ける」と考える死を恐れない戦闘集団だったからであり、門徒の大部分が農民で構成されながらも各地の大名がその鎮圧に手を焼くことになります。
少し話がそれましたが、本書は2人の唱えた細かい教義の違いを論じたものではなく、あくまでも師弟関係にテーマを絞った内容になっています。
法然は200人以上の弟子を持っていたと言われますが、意外にも弟子の中で親鸞が特別な位置を占めていたわけではなく、むしろ多くの弟子の1人であったに過ぎませんでした。
一説には、親鸞は法然の87番目の弟子であったとされ、会社でいえば弟子全体の数から考えて係長、もしくはせいぜい課長といったところでしょうか。
法然上人の高弟であったとはいえない親鸞でしたが、こうした表面的な見方が結論であったら本書の意義が無くなってしまいます。
重要なのは弟子として何を考え成したかであり、こうした点について著者は自らの師弟関係を振り返りながら、内面的な視点で2人の関係を語っています。
詳しい内容は本書に譲りますが、私のように念仏を唱えた経験すらない人にとっても、日本の宗教史において大きな役割を果たした2人の関係を点ではなく線として捉える考えは無駄ではないように思えます。
移民の経済学
国際連合の資料によると日本に住む移民は250万人、外国人労働者は10年間で約3倍の146万人にまで増えているそうです。
また2019年の訪日外国人数は3188万人であり、10年間で約5倍に増えています。
街で見かける外国人が増えたことを実感していますが、改めて数字で見ると驚きよりも納得という印象を受けます。
本書では経済学者である友原章典氏が"移民受け入れ"にテーマを絞り、道義的、思想的なフィルターを排除して経済学的に検証された結果を紹介してゆくというスタイルをとっています。
政府が積極的な移民受け入れ政策を進めた場合、何となく漠然とした不安を抱く人も多いのではないでしょうか。
本書で取り上げられているテーマは以下のようにかなり具体的であり、移民を受け入れたケースにおける経済的な関心事をほぼ網羅しているといってよいでしょう。
- 雇用環境が悪化するのか
- 経済成長の救世主なのか
- 人手不足を救い、女性活躍を促進するのか
- 住宅・税・社会保障が崩壊するのか
- イノベーションの起爆剤になるのか
- 治安が悪化し、社会不安を招くのか
まず日本よりも長い期間に渡りかつ多数の移民を受け入れてきたアメリカやヨーロッパの研究が参考になりますが、日本固有の事情を加味した分析も行っており、かなり具体的な数字が提示されています。
ただし著者は、こうした分析結果はあくまでもいろいろな仮説を設けた試算であり、参考に過ぎないことにも留意する必要があると主張しています。
たとえ経済という分野に絞ったとしても分析によって未来を確実に予測することは不可能であり、万能ではないことを読者も認識しておく必要がありそうです。
戦争含めた世界情勢や世界経済の景気の変化、異常気象や天災などの要素によって、移民政策の受ける影響はかなり変わってくることは容易に想像がつきます。
また面白いのは、研究者や対象とする前提条件、分析方法によってまったく逆の結果が出るという点です。
たとえば移民の受け入れによる市民の賃金への影響については、研究者の間でも意見が大きく異なってくるテーマのようです。
これも労働者を学歴、もしくは職種で分類するか、また特定の地域もしくは国全体を対象にするかといったアプローチ方法によって結果が変わってくるのは当然であり、一概にいずれか一方が誤った結果であるとは片付けられません。
見方によっては研究結果を淡々と示しているだけの内容ですが、その数値は具体的であり、これをどう捉えるかの最終判断は読者に委ねられているといってよいでしょう。
また冒頭にあったように、本書で示されているのは移民受け入れに伴う経済的な検証のみです。
実際に政策へ移す際には、さらに多角的な面から検討を行い、それぞれのメリットとデメリットを把握した上で判断することが大切になってきます。
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