本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

ロング・ロング・アゴー


重松清氏の短編が6つ収録されている文庫本です。

何気ない日常を切り取って物語へと綴ることに長けている著者ですが、本書に収められている作品は少年・少女の日常、またはかつての日常を切り取っています。

  • 転校で別れた友達
  • 小さい頃一緒に遊んだ年上の友だち
  • 印象に残っている担任
  • 初恋の相手
  • 親戚の名物おじさん

本書の中で扱っている題材を並べてみましたが、誰にでも子どもの頃の思い出として当てはまるものがあるのではないでしょうか。

かつての自分がそのまま主人公のように当てはまる読者もいるかも知れません。
それくらい身近な出来事がテーマになっている作品が多く、かつ共感と感動を呼べるストーリーへと昇格させる著者の技量には舌を巻くしかありません。

かつて毎日遊んだ友だちとも大人になれば会う機会が滅多にないという人も多いはずです。
場合によっては会えずじまいで永遠の別れを経験するかも知れません。

それでも多感な時期を一緒に過ごしたかつての友は、心の中で大切な位置を占め続けるはずです。

何故なら彼らの存在は、大人になり住む場所や付き合う友人が変わったとしても、そこに至るまでの自己形成に多大な影響を与えてくれたはずだからです。

どの作品も自分の子どもの頃を思い出しながら読んでしまい、それでいて少しずつ違った余韻を与えてくれる秀逸な作品ばかりです。

そして読み終わってから、ふと少年の頃の自分がこの作品を読んだらどんな感想を持っただろうという空想が湧いてくるのです。

友だちと毎日学校や放課後に遊ぶことが当たり前で、そんな日々が終わることなど頭によぎることもなかった頃の自分には、本作品を読んでもピンと来なかったかも知れません。

読んでくれるかは分かりませんが、作品に登場する主人公たちと同じ歳くらいの娘に本書を勧めてみたいと思います。

なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか


八幡神社は日本国内に7817社あるとされ、八幡神社八幡宮若宮神社などが該当します。

その数は2位の伊勢信仰系列の4425社を引き離し、圧倒的な1位に君臨しています。

個人的には、石清水八幡宮で元服した"八幡太郎"で有名な源義家にはじまり、源氏の氏神から必勝祈願を願う武将たちが信仰する神社へと発展したという印象があります。

一方でそこで祀られている八幡神は、「古事記」や「日本書紀」にまったく登場しません。

日本には八百万の神が存在すると言われますが、この2つの書物(記紀神話)に登場する神は327柱に過ぎないことを考えると不思議なことではないのかも知れません。

その八幡神は海外から渡来してきた神とされ、新羅(今の韓国)からの渡来人がもたらした信仰を起源とするという説が有力です。

やがて東大寺と密接な関係を持つようになり、仏教と強く結びつくことで八幡大菩薩としても崇められるようになります。

それが仏教の布教という国家的事業の後押しもあり、全国へ広がっていったという経緯を持っています。

本書では八幡神社のほかに10神社についても同じように、その起源や祀られている神を系統だって説明しています。

  • 天神(天満宮、天神社、北野神社など)
  • 稲荷(稲荷神社、宇賀神社、稲荷社など)
  • 伊勢(神明社、神明宮、皇大神宮、伊勢新宮など)
  • 出雲(出雲大社、出雲大神宮、気多大社、大國魂神社など)
  • 春日(春日大社、春日神社、吉田神社など)
  • 熊野(熊野神社、王子神社、十二所神社、若一王子など)
  • 祇園(八坂神社、須賀神社、八雲神社、津島神社、須佐神社など)
  • 諏訪(諏訪神社、諏訪社、南方神社など)
  • 白山(白山神社、白山社、白山比咩神社、白山姫神社など)
  • 住吉の信仰系統

案内板によってそこに鎮座する神社の由来を知ることができても、その神社の属する系統を知る機会は殆どありません。

そうした意味で本書は有意義であり、日本人であるならば知っておいて損はないと言えるでしょう。

平成史


巻末に年表が掲載されているものの、本書の内容は"平成"という時代を著者(保阪正康氏)の視点から総括した内容となっており、いわゆる年表に沿った内容ではありません。

新書という分量を考えると、あらゆる視点から平成を論ずることは不可能ですが、それでも話題は比較的多岐に渡っている印象を受けました。

著者は昭和・平成で3つずつキーワードを挙げており、本書を読み解くヒントになっています。

昭和

  • 天皇(戦前の神格化天皇、戦後の人間天皇、あるいは象徴天皇)
  • 戦争(戦前の軍事主導体制、戦後の非軍事体制)
  • 臣民(戦前の一君万民主義下の臣民、戦後の市民的権利を持つ市民)

平成

  • 天皇(人間天皇と戦争の精算の役)
  • 政治(選挙制度の改革と議員の劣化)
  • 災害(天災と人災)

年号と密接に結びついるもの、それでも"天皇"というキーワードが2度出てくるのは注目すべき点です。

著者は戦前生まれであり、少年時代に戦争を体感している世代です。
そうした年代の人たちにとって天皇は、大元帥、のちに日本の象徴という2つの時代を経験していることになり、それだけに天皇へ対する思い入れが若い世代より深い印象を受けます。

つまり著者は、近代史においては天皇の言動や立場を分析することにより時代が見えてくるという歴史観を持っています。

一方で政治についてはかなり辛辣な意見を持っているようです。
特に1994年(平成6年)に導入された小選挙区制比例代表並立制が元凶であるとし、
「思想を持った政治家が敗者となり、生活次元の利害関係に長けている者が勝者となる」
と断言しています。

いずれにせよ平成が終わり近い未来に戦前・戦中を知る世代がいなくなり、日本には戦争を経験したことのない人びとのみが暮らす国になります。
つまり真の意味で「戦後」と呼ばれることはなくなるのです。

自分が生きている時代が、歴史の流れの中からどのような時代に位置するのかを考えるのは、誰にとっても必要ではないかと考えさせてくれる1冊です。

裁判官の人情お言葉集


本ブログでも紹介した「裁判官の爆笑お言葉集」の第二弾です。

まずは裁判官の印象に残る"お言葉"が紹介され、その裁判のきっかけとなった事件やその背景が紹介されてゆく構成は前作と同じです。

数々のエピソードが掲載されてきますが、その一部を紹介してみたいと思います。

  • 「あまりに弁解が過ぎると、被害者の家族は怒り、裁判所は悲しくなります。」
危険運転で殺人未遂、危険運転致死傷の罪に問われながも言い訳がましい説明を続けた被告人へ対しての言葉です。
おそらく裁判官の腹の中は怒りに煮えくり返っていたに違いありませんが、感情に左右されず法に忠実であることを求められる立場の人間が持たねばならない自制心との葛藤が垣間見られます。

  • 「久しぶりでしょう。息子さんを抱いてください。子どもの感触を忘れなかったら、更生できますよ。」
妻と幼い息子がいながら犯罪に手を染めた被告人へ対しての言葉です。
ドラマの1シーンのようにジーンとくる言葉です。

  • 肩の力を抜いてほしい。90点でなく、60点でもいいんじゃないかな。
育児で重度のノイローゼになり、長男を死亡させた被告人へ対しての言葉です。
社会的にエリートとされる裁判官から人間の弱さを認めるセリフが出てくると良い意味で意外性があります。まるで相田みつをのような一言です。


1つ1つのエピソードは2~4ページでまとまっており、ちょっとした時間で少しずつ読める本のため手軽に手にとってみてはいかがでしょう?

バッタを倒しにアフリカへ


まず本書で目を引くのは、タイトルと奇抜な格好をした著者です。

ただし著者の前野ウルド浩太郎氏は、趣味がコスプレの人でも芸人でもない、バッタを専門に研究する昆虫学者です。

日本では制度的な問題もあり、学問だけで生計を立てるのは不可能といえるでしょう。
研究者であろうと学者であろうと、自分が発見したことを社会へ還元することを求められます。

その代表的なものが"論文"ですが、論文が直ちに世紀の大発見やノーベル賞につながることは殆どなく、地道な活動が必要とされます。

それでも研究に専念しながら安定した給料をもらえる常勤研究者となれるのは一握りというのが厳しい現実なのです。

著者はポスドク、つまり任期付研究員として任期まであと数ヶ月という不安な日々を送っていました。

その時の心境を著者は次のように綴っています。

進むべき道は二つ。誰かに雇われてこのまま実験室で確実に業績を積み上げていくか、それとも未知数のアフリカに渡るか。安定をとるか、本物をとるか。どちらに進んだほうが自分のなりたい昆虫学者、ファーブルに近づけるだろうか。アフリカに渡ってもやっていける勝算があれば・・・・。

ただこう考えている時点で、彼の中では結論が出ていたと言えます。

アフリカで農作物に被害をもたらしているサバクトビバッタを研究している著者にとって、現地でのフィールドワークは何よりも魅力的なものであり、これこそファーブルも実践していたスタイルだったからです。

ただし研究チームを結成するような予算はどこにもなく、イスラム教圏であるモーリタニアに単身で乗り込むことになります。

もちろんインフラは充分に整っておらず、日本語はもちろん英語も殆ど通じない国です(モーリタニアにはフランス語が公用語)。

つまり言語も気候も文化もまったく異なる国での生活は、ハプニングだらけの日々となります。
しかも研究対象は自然であり、日本の約3倍の国土面積を持つモーリタニアの砂漠でバッタの集団を発見するのは容易なことではありませんでした。

ストレスやホームシックで心が折れそうになる中、本書で目を引くのが著者のユーモアセンスです。

トラブルを単に悲劇と捉えるのではなく、それを自虐的なユーモアにしてなるべくポジティブな方向へ持ってゆく姿勢こそが読者が惹きつけられベストセラーとなった理由でもあるのです。

たとえば砂漠でサソリに刺され毒に苦しめられた際に、次のように締めくくっています。

サソリに刺されると悲惨な目に遭うことがわかったが、致命傷にならないことをこの身をもって実証できたのは大きかった。これで闇の生物に怯えることなく、安心して調査ができる(サソリに2回刺されると、アナフィラキシーショックを引き起こす場合があり、実際には死へのリーチがかかっていたのだが、無知のおかげで勇気リンリンだった)。

また本書を読み進めてゆくと単なる研究者の珍道中ではなく、感動的な自伝になるから不思議です。
夢を語るのは恥ずかしく、夢を追うのは代償を伴いますが、それが叶ったときの喜びは病みつきになると著者は正直に告白しています。

なお著者は研究者としての成果だけでなく、セルフプロデュース能力にも長けています。
ポスドクはある意味でフリーランサーとみなすことができ、同じような立場で頑張っている人たちにとって参考になる部分も多いのではないでしょうか。

禅学入門


元々本書は、1934年に鈴木大拙氏が海外へ禅を紹介するために執筆した「An Intrroduction to Zen Buddhism」が原本になっており、それを鈴木氏自らが1940年に邦訳して国内出版したものとなります。

禅に馴染みのない欧米人向けの入門書ということもあり、仏教が身近にある日本人であれば容易に読めると思い手に取りましたが、その考えは序盤で裏切られました。

決して書かれている文章そのものが難解というわけではありません。
たとえば物語が理論的に構成されていない小説、回答が掲載されていない参考書を読むと人はストレスを感じるはずですが、それと同じような感覚になります。

しかしそれこそが""が何かを知るにあたり当然のようにぶつかる壁でもあるのです。

禅が目指す「悟り」とは、論理的二元主義とは違う物事の見方を会得することでもあるからです。

少し考えれば、生と死、善と悪、肯定と否定、白と黒、富と貧、楽と苦、暖かい寒い、好き嫌い、高い低いなど世の中のあらゆる物が二元主義に支配されていることが分かります。

むしろそれ以外の見方を知らないと言ってよいくらいです。

こうした価値判断、固定概念を徹底的に捨て去るための手助けとして"法案"がありますが、理論的な考えを捨てきれないと意味不明で難解な質問にしか思えません。

たとえば禅師が座禅の際に弟子たちの肩を打つときに使われる竹篦(しっぺい)を示しながら次のような問いを発します。

「お前達がこれを竹篦と言うなら、それは肯定だ。もしまたそうでないと言うなら、それは否定だ。だが肯定もせずに、さてこれを何と言うか。さあ言って見よ。」

まさしく"禅問答"です。

この質問を少しでも不合理と考えた時点で、イコール理論的な考え方を捨てきれていないということになり、そこに禅は存在しません。
そもそも理論から自由である"禅"は、文字で説明することすら不可能なのです。

そう考えると、禅には初心者向けの入門書も、ましてや上級者向けの学術書も存在しないということになり、本書そのものの存在が矛盾であると言えます。


それでも過去の先達が辿った道やその語録を用いつつ、読者に少しでも"禅"の世界を垣間見せようとする著者の努力は伝わってきます。

加えて禅を通じた修行の方法、僧たちの生活などにも具体的に触れられている箇所は、わずかに入門書として相応しいと思える部分です。

いずれにしても気軽に禅を学びたいと手にとった本書が、迷宮の入り口になってしまう人は私を含めて多いはずです。


ちなみに鈴木大拙氏は、仏教学者であると同時に臨済宗の僧侶でもあります。
つまり本書で触れられている内容は、只管打坐で知られる曹洞宗など他の禅宗が定義する"禅"とは当然のように異なることは頭に入れておくべきでしょう。

楚漢名臣列伝


まず最初に、やはり宮城谷昌光氏が描く中国史は最高のエンターテイメントだということを再認識させてくれた1冊です。

タイトルから分かる通り、本書は"楚漢"、つまり項羽と劉邦の戦いが繰り広げられた秦王朝末期から前漢にかけて活躍した名臣たちへスポットを当てた1冊になっています。

本書に登場するのは次の10人です。

  • 張良
  • 范増
  • 陳余
  • 章邯
  • 蕭何
  • 田横
  • 夏侯嬰
  • 曹参
  • 陳平
  • 周勃


やはり楚漢戦争の勝者となった漢(劉邦)陣営で活躍した人物の占める割当がもっとも高いですが、范増、章邯に関しては楚(項羽)陣営で活躍した人物であり、陳余田横の2人はどちらの陣営にも組みせず活躍しました。
張良は劉邦の軍師として知られていますが、実際には韓王の臣下として劉邦へ助力していた期間が長い人物です。

当然のように歴史的に勝者となった人もいれば、敗者となった人もいます。
しかし登場する人物たちに共通するのは、その能力と個性を充分に発揮して歴史上に確かな足跡を残したという点はもちろん、生き方そのものが(著者の個人的観点から見て)爽やかであるという点も重要になっています。

たとえば陳平は貧しさの中で大志を抱き続け、はじめは項羽に仕えるものの、自分が重用も信用もされないことを知ると、劉邦のもとに走り彼が持つ能力を最大限に発揮する機会を得ます。

一方で秦の降将という立場から項羽の臣下となった章邯は、劉邦との戦いで孤立して不利な戦況に陥っても最後まで裏切ることなく、自害に追い込まれるまで戦い抜きます。

意外にも漢の上将軍として比類なき活躍をした韓信、元盗賊の頭領であり項羽をゲリラ戦で悩ませ続けた彭越、項羽麾下随一の猛将である黥布(英布)といった有名な武将が名臣リストは漏れています。

たしかにこの3人の能力や功績は、本書で紹介されている人物に勝るとも劣らないものです。
しかし彼らは才能を自らの栄達のみのために利用し、他人を助けるために用いなかったように思えます。

つまり著者にとって彼らは有能ではあっても名臣ではなかったということになります。
もっと分かりやすく言うと、彼らの生き方から感銘を受ける点がなかったということになるでしょう。

日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦


おもに戦場カメラマンとして長年に渡り活躍してきた石川文洋氏が、徒歩で日本縦断を行った記録を1冊の本にまとめたものです。

宗谷岬をスタート時点として日本海側の海岸線を歩いて南下し、最後は那覇市でゴールするというルートです。

津軽海峡、そして鹿児島~沖縄間はフェリーを使用しますが、それ以外は完全に徒歩です。

1日30キロを目標に150日間かけて日本縦断を行う計画ですが、体力の限界を追い求めるストイックなものではなく、どちからといえばコツコツと気楽に歩く旅という印象です。

仕事柄、途中で原稿を書かなければいけないときは連泊して原稿を仕上げ、久しぶりに友人と再会して祝杯を交わすなど比較的自由な旅といえるでしょう。

著者自身、今回の目的を「歩いて旅をしたい」という単純な動機であることを告白していますが、各地の風景や人びとの生活をカメラに収めながらの行程を楽しんでいます。

ただタイトルにある通りスタート時点で著者は65歳という年齢であり、決して若いわけではありませんが、最近は60・70代でもマラソンやテニスなど、比較的激しいスポーツを続けている方も多い時代です。


本章は写真を掲載しつつ毎日の旅を記録した日記形式で書かれています。

また日記の合間に旅で感じたことをまとめたコラムを掲載しているため、内容が単調になることもなく、良くまとまった内容になっています。

持ち物や服装、シューズなど、これから徒歩の旅を始めてみようという人にとって有益な情報もあり、また宿泊した宿や食事なども紹介されています。

一方で、やはりというべきか日本の道路は車が走ることを最優先にした作りになっているため、たとえ国道であっても路肩が狭く整備されていない箇所も多く、身の危険を感じることもあったようです。

なお本書が出版されたのは2004年ですが、Webで著者の近況を調べてみたところ、今年(2019年)の6月には81歳にして太平洋側のルートで2回目の徒歩日本列島縦断を成し遂げたというニュースがありました。

さすがに80歳を過ぎての日本縦断には脱帽するしかありませんが、私も歩くのは嫌いでないので、将来"日本横断"くらいのチャレンジなら悪くないという気持ちにさせてくれます。

人生にとって組織とはなにか


著者の加藤秀俊氏は社会学者であり、"組織"についてその性質や仕組みについて理論的に説明できる専門家ということになります。

ただし本書は、強い組織を作るハウツー本や、組織の中で頂点に昇り詰めるための自己啓発本ではありません。

縄文時代の原始的な組織にはじまり、封建時代の地縁を中心とした組織、そして明治以降近代の社縁を中心とした組織が形成されるまでの歴史を語っています。

その中で一番紙面を割いているのが、読者の大半がサラリーマンであることを想定して"会社"という組織へ対する説明です。

学術的な用語はほとんど登場しないため非常に分かり易い一方で、本書から目新しい視点や考えを得ることもありませんでした。

本書は1990年に出版されています。
よって本書で論じられている"会社"は、インターネット登場以前ということもあり懐かしい昭和のサラリーマン像を思い出させるものになっています。


令和の時代にとって実用的な本とは言い難いですが、人間が社会的な動物である以上、テクノロジーが発達し時代が進んでも組織の本質的な部分は昔から大きく変わっていないはずです。

私自身、会社、サークル、町内会など色々なものが当たり前になり過ぎてしまい、本質的な意味でそれらを"組織"として意識して考える機会が殆ど無かったのも事実です。

そのきっかけを与えてくれただけでも本書の価値があるような気がします。

フランス反骨変人列伝


フランスの文学、歴史に造詣の深い安達正勝氏が、世界史の教科書に登場しない人物にスポットを当てています。

しかも時代の流れに逆らった反骨精神旺盛な人、理解に苦しむ変人という実に魅力的(?)な人選をしています。

本書に登場人物は4人ですが、ネタばれしない程度に紹介してみようと思います。



  • モンテスパン侯爵


  • モンテスパン侯爵は、フランスの最盛期に君臨していた太陽王ルイ14世に逆らった地方貴族です。

    ルイ14世は教科書にも必ず登場する有名人であり、絶対王政を象徴する言葉として「朕は国家なり」という言葉が知られています。

    ともかく当時のフランスで王に逆らうなど考えられないことであり、立場も実力も歴然とした差がある中で1人王に逆らい続けたのです。

    その理由は本書を読んでのお楽しみですが、ともかくモンテスパン侯爵は牢獄に入れられようとも、大金を失おうとも自らの信念を曲げませんでした。

    今でいえば大企業の新卒社会人が、1人で社長に歯向かうほど無謀な行動でしたが、なぜか彼の反骨精神にある種の感動を覚えてしまいます。


  • ネー元帥


  • ネーは樽職人の息子として生まれながら、ナポレオンの部下として叩き上げで元帥にまで昇りつめた軍人です。

    勇者の中の勇者」とあだ名れるほど勇敢で優秀な軍人であり、今回登場する4人の中ではもっとも知名度が高いはずです。

    なぜ優秀な軍人であるネーが本書に登場するかといえば、ともかく不器用で世渡りが下手だったからです。

    体育会系の人間を「脳みそまで筋肉でできている」と揶揄することがありますが、まさしくその典型的な人物なのです。

    ネーが生きた時代は、王政→革命→ナポレオン帝政→復古王政 と目まぐるしい動きがありました。

    こうした激動の時代を生き抜くのは、よほどの知力と運が必要ですが、戦場では無類の強さを発揮できても、その他はからっきしだったネー元帥がどのような顛末を辿るかは本書を読んでのお楽しみです。


  • ラスネール


  • 本書では"犯罪者詩人"として紹介されているラスネールですが、4人の中ではもっとも変人といっていいでしょう。

    ラスネールは文学や詩の才能がありつつも社会に認められず鬱屈してゆき、やがて犯罪に手を染めてゆきますが、皮肉にも彼が国中から注目を浴びるのは、殺人を犯し逮捕されたあとの裁判所における振る舞いや雄弁さによってです。

    本書で彼の生涯が語られますが、彼自身が獄中で残した「回想録」も有名であり、日本語訳でも出版されています。



  • 六代目サンソン


  • 以前、同じ著者による「死刑執行人サンソン」を本ブログで紹介していますが、そこに登場するのは主にフランス革命期に死刑執行人だった"四代目サンソン"であり、本書で登場するのは六代目です。

    ムッシュ・ド・パリ」という称号で代々パリで死刑執行人を担ってきたサンソン家ですが、彼らはその役割から市民たちに恐れられ、また軽蔑されてきました。

    それでも彼らは職務を忠実に執行し続け、表に感情を出すことはありませんでしたが、この六代目は死刑制度に疑問を懐き続け、自分の仕事に嫌悪を懐き続けました。

    本章を読みすすめると、変人列伝というより現代社会でも充分に通用する死刑制度の是非を問う真面目なドキュメンタリーという印象を受けます。

    「人に人の命を奪う権利」があるのかという根本的な問いが本章には込められています。



    本書に登場する4人を簡単に紹介してみましたが、歴史教養、娯楽という両面でおすすめできる1冊です。

    学術書のような堅苦しさは微塵もなく、読者が楽しみながら歴史を学べるという著者の意図は見事に成功している1冊といえます。

    ナポレオンの生涯


    著者のロジェ・デュフレスはフランス人であり、世界有数のナポレオン研究の識者のようです。

    ただ私自身が本書を手にとった一番の理由は、訳者が安達正勝氏であるという点であり、本ブログでも紹介した安藤氏の「物語 フランス革命」や「死刑執行人サンソン」はフランス革命の魅力を分かりやすく読者へ伝えてくれる優れた本でした。

    本書を紹介するために訳者まえがきを引用するのがもっとも分かりやすいと思います。

    コンパクトながら、内容が非常に詳しい。単なる伝記ではなく、ナポレオンがフランスおよびヨーロッパにおいて実際どんな政策を繰り広げていたのかが詳しく述べられており、この点に関しては、ナポレオンの分厚い伝記にもまさっていると言って、過言ではない。


    たしかに本書は一般的な新書の形式と分量です。

    ナポレオンの業績以外の無駄な記述を一切省いたような筋肉質な文章構成で、当然の結果として1ページあたりの情報量が豊富です。

    また年代順に整理して書かれているため、読み終えてからも該当箇所を探しやすいという点で優れています。


    ナポレオン賛美に終わることなく、批判的観点もしっかりと保持されている。ナポレオンは超人的天才ではあったが、彼も人の子、弱点はあった。フランス人であるにも関わらず、著者が批判も怠らなかったのは、われわれ日本人にとって大変ありがたいことである。

    これもまったくその通りで、上り調子にある時にナポレオンが推し進めた政治や戦争は殆どすべてがうまく行き、想像力が産み出すこの上もなく大胆な政策を、可能か不可能かという現実感覚に適応させる能力があったと称賛しています。


    一方でナポレオン体制に陰りが見え始めたときは、自分の思い違いをこれまでにもまして認めなくなる。自分の過ちを状況ないしは他人のせいにして、自分の見込み違いであったとは考えない。こうした頑固さが、彼の命取りになったと辛辣な指摘をしています。


    物語としてナポレオンを知りたい人には不向きかもしれませんが、本書はナポレオンの業績のみならず、彼が19世紀はじめ、または後世に残した世界への影響についても触れられており、歴史的評価の中でナポレオンをどのように捉えるべきかのヒントを読者に与えてくれる1冊になっています。

    関ヶ原連判状 下巻


    西軍、東軍陣営に分かれた天下分け目の戦い(関ヶ原の戦い)が始まろうとする中、細川幽斎が中心となって第三の勢力を作り上げようという謀略の全貌に迫った作品です。

    本来であれば幽斎自らが東西を奔走して計画を作り上げるのが一番分かりやすいのですが、なにせ彼の年齢は60台後半という当時ではかなりの高齢であり、彼に変わって手足のように動く駒が必要になります。

    そこで登場するのがもう1人の主人公ともいうべき石堂多聞です。

    彼はかつて越前の白山神社直属の戦闘集団・牛首一族の出身であり、信長によって派遣された柴田勝家の一向一揆鎮圧の際に一族が殲滅された際の生き残りという設定です。

    用心棒のような役回りですが、その前に石田三成配下の猛将・蒲生郷舎(源兵衛)が幽斎の陰謀を暴くべく立ちはだかります。

    作品を通じて各所で多聞たち一行が敵と渡り合う戦闘シーンが描かれることになりますが、つい最近まで津本陽の剣豪小説を読んでいたせいか描写の迫力不足が否めません。

    また合戦についても西軍へ対して幽斎が立て籠もった田辺城の攻防戦の過程が詳しく書かれている程度です。

    ただ本作品の主題はあくまで幽斎の仕掛ける謀略であり、こうした戦闘シーンは割り切って読むべき作品なのかも知れません。

    少なくとも謀略についてはその過程がこと細やかに描かれており、勅令を得るための朝廷工作は幕末時代に通じるものがあります。

    上下巻800ページにも及ぶ長編であり、幽斎が仕掛けた一世一代、最後の大博打ともいうべき謀略の全貌を解き明かすという知的好奇心は満たしてくれます。

    関ヶ原連判状 上巻


    歴史小説には大きく2種類の作品があります。

    1つはなるべく史実に忠実に描いてく作品、そしてもう1つは歴史に"If(もしも)"を取り入れたフィクション要素を取り入れた作品です。

    しかし本書はそのどちらにも組しない3番めのジャンルに属する作品という見方ができます。

    著者の安部龍太郎氏は、本ブログでも紹介した「信長はなぜ葬られたのか」において、本能寺の変は壮大な陰謀によって企てられた計画という大胆な説を唱えています。

    本書もその流れの中で執筆された小説であり、表面上は史実をなぞりながらも、その裏に隠された壮大な陰謀に焦点を当てて書かれています。

    その陰謀の中心にいるのは細川幽斎(藤孝)であり、智将と言われた彼に相応しい役回りといえるでしょう。

    幽斎は足利将軍家の家臣から出発して織田家、豊臣家、徳川家と主人を変え、最終的には豊前小倉藩40万石の基礎を築いた武将です。

    さらに信長の家臣時代には、明智光秀の指揮下で活躍していた経歴を持っています。

    ちなみに生まれ年は織田信長と一緒ですから、作品の舞台となる関ヶ原の戦いの頃には66歳という高齢になります。

    まさに戦国時代の生き字引きのような存在であると同時に、底知れぬ考えを秘めた古狸のような存在でもあったのです。


    世の中の武将たちが豊臣方の西軍、または徳川方の東軍に味方すべきか迷っている、またはいち早く決断して駆け付ける中で幽斎はそのどちらでもない第三の道を探り出そうとします。


    作品の性質上ネタバレはあまり好ましくないため、あらすじの説明は控えますが、戦国ミステリー小説、または戦国スパイ小説としてじっくりと読める作品になっています。

    天平の甍


    井上靖氏による天平時代の遣唐使を扱った文学作品です。

    本書に限らず遣隋使や遣唐使を扱った書籍から分かることは、日本から大陸に渡るという行為は当時の造船・航海技術の未熟さを考えると命懸けであったということです。

    つまり日本の僧が中国へ留学するためには、死の覚悟が必要だったのです。

    物語に登場するのは、遣唐使と一緒に留学のために大陸へ渡る普照(ふしょう)、栄叡(ようえい)、戒融(かいゆう)、玄郎(げんろう)という4人の若い僧です。

    4人とも当時の記録に存在していた僧のようですが、著者はこの4人を実に個性的に描いています。

    留学と言っても言葉や習慣の違いからホームシックになる人もいれば、肌が合い過ぎてそのまま帰国せずに居着いてしまう人もいます。

    また新しい仏教を学ぶのに人もいれば、学問以外に熱中するものを見つけて没頭する人もいるでしょう。

    このように平安時代初期の僧たちを色鮮やかに描いているという点で画期的な作品であるといえます。


    また作品にはもう1人キーとなる人物が登場します。
    それは日本史の教科書でもおなじみの鑑真和上であり、中国の揚州で生まれた唐の高名な僧でありながら、日本への渡航を決意します。

    遣唐使の場合と同じように鑑真の試みは命懸けであり、実際彼は4回も渡航に失敗し、その間に失明というハンデを負いながらも5回目で渡日に成功します。

    唐から見れば当時の日本は仏教が伝来してから間もない制度やインフラ面も不足している未開の国でしたが、不屈の精神と情熱が彼を突き動かし続けたのであり、渡日した時には既に66歳という高齢でした。

    歴史書からは当時の人びとの抱いていた情熱は伝わりにくいですが、本書のような作品を通じて読者が当時を生きた人たちへ思いを巡らすというのは良い体験だと思いますし、いつかは鑑真のために創建された唐招提寺へ訪れてみたいと思いが強くなりました。


    ちなみにタイトルにある甍(いらか)は難しい漢字ですが、ざっくりと瓦(かわら)と同じ意味で捉えておけばよさそうです。

    柳生兵庫助〈8〉


    長編剣豪小説「柳生兵庫助」もいよいよ最終巻です。

    兵庫助が兵法師範役として尾張徳川家に仕えてから長い年月が経ち、老齢に差し掛かかってからは隠居所で平穏な日々を送ります。

    二男二女をもうけたお千代には先立たれますがという女性と再婚し、後進の指導や自らの稽古を変わらずに続けています。


    多くの強豪と剣を交えそのいずれにも勝利してきた兵庫助はすでに円熟の境地に達しており、すでに名人・達人という存在でした。

    よって本巻に登場するのはおもに次の世代を担う若者であり、兵庫助が彼らを指導するというストーリーになっています。

    まずは叔父宗矩の息子である柳生十兵衛(三厳)です。
    血の気のが多く、悪人を辻切りをしたり、道場破りを繰り返す十兵衛をたまたま逗留していた武蔵と一緒に懲らしめます。


    次に兵庫助の2人の息子である茂左衛門(もちの利方)七郎兵衛(のちの厳包)たちが日々稽古を続け成長してゆく姿も描かれています。

    その過程はシリーズ1巻目で描かれた兵庫助の少年時代と重なるものがあり、長編シリーズならではの感慨に浸ることができます。


    かつて祖父の石舟斎がそうだったように、兵庫助は老年となってからも若く頑強な相手に何もさせずに勝利する圧倒的な強さを誇っていました。

    人間が肉体的にもっとも最盛期にあるのは20代くらいですが、剣豪には老年になってからも無敵であり続けるエピソードが数多く存在します。

    後世の幕末にも天真一刀流の白井亨、一刀正伝無刀流を開いた山岡鉄舟、また新選組の斎藤一にも同じように晩年まで無敵を誇ったエピソードがあります。

    もちろん近代のスポーツ科学ではあり得ない理論ですが、いわゆる"達人"と言われる人たちです。

    彼らに共通するのは、実戦や修行を通して鍛錬を長年続けることで、人の心や動きが手に取るよう読めるようになるということです。

    兵庫助はこれを次のように語っています。

    「これが儂の力ではなく、神仏の力であることはあきらかじゃ」

    具体的には日々の鍛錬はもちろん、山籠りと禅によって得た言葉に表せない境地を"神仏"という人間を超越した存在で表現したのです。

    柳生兵庫助〈7〉


    柳生兵庫助の生涯を描いた長編小説ですが、本書には兵庫助にとって永遠のライバルとして宮本武蔵が登場します。

    同時代を生きた2人の剣豪ですが、実際に兵庫助と武蔵が出会い立ち合いを行ったという記録はありません。

    吉川英治「宮本武蔵」において武蔵が柳生の里を訪れる場面がありますが、これもフィクションだと思われます。

    ただ津本陽氏は、どうしても本作品中でこの2人を出会わせ、そして立ち合いを行う場面を描きたかったのでしょう。
    そしてそれは、そのまま読者へのサプライズにもなっているのです。

    全編を通じて何度か兵庫助と武蔵が出会う場面が登場します。

    2人は最初、修行中の兵法家同士として出会い、やがてライバル関係になります。
    そしてお互いの力量を認め合い、ライバルというより同志に近い関係に変化してゆきます。

    ただし大大名ともいうべき尾張徳川家に仕える兵庫助と、未だ浪人として諸国修行を続ける武蔵とでは身分や待遇にかなりの差があります。

    それでも兵庫助にとって兵法指南役として仕える徳川義直よりも、そして大勢の弟子たちの誰よりも2人の間には共感があったのです。


    兵庫助のいる名古屋城下に武蔵が訪れますが、その際に家老である成瀬隼人正(正成)が兵庫助と次のようなやりとりをします。

    隼人正:「武蔵は名人か?」
    兵庫助:「仰せのごとくにござりまする。あれほどの兵法者には、なかなかにめぐりあいませぬ」
    隼人正:「うむ、伊豫殿(兵庫助)がいま立ちおうたなら、勝てるであろうかの」
    兵庫助:「われらは兵法者なれば、挑まれしときはいかなる相手とも立あいまする。主命なれば従いまするが、あいなるべくは武蔵と試合はいたしとうござりませぬ」
    隼人正:「それはなにゆえじゃ」
    兵庫助:「それがしか武蔵のいずれかが、おそらく落命いたすゆえにござりまする。命を捨てるは惜しからねど、得がたき兵法者を失うは惜しみてもあまりあることと存じまする」

    武蔵もまったく同じことを考えていたに違いなく、もはや戦わずともお互いの力量は分かりきっていたのです。

    柳生兵庫助〈6〉


    兵庫助は幼少の頃より剣術の修行に励み、若くして加藤清正へ兵法師範として仕えるも1年で退去し、10年にも渡る諸国修行の旅を続けます。

    その間に祖父・石舟斎より柳生新陰流の印可状・目録一式を受け継ぎ、新陰流の三代目として相応しい実力・名声を手に入れます。

    間違いなく達人の境地にあった兵庫助ですが、世間的に主人を持たない侍は単なる"浪人"であるのが現実です。


    もちろん兵庫助を家臣にしようと魅力的な条件を提示した大名もいたはずですが、彼自身に叔父宗矩のように俗世間で出世しようという野望はなく、剣一筋で生きることを望んでいました。

    そんな兵庫助へ対して理解を示した上で兵法師範として迎えてくれたのが、尾張初代藩主である徳川義直です。

    義直が歴史小説に取り上げられる機会は少ない気がしますが、江戸時代初期に活躍した名君の1人です。

    家康の九男として生まれ、優れた藩政を行い尾張藩の礎を築いた人物です。

    戦国武将のような激しい気性の持ち主であり、かつ家康の実子としてのプライドもあったため、家康の孫である第三代将軍・家光との相性は良くなかったようですが、尾張藩が徳川御三家の筆頭として地位を得るようになったのは、義直の功績によるところが大きかったはずです。

    徳川御三家筆頭ということは、すなわち格式において全大名のトップであることを意味し、将軍・家光が師事していたのが叔父の宗矩であり、義直が師事したのが兵庫助ということを考えると、柳生新陰流が兵法家としてNo1、2を独占したと見ることができます。

    面白いのは義直と家光が叔父と甥という関係であり、その兵法指南役である宗矩と兵庫助の関係も同じ叔父と甥という関係であるということです。


    兵庫助はかつて清正へ仕えたときに家臣間のいざこざ(出世争い)に辟易した経験があり、兵法一筋の奉公、つまり剣術や兵法に関すること以外は一切やらないという条件を義直へ出し、義直はそれを快諾します。

    もし兵庫助が出世を望むのであれば、宗矩のように兵法指南役のほかに大目付として諜報活動に励むなど、ほかの役目も兼任する方が望ましいはずですが、彼はそれを剣術修行の妨げになると判断して退けるのです。

    兵庫助らしい判断ですが、剛毅な性格の義直には一途に剣の道を極めようとする姿にむしろ好印象と信頼を抱いたのではないでしょうか。

    柳生兵庫助〈5〉


    本作品は長編ということもあり、主人公・兵庫助の周りにはさまざまな人間が登場します。

    まずは祖父であり師匠でもある石舟斎
    そして諸国修行の旅に兵庫助と行動を共にする恋人の千世、伊賀忍者の子猿、柳生家の家来でありながら石舟斎の高弟でもある松右衛門など、その顔はバラエティに富んでいます。


    その中で兵庫助と特殊な関係にあるのが、叔父である柳生宗矩です。
    宗矩は石舟斎の末子ですが、石舟斎の孫である兵庫助とは8歳しか年齢が離れていません。

    宗矩は徳川将軍家の兵法指南役として幕府の中枢で重きをなしている人物であり、剣豪というより1万石の所領を持つ大名といった方が正確な表現です。

    一方の兵庫助は一度は兵法師範として加藤清正に仕官するもすぐに辞め、剣術修行のために諸国を旅する身分です。


    兵庫助は、宗矩へ対して剣の腕よりも巧みな世渡りで出世したという軽い嫌悪感を抱いている一方で、宗矩は兵庫助へ対して剣術のほかに取り柄のない、権謀渦巻く政治の場では通用しない人間とたかをくくっている側面があります。

    この2人が面と向かって対決することはありませんが、本作品では対照的な存在として描かれています。

    もちろん本作品の読者としては兵庫助を応援したい気持ちになりますが、実際には宗矩からの依頼によって兵庫助が危険な役回りを担うことになります。

    石舟斎より直々に印可状と目録一式を受け継いだのは兵庫助でしたが、叔父として、また石舟斎亡きあとの柳生家の当主として君臨する宗矩には頭が上がらなかったというのが現実のようです。

    ただ実際には2人が対照的であるがゆえに柳生新陰流にとってはこれ以上ない都合の良い組み合わせだったと言えます。

    兵庫助は剣の実力で柳生新陰流の名を高め、宗矩は徳川幕府の中枢で重臣としての腕を振るうことで政治的に柳生新陰流の地位を確固たるものにしたと言えるでしょう。

    新陰流を切り開いた上泉信綱、柳生石舟斎はいずれも武将としての立身出世よりも、俗世間からある程度の距離を置いて剣の道を極める方に熱心だったことを考えると、兵庫助の気質もまったく同じだったといえるでしょう。

    むしろ柳生一族にとって宗矩の存在が異端だったという見方ができますが、剣術を含めた兵法の極意は勝利を得ることであり、それを処世術にまで応用した彼の器量も大きかったと言えます。

    いずれにせよ作品中で対比的に書かれるこの2人がストーリーを面白くしていることは間違いありません。

    柳生兵庫助〈4〉


    数々の戦いに勝ち続け、各地にいる達人を訪ねながら修行を続けてきた兵介は、柳生の里へ帰ってきます。

    もはや兵介の剣の腕は新陰流の三代目を継ぐに相応しいレベルにまで達していましたが、祖父・石舟斎の勧めで十津川金龍院で薙刀を学ぶことになります。

    武芸に飽くなき情熱を持っていた兵介は剣のみならず、剣が苦手とする薙刀や槍の扱いにも熟練することで自らの剣を完全無欠にする意欲があったのです。

    兵介の祖父・石舟斎の盟友であった胤栄は宝蔵院流槍術の創始者でしたが、お互いに剣と槍の技量を磨き合った関係であったことを考えると当時としては自然な流れでもありました。


    山深い十津川へ薙刀を習いに出向くのですが、そこで隠遁生活を送っていた棒庵という老人に兵介は手も足も出ないという経験をします。

    ここまでの完全な敗北は疋田豊五郎と対峙して以来でしたが、ともかく兵介は棒庵の元で新当流薙刀術の奥義を学ぶことになります。

    それは手取り足取りの修行ではなく、修験道の行場としれ知られている笙ノ窟(しょうのいわや)に百日間籠もるというものでした。

    やはり剣豪の修行には山篭もりが似合います。

    私たち一般人からすると山篭もりをして強くなる理由が今ひとつ理解できませんが、共通するのは大自然の霊気を受けて感覚が研ぎ澄まされる、欲望を消し去ることで不動心を得られるといった精神修行であり、現代スポーツで言うところのメンタルトレーニングに近いのかもしれません。

    本作品において、兵介が山籠りを終え柳生の里に帰還した時点で最強の剣士になったと言えそうです。
    そしてそれは最強の敵が兵介たちの前に現れることを示唆する伏線でもあったのです。

    柳生兵庫助〈3〉


    疋田豊五郎に敗北した兵介でしたが、この出来事が彼をさらに1段上に成長をもたらしてくれるきっかけになりました。

    一方で叔父の柳生宗矩が徳川将軍家の兵法指南役となった今、柳生新陰流がすべての流派の頂点に君臨したと言っても過言ではありません。

    これは諸国を廻り武者修行を続ける兵介を倒せば、その地位を奪い返せるチャンスを得るということを意味しています。

    すでに剣術が圧倒的な地位を獲得していた幕末時代と違い、この時代の兵法者は槍、鎖鎌、飛び道具などおよそ武器と呼ばれるものは何でも使用し、奇襲も含めて勝てば何をやってもよいという風潮がありました。

    戦国時代で幾度も繰り広げられてきた合戦、つまり乱戦の中を生き残ってきた気性の荒い猛者も多く、殺伐とした時代だったと言えるでしょう。


    その中で兵介は、場所を選ばず試合を所望してくる兵法者と立ち会い、また山賊に落ちぶれた元兵法者に付け狙われながらも何とか無事に修行を続けてゆきます。

    こうした兵法者同士の対決シーンで緊迫感を読者へ伝えるという点において津本陽氏の手腕は抜群といってよいでしょう。

    自身が剣道有段者ということもあり、剣術への造詣の深さはもちろんのこと、白刃で命のやり取りをする人間の心理を巧みに捉えた描写は、手に汗握る迫真のシーンを演出してくれます。

    また兵介のお伴をしている小猿、千世をはじめとした忍者たちの使う武器も実に個性的です。

    棒手裏剣焙烙玉微塵(金輪の3方向に鎖と分銅を取り付けた武器)といったいかにも忍者が使いそうな武器が登場し、ともすれば単調になりがちな戦いのシーンを多彩にしてくれます。

    長編小説において読者を楽しませる要素をなるべく多く取り入れてゆく努力が感じられ、だからこそ読者は心地よく作品を読み続けられるのです。

    柳生兵庫助〈2〉


    津本陽氏の描く長編大作・柳生兵庫助の第2巻です。

    前回は内容について殆ど触れませんでしたが、今回は少しストーリーに触れてみます。


    物語は兵庫助の少年時代から始まります。
    のどかで自然豊かな柳生の里で兵庫助は育ち、剣豪として日本中に名を馳せた祖父・柳生宗厳は健在であるものの、老齢ということもあり"石舟斎"と号して半ば隠居生活を送っていました。

    もちろん兵庫助も幼少の頃より剣の修行に打ち込み、青年になる頃には非凡な才能を見せるようになります。

    この噂を聞きつけた加藤清正が兵庫助を兵法師範として熊本に迎えることになります。
    しかも実高三千石という破格の待遇です。

    これは兵庫助の剣術が優れていたこともありますが、戦国大名たちにとって"柳生"という名の持つブランド力によるところが大きかったと言えます。

    しかしここで兵庫助が清正へ仕え続けてしまってはストーリーが面白くなりません。

    兵庫助は熊本で発生した百姓一揆を鎮圧する際、同じ清正の家臣であった伊藤長門守と言い争いになり最後には斬ってしまうのです。

    伊藤に限らず、加藤家の中には若輩の新参者(兵庫助)が厚遇されていることを嫉妬している家臣たちもいたのです。

    兵庫助にとって剣の道を極めることが最も重要であり、複雑な人間関係の中で他人を出し抜いて出世することに興味は無かったのです。

    結果的に1年足らずで加藤家を退転し、修行のために諸国流浪の旅に出ることになります。


    剣で他者に遅れを取ることはないと自負していた兵庫助ですが、最初に訪れた小倉の細川家に使えていた老剣士・疋田豊五郎の前に敗北を喫することになります。

    老齢ではあるものの豊五郎は祖父・石舟斎とともに、かつての上泉信綱の直弟子でもあり、師匠より自らの流派を開くことを許されるほど高名な剣豪でした。

    簡単に言えば先輩に鼻っ柱をへし折られた形ですが、同時に若い兵庫助にとって世間が広いことを痛感した出来事でもあり、ますます剣術修行に励むきっかけになった敗北でもあったのです。

    柳生兵庫助〈1〉


    津本陽氏の長編剣豪小説です。

    "柳生"という文字だけで戦国時代を代表する剣豪というイメージがありますが、本書の主人公を紹介する前に簡単に整理してみたいと思います。

    新陰流(柳生新陰流)といえば、徳川将軍家の流儀として定着したことで有名になりましたが、その開祖は上野(今の群馬県)の武将であった上泉信綱です。

    上泉は主家の長野家が没落したあとに剣術修行のため諸国流浪の旅に出ますが、そこで出会ったのが大和の氏族であった柳生宗厳(むねとし)です。

    宗厳は昔からの盟友であった宝蔵院の胤栄とともに上泉の元で約2年の修行に励み、新陰流の印可状を得る腕前になります。

    この2人は吉川英治の小説「宮本武蔵」に登場することもあり、馴染みのある人は多いかもしれません。

    ともかく新陰流は宗厳からその子どもへと受け継がれ、柳生新陰流という一大流派に発展してゆきます。

    宗厳の末子である宗矩(むねのり)は、のちに徳川家2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の兵法指南役となり、一万石以上の所領を持つ大名にまで立身します。

    そして本作品の主人公になるのは宗厳の孫、そして宗矩の甥にあたる利厳(通称:兵介)です。

    ちなみに宗矩の息子、主人公の兵介にとって甥にあたるのが隻眼の剣士として有名な柳生三厳(通称:十兵衛)になります。


    柳生利厳は宮本武蔵とほぼ同年代を生きた剣豪ですが、2人が対決としたという史実どころか出会ったという記録さえ残っていません。

    武蔵は自身で二天一流という流派を開きましたが、利厳は生まれながらにして上泉信綱から祖父へ伝わった新陰流を受け継ぐ立場にありました。

    2人の人生を比べたとき、前者には新しい流派を生み出す苦しみがあり、後者には一大流派を受け継ぐプレッシャーがあったという見方もできます。

    この長編で兵介がどのように描かれてゆくかじっくり味わってみたいと思います。

    生を踏んで恐れず 高橋是清の生涯


    高橋是清を主人公にした津本陽氏の歴史小説です。

    大蔵大臣を7回努め、総理大臣や政友会総裁も経験した戦前の代表的な政治家ですが、以前本ブログで「高橋是清自伝」を紹介しているため詳しい経歴については割愛します。

    本書は基本的に自伝の内容をそのまま踏襲するストーリーになっています。
    つまりアメリカへの留学、実業家時代、さらに日銀副総裁として主にイギリスで日露戦争のための戦時外債の公募を行った時期にスポットを当てています。

    自伝では殆ど触れられなかった大蔵大臣時代を読みたかった私としては少し残念な点であり、自伝と比べて約半分のページ数で歴史小説として完結しています。

    自伝では事務的な内容についても触れられているため、人によっては冗長に感じることがあるかも知れませんが、本書は一流作家によって要点を絞ってテンポよく書かれいるため、圧倒的に読みやすくなっています。

    よって高橋是清という人物に興味を持った人は、自伝よりまず本書を手に取ることをお勧めします。

    入念な下調べをしてから執筆することで定評のある津本氏の作品だけあって自伝と比べても正確性に遜色なく、自伝では記載され得ない是清が暗殺されることになる二・二六事件についても触れています。

    そこには日中戦争、そして日米開戦へ向けて軍部が暴走し始める暗い時代においてもプロフェッショナルとしての信念を貫き通した80歳を過ぎた彼の晩年が鮮やかに描かれています。

    軍部の標的になることを恐れ、沈黙を守る政治家が多い時期にも関わらず高橋は閣議において次のような発言を行っています。

    「いったい軍部は、アメリカとロシアの両面作戦をするつもりなのか。国防というものは、攻めこまれないように、守るに足るだけでいいのだ。大体軍部は常識に欠けている。(中略)その常識を欠いた幹部が政治にまでくちばしをいれるのは言語道断、国家の災いというべきである」

    数多の辛苦を経験し乗り越えてきた人間は、時代に流されることのないバランス感覚と勇気を兼ね備えていたと言えるでしょう。

    沖縄を変えた男 栽弘義――高校野球に捧げた生涯


    本書はかつて沖縄水産高校を率い1990年、91年に甲子園準優勝を成し遂げた栽弘義監督の実像に迫ったノンフィクションです。

    高校野球の監督を"沖縄を変えた男"と表現するのは大げさと思うかも知れませんが、高校野球(特に甲子園)はアマチュアスポーツを超えた国民的な人気イベントと言うべき人気を誇り、中でも沖縄県の野球熱は日本トップクラスです。

    今でこそ沖縄県は野球の強豪県として定着し、プロ野球で活躍する沖縄県出身選手も珍しくない時代になりましたが、戦前から戦後、そして沖縄返還(1972年)が行われた時点においても沖縄は長い間、野球の弱小県の地位に留まっていました。

    かつ日本国内においてさえ沖縄県人への差別が残っていた時代において、甲子園で良い成績を残すということは戦争で傷ついた沖縄人たちの心を癒やし、また彼らのアイデンティティを取り戻すためにも必要な象徴的なイベントであり、それを実現した栽監督を"沖縄を変えた男"と評価するのは決して大げさではないのです。

    私自身も高校野球ファンの1人ということもあり、沖縄出身の球児たちが甲子園で快進撃を続ける姿に県民一丸となって熱狂する姿は容易に想像ができます。

    この表舞台だけに目を向けると栽監督の業績は華々しいものですが、その裏に秘められた強烈な逸話についても著者がかつての教え子だった球児を丹念に取材して聞き出しています。

    代表的なものが、昭和のスポ根を地でゆく暴力が練習や試合時に振るわれていた点です。
    時には選手へ対して「殺すぞ」という過激な発言も出ていたようです。

    さらに先輩が後輩へ対しナイフで脅すような恫喝まがいの上下関係があったことも事実のようです。

    私がもっとも悲劇的だと感じたのは、肩や肘を痛めた将来有望な投手へ対し監督命令として連投させ続け、野球選手としての生命を実質的に絶たれてしまったという例です。

    暴力については現在では一発アウトな内容であることはもちろんですが、最近では体が成長過程にある高校投手の球数制限が議論になっており、この面でもかなりブラックな起用方法を続けて来たと言えます。

    これだけを見れば、野球監督として実績を残すために高校球児を食い物にするヤクザまがいの監督という評価になりますが、彼が抱いていた沖縄人としての誇り、野球へ対する情熱は本物であり、そこをさらに掘り下げてゆくとまた違った一面が見えてくるのです。


    本書を読み進めると場面ごとにさまざな感情が湧いてくる1冊ですが、栽弘義という男をどのように評価するかは読者1人1人に委ねられています。

    ご依頼の件


    ショートショートの神様”と言われた星新一の作品が40編収められた文庫本です。

    もうこれだけでほかに説明が不要なくらいに定番の1冊です。

    本ブログで星新一の本を紹介するのは初めてですが、短い作品であれば1~2分、長くとも5分もあれば読めてしまう作品だけに具体的に内容を説明することが難しい類の本です。

    一般的にSF作家のジャンルに入れられることが多い星ですが、1000編にも及ぶ彼の残した短編小説のジャンルはSFに限らず、ファンタジー、ホラー、推理ものなど様々な味付けがされています。

    電車に乗っている10分間、寝る前の5分間、それこそトイレの中でも軽く読めてしまうショートショートは、短い時間で気分転換させてくれる一服の清涼剤のような存在です。

    したがって本書は美辞麗句や情緒をじっくり味わうのではなく、短編の中で見事に完結された起承転結、もっとわかり易く言えばオチを想像しながらテンポよく読み進める方が楽しめます。

    作品中には殆ど名前が登場しません。
    "青年"、"初老の男"、"その男"、"その女"など三人称で語られるため、余計な固有名詞を覚える必要がなく、ひたすらストーリーに没頭することができます。

    バラエティに富むストーリーではあるものの、どの作品にも共通しているのは現代人へ対する風刺小説という側面を持っているという点です。

    現代人の心の奥底にある願望、欲望、もしくは不満や不安を時には満たし、時には手痛いしっぺ返しを喰らわせてゆきます。

    作品に出てくる人物がどういう結末を迎えるにせよどこか憎めない、まるで落語に登場する長屋の住人のように思えてくるのは私だけではないはずです。

    小さき者へ


    重松清氏の作品が6編収められている文庫本です。

    著者は本書のあとがきの中で
    「どれも、急な坂道の途中にたたずむひとたちを主人公にしている」
    と解説しています。

    もちろん"坂道"とは例えであり、人生における大きな困難に直面した人たちが主人公であると言い換えれば分かりやすいでしょうか。

    いずれにせよ作品中で彼ら(彼女)らが経験する坂道は、"家族"という身近な存在を舞台にしているだけに、より一層読者にとって身近に考えさせられるストーリーになっています。

    また重松氏にとって"家族"をテーマにした作品はもっとも得意とするところであり、とくに息子や娘を持つ父親の心理描写は、同じ立場にある読者の胸を締め付けるようなリアルがあります。


    "人生の坂道"を描いているだけに作品中の雰囲気は決して明るいものではありませんが、一方で"暗い絶望感"を感じさせるものでもありません。

    その理由は誰しもが直面しうる坂道を前に、時に呆然としつつも坂道を越えようと1歩ずつ踏み出す主人公たちの姿を丁寧に描いているからです。

    本書は人生における問題対処のノウハウ本ではなく、あくまでリアルな人生を描こうとした小説です。

    そのため決して鮮やかな解決方法が登場したり、急展開のハッピーエンドを迎えるような予定調和の物語はありません。

    読者は主人公たちへ時にもどかしく、時に応援したくなる気持ちで読み進めてゆくのです。

    そしてそこで得られるのは、自分と似ている平凡な人たちが苦しみ悩みながらも次の一歩を踏み出そうとしている姿への共感に他なりません。

    考えるヒント


    しばしば昭和を代表する知識人、評論家として登場する小林秀雄氏のエッセイ集です。

    本書の前半では文藝春秋、後半では新聞の紙面に掲載されたエッセイを文庫化したものであり、いずれも昭和30年台に執筆されたものです。

    このとき小林は50~60歳に差し掛かっており、すでに日本を代表する評論家として活躍していた時期と一致しています。

    正直に言うと"知識人"や"評論家"というとワイドショーのコメンテーターとして登場し、もっともらしい理論を振りかざす胡散臭い連中というイメージがあります。

    それは作家のように作品を発表するという分かりやすい形で活動していないこと、他人を批評することを生業にしているという先入観があるせいかも知れません。

    小林秀雄のもっともよく知られているのは文芸評論家としての顔ですが、思想や哲学、詩や和歌、美術品に至るまでその活動は多岐に渡っています。

    実際、本書のエッセイで取り上げられたテーマを挙げると、

    プラトン、井伏鱒二、漫画、フロイト、本居宣長、演劇、ヒトラー、平家物語、プルターク英雄伝、福沢諭吉、批評論、桜、ソヴェット(旧ソ連)など....

    と特定のジャンルに限っていません。

    ともかく著者の肩書きはどうであろうと、私自身にとって良い本とは、自分にはなかった新しい視点で物事を考えさせてくれる本です。

    考えるヒント」というタイトル通り、まさしく本書はそうした視点をもたらしてくれる1冊です。

    同時に自分がいかに漠然と浅はかに物事を考えていたということにも気付かされます。

    評論家という職業は、評論対象を好き嫌いといった感情ではなく、熟考して価値を見い出すことであり、その思考の元になる豊富な経験や知識も欠かせません。

    そうした意味では作品を創作する作家とは違った思考活動が要求される大変な職業ということも本書から伝わってきます、

    もちろん掲載されているエッセイの中には賛同できない意見、そもそも私にとっては難解で理解の及ばないものも含まています。

    いずれにしても本書に収められているエッセイからは、読む人によってさまざまなヒントを得ることが出来るはずです。


    小説を読む時のクセで流れるよう読んでしまうと理論で順序立てられた文章の中身が頭に入ってきません。

    1つ1つ自分の中で文章の意味や意図を理解するために時には読み返す作業が必要ですが、こうした読書も悪くありません。

    歴史の舞台―文明のさまざま


    本書は司馬遼太郎氏のエッセイ集ですが、大きく2つのパートに別れています。

    前半は昭和52年の天山山脈周辺(今の新疆ウイグル自治区)への取材旅行を元にした紀行文になっています。
    そして後半は週刊誌へ掲載された個別のエッセイが掲載されています。

    中国を舞台とした歴史小説をよく読みますが、紀元前の春秋戦国時代より周辺の蛮族たちがしばしば襲撃してくる記載があります。

    そうした蛮族たちの侵入を防ぐために始皇帝が築いた"万里の長城"は有名ですが、それ以前にも戦国七雄の1つとして北方にあったもかなり大規模な長城を築いています。

    つまり長城の内側が中国史であり、その外側は蛮族たちが住む未開の地という印象を受けてしまいます。

    さらに後世へ下ってゆくと、金、明、清といった王朝はすべて長城の外から侵入してきた民族が建てた国家であり、中国人(漢民族)側から見れば異民族に支配され続けた歴史だったといえるでしょう。

    そもそも古代から北狄、西戎と侮蔑され、そして恐れられてきた蛮族たちですが、彼らの正体は広大な草原地帯で暮らしている遊牧民(=騎馬民族)です。

    遊牧は古代ギリシアの歴史家ヘロドトスも記録に残したイラン系のスキタイ人によって始められたとされ、その移動手段として欠かせない騎馬の技術や道具も発明しています。

    やがてそれが東方に伝わり、中央・北アジア一帯に遊牧文化が根付いたとされます。

    これは広大な地域と多数の民族が入り混じった世界規模の歴史ですが、彼らの殆どが文字で歴史を残すという習性を持たなかったため、草原を舞台に歴史は分かりずらいものになっています。

    著者もそうした記録だけでは追えない現地の雰囲気を肌で感じるために取材旅行に訪れたのだと思います。

    実際、新疆ウイグル自治区は「民俗の博物館」と言われるほど多くの民族を見かけるそうです。

    つまりコーカソイド (いわゆる白人)からモンゴロイド、あるいはその中間(混血?)にあたる人たちが昔から同じ町で暮らしているのです。

    著者は歴史小説家という職業柄、どこを訪れても常に現在だけを見るのではなく、過去とのつながりの中で人びとと交流し観察する習性を持っています。

    そのため本書を読んでゆくと、草原を舞台に歴史を歩んできた人びとへ対する共感が生れるとともに、今まで馴染みの薄かった中央アジアの歴史、つまり中国史からは蛮族とされてきた人びとを身近に感じるようになります。

    乾いた草原とどこまでも広がる青い空、そして遙か遠くに雪を抱く山々を背景に馬で駈けてゆく遊牧民たち。

    それは紀元前から大差ない風景が今でも生き続けている地域でもあるのです。

    近代化された国土に住む日本人にとって憧れの風景であるとともに、なぜか懐かさしを感じる人も多いのではないでしょうか。

    後半に収録されているエッセイも中国や朝鮮、そして中東を題材にした国際色豊かなテーマが多く選ばれており、前半の紀行文と関連性を持った編集がなされている点でまとまりがあり好感を持てます。

    無名


    ノンフィクションの第一人者である沢木耕太郎氏が自らの父親の介護、そして最期を看取るまでの体験を描いた作品です。

    父親が最初に倒れた時、すでに著者は40歳を過ぎており作家として揺るぎない地位を築いていました。
    つまり油の乗り切った時期といえるでしょう。

    一方で沢木氏はスポーツに関するノンフィクションを得意としており、アスリートという肉体的、精神的に研ぎ澄まされた特別な世界を題材にすることが多い作家でもありました。

    しかし本作品では、年老いた父親を看取るという誰の身に起こってもおかしくない経験を題材にしています。
    つまり客観的に見れば平凡な出来事を題材にしたといえるでしょう。

    看病の様子や病状を細やかにそして客観的に描写するという作家としての冷静な観察眼が見られる一方で、父との思い出やその時の感情を前面に出して描くという対極的な手法が作品中に同居しているため長編にも関わらず、単調なリズムの介護日記にはなっていません。


    子と親との関係は、親子の数だけあるといってもいいでしょう。

    経済的な理由により好きで得意だった学問の道を諦めた経験を持つ父は、寡黙で物静かな人物だったようです。
    また子として父親と争った経験も、親へ対する反抗期すら記憶に無いと告白しています。

    それでも著者にとって父とは、世間的に無名な人生を送りつつも膨大な知識を持った畏怖する対象でした。

    世間的に有名か無名かは関係なく、誰にとっても人間の一生は壮大な物語になるということを実感させてくれる作品です。

    獅子吼


    浅田次郎氏の短編小説が大好きなため本屋で未読作品を見かけると反射的に購入してしまいます。
    そして本書もそんな作品の1冊です。

    浅田氏の短編は歴史小説、または現代小説いずれかの形式で書かれますが、本書は後者の形式で6作品が収録されています。

    各作品についてネタばれしない程度に簡単なレビューしてみたいと思います。

    獅子吼

    戦時下の動物園で飼われている、かつては草原を駆け回っていたライオンを擬人化した作品です。
    浅田氏の作品の中では珍しい手法で書かれていますが、ライオンの持つ百獣の王としての誇り、そして悲しい運命を受け入れる姿が印象に残ります。


    帰り道

    主人公は集団就職で上京し工場の事務職で働く妙子という女性です。
    職場のスキー同好会で新潟へ出かけ、その帰り道である夜行バスでの出来事が作品になっています。

    今でこそ社員旅行や同好会といった活動は減りつつありますが、かつての職場には家族的な雰囲気があり、青春の舞台でもあった懐かしい時代があったのです。
    昭和39年の東京オリンピックの翌年を舞台にノスタルジックな昭和人情小説に仕上がっています。

    九泉閣へようこそ

    伊豆の温泉街にある老舗旅館で起きた出来事をミステリー風の物語にしています。
    "ミステリー風"と表現しましたが、普通のミステリーではなく、不思議な出来事に裏にある当事者たちの想いが丁寧に描かれています。

    うきよご

    面識の薄い腹ちがいの姉と弟が東京で出会う場面から始まり、弟が東大を目指して入寮する「駒場尚友寮」での出来事を中心に物語が構成されています。
    昔の文学作品のような雰囲気があります。

    流離人

    かつて学徒動員された沢村老人が、配属先の満州で出会った不思議な老中佐との出会いを思い出として語るという構成で書かれています。
    浅田氏の王道的な短編作品といえます。

    ブルー・ブルー・スカイ

    浅田氏の大好きなラスベガス、そしてカジノがテーマになっている作品です。
    カジノといえば富豪や野心的なギャンブラーたちが集う場所というイメージがありますが、ユーモアと人情に包まれた爽やかな読了感が印象的です。


    1冊の文庫本に映画作品が6つも収められているような贅沢な気分に浸ることができます。

    手掘り日本史


    司馬遼太郎氏の作品を学生時代から読み続けているせいか、私の中には"歴史小説=司馬遼太郎"のような図式があります。

    ただし他の作家の歴史小説を読んでいくうちに、実は司馬遼太郎氏の作品はかなり特殊な部類に入るのではないかと思い始めています。

    その最大の特徴は、(作品中の)主人公の人生や所業を追うだけでなく、彼らの生きていた時代の雰囲気を読者へ伝えることに力が注がれている点です。

    それは一見すると作品中でしばしば"余談"という形であらすじとは関係のない方向へ逸れているように見えますが、戦国、江戸、あるいは明治時代に生きていた人びとが日常的に持っていた感覚、考え方を作者なりの表現で伝えていることが多いのです。

    歴史上の出来事や制度、または文化といったものは教科書や専門書でも学ぶことが出来ますが、そこからは人びとの日常生活はなかな見えてきません。

    例えば史観(歴史観)とは、歴史的事実から過去を(ある方向へ)評価する視点として必要ですが、本書で司馬氏は次のように語っています。

    私は、史観というのは非常に重要なものだが、ときには自分のなかで、史観というものを横に置いてみなければ、対象のすがたがわからなくなることがある、と思っています。史観は、歴史を掘りかえす土木機械だと思っていますが、それ以上のものだとは思っていません。土木機械は磨きに磨かねばなりませんが、その奴隷になることはつまらない。歴史をみるとき、ときにはその便利な土木機械を停止させて、手掘りで、掘りかえさなければならないことがあります。

    司馬氏の周りはつねに歴史書やその専門書であれふれていたはずですが、そこから分かる事実だけを抜き出して並べてみても小説は書けません。

    そこに登場する人物たちの表情や立場などが目の前に浮かんできてはじめて作品が書けるといいます。
    そしてそれらを想像する作業を著者はタイトルにある"手掘り"と表現しているのです。

    そうした思考を続けてきた司馬遼太郎氏は、現代というより歴史の中を延々と漂いながら生活している隠者のような雰囲気が私の中にあります。

    本書は評論家の江藤文夫氏が司馬遼太郎氏へインタビューするという形式で進んでいますが、歴史、または歴史小説へ対する姿勢、考え方がよく整理されて掲載されており、その認識の深さと広さに驚かされるとともに、なかなか作品中では現れにくい著者の肉声が聞けたような嬉しい気持ちにもなるのです。

    AIで私の仕事はなくなりますか?


    本書はジャーナリストの田原総一朗氏がAI技術の可能性、そして未来を専門家へ取材するという形で1冊の本にまとめたものです。

    AI(Artificial Inteligence)
    、つまり人工頭脳はすさまじい勢いで社会を変えてゆくと言われています。

    オックスフォード大学の研究によると、70%以上の確率で米国の労働者の47%が10~20年後に仕事を失うと言われており、野村総合研究所もやはり10~20年後に日本の49%の仕事がAIに置き換わる可能性があると報告しています。


    田原氏は自らを"極端な文系人間"と評しているだけあって、AI技術に詳しくはありません。
    それでも80歳を過ぎている田原氏が、「文系の年寄りにはAIのことが分からないと悠長にかまえているわけにはいかない」と言わしめるほど注目すべき技術ということです。

    本書で取材を受けているのは、いずれもAI技術の研究、または推進に第一線で関わっている人たちです。

    • グレッグ・コラード(グーグル・ブレイン創業者)
    • 松尾豊(東京大学大学院工学系研究科特任准教授)
    • 西川徹(プリファード・ネットワークス社長)
    • 柳瀬唯夫(経済産業省経済産業政策局長)
    • ジェームス・カフナー(トヨタ・リサーチ・インスティチュートCTO)
    • 馬場渉(パナソニックビジネスイノベーション本部副本部長)
    • 冨山和彦(経営共創基盤代表取締役CEO)
    • 奥正之(三井住友フィナンシャルグループ名誉顧問)
    • 井上智洋(駒沢大学経済学部准教授)
    • 山川宏(ドワンゴ人工頭脳研究所所長)

    AIというだけでITに携わっていない人に敬遠されがちですが、インタビューを通して田原氏自らも理解できるような言葉を引き出しているため、AI技術の概要や現時点における研究段階が一般人にも理解できるようなレベルで書かれています。

    やはりAI技術の研究が進んでいるのはアメリカであり、それを中国が急激に追い上げているというのが世界の情勢のようです。

    インタビューに登場する松尾豊氏をはじめ日本の研究は遅れているという見方で共通しており、それはグーグルをはじめインターネットビジネスで爆発的に成功した大企業が巨大な予算で研究に取り組んでいることもありますが、日本の科学技術水準が相対的に落ちてきているという要素もあるようです。

    一方で完全な無人運転自動車が登場するのは10年程度はかかるという見方も共通しており、さらに人格を持った汎用AIが登場するのは更に先になるというのが専門家たちの共通した予想であり、あと数年でAIが職を奪うという心配はなさそうです。

    いずれにしてもメディアによる"AIの驚異"という類の報道へ対して、本書を読むことで少し冷静に考えることが出来るという点で入門書としては最適な1冊です。

    AIは膨大な情報へアクセス可能になったインターネットの延長上にある技術であり、産業革命に匹敵するインパクトを与える技術であることは確かなようです。

    だからこそ「AI技術を制するものが未来のビジネスを制する」という認識のもと、今日も世界中の国家や企業がしのぎを削っているのです。

    小説出光佐三 ~燃える男の肖像~


    昭和を代表する実業家である出光佐三の伝記小説です。

    著者は「黒部の太陽」で知られる作家・木本正次氏であり、株式会社復刊ドットコムより2015年に復刊されたようです。

    出光佐三といえばすぐに出光興産を思い出しますが、今年に入って昭和シェルの経営統合を行い"出光昭和シェル"として5.8兆円もの売上を誇る巨大企業になっています。

    創業者の出光は裸一貫で会社を立ち上げ、当然のように順風満帆であった訳ではなく、何度もの倒産危機を乗り越えて会社を成長させてゆきます。

    本書にはその歴史がかなり細部に渡って収められているだけにかなりのボリュームがあるものの、それでも立志伝として濃い内容に仕上がっています。

    ここでは詳しく触れませんが、戦前~戦後の激動期に起業家として成功した人物にはある共通点があるように思えます。

    あくまでも個人的な解釈ですが、それを本書を例に簡単にまとめてみました。

    • 時代の先を読む
    • ピンチへ対して真っ向から立ち向かう
    • 運がよい
    • 経営へ対して哲学を持っている

    まず"時代の先を読む"については簡単です。
    創業当時(明治44年)はまだ石炭が機械の主な動力源でしたが、出光はいち早く石油が燃料となる時代が来ること見抜いていました。

    "ピンチへ対して真っ向から立ち向かう"については、経営者以前に人間としての意志力が試されます。
    世界中の石油が海外資本(いわゆる石油メジャー)に支配される中、出光は直接イランからの石油輸入に挑戦します。
    もちろん業界の猛烈な反発に合いますが、臆することなくイラン首相と直接交渉するなど真正面から突破口を開きます。

    "運がよい"は結果論にならざるを得ませんが、やはり重要な要素です。
    すぐに思いつくのは、出光が起業する際に当時で6千円(現代であれば6千万円)もの大金を援助した資産家・日田重太郎の存在です。
    日田は出光の人間性に惚れ込み、利子も返却する必要もないと言いながら資金を提供しました。

    最後に"経営へ対して哲学を持っている"ですが、これは強烈な個性が会社経営へ反映された結果でもあります。
    その中でも「黄金の奴隷になるな」はよく知られている言葉で、目先の利益を追い求めることで"義理"や"品性"に欠く行動をしてはならないことを意味し、現代でも共感できる内容です。

    一方で敗戦直後にも関わらず社内訓示で戦勝国アメリカを批判し、天皇崇拝や神州日本を公言するアクの強さもありました。
    出光は"三千年の歴史を有する民族"としての日本人をつねに意識し続けた人物でもあり、こうした訓示も敗戦によって自信を失った社員たちが将来を悲観することを防ぎ、再建への苦難を乗り越えるための勇気を与える効果がありました。


    ちなみに百田尚樹氏が2012年に発表し注目を集めた「海賊とよばれた男」でも出光佐三をモデルにした主人公が登場しますが、こちらが物語性を重視した作品であるのに対し、本書は登場人物がすべて実名で書かれており、昔からある伝記形式の作品であるという特徴があります。

    当然のようにあらすじは似ていますが、2つの作品を読み比べてみるのも面白いかも知れません。

    日本を蝕む「極論」の正体


    著述家の古谷経衡(ふるや つねひら)氏が、日本中のあらゆる場所で目にする機会が増えたさまざまな"極論"へ対して検証してゆく1冊です。

    最初に著者は、極論は常に競争のない閉鎖的な集団や組織から発生すると指摘しています。

    例として世界革命を唱えた共産主義者の一派、終末思想とテロを結びつけたオカルト宗教団体、現代であれば電子掲示板に代表されるネット空間など挙げていますが、もともと常識人であっても強烈な同調圧力の中で次第に極論を正論と思い込むようになってゆくようです。

    そもそも曖昧な要素のない(=思考する必要のない)極論の方が人間の心を惹き付けやすいといった側面があるかもしれません。

    以下は本書で取り上げられている極論の一部です。

    • 日本共産党による「内部留保批判
    • 右翼、左翼による「TPP亡国論
    • 政府による「プレミアムフライデー
    • ネット上で囁かれる「日本会議黒幕説

    著者自身はかつて保守・右派と呼ばれる業界にいたと告白していますが、今は右派、左派とも適度に距離を置いているようです。

    それだけにパトロンのいない自身の境遇を自由ではあるが孤独で貧乏と自虐的に語っていますが、それはともかく特定の組織だけと密接に関わる状況下で自由な発言が抑制されてしまうことは容易に想像できます。

    本書で解説されている極論へ対する反論はいずれも専門的で難解なものではなく、わかり易い例と自身の取材内容を元にした誰にでも理解できる内容になっています。

    私自身は極論に流されない方だと勝手に思い込んでいましたが、本書を読む進めてゆくとその自信が揺らいでくるような内容もあり、改めて身近に極論(もしくは極論に近いもの)が溢れていることに気付かされます。

    ネットの普及とともに爆発的に増加する情報の中で必要なことは、受け身だけでなく自分の頭で考える姿勢、具体的には常に情報を疑って裏をとる癖が必要になってくるのではないでしょうか。


    ちなみに私自身が最近身近に感じる"極論"は、Webメディアに掲載されるニュースです。

    特にWebの場合、記事の見出しを10文字程度で表示する慣習があるために、アクセス数を稼ぐためにインパクトのある、つまり極論としか言いようのないタイトルを目にすることが多いのです。

    これも著者流にいえば、Webメディアがなりふり構わずアクセス数を稼げばよいという体質を持った閉鎖的な組織になりつつあるといったところでしょうか。

    鋼の女 最後の瞽女・小林ハル


    瞽女(ごぜ)」という言葉は知っていましたが、ぼんやりと"女性版琵琶法師"というイメージしか持っていませんでした。

    つまり伝統芸能を生業にしている視覚障害者の女性といった程度の知識です。

    しかし瞽女は遠い過去の話ではなく、室町時代からはじまり昭和30~40年頃まで越後(新潟県)を中心に活動を続けていたという事実には驚きました。

    越後は瞽女文化が最後まで残り続けた地域であり、"長岡瞽女"と"高田瞽女"と呼ばれる2つの集団が存在していました。

    本書の主人公である小林ハルは最後の長岡瞽女として活躍し、2005年に105歳で亡くなるまで瞽女唄の保存に尽くした女性です。


    経歴だけを見れば瞽女として生涯を過ごした女性と片付けてしまいがちですが、その人生は壮絶なものでした。

    三条市に生まれたハルは生後間もなく失明し、それ以降人目につかぬよう家の奥に閉じ込められるようにして幼少期を過ごしました。

    また母親から裁縫から洗濯まで身の回りのことは1人で出来るように厳しく躾されます。

    あまりの厳しさに母を恐れたハルでしたが、それは盲目であっても1人で生きてゆけるように願った母の愛情であったことを後に知ることになります。

    その母もハルが11歳のときに亡くなり、師匠の付き人として厳しい日々が彼女を待ち受けます。

    瞽女は自分たちだけで山岳地帯を巡り、時には会津や小国といった県外にまで足を運んだ旅芸人として活躍としていました。

    ハルさんは師匠との相性が悪かったらしく、事あるごとに旅先で陰湿な嫌がらせを受け1人で野宿せざるを得ないこともあったそうです。

    それ以外にも養女の死や弟子の裏切りなど、数々の苦労をされてきたようです。

    数々の逆境の中でもハルさんは「瞽女と鶏は死ぬまで唄わねばなんね」と晩年まで瞽女唄を披露し続けました。

    その功績もあって黄綬褒章をはじめてとした数々の受賞を重ねますが、"小林ハル"という人間が魅力的に映る本当の理由は、多くの苦労を乗り越えながら形成してきたその人格にあるといってよいでしょう。

    「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」と自らに言い聞かせ、決してひねくれたり逃げたりせず運命を受け入れ続けてきた明治生まれの女性の生き様が読者の胸を打つのです。

    幸いにも晩年は老人ホームで忙しくとも平和な日々を過ごせたようで何よりです。

    VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝


    抜群に面白い青春スポーツ小説「七帝柔道記」を読んだあと"七帝柔道記外伝"という副題に釣られて立て続けに、手にとったのが本書です。

    3つのノンフィクションと2つの対談が収められていますが、何と言ってもタイトルにもなっている「VTJ前夜の中井祐樹」に注目してしまいます。

    "中井祐樹"は、北海道大学の柔道部で著者(増田俊也氏)の3学年下の後輩であり、彼は柔道部の副将として主将の吉田とともに七帝柔道で悲願の優勝という快挙を果たします。

    七帝戦とは己のすべてをそこに賭けて戦う壮絶な大会ですが、彼の目はもっと遠くを見つめていました。

    それはプロの格闘家として生きてゆく道です。

    今でこそMMA(総合格闘技)というジャンルは日本のみならず海外でも確立していますが、当時(1992年)はプロ格闘技とプロレスの区別さえ曖昧な、そもそもマーケットさえ存在しない不安定な世界でした。

    そんな困難な荒野へ理想だけを持って駆け出した中井には、青春というにはあまりにも過酷な茨の道が待っていました。

    試合で負った大怪我が原因でわずか3年間で格闘選手を引退せざるを得ない状況になってしまった中井ですが、彼が引退後した後に空前の格闘技ブームが訪れ、大晦日には格闘技中継が乱立していた時代がありました。

    一時は下火になったものの世界中で"MMA"というジャンルが確立しつつあり、再び盛り上がり始めている気配があります。

    まだMMAというジャンルを過去を振り返るタイミングではないのかも知れませんが、マイナースポーツだった時代にその基礎を築いた先人がいたことを思い出す機会が必ず来るはずです。

    つまり本書は過去に言及しつつも、MMAの発展に貢献した中井祐樹という存在へいち早くスポットライトを当てた作品であるとも言えます。

    彼の遺伝子を受け継いだ選手が再び世界を席巻する日が来ることを期待せずにはいられません。

    七帝柔道記


    七帝柔道(ななていじゅうどう、しちていじゅうどう、Nanatei-judo、Shititei-judo)は、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の旧帝大の柔道部で行われている寝技中心の高専柔道の流れを汲む柔道である。七大柔道とも呼ばれる。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%B8%9D%E6%9F%94%E9%81%93

    冒頭からWikipediaの解説を引用しましたが、よく知られているオリンピック競技の柔道は立ち技中心のいわゆる"講道館柔道"であり、本書のそれとは異なる競技であるという点です。

    7校の大学のみで開催されている競技だけに国際大会は存在せず、いわゆるマイナースポーツであることは間違いありません。

    本書は私小説でもあり、著者の増田俊也氏は北海道大学時代にこの七帝柔道の競技者だった経験があります。

    それだけに小説中で行われるルールの説明も適切で分かりやすく、七帝柔道の予備知識が無くとも作品の面白さに差し支えはありません。

    同氏による木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのかでは木村が(七帝柔道の前身である)高専柔道で優勝する過程が紹介されていますが、こちらが全体的にシリアスで重厚なノンフィクションとして書かれているのに比べ、本書は熱血青春小説としてエンターテイメント性が高い作品になっています。


    青春スポーツと来れば次に野球を連想してしまう私ですが、甲子園のように世間から注目される大舞台がなくとも、青春のすべてを七帝柔道に捧げる青年たちの姿が魅力的に書かれています。

    もちろん著者の技量もあるでしょうが、壮絶な練習量の中で何度も絞め落とされ続ける日々、"カンノヨウセイ"と呼ばれる新入生への過激な伝統行事、先輩や同級生との確執や硬い絆など自身の濃厚な体験が何よりも大きな要素になっているのは間違いありません。

    小説のクライマックスは年に1度開催される7校が一堂に会する"七帝戦"であり、なんと15人の団体戦で日本一が争われます。

    この団体戦が柔道といえば個人競技という固定概念を完全に吹き飛ばし、七帝柔道が完全なチームスポーツとして描かれています。

    勝っても負けても4年生が引退するこの大会にすべてを賭けてきた男たちの戦いは、寝技の1本のみが勝利の条件となるこの競技において壮絶なものになります。

    絞め落とされようが、腕を折られようが自ら負けを認める"参った"を誰もせず、もはやスポーツというよりは己の存在を賭けた戦いといった方が相応しいものです。

    個性的なメンバーたちがそれぞれの想いを持って試合に望む姿は、感情移入せずにはいられません。

    長く苦しい練習の日々、勉学よりも遊びよりも柔道を優先させた青年たちの日々は他の学生から見ると理解しがたい存在だったはずです。

    それでも柔道を通じて学び成長してゆく彼らは、何物にも代えがたいものを得たはずです。
    目には見えなくとも大切なものを読者たちへ教えてくれる青春小説です。

    黒部の太陽


    黒部の太陽」といえば三船敏郎石原裕次郎主演の映画が有名ですが、その原作となったノンフィクション小説です。

    黒部川第四発電所(通称:黒四ダム)の建設工事を描いた作品ですが、当時(昭和30年代)は経済成長に必要な電力が決定的に不足している状況であり、それを解消するための黒四ダム建設が世紀の難工事だったことから日本中の注目を集めました。

    ちなみに戦時中に建設された黒部川第三発電所(仙人谷ダム)も難工事であり、その様子は吉村昭氏の「高熱隧道」で詳しく取り上げられています。

    北アルプスから100キロ足らずで日本海へ注ぐ黒部川は豊かな水量とともに厳しい勾配を持っており、水力発電には最適な河川でした。

    一方で黒四の建設場所は、三千メートル級の山に囲まれた鋭いV字型の渓谷であり、人類未踏の猿さえ近づかない秘境でもあったのです。

    黒部には、怪我はない」という言葉があり、一歩足を踏み外せば垂直の断崖のため助かる見込みが万に一つもないという意味で使われます。

    この黒四の建設を不退転の決意で進めることを決定したのが当時の関西電力社長・太田垣であり、このはじめから予想された難工事へ立ち向かうために腕利きの男たちが結集するというのが物語の序盤です。

    工事は5つの工区に分けて進めることが決定しますが、本作品のクライマックとして取り上げられているのが、長野県大町市から黒四の建設現場へ資材を運ぶための関電トンネルを掘削した第三工区の熊谷組です。

    このトンネル工事は巨大な破砕帯(粉砕された岩石の層)と毎秒600リットルに及ぶ大量の地下水に阻まれ、掘削工事は難航を極めます。

    しかもトンネルが開通しなければ本格的なダム建設の資材を運搬できず、世間では関西電力の経営危機という言葉まで飛び出しました。

    苦戦する男たちの姿は重苦しく、文字通り出口の見えないトンネルにいるような気持ちになります。

    しかし同時に社長の太田垣をはじめ、決して諦めない不屈の精神で困難へ立ち向かってゆく男たちの姿に読者は勇気づけられるのです。

    結果的にこの黒四ダム完成までに171名もの殉職者を出しますが、現代の私たちが水や空気のように利用している電力がこうした犠牲者たちの上に成り立っているということを、今さらながらに実感させてくれる名作ドキュンタリーです。

    パパは楽しい躁うつ病


    北杜夫氏と娘の斉藤由香氏の親子対談という形で、家族のエピソードを語ってゆくという形式をとっています。

    北杜夫ファンであれば誰もが知っていることですが、彼は躁うつ病であり、今まで株で破産したりギャンブルに狂ったり、マンボウマブゼ共和国を建国したりといったエピソードは有名です。

    さぞかし家族は大変だったろうと思いますが、対談を読んでいると娘や妻は案外父とうまく折り合いを付けながら暮らしていたことが多くのエピソードから垣間見れます。

    今でこそ心の病へ対する理解は高まりつつありますが、当時は躁うつ病へ対する世間の関心も低くかった時代です。

    周期的訪れる躁うつへ対して家族は北を病人として扱わず、それを彼のパーソナリティとして認め(半ば呆れながらも)付き合い続ける姿勢が、そのままユーモアのある本書のタイトルになっています。

    もちろん病気をユーモアとして片付けることに抵抗を持つ人がいることも予想できますが、家族の理解、そして北自身が精神科医でもあったことから自身の病状へ対して客観的に観察できる立場であったことも大きい要素です。

    それでも今現在も心の病を患っている人、そして家族にそうした病人がいる人たちにとっても勇気づけられるのではないでしょうか?

    数多くのエッセイを残している北氏に共通している姿勢は、やはりユーモア精神です。

    そしてそのユーモア精神は家族にもしっかり受け継がれていたことが分かります。

    たとえば娘が小学校6年生のときに北家は株投資で破産してしまいますが、娘の由香は次のように当時を振り返っています。

    ママは「出版社に前借りをしたり、お友達にお金を借りるような真似はやめてください」って、いつも嫌がってました。でも、株をやる以外は、映画を観たりとか、浪花節を唸ったりとか、中国語を勉強したりして、家の中はすごい明るくて、楽しくて、笑いに満ちているわけ。あと、急に、「マンボウマブゼ共和国をつくります」といってお札をつくったり、タバコをつくったり。

    もし妻と娘が破産という事実を目の前にして暗く落ち込んでいたら、北自身の作品もあそこまでユーモアに溢れたものにはなっていなかったでしょう。

    この本は2009年に出版されていますが、北杜夫は80歳を過ぎた晩年であり、娘の由香さんも40歳を過ぎていました。

    それだけに終始娘の娘が父親をリードする形で対談が進んでおり、温かい雰囲気が本の中からも伝わってきます。

    想いの軌跡


    本書は「ローマ人の物語」で有名な塩野七生氏のエッセイや雑誌に寄稿した記事を1冊の本にまとめたものです。

    人気作家にとって色々な雑誌に寄稿したエッセイを本にまとめて出版することは当たり前の企画なのですが、意外にも彼女にとってはじめての試みだったようです。

    副タイトルに「1975-2012」とあるように、収められているエッセイの時期も幅広いのが特徴です。

    塩野七生といえばベストセラー作家でありながら昔からイタリアを拠点に生活しているという点で非常にユニークですが、地中海を中心とした歴史小説を執筆するために取材旅行へ出かける拠点としては合理的な選択といえます。

    それだけに著者のエッセーは、歴史のみならず作品中では滅多に触れられない現代のイタリアを読者たちへ紹介してくれます。

    例えばサッカー、食文化、映画、ローマで流行しているファッションなどに留まらず、観光地化してゆきインフレが進む経済状況など、他の日本人作家にはない話題を提供してくれるのです。

    もちろんイタリアでの日常、作家活動の裏話など個人的な話題も取り上げらており、作家・塩野七生氏の素顔に近いものが垣間見れるエッセイもあります。

    著者の作品は壮大な長編歴史小説が多いのですが、エッセーを通じてその舞台裏を知ることで作品に奥行きが出てきます。

    蛇足ですが、著者はエッセイの中でイタリアの穴場観光スポットも紹介しており、イタリアで長く生活する著者の言葉だけに信用できるのです。

    蚤と爆弾


    吉村昭氏による史実を元にした歴史小説です。

    本作品では、ハルピンの郊外に建設された広大な施設を拠点とした関東軍防疫給水部を扱っています。

    俗に加茂部隊、または731部隊と呼ばれていましたが、こちらの方が有名かも知れません。

    作品中では関東軍防疫給水部を実質的に指揮したのは軍医出身の陸軍中将・曾根二郎となっていますが、この名前はフィクションであり実在した石井四郎であることは明白です。

    外界と遮断されたこの巨大施設には、スパイとして捕らえられた数多くのロシア人やモンゴル人、中国人たちが運び込まれてきます。

    しかし彼らがこの施設で拷問されることはありません。

    ある意味では拷問よりも恐ろしい生物兵器の実験台となる運命にあるのです。

    この施設の捕虜たちは「丸太」という隠語で呼ばれ、一度この施設に収容されたが最後、再び生きて故郷に戻ることはありませんでした。

    この"丸太"という呼称には秘密漏洩対策の意味も当然あったでしょうが、人間を実験動物のように扱う良心の呵責がそうさせたとも言えます。

    「丸太であれば人間と違って手荒に扱っても構わない」というように。


    実際にここで行われた実験は、捕虜たちへ病原菌を植え付けて死に至るまでの過程を詳細に観察したり、効果的な凍傷の治療方法を発見するための手足を壊死させる実験を行うなど、彼らが人格ある人間として扱われた形跡が微塵もありませんでした。

    やはり戦争の恐ろしさとは人としての普通の感覚を麻痺させてしまうことであり、実際この部隊にいた軍人たちも普段や家族や仲間たちを大切に思う普通の人間だったと思います。

    作品中に登場する曾根も祖国日本に貢献することを願い、生物兵器による攻撃も銃器や火器といった通常兵器と何ら変わらないという認識を持っていた人間でした。

    にもかかわらず描写される関東軍防疫給水部での出来事は読む者を不快にさせ、犠牲となった捕虜たちへ同情せざるを得ません。

    ただし不快な思いをしたくて小説を読む人はいません。
    それでもこの作品を最後まで読み続けるのは、戦争という人類の所業の中で行われた悲劇から目を背けてはならないという義務感からなのかも知れません。

    島抜け


    タイトルにある「島抜け」とは、島流しにされた流刑地から脱走することを意味します。

    そして脱走を試みる本作品の主人公は、大阪の講釈師・瑞龍です。

    軍記物を中心とした講談で人気を博していた瑞龍は、大阪冬の陣、夏の陣を記した「難波戦記」を題材にすることを決心します。

    今まで「難波戦記」を選んだ講釈師は、勝利した徳川家にスポットを当て、滅亡する豊臣家は単なる敗者として扱われていました。

    しかし瑞龍は真田幸村にスポットを当て、一時は徳川勢を敗走させるその奮戦ぶりを語るという当時にはなかった視点で「難波戦記」を語ったのです。

    今も昔も大阪では徳川家の人気は低く、地元で繁栄を誇った豊臣家を贔屓にする傾向があることから、瑞龍のもとには連日に渡り人が押し寄せる大盛況となります。


    しかし世は江戸時代、さらに運の悪いことに水野忠邦"天保の改革"によって幕政の立て直しを名目とした強い引き締めが行われていた時期でした。

    中には水野の右腕として抜擢された鳥居耀蔵のように、自らの立身出世のために罪をでっち上げる連中が強権を奮っていた時期です。

    講釈の内容が幕府に不快感を与えたという理由で、瑞龍は島流しとなるのが作品の導入部です。


    封建制度の時代に「言論の自由」があるわけもなく、瑞龍もその犠牲者となった1人でしたが、タイトルから分かる通り作品のテーマはそこにはありません。


    何と言っても興味深いのは、当時の島流しにされる囚人たちの様子が吉村昭氏によって事細やかに描かれていることです。

    本書で瑞龍たちが島流しにされたのは種子島ですが、ここでは牢屋に閉じ込められるわけではなく庄屋の家に預けられます。

    ここで畑仕事や雑用に従事していれば少なくとも食うに困らず、また島内をある程度自由に行動することが許されます。

    瑞龍自身は悪事を働くタイプの人間ではなく、普段の性格も温和なタイプでしたが、同じタイミングで島流しにあった3人の仲間に誘われる形で釣りを装い丸木舟で島抜けを決行するのです。

    もちろんボートのような丸木舟で大海原に飛び出した瑞龍たち4人の前には困難が待ち受けますが、彼らの挑戦がどのような結末を迎えるかは作品を読んでのお楽しみです。

    本書にはほかに「欠けた椀」、「梅の刺青」といった短編が収められていますが、「島流し」を含め歴史の片隅に埋もれた人物を掘り起こし、丹念な調査の上に作品を構築してゆく吉村氏のスタイルは相変わらず健在であり、おすすめできる1冊です。


    本書の主人公は、世界的なクライマーとして知られる山野井泰史・妙子夫妻です。

    ノンフィクション作家として有名な沢木耕太郎氏の作品ですが、著者自身は作品中に殆ど登場せず、この山野井夫妻がヒマラヤのギャチュンカンの北壁に挑戦する過程を2人の歩んできた人生を振り返る形で追っていきます。

    そのためノンフィクション作品であると同時に山岳小説としても楽しめます。

    初めて読んだ山岳小説は新田次郎氏による一連の作品ですが、極限状態に挑むクライマーや登山家を主人公とした小説は個人的にも好きなジャンルです。

    にも関わらずクライマーという人種を理解しきれない自分がいるのも事実です。

    彼らにとってターゲットが困難であればあるほど魅力的に映り、しかもクライマーにとって困難とはイコール生命の危険性と直結する要素なのです。

    データが無いので分かりませんが、クライミングをスポーツ競技、または職業と見なした場合、事故による死亡率は全競技・全職種中で断トツに高いのではないでしょうか。

    私にとってクライマーとは、1つの判断ミスはおろか何一つミスをしなかったとしても運悪く落石や雪崩の巻き添えに遭ったら奈落の底へ真っ逆さまに落ちてゆくことを誰よりも熟知しながら絶壁へ挑む人種というイメージなのです。

    そしてこの作品を読んだ後でもクライマーへ対する認識はまったく変わることはありませんでした。

    つまり山野井夫妻によるギャチュンカン北壁への挑戦は絶望的な困難に直面することになります。

    薄い酸素と極寒がもたらす体調不良、襲いかかる雪崩、悪天候と残り少なくなる食糧、さらにはクライマー人生を終わらせかねない重度の凍傷など、考えうる困難がこれでもかと2人へ襲いかかります。

    理解に苦しむクライマーたちを主人公とした作品を何故読み続けるのかと問われれば、それは単純に彼ら(彼女ら)の勇気に敬服するからです。

    野生動物の生息すら許さない極限状態の自然の中で培ってきた経験や技術、そして知識をフル動員して立ち向かう人間の姿はときに神々しく見えます。

    そして絶体絶命の状況から生還するためにもっとも必要な要素は、生存本能に根ざした強い意志なのは言うまでもありません。

    成功する里山ビジネス


    まず本書のタイトルには分かりにくい点があります。

    "里山ビジネス"というと、里山にある天然資源や自然を利用したビジネスを想像してしまいますが、本書の内容はかなり方向性が違います。

    もちろん田舎暮らしに憧れて移住するという類の本でもありません。

    地方を活性化するビジネスに従事し、成功または活躍している人たちを紹介してゆくというのが本書の主旨です。

    改めて言うまでもなく日本は高齢化社会、人口減社会と騒がれていますが、そのスピードは想像以上に早く進んでいるという実感が個人的にもあります。

    山奥だけでなく地方都市でさえも空き家が目立ちシャッター商店街が増えつつあるニュースを耳しますし、実際にそうした風景を目にする機会が増えてきました。

    一方で首都圏への転入超過は続いており、地方との経済格差は開いてゆくばかりです。

    著者の神山典士氏は、人口減に入った今の時代を「下山の時代」と定義し、高度経済成長の時代は集団就職に代表されるように大都市に人口を集約させ大量生産を行った時代と逆のことをやるべきだと提唱しています。

    すなわち著者の提唱する下山サイクルとは次のようなものです。

    「労働分散(地方へ行け!)」→「労働生産性の低下(経済効率以外の価値の創出)」→「所得減少(貨幣価値以外の生き甲斐、やり甲斐の創出)」→「新しい物を買うよりも再利用、古民家再生、廃校利用等」→「物をつくっても買う人のいない状況=デフレギャップ」→「さらなる労働力分散」

    この割り切った考え方には私も賛成です。

    地方の人口を増やそうとしても日本全体で人口が減っている状況では限られたパイ(移住者)の奪い合いになりますし、すべての地方の取り組みが成功することはありません。
    それは観光についても同じで、必ず成功する地方と失敗する地方が出てきます。

    それよりは少ない(限られた)人数で地方を活性化させる手段を模索する方が現実的だと思えます。

    本書では出版、演劇、農業やワークショップ、コンサルタントなどで地域を盛り上げる人たちが紹介されていますが、いずれも田舎で隠居暮らしにはほど遠いバイタリティ溢れる人たちです。

    また重要な点として自分の生まれ故郷を活性化させたいという人よりも、都会から移住した人たちの"よそ者視点"がキーワードになっている点です。

    それは地元の人にとって当たり前過ぎて気付いていないものこそ、実は都会からは魅力的に映っているものが多く、また都会におけるビジネス経験と行動力が地方にとって大きな戦力となるケースが多いからではないでしょうか。

    さらに"ビジネスの成功=経済的な成功"と位置付けていないところも本書に登場する人たちの特徴です。

    地域のコミュニティが活性化して継続してゆくこと、そして何より精神的な豊かさを重要視することこそが本書のいう"成功する里山ビジネス"なのです。

    マヤ探検記 下


    スティーブンズキャザウッドの2人が1839年に行ったマヤ文明遺跡発見の探検は、1841年に「中央アメリカ、チアパス、ユカタン旅行の出来事」として出版されますが、これが爆発的に売れてベストセラーとなります。

    当時の知識人たちにも絶賛され、2人は一躍有名人として知られるようになります。

    そして旅行記を出版した1941年10月には早くも2度目の探検に出発します。

    それは同時に過酷なジャングルへ豪雨や泥にまみれたながら蚊やダニや病気という困難に再び立ち向かうことを意味していました。

    彼らの勇気ある挑戦は報われ、またしてもピラミッドをはじめとした数々の建造物やモニュメントを発見し大きな成果をあげました。

    2人はもっとも有名な探検家としての名声を揺るぎないものとし、1943年に出版した「ユカタン旅行の出来事」はまたしても大ヒットすることになります。

    スティーブンズには探検家としての資質だけでなく類まれな文才も持ち合わせており、キャザウッドの正確なデッサン力との相乗効果で今でも歴史に残る名著として知られています。

    何と言っても現代であれば国家事業として行われるべき遺跡調査を、たった2人の探検家が成し遂げたのです。


    何度もマラリアや怪我によって倒れ、時には生命の危機も経験しながらも探検を続ける2人の姿は常識からは考えられません。

    探検記を読んでいると、心の奥底から湧き上がってくる前向きな精神力がジャングルの中を進む原動力になったことがよく伝わってきます。

    ただし残念なことに、結果的に今回の探検が2人にとって最後になります。
    未知の文明を追い求めるスリルのある日々ではなく、生計を立てるための現実的な日々に追われることになるのです。

    スティーブンズは実業家として、キャザウッドはエンジニアとしていずれも当時爆発的に普及しつつ合った鉄道に関わることになります。
    当時のアメリカは開拓時代が終わりつつあり、近代化へ向けた新技術が次々と生まれ始めた時代でもありました。

    探検家としてのキャリアを終えたスティーブンズは、経営者としてパナマで鉄道を敷設するために奔走し、キャザウッドは鉄道技師という新しい仕事を見つけます。

    残念なことにスティーブンズは、探検家時代に体を酷使したせいか1852年に46歳という若さで世を去ります。
    そしてキャザウッドもその後を追うようにして、1854年の海難事故によって亡くなります。


    スティーブンズは数々のマヤ遺跡を発見したものの、当時は考古学的な研究は行われずほとんど具体的なことは分かりませんでした。
    本書の終盤では、現代のマヤ文明研究を紹介する形でスティーブンズの偉業を現代に伝えてくれます。

    それでもマヤ文明に関する研究はエジプトなどと比べるとまだまだ発展途上にあり、これからも次々と新しい発見があるに違いありません。

    マヤ探検記 上


    まず本書のタイトルにある"マヤ"とは、メキシコやグァテマラといった現代の中南米(ユカタン半島)を中心に栄えたマヤ文明を指します。

    このマヤ文明はアメリカ大陸でもっとも早くに栄えた文明であり、その歴史は同じアメリカ大陸のアステカ文明インカ文明よりも古く、四大河文明にも劣らない高度な文明を築いていました。

    しかしコロンブスがアメリカ大陸と発見した15世紀末には既に滅んでいた文明であり、長きに渡りほとんど存在さえ知られていない謎に満ちた存在でした。

    時が流れ19世紀にはじめてマヤ文明の遺跡を本格的に探索したのが、本書の主人公であるジョン・ロイド・スティーブンズフレデリック・キャザウッドの2人でした。

    まだ"考古学"という分野が黎明期であり、体系的な研究や支援が得られなかった時代に遺跡を発見するのは、スティーブンズたちのような好奇心と勇気を兼ね備えた探検家たちに委ねられていました。

    スティーブンズは弁護士、キャザウッドは建築技師の資格を持ちながらも、ジャングルの奥深くに眠る古代文明の遺跡を発見するという魅惑にとりつかれ、1839年にニューヨークからユカタン半島の付け根にあるベリーズに向かって旅立ちます。

    そしてもちろん彼らの探検は旅行とは異なります。
    熱帯雨林という過酷な自然条件の中をボロボロになりながら突き進んでゆく2人の姿は、勇敢な探検家というよりジャングルをさまよう遭難者に近いものでした。

    さらに2人の前に立ちはだかったのが、南米各で勃発していた内戦による治安問題でした。

    武器を手にした原住民のインディアンやメスティーソたちによりたびたび危険にさらされますが、探検にあたり外交官の使命も同時に帯びたスティーブンズの卓越した交渉術により何とか危機を乗り切ってゆくのです。

    本書ではマヤの探検記だけでなく、スティーブンズとキャザウッドの経歴についても細かく触れています。
    そこからは活発で社交的なスティーブンズと、物静かで職人気質のキャザウッドという対照的な人物像が浮かび上がってきます。

    しかし何ヶ月にも渡って協力し合って探検を成功させたことからも分かる通り、2人の相性は抜群だったのです。


    上下巻700ページ以上にも及ぶ大作ですが、19世紀前半に未知の文明を求めた2人の探検家の足跡を余すことなく現代に伝えてくれる伝記であり、同時に読者を夢中にさせる手に汗握る冒険記でもあるのです。

    山の怪談


    田中康弘氏の「山怪」シリーズに影響されてタイトルだけを見て思わず手にとった本です。

    もちろん山にまつわる怪談集だと思ったのですが、実際には20人もの民俗学者、作家、登山家、随筆家のアンソロジー本です。

    その時代も幅広く明治~平成といた範囲で、編集者のセンスと好みで収集されています。

    実際に読んでみると怪談だけでなく、柳田国男高橋文太郎といった民俗学者としての立場から民話を解説したものから、山とはあまり関係ないと思われる幽霊ばなし、短編小説などが掲載されていたりと読み始めてから戸惑いがあったのが正直な感想です。

    もちろん中には登山家が体験した正真正銘の"山の怪談"も掲載されていますが、全体的にはアンソロジーとしてまとまりがないように感じました。

    しかし本書に掲載されている1つ1つの作品は完成度の高いものであり、途中から雑誌の特集記事の切り抜きを読むような感覚に切り替えてからは楽しく読むことができました。

    数多くの作品の中で個人的に興味深かったのは、世間的にはあまり知られていない郷土研究家、民俗学者である小池直太朗氏による「貉の怪異」という"ムジナ"にまつわる民話を扱ったものです。

    山で人を化かしたり驚かせる動物といえば狐や狸が定番ですが、信州ではムジナにまつわる民話が数多く残されているそうです。

    山暮らしの経験がない人にとって"ムジナ"という名称は聞いたことはあっても馴染のある名前ではありません。

    実際、「ムジナ=アナグマ」という認識が一般的ですが、狸やハクビシンをムジナと呼んだり、そのいずれにも当てはまらない独自の動物だったりと地域によって異なるようです。

    ともかく昔から日本人にとって馴染みのあるはずの"ムジナ"が実は正体が定かではなく、人に化けたり、寒林で木を伐る音を真似たり、さらに小川で小豆を洗う音を立てたりという伝承が多く残っているという話は興味深く印象に残っています。

    雪男は向こうからやって来た


    著者の角幡唯介氏は、探検家という肩書を持つノンフィクション作家です。

    探検家といえば人類未踏の地の探索、未踏破の山への初登頂、はたまた極地探検などを思い浮かべますが、本書はヒマラヤ山中に棲むという謎に包まれた"雪男"を見つけるという、読者の予想の斜め上をゆく探索をノンフィクションとして描いたものです。

    雪男と聞くと、妖怪や幽霊と大差のないオカルトな世界を想像してしまいますが、それは著者自身も同じだったことが本書に書かれています。

    つまりはじめは雪男の存在に否定的だった著者は、知人から紹介されて雪男捜索に熱中する高橋好輝をはじめとした捜索隊の面々と合うことになります。

    そこで芳野満彦田部井淳子小西浩文といった世界的に有名な登山家たちも雪男の目撃経験を持っていることが判明します。

    中でもフィリピンのルパング島で残留日本兵の小野田寛郎を発見したことで有名な冒険家・鈴木紀夫に至っては雪男発見に執念を燃やし、その捜索中に雪崩によって生命を失うことになります。

    海外登山家の中でも雪男の目撃談は数多くあり、足跡についてはかなりの数の写真が撮影されてきました。

    著者が参加することになった雪男捜索隊のメンバーたちはいずれも経験豊富な一流の登山家たちであり、彼らの真剣な眼差しと熱意に接するうちに著者も「もしかして」という期待を抱くようになります。

    ただし雪男を捜索するために向かったダウラギリ山系にあるコーナボン谷はヒマラヤの中でも秘境であり、登山家で賑わう有名な高山と違い、有史以来数えるほどしか人間が足を踏み入れていない最果ての地域でした。

    本書は雪男捜索の旅だけを対象にしたノンフィクション作品ではなく、そこへ至るまでの過程、著者による有名登山家への雪男目撃談の取材など、サイドストーリーでしっかりと肉付けされており、重厚なノンフィクション作品に仕上がっています。

    実際の雪男捜索は単調な見張り作業がほとんどのため、それ自体では紙面を稼げないという現実的な課題もあったでしょうが、結果として読者もいつの間にか雪男捜索を "空想家の気まぐれ" ではなく、"人類にとっての新発見" として期待してしまう説得力が出てくるのです。

    捜索がどのような結果に終わるのかは読んでからのお楽しみですが、途方のない現実離れした大発見に熱意を持ち続ける人たちを "人生の浪費" と見なすか、"充実した人生"と見なすかによって本作品の価値は変わってきますが、読者が後者であれば本作品を夢中になって読むことができるでしょう。

    木村政彦 外伝


    木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は読み応えがあり、伝説の柔道家・木村政彦の実像を知ることのできる大作ノンフィクションでした。

    そして前述の本を木村政彦の"正伝"として位置づけ、本書は文字通り"外伝"として書かれたものです。

    序盤では、"史上「最強」は誰だ?"と題して、木村政彦山下泰裕が柔道で対決したらどうなるかをシュミレーションしています。
    山下泰裕といえば木村政彦と同じくかつて"史上最強の柔道家"と評された名選手であり、一般的な知名度は木村より上ではないでしょうか。

    木村と山下は現役時代が重なっていないため夢想と言ってしまえばそれまでですが、2人を知る柔道家へのインタビュー、それぞれのエピソード、さらに柔道経験者である著者が具体的なテクニックにまで言及し、かなりマニアックに検証しています。

    中盤以降は対談&インタビュー形式で木村政彦にとどまらず、柔道全般について縦横無尽に語っています。

    本書に登場する対談相手を書き出してみます(カッコ内は肩書き)。

    • ヒクソン・グレイシー(柔術家)
    • ミスター高橋(新日本プロレスの元レフェリー)
    • 安齋 悦雄(元拓大柔道部監督)
    • 青木 真也(総合格闘家)
    • 岩釣 兼生(元柔道家)・石井 慧(元柔道家・総合格闘家)
    • 岡野 功(元柔道家)
    • 堀越 英範(元柔道家)
    • 松原 隆一郎(社会経済学者)・磯部 晃人(柔道評論家)
    • 平野 啓一郎(小説家)
    • 角幡 唯介(作家・探検家)
    • 菊池 成孔(ミュージシャン)
    • 猪瀬 直樹(作家)
    • 原田 久仁信(漫画家)
    • 吉田 豪(ライター)
    • 綾小路 翔(ミュージシャン)
    • 小林 まこと(漫画家)
    • 中井 祐樹(元総合格闘家・柔術家)

    見て分かる通り、柔道界にとどまらず幅広い分野の個性豊かな人たちが次々と登場してくるため、対談テーマは似ていても発言内容には思った以上にユニークさがあり、読者を飽きさせません。

    誤解を恐れずに言うと、本書は私が学生時代によく読んでいたプロレスのムック本(雑誌の別冊)の雰囲気によく似ています。

    木村政彦の生涯を丁寧になぞり人物像を明らかにするという点では、前作である程度やりきった雰囲気があり、本書にはそれを補足しつつも遊び心が垣間見れるからなのかも知れません。

    ハードカバーで分量もたっぷりあるため、木村政彦ファンになりかけている私にとってかなり贅沢な気分で読書に浸ることができました。

    なお本書を10倍楽しむために、前もって前作「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んでおくことを是非おすすめします。
    そして本書を読み終わる頃には、"木村政彦マニア"になっているはずです。

    彰義隊


    吉村昭氏の幕末歴史小説です。

    タイトルから彰義隊の結成から新政府軍によって壊滅させられまでの過程を追った歴史小説だと思っていましたが、実際の構成は違っていました。

    それは彰義隊に参加した武士たちの視点からではなく、上野寛永寺の山主・輪王寺宮能久親王(りんのうじのみやよしひさしんのう)の視点から彰義隊を描いている点です。

    輪王寺宮門跡は、比叡山、日光、上野にある寺院を統べる立場にあり、この門跡は皇族が勤めることが慣例となっていました。

    徳川慶喜が新政府へ恭順の姿勢を示すために江戸城から退去して寛永寺に蟄居したことは知られていますが、能久はその慶喜の謝罪の使者として東征大総督の地位で江戸へ攻め上る途中の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の元へ赴きます。

    同じ皇族同士の話し合いにも関わらず交渉は不調に終わり、やがて徳川家へ忠誠を誓う過激派たちの武士たちで結成された彰義隊の旗印として担ぎ上げられてしまいます。

    ここから能久親王の数奇な運命が始まることになります。
    それを一言で表せば、本来であれば勤王攘夷論を唱える新政府軍(薩長派閥)側の人間であるはずの能久親王が、皇族の中で唯一旧幕府軍の中に身を投じてしまうのです。

    しかも能久親王は江戸の町や庶民、そして幕府側の要人たちに親しみの感情を持っており、本気で新政府軍と闘う気概を持っていました。
    結果として上野戦争後は江戸から脱出し、奥羽越列藩同盟の盟主の地位に就きます。

    もちろん新政府側の盟主は明治天皇ですが、能久は明治天皇の叔父という血縁関係にあり、反明治政府軍の精神的支柱として君臨したのです。

    多くの幕末小説を読んできた私もこの視点は新鮮であり、作者の着眼点に脱帽しながら最後まで楽しく読むことができました。

    ちなみに上野戦争から敗走する彰義隊の生き残りや能久親王が脱出のために辿った日暮里から根岸、三河島周辺は著者の生まれ育った地域でもあり、寛永寺境内から上野公園一帯は少年時代の遊び場所でもあったことから、著者の思い入れを作品から感じられます。